王子の正体 7
結局、私はエルと無事に婚約した。
もちろん形だけだし、結婚はしないけど。そのことは私達だけの秘密で、誰にも話していない。「将来婚約を破棄する予定だ」と正直に申告すれば、周囲に絶対反対されるからだ。
婚約に関して最後まで渋い顔をしていたのは、うちの父だった。公爵だから王家との繋がりが出来れば嬉しいはずなのに、どうして? 表に出しても恥ずかしくない娘だと、自分では思っているのだけれど。
ソフィアに意地悪する以外、父の不興を買うことをした覚えはない。勉強だって前向きに取り組んでいるし、猫だってがっつり装着している。
エルのご両親……国王ご夫妻からは、挨拶の時に「しっかりしたお嬢さんで安心だね」とお褒めの言葉まで賜った。それなのに、父は私のことを認めてくれない。そんなにも嫌われていたとは知らなかった。
「別にいいわ。最初の目的は達成できたんだし」
まんまとエル――ラファエル王子の婚約者の座に収まることができたのだ。これでようやく、ラノベの本編通りに展開していく気がする。
けれど、物事はそう甘くはなかった。
小説では『始めのうち黒薔薇は本性を隠し、王子と仲睦まじく過ごしていました』のたった一文が、現実では相当ハードだ。
エルは王子だから、通称『天宮』といわれる王宮に住んでいる。その周りに貴族の屋敷があり、うちから天宮までは馬車で三十分もかからない。そのため彼はしょっちゅう私を呼び出して、婚約者だと周りに紹介しまくるのだ。
「嬉しいですわ。王子様とご一緒できるなんて」
「私も。この日をどんなに楽しみにしていたことか」
「王子様、甘い物はいかが?」
今日も急いで来てみれば、エルは同じような年頃の女の子達に囲まれて、庭でお茶を楽しんでいた。これなら私、要らなかったんじゃあ……
「ああ、ヴェロニカ。待っていたよ。ほら、おいで?」
そう言って、自分の隣を笑顔でポンポンと叩く。ヴェロニカと呼ばれたら、それが合図だ。その時は婚約者として、それらしく振る舞わなければならない。私は真顔で頷くと、当然のようにエルの隣に腰かけた。途端にその場は嫌~な空気に。
「王子様、この方が?」
「婚約されたとお聞きしましたが、まさかこんな方だとは」
「お召し物が随分……質素ですね」
そう言ってクスクス笑う。
女の戦いが、大人だけのものだと思ってはいけない。子供でも立派に戦うのだ。特にエルはこの国の王子だから、人気が高く婚約しても手は抜けない。
お茶会とは知らずに、ラベンダー色のシンプルなドレスで出てきてしまった私。華やかなピンクや黄色など気合の入ったドレスを身に纏う彼女達が、私を見てバカにしたくなる気持ちはわかる。だからといって、容認するつもりはないけれど。
ちなみに親切な女官が教えてくれたところによると、ここにいるのは侯爵家や伯爵家のご令嬢なのだとか。普段から天宮に出入りし、エルの姿を見つけては大騒ぎするのだという。
『子供がウロチョロするって迷惑ですよね?』
『ラファエル王子をお慕いするあまり、親御さんにくっついてよくいらっしゃるんですよ』
連れて来るということは、子供だけでなく親も本気だったということね? 王子を狙っていた人達にとって、私は忌々しい存在なのだろう。
だけど王子はソフィアのもので、期間限定とはいえ今は私が王子の正式な婚約者だ。それにこの国には、身分の低い者から挨拶しなくてはいけないという決まりがあるから、本来なら公爵令嬢である私にまず名乗るのが正しいマナー。それなのに、バカにして笑うとはどういうことかしら。
悪役令嬢たるもの、礼儀知らずのモブ達に負けるわけにはいかない!
「突然呼び出されたので、着替える暇がありませんでしたの。ラファエルったら私がいないと寂しがるから、待たせたら可哀想だと思って」
大げさに仲良しアピール。
言ってて胸やけしそうだ。
戦う気満々の私を見ながら、当の本人は噴き出すのを我慢しているような顔をしている。予めお茶会だと教えてくれれば良かったのに。
婚約してみてはっきりわかったことがある。綺麗な顔をしながら、エルは結構腹黒い。彼は、今のこの状況を楽しんでいるようだ。私を婚約者として紹介することで、今後彼女達が自分にうるさく付きまとわないように牽制するつもりなのだろう。
「寂しがるのはヴェロニカも一緒だよね? 大丈夫、何を着ていても君が一番綺麗だ」
エルが私にニッコリ笑いかける。
待って、彼女達を煽ってどうするの?
私を睨みつける女の子達。可愛らしいしお化粧もバッチリだから、容姿には相当自信があったはず。まあ、うちのソフィアには大幅に負けているけれど。
悪役令嬢は確かに孤独だけど、敵だらけというのもいただけない。まさかエルってば、私が白薔薇に手を出す前に早々に抹殺しようとしているの?
「ご冗談を。貴方には到底敵いませんわ」
冷たく言うが、これは私の本心だ。
エルは相変わらず、誰よりも綺麗な顔をしている。
「ね? 言った通り、僕の婚約者はとても謙虚で素晴らしいでしょう? だから他に目がいかないんだ。ごめんね」
よくもまあ、そんな嘘を。
ソフィアのことが好きな癖に。
断るために私を利用するのは、やめてほしい。
そうかと思えば別の日には、天宮の図書室で一緒に勉強しようと誘われた。物凄く難しい政治の本を読まされて、感想を聞かれる。わからない語句は解説してくれるものの、私には必要のない知識だ。税について議論したいのなら、その辺の大人を掴まえたらいいのでは?
「街道での通行税を一律にすると、払えない者が出てくるんだ。けれど、不公平では困る」
「それなら、馬車の大きさで金額を分ければどう? 豪華な馬車ならきっと裕福だし、払えると思うの。反対に徒歩なら徴収しない、とか」
前世の高速道路を思い出し、つい答えてしまう。確かあれも、大型車や普通車で料金が分けられていたわよね?
「そうか! すごいなニカは」
大したことはない。
私から言わせれば、エルの方がすごいと思う。彼は難解な書物や国外の言語で書かれている文書もあっさり読みこなすし、理解しているようだ。さすがは次期国王なのだと舌を巻く。ソフィアには、もっと本気で勉強に取り組んでもらわなければいけない。私でも時々意味がわからないことがあるのだ。ソフィアはきっと話についていけないだろう。
そして現在、私は自室に籠っている。
今日は徹底的にサボると決めたから。