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正義の屑  作者: 道野芥
9/10

終幕

   9


「青磁さん」

 花が咲いたような、華やかな声に名を呼ばれ、青磁は肩をぴくりと揺らした。振り向くとこれまた花のような笑顔が向けられている。その笑顔の裏にどんな謎を抱えているのかと一瞬頭をよぎるが、気にしないことにする。

 桜がレグホーン事件解決を促していたかもしれないという説は、結局言及していないため真偽は定かではない。桜のほうも特別なにを探ってくるわけでもなく、普通に業務連絡をする程度の仲を保っている。

 何か裏があるのかと勘繰ったりもしてみたが、「放っておけば何もしない」という銀鼠の言葉通り、彼女からアクションを起こすようなことはなかった。

 下手に突っ込めば、銀鼠のことが知れてしまう。おそらくそこまでは把握していないことを、わざわざ言わなくてもいいだろう。

「桜さん。お疲れ様です」

「お疲れ様です。ネズミさんとのコンビもそろそろ一年ですね。調子はどうですか?」

「毎日怒ってばかりですよ」

 ため息交じりでそう言うと、桜はますます笑みを深めた。やはり彼女の笑顔はとても癒される。

「ふふ、仲がいいようで」

「いや今の発言のどこに仲がいい要素がありました?」

「よく言うじゃないですか。喧嘩するほど」

「喧嘩じゃないです。あの人はへらへらしてるだけで」

 仲がいいと思われるのは心外だ。全力で否定しておく。

「ネズミさんの秘密、何かわかりました?」

 そんな質問に、青磁は少し間を置いてから首を傾げてわずかに微笑んだ。

 どう答えたものか逡巡したのではなく、彼女の質問の奥を考えてしまったのだ。他意はないのかもしれないが、どうも疑ってしまう。

「私にとって、大嫌いな先輩ということだけです」

「酷いな、僕はせーちゃんのことこんなに好きなのに」

 いつの間にか銀鼠が後ろに立っていた。すかさず桜が嫌そうな顔をする。

 それを見て銀鼠は楽しそうに笑う。当たり前の反応だからか、へこたれる様子はもちろん皆無だ。

「露骨すぎない?」

「あぁごめんなさい、気持ち悪くてつい」

「盗み聞きですか? やめてください」

「二人して辛辣だなー」

「あなたの話をしていたのですよ」

 桜が話の矛先を自ら銀鼠に向ける。

「ネズミさんの秘密、何かわかったのかなと思いまして」

「僕の秘密? 桜には隠し事なんてしてないよ」

 よくもまあぬけぬけと。

 基本的に、銀鼠は自分のことを隠しはしない。人から嫌われることに慣れているうえ、気にしもしないから繕う必要がないのだ。普段が明け透けだからこそ、隠し事など縁のないような振る舞いも違和感はない。

 桜はしばらく銀鼠を見返していたが、にこりと微笑んで話を切り上げた。深追いしたところで意味がないと判断したのだろう。

「ところで」

 二人揃って好都合だと言うように、桜は両手を胸の前で合わせた。

「カナリヤさんからのお手紙は告白ではなかったんですか?」

 青磁は最初、何のことかと口を結ぶ。間を置いてから、「あぁ」と思い出す。そういえばあの手紙を持ってきてくれたのは桜だ。

「僕の腕がぼろぼろになって帰ってきたの知ってるでしょ」

「そうそう、珍しいと思ったんです。ネズミさんがあんなけがをするなんて。告白の邪魔をしに行ったからかなと」

「甘酸っぱい場面に血みどろすぎるでしょ、そんな展開」

「ネズミさんの鬱陶しさを考えれたらそれくらい」

 銀鼠相手だと憎まれ口を叩く桜に、新鮮味を覚える。本当は仲良しなのではないか。いや、ないか。そんなことを思っては桜に失礼だ。

「屋上から落としたことを根に持ってたみたいで。ただの逆恨みだよ」

「逆恨みじゃなくて、普通に恨まれただけでしょう。迷惑ですよ、青磁さんまで危険な目に合わせて」

「せーちゃんは強いよ。自分の身くらい自分で守れる」

 良くも悪くも嘘を吐かない銀鼠の言葉に喜んでみたものの、無様に捕まって銀鼠の腕が折られるのを見ていることしかできなかった青磁は口元を引きつらせた。嫌味ではなく普通に認めてくれてはいるのだろうけれど、居心地は悪い。

「そんなことより、桜はどこまで関与してた? レグホーンの件、知ってたんだろ」

「関与とは?」

「白々しい。そういうの時間の無駄だから」

 青磁が核心を突くことを避けたのに、銀鼠は自分から突っ込んだ。放っておけば何もしないという言葉は、放っておこうということではなかったようだ。

 しかし大丈夫なのか。

 青磁は銀鼠の心配をしていると自覚してすぐ眉間にしわを寄せた。我ながら彼に毒されている。

「お二人はたぶん、私のことを買い被っているのでは?」

 桜は困ったようにくすりと笑う。

「たしかに、私はドールの扱いには慣れてますよ。依頼されてカナリヤさんのドールに細工をしました。それも私の仕事ですから。そのときにちょっとだけ、依頼者とお話をしただけです」

 彼女はそう言って、青磁を見た。変わらず優しい笑みだ。

「青磁さんのことを」

 そうしたら、石が坂を転がるように話が進んだ。

「そんな都合よく?」

「あら、他に何かしていたほうがよかったですか?」

 怪訝な顔をしている銀鼠に、桜は飄々としている。腹の底がわからないのは二人そっくりだな、と青磁はぼんやり思った。

「犯人、気にならないのか?」

 直球で尋ねる銀鼠をハラハラと見守る。当人が何を言っているのやら。

「未解決なんて消化不良ですからね。解決するなら警軍としてはとても良いことですけれど」

 桜は小首を傾げながら、考えるように細い指で自分の頬を撫でた。

「私個人としては、興味あるのは事件ではなく人ですから。犯人が知りたいかと言われるとどうでもよくて。もちろん、わかっているのならその犯人の思考は覗いてみたいですけど。基本的に自分の仕事でないことには、口を出しても手は出しません」

 本心なのかどうなのか、判別はつかないが彼女はそう言ってまた笑う。

「関与したのは、事件の解決が目的じゃなくてせーちゃんのためか」

「そうはっきり言われると恥ずかしいものですね。でもそうです。ネズミさんの初めての後輩と聞いて、興味深いと思っていました。ネズミさんと同じような人かと思いきや、とても素直でいい子なんですもの。心配してたのですよ」

 言う割りには恥ずかしがる様子もなく言いのける。聞いている青磁のほうが照れる。

「何か、裏があると思ったのですけれど。ネズミさんと何らかの接点があるとか」

「そんなこと考えてたの」

 頭を使うのが好きなんだな、と銀鼠は肩を竦める。

「うふふ。ただ、出来損ないに優秀な部下をくっつけただけみたいですね」

「直球に酷い」

「どうであれ、警軍の資料としては未解決のままがいいでしょうね」

「? どうしてですか?」

 青磁が尋ねると、彼女は不意に青磁へ顔を寄せた。その拍子にふわりと甘い匂いが鼻をくすぐる。顔が近い。

「だって、犯人が特定したら殺してしまうんでしょう? 公にしないほうがいいですよ」

 内緒話をするように、小さく言って青磁の目を覗き込んだ。隠し事をしていないか確認されているようで、けれど視線を逸らすのも不自然だ。顔の近さと不安でドキドキしながらも桜を見返した。

 その様子に、銀鼠は何を思ったのか手を二人の間に差し込んだ。視界が銀鼠の手の平で埋め尽くされる。手の持ち主へ視線をやると、彼は「もういいでしょ」と話を切り替えた。

「これからせーちゃんと飲みに行くけど、桜も行く?」

 そうだったのか。

 そんな予定聞かされていなかった。拒否権がないということか。ある程度言いたいことを言い合える今なら罪悪感もなく断れるのに。

「ネズミさんがいなければ行きたいです」

「いるよ、もちろん」

「じゃあ青磁さん。今度ネズミさん抜きで飲みましょう」

「口説くな。せーちゃんもニヤニヤしないで」

「してませんよ」

 すかさず否定をする青磁に、桜はうふふと華やかに笑う。「それじゃあ楽しんでくださいね」と去って行った。彼女はいつも突然現れて、呆気なくいなくなる。

 銀鼠は苦々しい表情で桜の背中を眺めて、深くため息を吐いた。

「やっぱり読めないなぁ、あいつ」

 いくら銀鼠といえど、なんでもお見通しというわけでもないか。当たり前だけれど。

「苦手ですか?」

 そう尋ねると、銀鼠は桜へ向けていた視線を青磁に寄越した。

「いや? 好きだよ。ただ、あの腹を探るような感じがこう、むずむずするんだよね」

 わかる。

 銀鼠に共感などしたくはないから頷きはしないけれど。

「でも、仮に僕が何だってわかったとしても言いふらすようなタイプじゃない。それに根本的には正義感ある良い警軍だろ。だから好き」

「それが理由で好きというのはよくわかりませんが」

「いい人間が好きなんだ、僕は。だからせーちゃんも好きだよ」

「……」

 屈託のない笑みを浮かべている先輩を、青磁はまじまじと見返す。

「ん?」

「いえ、先輩の言ういい人間という基準が、一般的に近いようなので驚いています」

 と言ってから、自分が「いい人間」だというつもりもありませんが、と付け足す。彼は声を上げて笑った。

「せーちゃんはとことん僕のことを信用してないんだねえ」

「ただ嫌いなだけですよ」

「そんなに言うんなら殺してくれてもいいんだよ?」

 けなされている当人の、なんと楽しそうな顔か。

「そういうところですよ」

 青磁は遠慮もなく舌打ちをして、唐突に歩き出す銀鼠の背を追った。

 律儀に飲みの場へついて行かなくても彼はきっと怒らない。ここで銀鼠と逆方向へ逃げても止めはしないだろう。

 そう思った青磁はふと足を止め、離れていく銀鼠に背を向けてみた。

「せーちゃん」

 すぐに呼ばれたのは、銀鼠の察知能力が高いからか。背中に目があるかのように、青磁の反抗的な行動に気付いた。

「どこ行くの? こっちだよ」

 振り向くと当たり前のように促してくる先輩が、当たり前のように笑いかけている。

 この人には抗えない。

 そんなこともないはずなのに、どうしてだろう。言うことを聞いてしまう。

「違った」

「なにが?」

 きょとんとする彼の顔がなんとなく腹立たしい。

 意味がわからないと首を傾げる先輩に、青磁は答えずただ「いえ」と言った。

 自分の予想に反して呼び止められたことだなどと正直に言えるわけもない。人を試すような行為はどんな理由であれ、どんな相手であれ好ましいことではない。ましてや、その結果にほんの少しだけ喜んだなどと口が裂けても言いたくない。

 銀鼠は青磁に執着がない。銀鼠の話を聞いてからなんとなく、距離を感じていた。過去に繋がりがあったとわかったのに、逆に線を引かれたような気がした。

 先輩と後輩ではなく、憎み憎まれる関係であると。

 けれど、銀鼠の中に今まで通り後輩としての青磁がちゃんといるのだな。

 そんなことを確認して嬉しがっているとは、自分でも気持ち悪いと思う。仲良くしたいとは思っていないが、その必要はないと銀鼠から距離を置かれるのは腹が立つ。

 身勝手だとはわかっている。しかしそんなくだらない被害妄想は杞憂だった。この人はそんなセンシティブな感情を持たない。

「先輩は、おかしいですよね」

「何を今更」

 かくいう青磁も、自分がおかしい自覚はしていた。

 初めから最悪の印象だった。そんな第一印象と変わらず銀鼠は最悪で、絶対に合わないし仲良くしたいとも思えなかった。会ったときから今も、そしておそらくこれからも大嫌いな先輩だ。

 それに加えて銀鼠は親の仇で、大事件の容疑者で。憎まずにはいられない存在だ。あの時、殺してしまえばよかったのかもしれないと、今では少し後悔している。きっともう、あんなチャンスは来ない。

 殺してやりたい。

 けれど。

 死んでほしくない。

 こんな矛盾を抱えているのになぜか、気分は随分と晴れやかだった。警軍の黒さも事件の真相も銀鼠の過去も、知らなければもっと平和だったかもしれない。それでも、知れてよかったのだと、この妙にすっきりとした気持ちが告げている。何もわからないままもがき続けるよりは、事実を知ったうえでそれをどう受け止めるかで悩むほうが前へ進めているからか。

「俺も大概、屑なんだな」

 親の仇が目の前にいるのに、殺してやると思っていたのに。仇を討つどころか未だ後輩として彼と行動を共にしている。それでも気持ちが以前より落ち着いてるなど、とんだ親不孝者だ。

「そう?」

 はっとして顔を上げると、銀鼠があっけらかんとした表情で青磁を見ていた。。知らず知らずネガティブになり顔を俯けていたようだ。

「好きなのに殺せる僕と、嫌いなのに殺せないせーちゃん。正反対だよ。言わずもがな、せーちゃんの抑制力が正常であって、僕が異常だ。まあ、せーちゃんもそうやって的外れな卑下をするくらいには感覚が狂ってるのかもしれないけどね、あはは」

 銀鼠にしてはまともなことを言う。彼の持論はいつも一貫して屑で、一般的ではないというのに。

「……先輩に毒されたんでしょうか」

「ふふ、そうかもね。でも、善人だの悪人だのきっちり区切ることもできないでしょ。人間なんて生きていれば誰でもどこか汚れるものだよ。この仕事してるとさ、おかしな奴ばっかり出会うじゃん」

 銀鼠はいつぞやに言った言葉と似たようなことを言った。いつだったか。そうだ、いかれた男を撃ち抜くときだ。

 人間なんておかしくて汚いものだと。

 そのときはどの口が言うかと、男や銀鼠をなじったけれど、仇を殺したいと思っていた頃から、仇を殺せない今までずっと。彼らと同じく、おかしい人間なのかもしれない。

「まあ、たとえ屑だろうがおかしかろうが、別にいいじゃない。せーちゃんはせーちゃんだよ」

 銀鼠は青磁の弱音を明るく一蹴していつものように笑う。

 悩みの種である本人からそう軽々しく励まされるとは屈辱だ。

「先輩も、憎いほど先輩ですよね」

「何それ、褒めてるの?」

「んなわけないでしょう」

 彼は何も変わらなかった。自身も言っていたように、反省も後悔もない人生。それを青磁に打ち明けたところで何の変化もない。青磁に話すべきだと判断しただけで、懺悔のつもりもなかったのだろう。罪の意識を抱くことはおそらく彼にはない。今後も悪びれることなく人を見下し、命を奪うだろう。

 そして、そんな銀鼠と同じく、青磁もまた変わらない。

「……飲みを断ってもいいですか?」

「え、なんで? だめ」

 首を振る銀鼠を見つめ、ぼそりと呟く。

「ほら、違った」

「さっきの話? だからなにが?」

「先輩には情緒ってのがないんですね。普通、あんなことがあったのに前と変わらず平然となんてできないですよ」

「どういうこと?」

 銀鼠は急に何を言い出すのかと首を傾げた。青磁の心境など彼に掴めるわけがない。口で言ってもうまく伝わるかどうか怪しいところだ。

「そういうのを察して距離を取ろうとした俺が馬鹿だったという話です。あなたに気を遣うなんて愚行、するんじゃなかった」

 ため息を吐いた青磁に対し、銀鼠はなぜかニヤニヤしている。悪口を言われて喜ぶのはいつものことだが、気持ちが悪い。

「よくわからないけど、せーちゃんって僕のこと好きだよね」

「はあ?」

 ぞわぞわと鳥肌の立つ腕を思わず抱える。

「冗談やめてくださいよ」

「えー。でも、なんだかんだ一緒にいてくれてるし」

「それは、勝手に死なれたら困るからです」

「本当に嫌いなら飲みも全力で嫌がれば?」

「全力で嫌がったところで、言う通りにしてくれます?」

「しない。全力で連行する」

「でしょうね」

「ほら僕のこと、理解してくれてるじゃん」

「だからといって、好きということにはなりません」

「そうかな。せーちゃん素直だけど、素直じゃないからな」

「わかったようなことを」

「わかってるよ。せーちゃんが僕のことを理解しているように、僕もせーちゃんのことをそれなりに見てきたんだから」

 小気味いいやり取りをしていたが、青磁はそこでぐうっと声を詰まらせた。顔をしかめている青磁の様子を、銀鼠がニヤニヤと見ている。

「今ちょっと喜んだでしょ」

「マジでふざけんなよ」

 口調を荒げる青磁に、彼はけたけたと笑った。ひとしきり笑った後、目尻の涙を指で拭いながら「ごめん」と言葉だけの謝罪をする。

「でも僕もさ。僕も、せーちゃんが楽しそうにしてくれて嬉しいと思えるくらいには、せーちゃんに毒されてるんだよ」

 そう言われて初めて、青磁は自分が笑っていることに気が付いた。

 あぁ、やっぱり。

 こんな屑と笑いあえるなんて。

「すごく不愉快です」

 青磁はそう言って、声を出して笑った。


この回で本編終わりというか、一つの区切りです。次回は蛇足。

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