僕の可愛い婚約者 1
エル(ラファエル)視点です。
赤くなる様子が可愛くて、偉そうな表情を崩したくて、わざと彼女に触れた。途端におろおろするニカは、本当に見ていて飽きない。
ことの発端は、僕――ラファエルの八歳の誕生日。
国王である父が、突然こんなことを言い出したのだ。
「ラファエル、そろそろ話しておこう。お前には婚約者の候補が何人かいる。既に顔馴染みのお嬢さんもいるが、筆頭はここに来たことのないローゼス公爵の長女だ。十歳になったら彼女を含め、そのうちの誰かと婚約してもらう」
政略結婚が当たり前の世の中だから、不本意ではあるが異議を申し立てるつもりはない。でも、顔も知らない相手が一番目の候補というのは意外だった。ところ構わず話しかけ、騒ぐだけの女の子達よりマシだといいのに。頭が良くて話が合えば、なお嬉しい。容姿は……はっきり言ってそこまで重要ではないと思う。人並みであれば十分だ。一度くらい会っておくのもいいかもしれない。
絵姿を取り寄せ、確認してみた。その子の名前はヴェロニカ=ローゼスといい、肩より長い真っ直ぐな黒髪と赤い瞳が印象的だ。実物よりうんと可愛く描くのが画家の常だから、あまり期待はしていない。この半分でも似ているなら、子供にしては綺麗な方だろう。もちろん、ローゼス公爵の貢献度や資産状況、家族構成も頭に入れる。
僕は幸い、一度見たものはすぐに理解することができる。そのため、今まで勉学や剣術、馬術のレッスンで困ったことはない。皆そういうものだと思っていたが、どうやら人とは少し違うらしいと最近知った。
ヴェロニカと会う機会は、案外早く訪れる。
小さな頃から僕を可愛がってくれた父の妹――侯爵夫人となった叔母の出産祝いを届けた帰りに、公爵家に立ち寄ることになったのだ。僕は魔力があるため狙われやすく、十歳になるまで外出時には女の子の恰好をしなければならない。その時も当然、女の子の姿だった。
事情を知る叔母に相談してみたところ、「このまま、帰りに寄ってみてはどうかしら?」と提案された。その方が、婚約者候補の普段の姿を見られると言うのだ。
慣れてはいても、初めて会うのにこの恰好だと恥ずかしい。だから、こっそり様子を見たらすぐに帰ろうと、そう考えていた。僕の身分は叔母が保証してくれる。ローゼス公爵と叔母は昔から親交があったため、紹介状を書いて持たせてくれたのだ。
「女の子の恰好をしているから、私の姪っ子ということでいいわね?」
どうやら叔母の方が乗り気で面白がっているのでは、と後悔したことを覚えている。
第一印象は衝撃的だった。
ローゼス公爵家の庭の一画で、まず目に飛び込んできたのは黒髪の女の子……のお尻。植え込みに頭を半分突っ込み、向こうの様子を窺っているようだ。
「ねぇ、何してるの?」
思わず声をかけた。焦ったように顔を出して振り向く彼女は、ハッとするほど綺麗な顔立ちで瞳がルビーのように濃く赤い。
――ああ、この子がヴェロニカか。絵姿よりも美しく、大人びている僕の婚約者。まだ候補ではあるけれど、王宮を訪ねて来る同い年の女の子達より賢そうだ。吸い込まれそうな瞳に、僕は一瞬言葉を失う。再び口を開こうとしたところ、彼女が先に答えた。
「何って……ちょっとね。忙しいから、邪魔しないでくれる?」
偉そうな言い方にたじろぐ。もちろん、態度には出さないように気をつけた。大人っぽく見えたのは気のせいで、中身はやはり子供だ。礼儀を知らず、幼稚な喋り方しかできないのだろう。
「ふうん?」
でも、せっかく来たのだ。僕は取り敢えず、彼女を観察することにした。不思議な動きをするその子は、僕に向き直るとまたもや威張った言い方をする。
「あのねえ、これには重要な意味があるの。後々壮大な話に発展していくんだから」
自宅の庭を覗くだけの行為に、どんな意味があると言うのだろう。壮大な話とは? その日は彼女の誕生日。見たことがないほど大きなプレゼントが届く、という意味なのかもしれない。
けれどその子の真剣な表情を見て、僕はふと考えてしまう。もし彼女の言うことが本当で、重要なことが起こる前触れだとすれば――?
未知の世界はいつだってワクワクする。既に高等知識まで習得している僕にとっては、いい暇つぶしになりそうだ。そう思い、彼女の言葉に感心したフリをする。
「そうなの? すごい!」
すると彼女は気を良くしたのか、自ら名乗った。
「私の名前はヴェロニカ。この家の長女よ。貴女は? なんてお名前?」
うん、知っていたよ?
だって君は、僕の婚約者候補だ。
予想通りで良かったと、どこかでホッとしている自分がいる。だけどまだ決まったわけではないから、外に出たこの恰好のまま正式名を告げることはできない。僕は考えた末、小さな頃の愛称を教えることにした。
「「じゃあ、エルで!」」
驚くことに言葉が重なり合う。
君はどうして、僕の名前がわかったの?
わかったわけではないらしい。たまたま思いついたのが、その名前だったようだ。
だから目の前のヴェロニカは、大きな目を見開いてびっくりしている。その様子が年相応で可愛くて、気づけば僕は笑っていた。ヴェロニカも、同じように笑う。
その笑顔がとても綺麗だから、僕は思わず見惚れていた。
――ねえ、ヴェロニカ。まずは友達になろう。
そう言おうとした矢先、彼女が先に口を開く。
「いいわ、エル。貴女、私の弟子にしてあげる。これからは、私を手伝いなさい」
まったく予期せぬ言葉に、僕は一瞬自分が女の子の姿であることを忘れる。
「……え、弟子? そこは普通、友達じゃないの? まあ、空いている時なら別にいいけど」
素の声で、つい本音を漏らしてしまう。身分を明かしたわけではないから、僕のぞんざいな物言いに公爵令嬢の彼女は怒るかと思われた。ところがヴェロニカは、ムッとしながらも怒りを飲み込む。そして、早速自分の義妹を監視してくれと言い出したのだ。
ソフィアという名で銀髪に青い目だと特徴を説明するけれど、とっくに調べて知っている。だが、背伸びをして見たところで、屋敷近くの庭には誰もいない。
ヴェロニカは、自分の義妹がいないと知るや急に慌て出した。よりにもよってそのことを、王子の――この僕のせいにするのだ。彼女の言っている意味が全くわからない。こんなにも理解できない状況は初めてだ。好奇心を刺激され、僕は彼女に質問してみる。
「ねぇ、どうして王子が出て来るの?」
それに対する答えも、ますます予想外のもので――
ヴェロニカは、自分には過去の……ここに生まれ変わる前の記憶があると、真顔で語り出したのだ。