待ってました、婚約破棄!
書籍っぽく書いてみます_φ(・_・
「いよいよね」
私は呟く。これから私は婚約を破棄され、牢獄に向かう。このために十年前から準備をしてきたのだ。もちろん、後悔なんてしていない――
大広間の天井から吊り下げられたシャンデリアが、眩いばかりの光を放っている。幾何学模様の大理石の床には、緋色の絨毯が敷かれていた。絢爛豪華な会場にいるのは、笑いさざめく貴族達。その誰もが王宮の舞踏会に出席するとあって、いつになく豪奢な装いだ。
かくいう私――公爵令嬢ヴェロニカも真紅の派手なドレスを身に纏っている。そのドレスは、スクエアカットで胸を強調する最先端のデザインだ。
コルセットをぎゅうぎゅうに締めつけているから? それとも、会場の色とりどりの衣装と人々が発する熱気のせいかしら? なんだか、くらくらしてきたような気がする。
けれどいくら気分が悪くても、私はここで退場するわけにはいかない。これからが本番で、物語の本編がもうすぐラストを迎えるから。この日のために私は、頑張ってきたようなもの。立派な悪役令嬢になろうと、そりゃあもう大変な努力をしてきた。
緊張のあまり「帰りたい」と言いそうになる気持ちを抑えて、私は傍らの婚約者を見上げた。
彼は名をラファエル=ノヴァルフと言い、金髪に紫色の瞳が特徴的なこの国の第一王子だ。私と同じ十八歳の彼は、知性も高く人間離れした綺麗な容姿をしている。その端整な顔と優美な様子が大人気で、国民は彼を『天上の音楽』と称え敬っているのだとか。どうでもいいけど『音楽』って普通は目に見えないものなんじゃあ……
「どうした、ヴェロニカ。私の顔に何かついている?」
「いえ、別に」
いつになく素っ気なく振る舞う私。でも別に、彼のことが嫌いなわけではない。というより、鼻筋の通った完璧な顔にかかった金色の前髪を、かき上げてあげたい衝動に駆られる。
いけない、最後だからって気を抜いてはダメよね?
だってそれは、私の役目ではないから。彼の隣は本来、ヒロインである義妹のソフィアのもの。私は今から、彼に婚約破棄をされる身だ。それさえ済めば、今日を限りに二度と会うこともないだろう。彼には彼の、私には私の新たな人生が待っている。
一瞬、胸に痛みが走った。
そんなバカな! 私は慌てて首を横に振る。
私の相手は、王子ではなく看守なのだ。『水宮の牢獄』にいる年上で渋めの男性が、ずーっと前から決まっていた私の運命の人。彼に会うため、私は悪役令嬢を頑張ってきたと言ってもいいくらいなのに。
悔いのないよう、部屋もしっかり片付けてきた。牢獄にいつ放り込まれてもいいように、ここに来る前丹念に入浴も済ませてある。何を隠そう、身に着けているものも全て新品だ。準備はバッチリだから、これで心置きなく牢獄へ――本編終了後の番外編に行ける!
ラファエルが、自分の腕に手を添えるよう身振りで私に促した。形だけとはいえ、一応私達はまだ婚約中。あと少し、ほんのわずかな時間だけれど。
彼と腕を組む私を、義妹がじっと見つめている。ごめんねソフィア、もう少しだから待っていて? まもなく王子は、完全に貴女のものになるのだから――
ラファエルは、躊躇することなく私を連れて皆の前に進み出る。そして会場にいる人々を見回すと、凛としたよく通る声を響かせた。
「皆、よく聞いてくれ。私から重大な発表がある」
いよいよね。待ってました、婚約破棄!
この後私は、王子である彼に義妹への嫌がらせの数々と悪事を糾弾される。婚約を破棄されると同時に貴族社会からも追放され、牢獄へと連行される予定だ。
「長すぎる婚約は、互いにとって良くなかった。そのせいで、ここにいる私の婚約者は――」
続く言葉を私はよーく知っている。
『信頼を裏切り自分の義妹を痛めつけ、悪事に手を染めた。よって、婚約を破棄する!』だ。
本編の後、番外編まではあと少し。ここで退場する私は、ヒーローであるラファエルとヒロインであるソフィアの幸せを目にすることができないけれど……
後悔なんてするはずがない。私は私自身が主役となり、平凡な幸せを掴みたいだけ。
それなのにどうしてギリギリになって、これまでのことが一気に頭に浮かんできてしまうのだろう?