運命の舞踏会 1
とうとうこの日がきてしまった。十六歳となったソフィアは今日、社交界にデビューする。
一方私はこれから婚約を破棄され、牢獄に向かう。このために十年前から準備をしてきたのだ。王子を諦めるための努力もした。後悔なんてしていない――
事前にラファエルから贈られたのは、真紅のドレスだった。不思議なことに私宛てで、ソフィアの分はない。義母が予め、ソフィア用の清楚な水色の衣装を用意していたためなのか。彼は直前で、義妹への贈り物を断念したのかも。
ドレスは贅沢な生地で着心地も良く、装飾も豪華だ。スクエアカットで胸を強調するデザインだから、ちょっと恥ずかしい。恥ずかしいと言えば、首元の虫刺されがずっと消えずに赤く残っていて、パッと見キスマークのようだ。でも誰かにキスをされた覚えはなく、ずっと消えないのもおかしい。悪い病気でなければいいと思う。もう診てもらう暇はないのだから。
天宮に到着した私とソフィアは、控室に通された。中にいたラファエルが、手を広げて歓迎の意を示す。さすがにソフィアも今日は緊張しているらしく、王子を見るなり膝を折り淑女の礼を取っている。私は彼を見た途端、胸が詰まって動けない。
何も言えずに立ち尽くしていると、ラファエルの方から近付いてきた。
「ニカ、思った通りとても綺麗だ。君には赤がよく似合う」
「ごきげんよう、ラファエル。貴方こそ素敵よ」
ラファエルの衣装、金糸の入った白の礼装姿は夢のように美しい。けれど素っ気なく振る舞うと決めた私は、感情を込めずに答えた。
「ソフィア、ようこそ。あの者に案内してもらうといい」
「ありがとうございます」
え、それだけ?
二人共、なんだか堅苦しいような……
ラファエルは、側にいた女官に頷きソフィアを託した。これからソフィアは国王に謁見するため、玉座の間に向かう。義妹に付き添って来たものの、舞踏会までの間私には時間がある。ラファエルと重要な話をするからと、わざと早く来たのだ。
「二人きりで話がしたいの。いいかしら?」
「君がそんなことを言うとは、珍しいね。もちろん歓迎するけど」
私の希望を聞き入れた彼が、人払いを命じる。侍従や女官が出て行ったことを確認すると、私は持っていた袋から書類を取り出して、彼に差し出す。
「……ええっと、ニカ。何かな? これは」
ラファエルは、戸惑いながらも目を通している。それはフィルベールから送られてきた手紙で、誘拐事件の証拠品。なぜか待ち合わせ場所の地図が紛失していたので、代わりに私のメモを渡す。ソフィアの誘拐を計画した私が、最初に書いたあのメモだ。
「何って、見ての通りよ? 私、フィルベールや彼の仲間と関係があったの」
悪役っぽく偉そうに言ってみる。
口に出して気づいた。今ちょっと、エッチっぽく聞こえなかった?
ラファエルもそう思ったのか、彼の目に一瞬、強い光が灯る。
「誘拐された時のこと? まさか、無理強いでもされた?」
だから違うってば!
そっちじゃなくって……
彼は大して驚きもせず、淡々としている。私のことを好きじゃないからだろうけど、ここは一つ名誉のために訂正しておかなくちゃ。
「違うわ。変な意味じゃなくって、仲間って意味。私が彼らに頼んでソフィアを攫わせたの」
仰天するかと思いきや、彼は軽く肩を竦めただけだった。
「それはそれは。君も攫われていたようだけど? でも、いたずらにしては度が過ぎているね」
「そうね」
唇を噛んでラファエルを見た。
私もそこは反省している。自分の欲のために、ソフィアを危険な目に遭わせたのだ。「愛するソフィアに何てことを!」と、なじられても仕方が無い。激しい叱責を覚悟した私は、思わず身構える。
けれどラファエルの表情は穏やかで、いくら待っても反応がない。そんな彼に私は思わず問いかけた。
「ええっと……それだけ?」
「それだけ、とは?」
「いえ、別に。もっと責めるかと思って」
「せめる? まあ、せめるべきは今じゃない、かな」
どういう意味だろう?
考えた私は、次の瞬間納得する。
――そうか! 大広間にいるみんなの前で私を責めないと、婚約を破棄できない。ラノベのストーリー通りなら、私は大勢いる貴族達の前で悪事を糾弾されるのだ。
「そう、楽しみにしているわ。それと、今までありがとう。貴方の婚約者というのも、案外悪くなかったわ」
こんなセリフ『ブラノワ』には出てこなかった。けれど、さよならの代わりに私は告げる。
どんなに離れ難くても、今日を限りにラファエルと会うことはない。捕まった私は牢獄でジルドと出会い、愛を深め合う。その後国外へ逃亡するから、この国には二度と戻らないのだ。
紫色の瞳に静かな光を湛えたラファエルが、私をじっと見つめていた。その顔はどこか、悲しそうにも見えて。
「まだ諦めていなかったのか……。こちらこそ、今まで楽しかった。いや、苦しくもあったかな?」
ラファエルが目を細める。
そのつらそうな表情を、慰めてあげたい。
けれど――
伸ばしかけた手を下ろす。だって彼は、ソフィアのものだ。苦しいと言ったのは、彼女との関係を内緒にしていたせいだろう。彼の苦しみは今日で終わり。私との婚約がなくなれば、堂々とソフィアに求婚できる。それに比べて私は……
いけない、良いことだけを考えよう。
看守のジルドに会えたなら、私はすぐに惹かれるはず。水壁越しの恋、牢獄でのじれじれラブ。渋いイケメンの魅力にときめき、くらくらするだろう。その時私は本当の意味で、ラファエルを忘れられる。
「ねえ、ニカ。君に伝えておくことがある。実は……」
彼が言いかけたところで、扉が勢いよく開く。女官の制止を、ソフィアはものともしないようだ。
「ふう、疲れた~。緊張したけど、上手くいったと思うわ。あら、お話中?」
私は首を横に振る。だって、ラファエルがソフィアを好きなことはもうわかっている。わざわざ口にしなくても、邪魔しないから大丈夫。
「ヴェロニカ、これは私が預かっておく。じゃあ後で」
ラファエルもこれ以上の話は諦めたのか、証拠品を手にしたまま部屋を出て行く。その後ろ姿を、私は黙って見つめた。この後いよいよ舞踏会。そこで本編での、私の出番は終わる。
原作通りならヴェロニカが手引きをした悪党達がここで乱入し、ソフィアに破廉恥な行為をしようとする。怖くて声も出せずに震えるソフィアを、悪役令嬢ヴェロニカが柱の陰からこっそり覗く。けれど間一髪、王子が乗り込みソフィアを助けるのだ。
でも今回、私は悪党達を手配した覚えがなく、そのシーンは当然カット。証拠品も既に提出済みだから、これ以上罪を重ねれば火宮の刑場送りとなってしまう。それだけは、避けねば。
そこで私は、大変なことを思い出す。
ラファエルに減刑をお願いするの忘れてた。連行先が、水宮の牢獄じゃなかったらどうしよう?
次からいよいよ……(`・ω・´)