王子の正体 5
お待たせしました(*´꒳`*)
ビクビクしながら尋ねた。魔法のことも気になるけれど、今はとにかく婚約だ。
私はエルが王子であると気づかずに、物語を熱く語ってしまった。エルは将来、自分がソフィアとくっつくことを知っている。
彼にとって悪役令嬢である私は、邪魔者以外の何者でもない。エルが、ストーリーをすっかり忘れていたらいいのに。
「どうして? 僕とニカは十歳の時に婚約する、だったよね?」
「覚えてたの! その、できることならこのまま……」
「婚約してほしい」と言おうとした。けれど、無理だと悟って語尾を濁す。
しっかり覚えているのなら、私が婚約破棄を望んでいて、看守のジルドと恋に落ちることもわかっているはずだ。
『ブラノワ』では、王子と黒薔薇との婚約が重要な意味を持つ。二人の婚約破棄のシーンで物語はクライマックスを迎えるし、黒薔薇ざまぁ白薔薇良かったね、と読者が胸を撫で下ろすのもその時だ。王子の命令で拘束された黒薔薇は、そのまま牢獄に連行される。
エルからすれば、別れる前提で婚約するのは時間の無駄だし意味がない。黒薔薇の横暴に我慢するくらいなら、今ここで縁を切っておいた方がスッキリする。むしろラノベの通りにしない方が、ソフィアと早くいちゃつけるのだ。この先の展開を知るエルが、私との婚約に踏み切るわけがない。
「失敗したわ〜」
出会いを間違えてしまったせいで、私の望みは絶たれた。本編が始まりもせずに終わってしまうなんて、あんまりだ。つらいことがあるたびに、唇を噛む癖。そんな癖も気にならないほど、今の私はがっかりしている。
うつむく私を、エルが下から覗き込む。突然迫った綺麗な顔に、私は思わずうろたえる。
「ニカは僕と婚約したいの?」
「当たり前じゃない!」
「……それは将来、大好きな看守と出会うため?」
だめだ。忘れていたらと期待したけれど、鮮明に記憶に残っているらしい。ごまかしても無駄なので、正直に答えることにする。
「ええ、そう。『水宮の牢獄』に行かないと、ジルドとじれじれラブができないもの」
触れ合う手と手、看守と囚人という禁断の恋。ジルドだけが与えてくれる私への愛情……憧れていた世界!
でもそれは、私の都合だ。王子側にこの婚約によるメリットは何もない。しかも私は、エルをモブだと思い込み、かなり邪険に扱った。あろうことか、ヒロインの相手であるエルに、ヒロインいじめを手伝わせようとしていたのだ。
完全にイタい。私の動機は不純だし、王子であるエルに失礼な態度をとっていた時点でアウトだ。エルは私を選ばずに、ソフィアを婚約者にと望むだろう。
「ごめんなさい、忘れて。貴方の嫌がることを、強要するつもりはないの」
縋りつき、土下座してまでお願いしようとは思わない。ヴェロニカは、何者にもへつらわないからこそ美しい。エルが王子だとわかった途端に、頭を下げたり媚びたりするのは絶対に嫌だ。
けれど、続くエルの言葉に私は動揺してしまう。
「ねえ、ニカ。それでもいいと言ったら? 予定通り婚約しよう。ずっと一緒にいて、十八歳になったら婚約破棄、だっけ?」
「ええ。だけど貴方は私でいいの?」
「僕との婚約が、ニカの望みでしょう?」
にわかには信じられない。
『他の男性が好きだから、貴方とソフィアとの仲を邪魔するわ。悪事にも手を染めるけど、婚約はしたいの。十八歳で破棄してくれる?』
私の希望はそういうことだ。そうと知りながら、エルは了承してくれるのだという。
「あの、途中解約受け付けてないんだけど……」
婚約した後で、やっぱり無理だと後悔されても困る。そもそもこの世界には、お試し期間もクーリングオフの制度もない。
「何それ? ニカの方が嫌がっているみたいだね」
「そんなわけないじゃない! 嬉しくって泣きそうよ。でもエル、本物じゃないってわかってる?」
「うん。形だけの婚約で構わない。ニカといると気が楽だし、面白いから」
エルったら、私の願いを聞き届けようとするなんて、お人好しにもほどがあるわ。まるで天使ね! ソフィアより、私を優先してくれるとは思わなかった。ラノベの話をした時は、あまり信じてなさそうだったのに……
もしかしたら私に、抗いがたいほどの魅力があるとか?
エルと視線がかち合った。私の反応を探るように見るその顔は、目や鼻、唇や顎などのパーツが全て整っていて、作り物のように美しい。繊細な造形に加えて金色の髪と白磁の肌、紫色の瞳が芸術的で、意識しなくても目を奪われてしまう。
――ごめんなさい、調子に乗りました。圧倒的な美を前にしながら、図々しくってすみません。
反省した私が脳内ツッコミを入れていたところ、エルが口を開いた。
「だけど、周りには本物らしく見えるように振る舞わないとね? 人前ではラファエルと呼んでもらうし、婚約者としての務めもきちんと果たしてもらう」
務めっていっても時々お茶会に参加するとか、大きくなってからパーティーに同伴するとかそういうのよね? お安い御用だ。
「わかった。精一杯頑張るわ」
婚約を望んだのは私だから、十八になるまで壊すつもりはない。淑女教育には今後も熱心に取り組むし、第一王子の婚約者として猫を被り続けろと言うなら、そうする。
どうせあと八年という期限付きなのだ。看守のジルドと国外へ逃亡する私は、その後は貴族のマナーなど関係なく、楽に過ごせる。
問題はソフィアだ――地理と歴史、一般常識の学習をもう少し頑張らせないと、未来の王太子妃として非常に危険な気がする。
「それならニカ、約束だ」
エルが私の手を持ち上げて、甲にキスをした。その優雅な仕草はとても自然で、逆らおうと考える暇もない。
さすがは本物の王子様。ラノベのヒーローになるだけのことはあるなと、私は妙なところで感心してしまった。




