悪役はつらいよ 14
帰り際、司祭や領主からの招きを、ラファエルは固辞した。
「せっかくなのでこの機会に、可愛い婚約者とゆっくり過ごそうと思ってね」
私のせいにするのはやめてほしい。
もう少しマシな断り方があっただろうに。
司祭様の視線が痛かった。領主夫婦も呆れていたように思う。
『大丈夫です、婚約とはいえ形だけ。間違いは絶対に起こりませんから!』
どんなにそう言いたかったことか。
でも、その後のラファエルの切り返しが怖くて、私は口を閉ざした。彼は人前でも平気で、私をからかう。羽の痕だってそうだ。見せたくないなら嫌だと答えれば良かったのに、あんな、あんな……
熱くなった頬を触る私を、いたずらっぽい目で彼が見ている。これ以上面白がらせてはいけない。毅然とした態度で挨拶をしよう。
「教会はもちろんのこと、懐の深い司祭様をお招きできた地域の方々は、本当に幸せですわね。皆様に天使の恵みがありますように」
深く膝を折り、礼をする。
完璧だ! これで本日の私の役目は終了となる。
「こちらこそ。慈愛に満ちた高貴な方を一番にお迎え出来て、感激の極みです。これからもお二人が、天使に祝福されますように」
「すぐに三人になるかもしれませんよ? この分では、ご成婚も間近でしょうから」
司祭の後を領主がを引き継ぐ。楽しそうに笑う彼らに、ラファエルも言葉を返す。
「彼女次第だが、努力しよう」
その冗談、私は笑えない。もうすぐ婚約自体がなくなるのに、結婚や子供ができるわけないでしょう!
……だけど、そうか。ソフィアと一緒になった後、二人でここを訪れればいいんだ。最初は驚くだろうけど、司祭様ならすぐにソフィアのことも受け入れて、ラファエルとの仲を祝福して下さるはず。そう考えただけなのに、急に胸が苦しくなる。
「ニカ、顔色が悪いようだね。疲れたのかな? すぐに宿に戻ろう」
私を気遣うラファエルは、どこまでも優しい。
宿に戻った私達。初めての泊まりということもあって、御者や女官、護衛や侍従などが同行している。宿を丸々貸し切っているので、警備の点でも心配はない。フィルベールが逃走中のため、警戒も厳重だ。
それなのに、夕食時隣に座ったラファエルが、変なことを言い出した。
「ニカ、夜は危ない。羽の疑問も解消してあげるから、私の部屋においで?」
飲んでいた水を思わず噴き出す。
慌てて口を拭うけど、淑女にあるまじき行為だ。
「こ、こんな所で! 羽のことはもういいから。別にそんなに見たいわけじゃないし」
みんなのいる前で、当然のように変なことを言わないでほしい。婚約中とはいえ、未婚女性を部屋に呼ぶのはマナー違反だ。それに、自分の子を宿す女性……愛し合う相手にしか見せないって、さっき自分で言ってたくせに!
「なんだ残念。じゃあ、私が君の部屋に行こうか?」
「ダメに決まっているでしょう! ラファエルったら、恥ずかしいわ」
焦った私は目の前のグラスに手を伸ばし、一気に飲み干す。この地方特産の白葡萄を熟成させて作った、甘いワインなのだとか。
「うわ、美味しい!」
「ああ、私も好きだよ」
好きだと言われた瞬間、鼓動が大きく跳ねた気がした。落ち着こう、ワインのことだってば。
私はごまかすようにお代わりを口にする。宿の給仕がつきっきりでグラスに入れてくれるから、さっきの会話も聞かれていたに違いない。
ラファエルのことは、なるべく考えないようにしよう。彼にはソフィアがいる。そして、私にはジルドがいるのだ。
「ええっと、ニカ。ペースが早くないかな?」
「平気。とっても美味しいもの」
「口当たりは良いけれど、かなり強いお酒だよ?」
「子供じゃないんだし、心配しないで」
「そうだね。君はとっくに子供じゃない」
ため息をつく彼の表情は、壮絶に美しい。色香もたっぷり出ているから、私も含めて周りの者も見惚れているようだ。ごめんね、ソフィア。赤くなるのはお酒のせいだから。義妹のことが浮かんだ私は、大切なことを思い出した。
「大変! ソフィアにお土産を買うの、忘れていたわ」
「へえ。この頃ニカは、ソフィアと仲良くしているんだ」
嬉しそうな彼を見て、胸が痛む。
そういえばラファエルは、昔からソフィアのことを愛称で呼ばず『ソフィア』と丁寧に発音する。婚約する条件として、私に義妹をいじめないよう頼んできたこともあった。それくらいソフィアのことを大事に思っているのだろう。
不意に湧いたこの感情を、なんと呼べばいいのかわからない。ソフィアを想う彼を見ただけで、悲しい気持ちになるなんて。
ワインについ手が伸びる。今なら飲んで嫌なことを忘れたいという人の気持ちが、少しだけわかるような気がする。
*****
ふわふわして気持ちいい。
私は夢を見ているのだろうか?
なんだかエルが二人いる。これならソフィアと私で一人ずつ、ケンカしないで分けられるわね? 楽しくなった私は、クスクス笑う。二人もいるし急に大きくなるなんて、エルったら変だわ。
「……カ、ニカ。酔っ払っているのかな? このお嬢さんは」
「いいえ~全然。あくやくれいじょーたるもの、これくらい、では酔いません!」
心配そうに覗き込むエルを黙らせたくて、私は大好きな人の唇に人差し指を当てた。エルはその手を握ると、指先に口づける。
「そんなことしたら、えーっと、王子様みたいよ?」
女の子なのに……あれ、エルって女の子だよね?
「ニカ。上機嫌な君も可愛いけど、このままでは……」
「可愛いのは、ソフィアとエルでしょう?」
首を横に振ったエルが、他の人と何か話しているみたい。
「……連れて行く。いや、……私が……」
エルは可愛いと言うより綺麗かな?
でも変なの。男の人のような喋り方だわ。
そう思った次の瞬間、私はエルに横抱きにされていた。
「へ?」
「ニカ、君をどうしよう? 今すぐ私のものにするべきか」
よくわからないけれど、エルの側は心地いい。私はエルの首にかじりつくと、安心して瞼を閉じた。
「ニカ、こんな所で寝ないで……」
困ったような声を聞いた気がする。だけど楽しい気分を壊したくない私は、気にしないことにした。
ベッドに下ろされる感触で、目を開ける。
髪を優しく撫で、頬に触れる手がひんやりしていて気持ちいい。ぼんやりした視界の中、白い翼の金の天使が私を覗き込んでいた。
「綺麗ね。羨ましいわ」
天使の顔に手を伸ばす。
額にかかった前髪を、元に戻してあげたくて。
「ニカ、君の方が綺麗だよ」
天使の声は掠れている。
彼によく似た響き。
さすが天使だわ。
私の愛称を知っているのね?
「ありがとう。嬉しい」
自然に笑みがこぼれた。
お世辞を言う天使を寄こすとは、神様も粋な計らいをする。
「何度も言っているのに。好きだよ、ニカ」
天使は私の髪にキスを落とす。
次いで首や肩にも。
この感触、どこかで……
思い出そうとするだけで、胸が苦しく切なくなる。泣きたくなるのは、なぜ?
ああ、そうか。
私は知らないうちに、あの人のことを好きになっていたのね? 私の弟子で一番の味方だと、信頼していて。だけど彼は義妹が好きで、義妹も彼のことが好き。そんなことは、最初からわかっていたはずなのに。
好きだと告げても、彼は私のものには決してならない。私の方がソフィアより、長く側にいたけれど。
悪役はつらい。番外編にならないと、相手が登場しないのだ。違う、私が好きなのは、ここにいる天使なんかじゃない――
「違う……こんなに好きなのに」
私は片手で目を覆い、涙を隠した。
からかってばかりのあの人は、私のこんな姿を見たら、なんて言うのだろう?
「ごめんね、ニカ。もう放してあげられないんだ」
天使が私に謝ったので、首を横に振る。純白の翼が、震えたような気がした。いくら天使でも、気づいたばかりのこの気持ちを変えることなどできない。だけど心配しないで。彼のことは、夢で想うだけだから。
「ラファエル……」
明日になればきっと、いつも通りの私でいられる。
酔っ払いニカ(*''▽'')