王子、相手が違います 6
その途端、大勢の注目が――とりわけ未婚女性達のとげっとげの視線が私に絡みつく。
近頃ラファエルは、ますます凛々しく素敵になってきた。隣にいる私ですらそう感じるから、たまにしか会えない彼女達は、余計に感動するのだろう。だから、思いっきり私を睨みつけたくなる気持ちもわかる。ひそひそ陰口を叩かれても、心の広い私は聞き流してあげるのだ。
でもね、「怖そう」とか「威張っている」というのは、悪役令嬢にとってはどれも賛辞にしか聞こえない。釣り合わないと言われたって、もちろん平気。
だって、王子の本当の相手はヒロインのソフィアだもの。今からきっかり二年後に、私は婚約破棄を言い渡されて牢獄へ連行される。晴れて結ばれるラファエルとソフィア、美男美女でお似合いの二人に会場中が祝福の言葉を叫ぶ――
今は、先のことよりこれからのこと。
私は大広間を見回した。令嬢達の私に向ける冷たい視線はどこへやら。ラファエルには、憧れの眼差しを注いでいるようだ。その中にはなんと、ソフィアがいる! いつの間に部屋を抜け出して来たのかしら? 慌てる私に、ラファエルが囁く。
「彼女なら大丈夫だ。言い聞かせたら、わかってくれた」
「そう。それならいいけれど」
さすがは王子ね。何て言ったか気になるけれど、恋人同士の甘い言葉は聞くだけ野暮だ。
「本当に好きなのは君だけど、この場は堪えてほしい」って伝えていたりして。私が本格的に活躍するのはこれからなのだ。あと二年、人前でいちゃつくのは我慢してもらいたい。
「それよりヴェロニカ、綺麗な君をどうしよう? 着飾った姿を、みんなに見せるのが惜しいような気がしてきた。ファーストダンスが終わったら、二人で抜けようか?」
ラファエルったら変なの。王子だからって、私にまで歯の浮くようなセリフを言うなんて。
それとももう、酔っ払っているの? ソフィアと離れるのが嫌で、控室でヤケ酒をあおっていたんじゃないといいけれど。
私達はこれから、大広間の中央で一番最初にダンスを踊る。私をリードするはずのラファエルが、酔っていたら困るのだ。
「冗談を言っている場合じゃないでしょう? 王子が抜けてどうするの。ねえ、もしかして酔っている?」
「そうだね。酔っていると言えば酔っているのかも。君の美しさに」
「いえ、真面目に聞いているんだけど」
心にもないふざけたことを言えるってことは、いつも通りだ。それなら大丈夫そうね。
差し出されたラファエルの手に、自分の手を重ねる。彼にエスコートされ、フロアの中央に進み出た。ほうっというため息も、やっかみの視線も気にならない。だって私は今、ものすごく緊張していてそれどころではないから。微笑んだラファエルが、私に一瞬顔を寄せた。
「大丈夫、リラックスして踊ればいい。何度も練習しただろう?」
「ええ、そうね。でも、失敗したらと思うと怖くって……」
「ニカ、君の弟子を信じて」
久々に『弟子』と言われて、胸に温かいものが込み上げる。小さな頃の私達は、揃っていたずらを繰り返していた。女の子のエルは、本当に綺麗で可愛くて。当時を思い出した私は、少しだけ緊張が解れたような気がした。
予め伝えておいてくれたのか、楽団の演奏は何度も練習した曲と同じだ。ワルツの調べに合わせて、最初の一歩を踏み出す。彼の巧みなリードに私は身を委ねる。
「ニカ、すごく上手だ。一番最初に君と踊ることができて嬉しい」
「エルったら、嘘ばっかり」
敢えて彼をエルと呼び、心を落ち着かせようとする。でも、正確に言えば彼が一番最初に踊ったのはソフィアだ。小さな彼女がエルと踊ったと自慢するのを聞いて、ちょっぴりイラっとした覚えがある。
「嘘じゃない。公式な場で堂々と踊れるんだ。私の相手は君だと、みんなに知らせることができる」
あとたった二年の、仮の相手だけれど。
ん? たった?
間違えたわ、二年もよ。
二年も待たなければ、私はジルドに会えない。ええっと、次のステップは……
考えながら足を動かしていたところ、彼が私の腰に回した手に力を入れる。その強さに困惑すると同時に、改めて女の子のエルはもうどこにもいないんだ、と寂しく思う。
身体を強張らせた私に気がついたのか、ラファエルが優しく話しかけてくれた。
「素敵だ。君からは、薔薇のいい香りがする。大好きだよ、私の薔薇」
「うわっ」
逆効果だ! せっかく練習したのに、ラファエルの言葉に動揺してステップを踏み間違えてしまう。そして私は確信した。やはり彼は酔っている。その台詞は、王子がヒロイン相手に囁くものだ。王子、相手が違います。早く正気に戻って!
バランスを崩した私の身体を、彼が腕一本で支えた。思わず背中がのけ反るけれど、どうにか転ばずに済んだみたい。そのままターンしたラファエルが、上手くごまかしてくれる。
失敗したことを、周りに気づかれていないといい。悪役令嬢が、いきなり無様な姿を見せるわけにはいかないのだ。あと少し、気を抜かないようにしなければ。
「ごめん、こんな時に言うつもりではなかったのに」
「こんな時って? 酔っ払っている時にってこと?」
「違うよ。全く飲んでいない。それよりほら、曲が終わる」
終わり方ならわかる。
ここで優雅にターンだ。
曲が鳴り止み互いに礼をしたところで、会場から歓声と拍手が鳴り響く。
とりあえず、私のデビューは無事終了。大勢の人がフロアになだれこんできたから、この隙に乗じて退場しよう。美味しそうな料理がさっきチラッと見えたから、すごく楽しみだ。
退ろうとしたところ、ラファエルに腕を掴まれる。何で、どうして?
「まだだよ。次もワルツだ」
「何で? 一曲だけって約束では?」
「約束はしていない。私のパートナーは君だけだから」
「いえ、別に他の子と踊ってもいいのよ?」
むしろそちらの方がありがたい。もう既に、彼の周りを令嬢達が取り囲んでいるようだ。下手な私など相手にしなくても、パートナーには不自由しないはずなのに。
ソフィアの様子も気になる。いくら言い聞かせてくれたとはいえ、ダンス好きの義妹のことだ。この場にのこのこ出てくるかもしれない。
「どうして? 私の婚約者は君だ。次も踊らなければ、意味がない」
そう言われれば、そんな気が。
確か、夫や婚約者以外の相手と続けて踊ってはいけないんだっけ。裏を返せば、続けて踊った相手が、その人の特別ということになる。
特別? バカね、何を考えているの。設定通りに婚約しただけじゃない……期間限定で。
「さあニカ、もう一度。曲は変わってもステップは一緒だ」
婚約は偽りなのに、彼はなぜそんなに嬉しそうな顔をするのだろう? あと二年しか隣にいないのに、周りに印象づけようとしているのは、どうして?
『ブラノワ』には、黒薔薇の感情までは描かれていなかった。二曲目も踊るからって、変に意識してはいけない。見つめられてドキドキするのは……きっと初めての舞踏会で緊張しているせいだ。
ラファエル、褒め殺し中(;・∀・)ヾ(・ω・*)