山鳩と錫
7
レグホーン病院の惨殺事件から一週間が経つが、犯人はいまだ特定すらされていない。テレビのニュースは連日この話題だ。様々な憶測が飛び交うが、確実的な証拠がないためどれも曖昧だった。わかることといえば、もう病院として機能していないということだけだ。
何度も見た病院の映像をぼんやりと眺めながら、山鳩はマグカップを呷った。見慣れた外観が映し出されるだけで、血の類は一切見受けられない。病院内は酷いことになっているのだろう。警軍の制服を着た連中が忙しそうに行き来している。コーヒーの苦みを舌で転がし、ため息を吐いた。
人がたくさん殺された。現実に起こった出来事ではあるが、自分には所詮関係のない世界だ。たとえ事件のあった病院がこの家の近くであろうと。有名な病院なのは知っているが、世話になったことがない。病院というもの自体が苦手だった。
テレビを消し、窓の外へ目を向ける。雨が降っている。昼間は晴れていたのだが、日が沈みきった直後、急に雨雲が空を覆ったのだ。今では雷も鳴っている有様だ。朝の天気予報ではずっと晴れだったのだが、当てにならない。
マグカップをテーブルに置いてから、カーテンを閉めようと窓へ歩み寄った。風はないようだが、土砂降りだ。アスファルトや家を叩きつけるように雨が落ちてくる。カーテンに手を触れた瞬間、かなり明るく光った。稲光がはっきり見えた直後、爆発したような音が響く。窓がその衝撃に震える。
一瞬。
雷の光で街中が明るく照らされたその一瞬。
山鳩は何かを考えるより早く窓から離れた。カーテンも閉めずに部屋を出て、階段を下りる。雨の音が強くなった。一階は仕事場だ。暗い。電気も点けずに、出入口へ向かう。鍵を開けて、傘を片手に外へ出た。空がごろごろと唸っている。
自分に雷が落ちませんようにと祈りながら雷が落ちた方向へ、雨の中小走りで進んだ。風がないとはいえ、この激しい雨だ。足元から濡れていく。最初は避けていた水溜まりも途中で意味がないことに気付き、構わず突っ込んだ。
出歩いている人も、車すら通らない。あれだけ街をうろついていた警軍たちも、今は見回りの合間なのか見当たらない。
「いた」
山鳩は小さく呟いた。
明るくなった一瞬、あの子を見つけた。
道脇に蹲っている子へ駆け寄り、しゃがみ込む。
建物と建物の間に、隠れるように縮こまっていた。普通に歩いているだけでは見つけられないだろう。山鳩の家からはちょうど見える位置だが。
「大丈夫か?」
山鳩がおそるおそる問いかけてみるが、反応がない。傘も差さず道端に座り込んでいるなど、尋常ではない。そっと肩を揺すってみるが、膝を抱え込んで顔を俯けたまま動かない。
自らの肩を抱いている子の手を見てぎくりとした。
黒い。
いや、暗いからそう見えるだけかもしれない。これは。
「……血? けがしてるのか?」
だとしたら、手当てをしないと。
反応のない子ではあるが放っておけず、山鳩は傘を閉じた。どうせ二人ともすでに濡れそぼっている。
「ちょっとごめんね」
聞いているのかわからないが、一応声をかけてから子の膝を背へ手を伸ばした。何か抵抗か反応があるかと思ったが、思っていたより重みのある体は素直に山鳩に預けられた。立ち上がってから抱きかかえ直し、家へ戻った。後ろでまだ鳴っている雷から逃げるように。
気を失っているようだ。
山鳩は自分のベッドへ子を寝かせた。びしょ濡れだが床に転がすのも気が引ける。
十代半ばほどだろうか。黒の術衣のような服を着ている。裸足で歩いていたのだろう、足の裏はアスファルトで傷ついていた。暗かったから気が付かなかったが、山鳩の胸や腕も赤くなっている。この子の血が付いたのか。
目が隠れるほど長い髪を指で掻き分け、頬を触れてみた。苦しそうに眉根を寄せていて、呼吸をしづらそうに薄い唇が震えている。熱があるようだ。それだけではない。
「傷が」
山鳩は子の身体に息を呑んだ。濡れた服が白い肌に張り付いていた。ゆっくりと剥がしていくと、傷が露わになった。生々しい、赤い肉が見えるような大きな傷が。けれど、血は出ていない。
子の手を見てみる。爪の中まで赤くなっているが、手には血が出るようなけがは見受けられない。それに、雨に濡れているものの、肌に染みついているような赤は一度渇いているのかもしれない。つまり、この血が付いたのは今日ではない。腕や足には切り傷のようなものがあるが、胸の傷に比べれば新しいが酷くはない。この程度で手や体が血まみれになるとは考えにくい。
山鳩は自分の手にも血が付いていることを忘れ、無意識に口元へやった。生臭い気がする。動揺しているのが自分でもわかる。
苦しむ子を見下ろし、急に込み上げてきた吐き気を無理やり押し込んだ。
なんだこの子は。
*
子が目を覚ましたのは、二日後だった。
「あれ」
山鳩は手を止めて顔を上げた。居住スペースへ繋がっているドアからゆったりと顔を覗かせている。前髪が邪魔でこちらを見ているかはわからないが、なんとなく目が合った気がした。
うつ伏せになっている客はそんな山鳩に不思議そうな声を出す。
「どうしたの?」
客の問いを無視して、山鳩は子へと声をかける。
「起きて大丈夫か?」
うんともすんとも言わない。ドアに手をかけたまま、こちらへ顔を向けている。目が覚めて、見知らぬ場所で寝ていたから不安になったのだろうか。髪の毛のせいで表情が読めない。
「上に戻ってなさい。もう少しで終わるから」
そう声をかけると、またゆっくりとした動作でドアの奥へと引っ込んで行った。耳が聞こえていないわけではなさそうだ。言葉も通じている。
「なあに? 新しい恋人?」
客に子の姿は角度的に見えなかっただろう。
ほっとした自分に、山鳩は内心戸惑いを抱いた。
自覚がなかった。子の存在を、周囲に知られたくないと思っている。隠さなければいけない問題のある子だと。
見られなくて安心するなど、あの子への罪悪感が胸をつつく。
自分の苦い顔も見られないように、すぐ表情を明るくした。
「そんなところ。動くなよ」
「あらぁ妬けちゃうわ」
猫撫で声でからかうように笑う客に「はいはい」とだけ言い、残りの仕事を終わらせようと手を動かした。女性の柔肌を傷つけるなどなんとなく背徳感があるが、これが山鳩の仕事だ。綺麗な腰に鮮やかな花を描く。
「仕事はちゃんとしてよ」
「大丈夫。もうすぐ終わるよ」
子が気にならないわけではない。むしろ不安でしかない。目が覚めたことに安心したが、一人にしておいて大丈夫だろうか。
幸い、あと少しでお絵描きも終わるところまできていた。いい加減な仕事はしないが、さっさと終わらせよう。
「どんな子? かわいい?」
「かわいいよ」
「えー紹介してよ」
「だめ」
ざんねーんとさほど残念そうでない声を上げている客に、話題を変えようと咳払いを一つした。
「そういえば、レグホーン病院の事件、まだ容疑者捕まらないみたいだね」
「あぁ、酷い話よね。まだここら辺うろついてるみたいだし」
「え」
彼女の言葉に、山鳩は一瞬手を止めた。
「ニュース見てないの? つい一昨日もこの近所で殺人があったじゃない。近くなのに警軍の聞き込みとかないわけ?」
「一昨日?」
「そうそう、夜すんごい雨が降ってた日よ。病院を襲った奴と同一犯らしいってテレビでやってた」
「……警軍、来るかな」
山鳩はほぼ無意識に呟いた。聞き取れなかった客が聞き返してくるが、黙って首を振った。
レグホーン病院の事件があった日から何回か、警軍が情報を求めに訪ねてきた。それも今は落ち着いているが、新しい事件があったとなるとまた来るかもしれない。
そうなったらどう誤魔化すか。
考えようとしてはっとする。
まるであの子が犯罪をしたような扱いではないか。そうと決まったわけではないのに。
「無差別なのかしらね。早く逮捕してくれないと安心して外出もできないわ」
「ここに来るの、やめたらよかったのに。危ないよ」
「嫌よ。山鳩に会いたかったもの」
彼女は楽しそうに笑った。
「山鳩は痛くないし巧いから好きよ」
「なんかその言い方やらしいよ」
「やだ、相変わらず下品ね」
「失礼な」
施術が終わり、デザインの確認をしてもらってからカバーをする。常連ではあるけれどアフターケアの説明も一通りして終了だ。
「じゃあね、新しい恋人によろしく」
「やだよ」
「うふふ」
「気を付けて帰れよ」
軽口を叩く客を帰したのは、子が覗いてから数十分経った後だった。思っていたより時間がかかってしまった。
山鳩は仕事道具を片づけ、閉店の看板を出してから鍵を閉めた。子が覗いてきたドアを抜け、階段を上がる。途中で子が座り込んでいた。壁に寄りかかり、項垂れている。
「ほら、大丈夫じゃなかったんだろう。無理するなよ」
意識はあるようだが、動くのが億劫になったのだろう。それもそうだ、少なくとも二日間何も食べていないのだから力が出るはずもない。
山鳩は子を抱えて部屋へ向かった。初めて連れてきたときと同じく、ベッドへ降ろす。しかし今回はきちんと座った。子の額に手をやり、まだ体温が高いことを確認する。汗ばんでいるから着替えもしたほうがよさそうだ。
「とりあえず、水でも飲んだほうがいい」
コップに常温の水を入れて差し出す。しかし受け取る素振りもなく、ぼんやりとしたまま動かない。仕方ない。山鳩は隣に腰を下ろし、空いている手で子の頬を包み込むようにして顔を上げさせた。汗で張り付いた前髪の隙間から瞳が覗く。初めて見る子の目は何も語らないが、じっと山鳩を見ていた。よかった、ちゃんと光がある。
「毒は入ってないよ。大丈夫だから飲みなさい」
口元へコップを持っていき傾けるが、飲もうとしないから口端から零れていく。
警戒をしているようには見えない。ただ、どうすればいいのかがわかっていないのだろうか。
「甘えため」
山鳩は微笑み、垂れた水を袖で拭ってやってから自分でコップを呷った。水を含んだ後、子の唇に自分の唇を押し付ける。半開きだった子の口内へ水を流し込み、半ば強引に飲ませた。
喉元を触り飲み込んだのを確認してから、口を離す。子はやはり何の反応も示さない。いや、下手に反応があってもいたたまれないが。
「おかゆでも作るよ。大人しくしていなさい」
言いながら、そっと横たわらせる。掛け布団をかけてやり、頭を撫でた。ぼんやりとしているのは、まだ熱が下がっていないからだろうか。
「何も食べてなかったからな。急に固形物を食べたら胃がびっくりする」
でも食べないわけにもいかない。本来ならば病院へ連れて行くべきなのだが、肝心の頼りになる大きな病院は事件のせいでなくなってしまった。他の病院は車を使わないと行けない距離だ。
それに。
山鳩は考え事をし始めようとする思考と止め、ゆるく首を振った。米が湯でどろどろになるまで煮て、火を止める。味も薄いほうがいいだろうと最小限だ。小さな椀に取り分け、子の許へ持っていく。
「ゆっくり食べよう。まだ熱いから、もう一回水を」
何度も口移しをするのも気が引けると懸念したが、それは杞憂となった。ほんの少しではあるが水分補給をしたことで多少動けるようになったのか、起き上がるのを手伝いコップを渡すと、両手で受け取ってくれた。ちびちびと舐めるように飲む。
「熱が高いから解熱剤も飲もうな。市販のだけど、飲まないよりはいいはず」
コップの中の水を律儀に空にした子は、細く息を吐いた。そして山鳩を見る。まっすぐ見つめるその目は何を言いたがっているのか。
「ん、どうした?」
「――」
子は一度、わずかに唇を開けた。それからゆっくりと閉じて渇いた唇を舐めてからもう一度開く。
「どうして」
初めて声を出した。思っていたよりも低い声が、弱々しく掠れている。動揺の声色で問いかける。顔は無表情なのに、酷くつらそうだった。
「そうだな。聞きたいことは、お互いたくさんあるよな」
山鳩は負担にならないよう、なるべく落ち着いた口調で言い聞かせるように言った。粥を食べるよう促して、ベッドの淵へ腰かける。
「僕の名前は山鳩。ここは僕の家で、さっき来てくれた一階は僕の仕事場。彫り師なんだ、見えてたかな」
窓の外を見る。この子を拾った日とは打って変わって、とてもいい天気だ。空いている窓から入る柔らかな風がカーテンと観葉植物の葉を揺らす。
いつも通り、変わらないのどかな部屋だ。その中で子の存在は異質だった。
「二日前の夜、君を見つけたんだ。大雨の中蹲ってた。放っておけなかったから連れて帰ったんだけど」
この子は。
「君は」
何者だ。
見つめてくる子の瞳を見つめ返し、言葉を呑み込んだ。
「君は不安かもしれない。でも大丈夫。何も気にしないで、今はゆっくり治せ」
「やまばと」
子に名を呼ばれて、なんとなくこそばゆい感覚に陥る。
「山鳩は、おれに痛いことする?」
思わず、子の傷へ視線を向けた。子が元々着ていた術衣のような服は一応洗濯をしたが、染みついた赤黒い汚れは落ちなかった。今は山鳩のシャツを着せている。首元は苦しくないように開けているから、傷が見える。雨や血や泥汚れを拭いてやれても、この傷はどうしようもなかった。手当てが必要なほど新しい傷ではない。子の身体には、その大きな傷以外にもたくさん傷付けられていた。長い年月をかけて、傷が塞がったら新しい傷を、というような。親から暴力を受けていたのだろうか。こんなもの、暴力というレベルではないけれど。新しい傷は手当をしたが、それ以上に古傷が目立った。
「しないよ」
「どうして?」
不思議そうな顔をする子が哀しくて、山鳩は唇を噛んだ。
傷付けられることが当たり前だったのだろうか。
「しない。絶対に」
何があったのか、この子が何者なのか、わからない。けれど、こうして言葉を交わすと普通の子供だ。
山鳩は笑顔を作り、子の頬を指で撫でた。
「名前は?」
聞いてみたが、子は首を傾げた。
「言いたくない?」
「わからない」
「もしかして、記憶がないのか?」
子は傾げていた首を今度は横へ振る。
「そうじゃない。わからない」
嘘を吐いているようには見えない。記憶がないわけではないのに、自分の名前すらわからないなど、あるのだろうか。名を呼ばれる環境ではなかったということか。
「じゃあ、錫って呼ぶよ」
「すず」
「呼び名がないと困るからな。とりあえず、君の名は錫だ」
「困る?」
「そう。ちゃんと治るまでここにいてもらうから」
「? おれがここにいる理由がない」
意味がわからないという顔をする。こうしてちゃんと見ると、かわいらしい顔立ちではあるが、せっかくの端正な顔にも薄い傷がある。やつれて顔色が悪いのは熱と数日何も食べていないからだろう。痩せこけている印象はない。
しかし、暴力を振るわれることが日常だと思い込んでいる。人から優しくされることが理解できないのだろう。
なんて悲しい子なのだ。
「だめだ」
「やっぱりおれを」
「そうじゃない」
錫にとっては見知らぬ人の見知らぬ家だ。不安に思うのももっともではある。けれどじゃあさようならと追い出すつもりもない。
「元気になってくれないと、僕が心配なんだ。いてくれ」
「心配? よくわからない」
「いいよ。いいから大人しくしていなさい」
結局、何の情報も得られなかった。わかることと言えば、この子がか弱い子で、けれど普通ではないということ。
*
錫の熱も下がり、ふらつきもなく歩けるようになった頃には、錫の心もだいぶ開けてきていた。笑いはしないものの、随分と表情も柔らかくなった。無造作に伸びていた髪も、山鳩が邪魔にならない程度に切り揃えた。ぱっちりとした目が見えるようになって表情がわかりやすい。
「山鳩」
声も弱々しくなくなった。
「すっかり元気になったな。よかったよかった」
山鳩は錫の頭を撫で、微笑んだ。錫を見つけたとき、目を覚ましたときも、錫は生に執着していないような気がしていた。山鳩が見つけなれば、放っておいていたら、この子はきっとそのまま死んでしまったのではないだろうか。それでもいいと、どこか投げやりな雰囲気が滲んでいた。いや、こうして元気になった今もそうだ。山鳩が助けたから、引き止めたからここにいるだけで、何も言わなければふらりと出ていくだろう。自分の意思というものがないのかもしれない。
「錫は、どうして」
尋ねていいものか、一瞬躊躇う。
きょとんとしている錫に座るよう促し、山鳩も向かいの椅子に腰掛ける。
「あの雨の日、どうして外で蹲ってたんだ?」
もしかしたら、嫌なことを思い出させるかもしれない。
そう危惧していたのだが、錫は表情を変えなかった。嫌な顔も、笑いもしない。そのときの記憶を辿るように、わずかに顎を上げて唇を尖らせた。
「出てきたんだ」
話しにくそうにすることもない。普通だ。
「出た? どこから?」
「おれがいたところ。もう、嫌だったんだ。あそこも、あそこの奴らも」
錫はそう言って、瞳に冷たい色を宿した。無垢な子供がするような目ではない。それは明らかな憎悪。
その瞳のまま、山鳩をまっすぐ見据えた。
「殺した」
日常で、そんなセリフを聞くとは思わなかった。
山鳩は他人事のようにそう考えながら、嫌な汗をかいていることに気が付いた。視線を逸らすこともできない。何かを言わなければいけないのに、言葉が出てこない。
冗談ではない。
錫の瞳がそう言っている。わかっているから返事もできない。どう受け止めればいいのか。
「それで、疲れたんだ。だるくて、動けなくなった」
律儀に山鳩の質問に答えてから、錫は立ち上がった。
「もうここにいる意味もない。出ていく」
錫をここに引き止めていた理由は、心配だからだ。熱が下がって動けるようになった今、その理由も改善された。
錫は何の未練もなさそうに、さっさとドアへ向かう。
助けてもらっておいて礼も言わないのか。着ている服は錫のものではないだろう。
そんなどうでもいいことが頭を駆け巡っている。気付いたら立ち上がり錫の腕を掴んでいた。立った勢いで椅子が後ろへひっくり返る。
その音と掴まれたことに驚いた錫が、ぴたりと足を止め山鳩を見上げた。
「待ちなさい」
山鳩は静かに言う。
「どこか、行くところがあるのか?」
「ない」
「行く場所がないなら、ここにいなさい」
「なんで?」
「心配だから」
「熱は下がった」
「行くところがない子供を追い出すことはできない」
「山鳩には関係ない」
「あるだろ」
「わからない」
「あるんだよ」
おそらく、この判断は間違っている。
頭の隅ではそう感じていた。この子は普通じゃない。人を殺したという錫には恐怖も後悔も見られない。平然としている。あの血の量を浴びて、両手を血だらけにして、自分が傷付いていてもなお。
危険だ。
それでも。それでも。
山鳩は不穏な思考を笑って誤魔化した。
「錫が嫌でなければ、ここにいてほしい」
まだ、レグホーン病院の事件の犯人は捕まっていない。