王子、相手が違います 4
社交界デビュー当日。
私は緊張のあまり、朝早くに目が覚めた。
軽く伸びをした後で風呂に湯を張り、薔薇の香油を落とす。時間をかけて入浴し、出た後も全身に香油を塗り込み、軽くマッサージをする。
義母の言いつけなのか、最近は使用人が私にあまり近づかない。だから、自分のことはほとんど自分でできるようになった。
私は将来、ジルドと共に平民として暮らす。貴族のように人に頼ってばかりはいられないため、今から練習しているのだと思えばいい。ただ、舞踏会用のドレスは複雑なので、手伝いが要る。今は私の侍女となった、元調理場にいた女性に頼むことにしよう。
呼びに行くより、彼女が私に気がつく方が早かった。
「まあぁお嬢様ったら、またお一人で! お身体を洗うなら、お手伝い致しましたのに」
「慣れているからいいの。湯浴みは一人の方が気楽だし。サラ、申し訳ないけれど着替えを手伝ってね?」
「当たり前じゃないですか! 何を遠慮なさっているのです?」
「だって、ソフィアも張り切っているのでしょう? それなのに私に構っていたら、義母がうるさいのではなくて?」
「私はお嬢様の侍女ですから、関係ありません。私に料理の才能がないとわかった時、反対を押し切ってお屋敷に置いて下さったのは、ヴェロニカ様じゃありませんか」
「そういえば、そんなこともあったわね」
小さな頃、『血のり爆弾』制作に手を貸してくれたこともあるサラが、この家で私の唯一の味方。残念ながら料理の素質はなかったらしく、辞めさせられそうになっていた。だから私は、サラが解雇されないよう父に必死に頼み込んだのだ。
ラファエルとも顔馴染みの彼女は、彼にも名前を覚えられている。義母が勝手に辞めさせられないのは、そのせいだと思う。
「お嬢様、今日は赤いドレスをお召しになるのでしたね。もしかして、ラファエル様からの贈り物ですか?」
「いいえ。自分で用意したものよ」
まあね。彼から「社交界デビューに合わせてドレスを贈りたい」との申し入れがあったことは事実だ。偽物なのに、婚約者としての責任感に駆られているのだろう。でも、悪役令嬢の私がヒロインの相手から高価な物をもらうわけにはいかない。私だって、ダンスレッスンのお礼を何もしていないのだ。借りを作りたくないので、当然断ることにした。
『要らないわ。自分で用意できるし』
『そうか。でも、ニカなら何を着ても似合いそうだね』
お世辞はまあ、いいとして。
ラファエルに宣言した通り、私はドレスを自分で準備することにした。義母は知らんぷりで、わざと用意してくれない。それどころか、私のデビューに合わせてソフィアのドレスを新しく仕立てていたのだ。義母も義母だけど、疑問を感じないソフィアも少しおかしいのでは?
だけど、私がショックを受けると思ったら大間違い。悪役令嬢は、自分の面倒は自分でみられる。
幸いお金儲けが順調だったので、ドレスを買う資金はあった。収入源はもちろん本。前世のネタには尽きないため、物語を書けば書くほどお金が入る仕組み。製本代も自分で賄えるようになったし、この頃はオリジナルの話も書き始めている。それが案外うけていて、売り上げが伸びていると聞く。
私は本屋に足を運んだ帰りに地宮――つまり王都、で一番人気の仕立て屋に寄ってみた。気のいい店主の奥さんと話が合い「社交界デビューをする」と言ったら、ドレスをどうにか間に合わせて、仕立ててくれることになった。
瞳と同じ赤のドレスは、流行りのハイウエストで襟を大きく開けている。襟元と裾のフリル以外の装飾を極力抑えているため、身体の線が出やすい。スタイルが良くなければ着られないデザインだけど、大丈夫だと思う。
この頃急に背が伸びた私は、女性らしい身体つきになってきた。睡眠時間をきっちり取り、食べ過ぎにも気をつけている。その甲斐あってか、メリハリがあってグラビアアイドルすぐにでもいけるんじゃないかという、そりゃあもう素晴らしい体形で。見た目だけなら、立派な悪役令嬢そのものだ。だから赤いドレスも、似合わなくはないような。
黒髪を結い、化粧を薄く施してくれた侍女のサラは、私を見てため息をついている。
「本当に素敵ですわ。これならラファエル様も、うっとりなさいますね」
「そうかしら?」
褒められるのは嬉しいけれど、ラファエルが私に見惚れるとは思えない。彼がうっとりするのは、私ではなく、ソフィアだ。今回ソフィアは、なぜか私にくっついてくるのだという。義母が認めているってことは、ラファエルが招待したのかもしれない。だけどそんなことをしなくても、二人は二年後にちゃんと結ばれるのに……
淡いピンクのドレスを着た義妹と馬車に乗り、天宮に向かう。ピンクには銀髪も青い瞳もよく映えるけれど、フリルやレースやリボンなどの装飾が過剰気味。控えめなデザインの方が、ソフィアには似合う。
今日デビューするのは、私だったはず。それなのに、ソフィアの方がはしゃいでいる。ラファエルに会えると喜んでいるからか、彼女の方が楽しそうだ。
到着し、馬車から降りる私をラファエルが笑顔で支えてくれた。
「ニカ、すごく綺麗だ。美し過ぎて言葉が出ない」
いえ、普通に喋っていますけど?
社交辞令でも自分で選んだドレスを美しいと言われたから、悪い気はしない。一応お礼を言っておこう。
「ありが……」
「ソフィア、どうして君が?」
「ふふ、来ちゃった」
彼の驚く声に遮られてしまう。
デートの待ち合わせのような会話だけど、こんなシーン『ブラノワ』には記述がなかった。ラファエルは「嬉しい驚きだ」とでも言うつもりかしら。舞踏会の時刻に合わせ、もっと後から来ると思っていたの? けれど、彼の口から出たのは意外な言葉だった。
「今日は十六歳以上の者が集う場だ。君にはまだ早い」
「でもお母様が、ヴェロニカが何かしでかさないか心配だから、見ておきなさいって」
ええっ、まさかそんな理由!?
初耳だし、王宮側に申告していないのなら、失礼なことこの上ない。
「どういうこと? ソフィア、それって勝手に……」
「ニカ、君は知っていたの?」
「いいえ、もちろん知らないわ。てっきり貴方が招待したかと思っていたの」
癖で唇を噛む。
何もしなくても赤いため、今日も紅は引いていない。
「どうして私が? でもそれなら、このまま帰ってもらった方が良さそうだね」
「そんな! せっかく来たのに」
ラファエルの言葉を聞いたソフィアの目に、みるみる涙が浮かぶ。
だけど、せっかくも何も。確認しなかった私もいけないけれど、十四歳のソフィアがこの場にいるのはどう考えてもおかしい。ちなみにここの部分の記述はこうだ。
『十六歳になったヴェロニカは、社交界デビューを済ませた後、ますます悪事に励むように――』
お願いだから無事に済ませ、励ませてほしい。