悪役はつらいよ 16
二人の声を聞いた途端、頭が真っ白になる。ショックを受けた私は、ラファエルの答えを聞き逃してしまう。けれど続く言葉は、はっきり耳にすることができた。
「約束しよう。舞踏会の後に必ず話す。だから私を信じて、待っていてほしい」
――ああ。王子はやっぱり、ヒロインを愛していた。わかっていたはずなのに、胸が張り裂けそう。ストーリーは変えられないのね?
相手がソフィアの義姉であるが故、自分はすぐに動けない。中途半端に婚約破棄を告げれば義姉から略奪したとして、愛するソフィアの印象までもが悪くなってしまう。だから舞踏会、つまり社交界デビューの日まで待ってほしい――
ラファエルが言いたいのは、たぶんそういうことだ。本当はすぐにでも父の許しを得て、ソフィアと一緒になりたいのだろう。けれど彼にはまだ、婚約を破棄できるほどの材料がない。そのためにもう少し時間をくれと、ソフィアを説得しているらしい。
やはり私は、最後まで悪役でいるべきだ。そうしないと、周りに迷惑がかかってしまう。
元通りに扉を閉めた私は、振り返らず立ち去ることにした。ラファエルが好きなのは白薔薇で、黒薔薇ではない。悪役令嬢が孤独なのは当たり前。邪魔にされ、傷ついたくらいで泣いてはいけない。
家に戻った私は、ある結論に達する。
この世界は、ラノベ通りに進んでいく。途中で悪役を降りることなど、きっとできない。
それなら私は最後まで、悪役令嬢になりきろう。ヒーローがヒロインを好きだとわかったくらいで、落ち込んではいけない。大事な人達の幸せを願うなら、速やかに身を引くべきだ。
番外編に進めば、ヴェロニカだって幸せになれる。これは涙なんかじゃない……目にゴミが入っただけよ。
私は翌日から、来るべき舞踏会に備えて準備をすることにした。といっても、ソフィアをいじめるつもりはない。悪事を重ねず婚約破棄に持ち込む方法が、一つだけあるのだ。
それはそう、誘拐。机の中にあるフィルベールの手紙やメモを提出すれば、私がソフィアを攫わせたことが明るみに出る。王子との縁を切るだけの十分な証拠となるだろう。
もちろん火宮の刑場送りはごめんで、あくまでも水宮の牢獄を希望する。そんなわけで、今は証拠書類をまとめつつ、善行を積み重ねて減刑してもらおうと狙っているところ。
身辺整理と挨拶がてら、お世話になった本屋や印刷所を回る。自分の本を全て引き取り、ついでに良さそうな児童向けの絵本や文字を学ぶ本、料理や園芸など生活に役立ちそうな本をいくつか購入する。これに要らなくなった公爵家の本を加えて、寄付する予定だ。
余った自分のお金で馬車を改造し、本棚を作ってもらう。ここに手作りの貸出用紙をつけた本を入れれば、移動図書館が出来上がる。分類作業には自信があった。伊達に前世で、地元の図書館へ入り浸っていたわけではない。
ずっと考えていた。ただの寄付ではなく、多くの者が読めるよう貸し出してはどうか、と。
この国に図書館はなく、裕福な者が図書室を所蔵しているのが一般的だ。本は本屋で買うしかなく、お金のない者は触れることさえできない。贅沢品にあたる物語など、読んだこともないだろう。
教会にそのまま寄付したら、分ければ終わり。でも貸し出すことにすれば、いろんな人が繰り返し何度でも読めるのだ。本の世界は、時につらい現実を忘れさせてもくれる。この作業は、余計なことを考えずに忙しくしていられるから、私にとっても丁度いい。
オリジナルの移動図書館も完成間近のある日。馬車に本を入れる作業をしていた私に、後ろから声がかかる。
「これはまた、楽しそうなことをしているね?」
「ラファエル! どうしてここに?」
「どうして? 婚約者の顔を見に寄るのもダメなの?」
「もうすぐ終わりでしょう? 演技なんてしなくていいから」
「そうだね。演技の必要なんてない」
彼の声を聞くだけで、胸が痛い。諦めると決めたのに、顔を見ると苦しくて。
少しは期待したこともある。もしかしたらラファエルは、ソフィアより私のことを好きなの? と。
もちろんそれは間違いだった。一緒になりたいと訴えるソフィアと、信じて待っていてほしいと宥める彼。その姿を私は先日、この目ではっきり見たのだ。
それなのにラファエルは、どうして私に構おうとするのだろう?
「あの……忙しいんだけど」
「冷たいな。で、これはどういう仕組み?」
本を手に取り、馬車を見たラファエルが私に質問をする。頭の良い彼は、私に興味はなくても移動図書館は気になるようだ。仕方がないので教えてあげることにした。今はまだ一台しかないけれど、いずれ国中に広まればいいと思う。
私の説明をすぐに理解したラファエルは、本を棚に戻す。
「なるほどね、いろんな所を回って本を貸し出すのか。ニカは面白いことを思いつくね?」
「私の考えじゃなくって、以前見かけたことがあるから」
「これも前世の知識?」
「そう」
言いながら、少しだけ悲しい気持ちになった。この世界で彼だけが、私が転生したことを知っている。突飛な私の話についてくることができるのも、彼だけだった。
いずれ会うジルドには、最初から話さなければいけないだろう。いえ、話したところでわかってくれるかどうか。変な女だと嫌われてしまうといけない。やっぱり黙っていよう。
「ニカ、思い悩むより笑った方が可愛いよ。近いうちにドレスを届けさせるけど、今度は受け取ってくれるね?」
可愛いと言われても、素直に喜べない。
むしろ、誰のせいかと責めたいところだ。
だけど諦めると決めた私は、違う言葉を口にする。
「ドレスって?」
「もうすぐ秋のシーズンだ。当然、私のパートナーとして出席してもらう」
もうそんな時期なのか。
ソフィアの社交界デビューまで、残すところあと二ヶ月だ。私がラファエルの婚約者でいられるのも、同じだけ。それならドレスは、彼から貰う最後のプレゼント。だったら私に断る理由はない。
「ありがとう。喜んでいただくわ」
「良かった。後日、採寸する者を寄こすから。本当は私が、隅々まで調べたいんだけどね?」
「なっ……」
綺麗な顔をして最後までなんてことを。
ソフィアに言いつけてやる!
ラファエルは笑いながら手を上げると、私から離れていった。私ももう、引き留めるつもりはない。別れる相手にドレスを贈るだなんて、いったいどういうつもりなのかしら?
慰謝料という程の仲ではないし、手切れ金という程親密な関係でもない。ソフィアのついでに私の分を頼んだとしたら? それなら確かに、父に疑われずに義妹へドレスを贈る口実になるわね。
その日の夕方。
以前ラファエルと訪れた南部の教会から、手紙が届いた。
『……善意溢れる人々の寄付が定着してきました。領主夫人や地域のご婦人方が主体となって、バザーや物々交換なども始められているようです。教会が話し合いの場としても活用され、問題の解決や仕事の斡旋も円滑に。民と貴族の交流の場ができたことで、笑顔が多く見られるようになりました。近くへお越しの際は、是非お声がけを。皆で歓迎致しますし、天使もお喜びになるでしょう』
良かった。私の願いも少しは天使に届いたようだ。
いわれてみれば私はあの日、どこかで天使を見たような気がする。どこでだったか……夢の中?
手紙には、歓迎すると綴られていた。けれど私に残された時間は少なく、貴族でいられるのもあとわずか。ラファエルと出掛けることはおろか、あの教会に行くこともない。
いつか――ジルドとの間に子供が生まれたら、教会とあの日見た天使のことを語ってあげようと思う。




