僕の可愛い婚約者 4
だから僕は、それでもいいと口にした。
一旦婚約してしまえば、あと八年は一緒にいられる計算だ。それならその間に、彼女に僕を認めさせよう。看守よりも僕のことを、ニカが気にかけてくれますように。
『形だけの婚約』――それはもちろん嘘だし、今のところ婚約を終わらせる予定はない。約束するのは婚約までで、破棄など論外。僕の言葉を注意深く聞いていれば、わかったはずだ。
「だけど、周りには本物らしく見えるように振る舞わないとね? 人前ではラファエルと呼んでもらうし、婚約者としての務めもきちんと果たしてもらう」
「わかった。精一杯頑張るわ」
素直で可愛い君は、いったいどこまで理解しているのだろう? 婚約中は僕に繋ぎ止められたままで、他に行くことは許されない。呼び出されたら王宮に来なくてはいけないし、いついかなる時も王子である僕の正式なパートナーとして紹介されるのだ。
「それならニカ、約束だ」
彼女の手の甲に、願いを込めてキスを落とした――いつか君が、僕を好きになりますように。まだ安心できないので、僕は早速彼女と交渉する。
「ソフィアへの意地悪を少なくしてほしい。あまり頻繁だと、僕達の婚約話が流れてしまう」
無理して悪役になろうとする君を、見たくはないから。だったら僕のせいにして、意地悪を減らせばいい。それに婚約前に悪評が立つと、話が立ち消えになってしまう。ただでさえ彼女の父親は、ごく最近まで反対していたのだ。こんな娘では嫁にやれないと、急に言い出すかもしれない。
けれどニカは、暗い表情だ。
「どうしたの、ニカ。もしかして僕と婚約したくない?」
僕はしたいよ。君は違うの?
もしかして、まだ迷っている?
「そう言われたら、困るわね。善処する」
上からの物言いが、相変わらず彼女らしい。でも、後悔はさせないから。僕と婚約して良かったと、そのうち言わせてみせる。
ニカも僕へ注文を出してきた。
それは、女装をやめてほしいというものだった。
「……いくらお似合いでも、おかしいわ」
似合うと言われて傷ついた。僕は男だと発言した時の、彼女の複雑そうな表情にも。イライラしながら、前髪をかき上げる。初めて会った姿が女の子だったから、そちらの方が強く印象に残っているのだろう。僕を異性だとニカに意識させるのは、結構骨が折れそうだ。
それなら、これからは少し偉そうに振る舞ってみようか? 得意な魔法の属性を聞かれた僕は、答えをはぐらかす。
「言ってとは言ったけど、答えるとは言っていない。ニカの好奇心を満たすには、隣で見ているしかないようだね?」
実は僕の使える魔法は、一種類だけではない。全て突き止める頃には、君は僕の婚約者として周囲に馴染んでいることだろう。形だけの婚約を本物にするため、まずは外堀を埋めていこうかな。
牢獄へ入れないと知った時の、君の慌てる姿が目に浮かぶ。この僕が、看守に負けるわけがない。想像しただけでおかしくて、思わず微笑む。
婚約式を無事に終え、ニカが正式に僕の婚約者となった。「本物らしく見えるように」と言い含めておいたせいか、彼女はいつでも一生懸命だ。僕が呼び出せばすぐに王宮に飛んで来て、相手を務めてくれる。また、僕の両親にも気に入られているため、母主催の茶会にも何度か招かれていたようだ。
ずっと気が抜けないのも可哀想なので、僕らはある取り決めをした。すなわち、『ヴェロニカ』や『ラファエル』と名前を呼んだ時にだけ、婚約者っぽく振る舞えばいいというもの。切り替えができるし、実に便利だ。
先日も、婚約したと知りながら僕につきまとう女の子達を、上手く追い払うことができた。彼女達は要職に就く侯爵や伯爵の娘だ。そのため邪険に扱うこともできず、正直困っていた。
家名の売り込みや、おしゃれの話はもううんざり。甘ったるい褒め言葉を並べられるのにも飽き飽きした。くだらない話を我慢して聞くくらいなら、ニカの物語の方がよっぽど楽しい。
現れたニカを満面の笑みで迎える。
彼女を紹介するために、隣に座るよう促した。
「ああ、ヴェロニカ。待っていたよ。ほら、おいで?」
ニカを見て、女の子達がすごい顔をする。それだけでなく、自分達より家格が上の僕の婚約者をバカにし出したのだ。
「……まさかこんな方だとは」
「お召し物が随分……質素ですね」
しまった、と後悔する。
他にも人がいると、伝えておくのを忘れていたからだ。急遽開いたお茶会とはいえ、その気になればニカは誰よりも豪華に装える。公爵は資産家で、その地位は伊達ではない。
けれど、少し興味もある。ニカはこの場をどう切り抜けるのだろうか?
「突然呼び出されたので、着替える暇がありませんでしたの。ラファエルったら私がいないと寂しがるから、待たせたら可哀想だと思って」
ラファエルと強調することで「貴方もそれらしく振る舞いなさい」と暗に言っていることがわかった。よりにもよって僕を寂しがり屋に仕立て上げ、彼女がいないとダメだと思わせるなんて……
まあ、意図したことと違いはないから、よしとしようか。
「寂しがるのはヴェロニカも一緒だよね? 大丈夫、何を着ていても君が一番綺麗だ」
冗談めかして本心を伝える。
飾り立てた女の子達より、そのままの君が一番美しい。
「ご冗談を。貴方には到底敵いませんわ」
彼女の言葉に苦笑してしまう。
綺麗だと言われ、僕が喜ぶと思ったら大間違いだ。だけど許そう。少しだけ赤くなった君の頬が、僕をいい気分にしてくれたから。
「ね? 言った通り、僕の婚約者はとても謙虚で素晴らしいでしょう? だから他に目がいかないんだ。ごめんね」
ニカは賢い。君達にその半分でも知性があれば、良かったのに……
ひきつる顔のニカを横目で見ながら、僕は彼女に対してことさら優しく振る舞う。言葉の端々でニカを褒め、お菓子を取り分けてあげる。
「ヴェロニカ。君はこの焼き菓子が好きだったよね? はい、あーん」
「きょ、今日はあまり食欲がありませんの」
うろたえるニカはすごく可愛い。
照れる顔をもう少し見たくなった。
「そう。それなら僕もやめておこうかな。それとも君が食べさせてくれる?」
「ええっ!?」
ニカにばかり話しかけたせいだろうか? 女の子達は終始不機嫌で、茶会は早めにお開きとなった。僕が婚約者に夢中だと、印象づけられたのなら嬉しい。
ちなみにその後、ニカは僕を人のいない方へ引っ張っていく。
「どうしたの? 二人きりになりたいだなんて、随分積極的だね」
「なっ、何を言うの。そんなわけないでしょう? 始めから教えておいてくれれば良かったのに。急に呼び出すのはやめてよね!」
「ごめん、いつものことだし一人で対処しようとしたんだ。だけど、婚約者の君を見せた方が早いと思ったから」
「婚約者がいるのに、別の子達とお茶会をすること自体おかしいのではなくて?」
「彼女達が、議会に出席する親にくっついて来たんだ。今まで子守りは僕の役目だったし。もしかして、妬いてくれてるの?」
「まさか! でも、あんなこっ恥ずかしいセリフをエルに言う羽目になるなんて……」
僕をエルと呼び、ぶつぶつ呟く君はやっぱり可愛い。さっきのやり取りを思い出したのか、耳まで赤くなっている。
「だけどニカ、君のおかげでこれからは落ち着いて過ごせそうだ。婚約したのが君で良かった」
ニカがしかめっ面で頷く。彼女は褒められるのに慣れておらず、スキンシップも苦手らしい。
でも、まだまだだ。まさかこんなもので済むとは、思っていないよね?