悪役はつらいよ 9
ところが、戻って来たソフィアの手首はきっちり縄で縛られている。今度は身体の前で。
「残念、失敗しちゃった」
悪びれずに舌を出すソフィア。
「トイレの窓を探していたの。そしたら、見つかってしまって」
「ここから逃げ出そうとしたの? そんなことしたら、危ないじゃない」
万一出られたとしても、ここがどこなのか全くわからないのだ。逃げ場もないし、走ってもすぐに追いつかれてしまう。
「何とかなるかなーって。だけどダメだったわ。窓がなかったから、ここは地下みたいね」
「え?」
ソフィアなりに、現状を把握しようとしたのだろう。さっきまで泣いてばかりいた義妹も、どうやら諦めてはいないようだ。だったら私も頑張るわ。
「お願い、私もトイレに行きたいの」
「本当か? そっちの娘と同じように、逃げようとするんじゃねーだろうな? まあ、無駄だが」
「違うわ、ねえ、早く!」
ソフィアの時はあっさりだったのに、私の時はなかなかほどいてくれないなんて、差別だと思う。『ブラノワ』では――って、そもそもヴェロニカは加害者側だった。攫われた経験などないから、私のラノベ知識は全く当てにはならないようだ。
だけど、手が自由になったらこっちのもの。何が起こるかわからないけれど、とりあえず魔法石を投げつけよう。
縄をほどくのを待つ間、私は油断させるために話しかけてみることにした。
「目隠ししていてわからなかったけれど、結構遠くまで来たのかしら?」
「さあな。答えると思うか?」
「無理でしょうね。でも、自分がどこにいるかわからないのってすごく不安で……」
「明日にはきれいさっぱり忘れるさ」
「どういうこと?」
「おおっと、変な動きをするんじゃねーぞ。硬いな、切らねーと無理か?」
文句を言う男に気を取られていた私は、入って来た人物に気づくのが一瞬遅れた。
「いいよ、僕が代わろう」
「ボス!」
「お早いお戻りで」
「お疲れ様です」
その人物を見た途端、私は言葉を失い後ずさる。こんなことって……
「どうしました、ヴェロニカ嬢。まさか僕の顔を忘れてしまった、とか?」
嬉しそうにクスクス笑うのは、私のよく知る人物だった。
「なっ、でも……あれ、ええっ!?」
どうして彼がここにいるの? 手配だけだったはずでは?
彼は今、ボスって言われていた。信じたくはないけれど、それなら世間を騒がせている人攫いって……
「ふふ、驚いているようですね? でもまあ、仕方がありません。この僕も、まさか誘拐の手配を頼まれるとは思っていませんでしたし」
「フィル!」
彼こそソフィアを誘拐するために手を貸してほしい、と私が頼んだ人物だった。可愛らしい顔をしているのに、悪党の仲間だったなんて。いえ、ボスだと言われていたから、彼は悪党の上に君臨しているのだ。
「ねえ、ヴェロニカ。彼とは知り合い?」
ソフィアが不思議そうな顔をしている。それもそのはず。彼とは手紙でやり取りしていただけなので、ソフィアに引き合わせたことはない。それに私も彼のことを知っているようで、全くわかっていなかったのだ。
「ええ、一応」
「ひどいですね。綿密に打ち合わせた仲なのに」
「まあ!」
いや、違うから。ソフィアったら、顔をキラキラさせてこちらを見るのはやめてほしい。
「それなら、助けてもらえるわね!」
純粋なソフィアが眩しい。
でもこれは、全て私が招いた結果だ。見せかけの悪事を頼んだ相手が、本物の悪人だったなんて……
話を聞いた感じでは、攫うだけでなく売り飛ばすこともしているらしい。このままでは、私もソフィアも二度と家には戻れないだろう。私はよくてもヒロインがいなくなれば、父も義母もあの人もひどく悲しんでしまう。
「さあ、それはどうでしょう? 君のお義姉さん次第かもしれませんね」
「ヴェロニカ次第?」
フィルはそう言い、唇を噛む私を面白そうに見ている。
こんな時なのに、私はラファエルの同じような表情を思い浮かべてしまう。紫色の瞳は、もっと優しく温かかった。少なくとも人を見下すようなこんなに冷たい目を、したことがない。私は心の中で彼に語りかけた――ねえラファエル。ソフィアをお願いね?
愚かな私に巻き込まれたソフィア。
彼女だけは、絶対に助けないと。
交渉次第で逃がしてくれると言うのなら、何でも聞こう。引き換えに命を差し出せと言われても、構わない。ソフィアさえ無事に帰れるのなら!
深呼吸をした私は背筋を伸ばし、フィルの瞳をまっすぐ見つめた。
「いいわ。貴方は私に何を望むの? 言ってちょうだい」
悪役令嬢たるもの、悪人の前でびくびくしてはいけない。常に堂々としなければならないのだ。
「さすがだね、美しい人。僕が見込んだ通りだ」
「はぐらかさないで。要求は何?」
身代金? 命? それとも悪役として仲間になれ、とか?
「相変わらず手厳しい。いつもこうなのかな? それでは婚約者の王子も可哀想……」
「彼は関係ないでしょう? まさか、自分の望みもわからないの?」
「僕にそんな口を聞いていいとでも? まあ、強気な貴女も十分魅力的だけど」
褒められてもまったく嬉しくない。
怒りを堪えるので精一杯だ。
「睨まないで。綺麗な顔が台無しだよ。そうだな、貴女が僕のものになるのなら。それなら、大事な義妹さんを今すぐ解放してあげよう」
「へっ?」
予想していなかった答えのため、素っ頓狂な声が出る。自分で言うのも何だけど、ソフィアではなく私を欲しがるなんて悪趣味だ。
「まさか、私のことが好き……」
驚きのあまり言葉が先に出る。
失言に気づいたのは、口から出た後のこと。
「そうかもね。僕は貴女のことが、好きなのかも」
「なっ」
まさか本物の悪人から、愛の告白をされるとは思わなかった。こんなの、ラノベのどこにも載っていない。
だけどダメ。私の心はジルドのものだから。っていうより、義妹の解放と引き換えに脅すなんて、人としてどうかと思う。けれどここで私が頷かなければ、ソフィアは逃げられないのだ。それなら当然、答えは一つ。
「そう。だったら貴方のものになるわ。ソフィアをすぐに解放してあげて」
「喜んで」
フィルは言うなり、なぜか懐に手を入れる。薄ら笑いを浮かべた彼は、ナイフを取り出した。どうして!
「おや、どうしたの? 美しい人。納得がいかないような顔をしていますが、解放してほしいんでしょう? 魂を」
「違うっ!」
私は驚きソフィアの前に走り出た。いざとなれば、身体を張って彼女を守ろう。手は動かなくても、足は自由だ。
フィルは一歩ずつ、私達の方ににじり寄って来る。ソフィアは私の背中に隠れると、一生懸命手を動かしているみたい。そうか、そういうことね?
「邪魔ですよ。どかないと貴女が傷つきます」
「待って。一つだけ聞かせてほしいの。なぜ貴方は、こんなことをしているの?」
間に合ってほしいと思いつつ、無理な時は義妹だけでも助けようと心に決める。
「なぜ? それは、女性が嘘をつくからですよ。迎えに来ると言ったのに……」
寂しそうに笑うフィルは、こちらを向きながら遠くを見ているようだ。彼は誰のことを言っているのだろう。もしかして、大事な女のこと?
「ああ、貴女は彼女に似ているかも。嘘つきな赤い唇がそっくりだ。気が変わりました。貴女を僕のものにしましょう。永遠に――」
縄が外れた!
彼がナイフを振り上げるのと、私が魔法石に手をかけるのは同時だった。
「いやーーー!」
ソフィアの絶叫が聞こえる。
辺りは赤に包まれた。
まさかのサスペンス回Σ(・□・;)。