エルとの出会い 3
主人公過去編。
悪役令嬢を張り切るのには、訳がある!
*****
大好きな父親が半年前に再婚するまで、私、ヴェロニカは公爵家の正当な一人娘だった。物心もつかないうちに実の母を亡くした私は、母親の愛情というものを全く知らない。そんな私を不憫だと言い、甘やかした父親によって私は我儘いっぱいに育ってしまった。
一度袖を通したドレスは、二度と着ない。気に入らないことは絶対に拒否。食事時、少しでも嫌いな物が入っていたら食べずに全部作り直させる。本は重いし持つのも苦手。もちろん、勉強なんて大嫌い。
さすがにマズいと思ったのだろうか? 傍若無人に振る舞う私を危惧した父親は、いかにも人の良さそうな穏やかな女性と再婚した。新しい義母は元の身分は低いけれど、いつもにこにこしている春の陽だまりのような温かい人。彼女は小さな女の子を連れていた。それが義妹のソフィアで、彼女こそこの世界のヒロインだ。
ソフィアと初めて会った私。その瞬間の衝撃は、雷が落ちたなんてもんじゃない。これまでの自分の存在を、全否定されたような感覚で。足下に黒い闇が口を開けていて、身体も魂も全てが呑み込まれてしまう……思わず、そんな恐怖に襲われた。
今まで威張り散らしていた罰があたったのかもしれない。こんなことがあるなんて……その時私は、唐突に前世の自分を思い出したのだ。
私には、この世界に生まれ変わる前の記憶がある。
当時の私は決して裕福とは言えず、たぶん学年で一番貧乏だったと思う。着ているものは全て誰かのお下がり。文房具や学用品もほとんどが寄付されたもの。クラスの子に以前の持ち主の名前を発見されて、笑われたことだってある。
そのため私はどんどんおとなしく、引っ込み思案になっていく。中学時代はいじめられるのは当たり前だと、諦めてもいた。「キモイ、ブス」などと声をかけられるのはまだいい方だ。そこにいるのに無視されたり、学習グループに入れてもらえなかったり。先生たちが見て見ぬ振りをしていたことが、何よりつらく悲しかった。
一人ぼっちで、行き場のない私。いつしか家の近くの図書館が、私の心の拠り所となっていく。本は買わずに借りる物……小さな頃から、そう教えられていたから。
ある日、顔馴染みの司書が私に本をくれた。
『内緒よ。廃棄する分だから、要るんだったらあげる。こういうの好きでしょ?』
それが私と『ブランノワール~王子は可憐な白薔薇に酔う』というタイトルのライトノベル――ラノベとの出会いだった。その本は何度も借りられたらしく、捨てるというだけあって表紙はボロボロ。中もところどころにテープを貼って、修正した箇所や破かれた所がある。残念なことに、綺麗な挿絵には落書きがされていて、幼少期の王子の顔はペンで黒く塗りつぶされていた。
それでも私は喜んだ。生活に余裕がなかったため、自分のものと呼べる本は学校の教科書と母がどこかからもらってきた絵本や図鑑のみ。自分だけの本、返さなくてもいい恋愛小説が、私一人だけのものになったのだ。
ワクワクしながらページを開く。そこには楽しい世界が広がっていた。キラキラしている登場人物、中世ヨーロッパのような生活、魔法使いや竜がいる想像上の場所。ここではない、どこか――
憧れの世界に思いを馳せている間、私はつらい現実を忘れられた。
おとなしいヒロインよりも、自分の意見をはっきり言える義姉の悪役令嬢の方が好き。彼女の真っ黒な髪と深紅の瞳を綺麗だと思ったし、凛とした立ち居振る舞いも実に魅力的だから。ヴェロニカは誰に媚びることもなく、誰に従うわけでもない。たった一人でも、いつも堂々と振る舞っている。
本物の悪役はやっぱり格が違う。義妹に犯罪まがいの嫌がらせをしながら、上手にもみ消し決して尻尾を掴ませない。そのため王子は愛するヒロインを庇いつつ、証拠探しに奔走する。王子の心はとっくにヒロイン、ソフィアのもの。それなのに、義姉ヴェロニカとの婚約をなかなか破棄できずにいたのは、彼女が上手く立ち回ったせいだ。
美しく孤高の存在である悪役令嬢ヴェロニカ。私は彼女に強く惹かれていた。
学校ではいつも一人。だけど、ヴェロニカの存在が私を支える。彼女のシーンを思い出すたび、彼女ならこう考えるかな、ここで泣いたりしないよね、と私は自分を奮い立たせた。
何度も……もうダメだと思ったことがある。いじめに遭ったと訴えても、誰も聞いてくれなくて。大人は当てにならず、どこに相談すればいいのかもわからない。スクールカウンセラーだって予約制だし、ずっと先まで順番待ち。
そんな時、ヴェロニカが私に教えてくれたのだ。
『他人に頼ってはいけない。自分の道は自分の力で切り拓くのよ』と。
*****
「だから、自分がそのヴェロニカに転生したと知った時は、本当に嬉しかったの。だって悪役令嬢は、キツイ顔立ちだけど美人になると決まっているでしょう? 悪役だから大抵の我儘は許されるし、公爵令嬢として何不自由ない暮らしが保証されているもの」
「ニカは自分が本の世界に生まれ変わったって、本気で信じているということ?」
ちょっと待って。ニカって誰よ?
私の名前は縮めたら、迫力がなくなってしまうじゃないの。
でもまあ、エルは本の内容を知らないものね。悪役令嬢と言ってもピンと来ないのかもしれない。ここがラノベの世界だとは、到底信じられないのだろう。私だって自分が体験していなければ、嘘だと笑い飛ばすところだもの。
「そうよ。だから私は『ブランノワール~王子は……』ああもう、面倒くさいからこの際『ブラノワ』で。私、ヴェロニカはこの『ブラノワ』世界でヒロインをいじめる使命があるの」
重々しく言ってみた。
いじめるだけではない。さらに公爵家の長女という理由で、二年後には私が王子と婚約するのだ。王子は自分の相手が姉の方だと知り、ひどくがっかりしてしまう。その様子を見て、傷ついたであろうヴェロニカ。けれど十歳の彼女は、何も言わない。
生まれ変わった私なら、傷つくことはないと断言できる。だって、私の好みは王子じゃなくって看守だもの。
ただその看守、残念ながら本編終了後の番外編にしか出て来ないのよね。彼に会うにはさっさと本編を終わらせて、番外編に進む必要がある。
「あーあ、早く番外編にならないかなぁ」
「ばんがいへん?」