僕の可愛い婚約者 3
僕を女の子だと信じているニカ。警戒しないどころか、一緒に湯浴みをしようと誘ってきたこともある。いくら子供でも、脱いだら確実に男だとバレてしまうから、僕は断りすぐに王宮に戻ることにした。
かつらと服は脱げばいいし、簡単な浄化魔法なら扱える。あっという間に綺麗になるし、手間も要らない。僕の魔法のことは、一部の者にしか知られてないから、ニカにも当然内緒だ。
ニカをからかうのは面白い。
額と額を合わせた時の驚く顔、落とし穴を掘り過ぎて出られなくって焦る様子、ソフィアをびっくりさせようと、隠れているのにうっかり寝てしまった時の幸せそうな寝顔。
一年近くも側にいるけど、くるくる変わる表情はどれも可愛くて、見ていて飽きない。ただ、意地悪をする前のつらそうな様子だけが気にかかる。
何度も「諦めろ」と僕は言う。けれどニカは、「諦めない」と繰り返す。それなら、君の負担を軽くするため僕がずーっと側にいようか? 看守ばかりで王子に全く興味のない君。そんな君のことが、僕は段々気になっている。
いつの日か君自身が、悪役なんてバカなことだと気づけばいい。いじめをしようと努力するのは無意味だと、悟ってくれたなら。どうか全ての意地悪が、成功しませんように。
暑い夏のある日のこと。
僕はニカを怒らせてしまう。
その日は彼女の九歳の誕生日で、ニカはソフィアと庭で追いかけっこをしていた。元気よく走り回るソフィアに対し、ニカの方はずぶ濡れだ。ニカは僕のいない所でソフィアに嫌がらせをしようとして、またもや失敗したらしい。
――君はまだ、牢獄行きを諦めていないの?
僕と顔を合わせるなり、ニカはがっかりした声を出す。
「なんだ、エルか。じゃあ、今来たのってあなた?」
誰を待っていたのだろう? そろそろ歓迎してくれても良さそうなのに。
その点ソフィアは優しくて、僕に縋り可愛らしく甘えてくれる。だから僕はソフィアの頭を撫でて、彼女に同意した。それがお気に召さなかったのだろうか?
「可哀想に。またニカが仕掛けたの?」――いい加減、諦めればいいのに。
「そうよ! ひどいでしょう?」と、ソフィア。
「そうだね。ニカはひどい」――僕の気持ちも知らないで。彼女自身のために、どれだけ意地悪しないでほしいと願っていることか。
心の声は漏らさない。
あまり心配し過ぎると、彼女は却って意固地になるから。
「そこ! ちょっとくっつき過ぎ」
ニカの言葉に思わず頬が緩む。
「ニカったら、嫉妬してくれてるの?」
そうだといいのに。僕が気に掛けるのと同じくらい、君も僕のことを考えればいい。将来出会う看守ではなく、今ここにいる僕を見て!
女の子の恰好で過ごすことが、最近はとても苦しくなっている。そのため今日は、父の許しを得て、君に真実を打ち明けに来た。エルの正体はラファエルで、君と婚約する相手だと。だからもう少し、僕を受け入れてくれないかな?
そこまで考えた時、確信した――僕はニカのことが、すごく好きだ!
だけど、怒ったニカは自分の部屋の扉を閉ざしてしまう。
「ニカ、お願いだから話を聞いて。ニカ!」
ドアを叩きながら、僕は必死だった。
このまま婚約話がなくなるのは、耐えられない。
君の隣は、僕が唯一自分でいられる場所。一緒にいても肩肘を張らずに、自然体で過ごせる。可愛い君ともっと仲良くなりたい。
ごめんね、ニカ。謝るから機嫌を直して? それとも、顔も見たくないほど僕を嫌いになったの?
悪い予感は当たるものだ。
それからは、何度訪ねてもニカに会えなかった。彼女が僕と会うことを拒んでいるのだという。
だからソフィアに打ち明けた。「お義兄さんになりたい」と本音を語り、ニカへの手紙を託す。僕の希望通りになれば、ソフィアはいずれ義妹になる。ソフィアから、ニカの様子を教えてもらおう。
婚約するならニカがいい。彼女以上に心惹かれる存在は、これからも現れないだろう。他の子では話が合わず、満足できない。僕に取り入ろうと下手に出たり、くっつかれるのもうんざりだ。
対等に語り、笑い、ふざけ合う。そんな居心地のいい関係を、今後も続けていきたい。十八歳で婚約破棄? そんなこと考えたくもないし、するわけがない。
けれど本人だけでなく、彼女の父親もかなり手強かった。
ローゼス公爵は、大恋愛の末に前夫人――ヴェロニカの実母と結婚したという噂だ。
そのため、どんどん母親に似て美しくなる娘を、手放したくはないのだろう。「王子の婚約者には、是非ヴェロニカ嬢を」と掛け合う秘書官が、いつも断られるくらいだから。
『誠実だが朴訥な公爵は、亡くなった夫人に未だに心を残している』と社交界では専らの噂だ。その噂を、今の公爵夫人――ニカの継母が気にしていないといいけれど。
公爵に認められ、婚約の了承を得るために、僕は毎日自分を磨く。魔法も上手に使いこなせるよう、相当練習している。自信が持てたら改めて、国王を通して公爵家に婚約を申し入れるつもりだ。
ニカ、僕を遠ざけたのは失敗だったよ? 会えないと、余計に会いたくなるものだ。婚約が前提でないと君が僕の前に出てこないのなら、僕はその日のために準備をする。
もうすぐだから、待っていて。
久々に再会したニカ。
十歳になった彼女は、前よりももっと綺麗になっていた。白い肌と小さな赤い唇が、特に目を引く。
「どうして? エル、なぜ貴女がここに?」
息を飲む表情も、以前より上品で大人びて見える。
髪の色や姿の違う僕を、一度で見破ってくれたニカ。そのことが単純に嬉しい。けれど、待っていたのはエルでなく王子だと言われて、図らずも僕は自分自身に嫉妬することに。
慌てた様子のニカと、外に出た。手を繋ぎ、庭を歩く。ただそれだけで、心が弾む。
でも、残念ながらニカはソフィアに託した手紙を読んでいなかったようだ。僕に自分と義妹を騙していたのかと、聞いてくる。ちょっと心が折れそうだ。
だから彼女の質問にも「一緒に過ごすなら優しい方がいい」と正直に答えた。好きな子には、冷たくされるより優しくしてもらいたいと、普通はそう考えるよ?
僕の言葉をどう受け止めたのか、彼女は見当違いなことを尋ねてくる。
「あの……一応聞くけれど、私との婚約嫌だったりする?」
ニカ、よく考えてごらん。
嫌ならここにいるはずがないよね?
彼女が前世で読んだという本によると、ヴェロニカと王子である僕との婚約は、必須だったはず。それならわざと聞いてみようか。
「ニカは僕と婚約したいの?」
「当たり前じゃない!」
当たり前だと言われて、笑みが浮かびそうになる。ほんの少しの期待を秘め、よせばいいのに僕は彼女に確認してみた。
「……それは将来、大好きな看守と出会うため?」
「ええ、そう。水宮の牢獄に行かないと、ジルドとじれじれラブができないもの」
まだそんなことを――
そう思ったが、顔には出さない。
しかし何かを察したらしく、ニカは婚約の話を忘れてくれと突然言い出した。
この僕が、なかったことにするとでも?




