終わりのはじまり
5
青磁は顔を歪めた。
銀鼠の腕を治療している血生臭い場に、なぜ自分は立ち会っているのだろう。
理由は簡単だ。銀鼠の意識があって、大人しく座っているのも暇だと言うからだ。痛々しい治療を施されている本人は涼しい顔で青磁に話しかけてくる。
「せーちゃん、もう平気なの?」
「ええ。大したことありません」
銀鼠は上半身裸になっているが、腕以外の部分にはほとんど包帯が巻かれていて素肌が見えない。そこまでやってもらって青磁を呼ぶのなら、最後まで終わってからでいいのではないか。
そう思いながらも、青磁は彼が構わないのならと話題を振った。
「ドールへの移植なんて、そんなことが可能なんですか? 聞いたこともない」
「不可能ではないよ。でも、そこらの整備士ができるようなことじゃない」
「あの男はそこらの整備士ではないと?」
銀鼠は首を横に振った。
「いや、依頼したんだよ。できる技術者に」
やけに断定的な言い方だ。
「どうしてそう言い切れるんですか?」
「人間の記憶なんて形のないものを機械に組み込むなんて、口で言うほど簡単じゃない。あの高麗でも苦労している技術だ。そんな芸当できるのはね、知られている限りでは二人しかしないんだよ」
「二人?」
「二人」
青磁の聞き返しにまた言い直し、空いているほうの手でピースサインをした。もちろんそうではなく、二人ということを強調したのだろう。
「ドールの親、高麗一族の中に一人いる。前に会った赤髪の男は、その高麗の最高傑作と謳われている感情のあるドール。高麗のその技術者の意思が彼に組み込まれてる」
そんなドールが、なぜレッドに。という疑問をすんでで止めた。それはまた別の案件になってしまう。話を脱線させたくなかった。
「で、もう一人はうちにいる」
「え」
首を傾げる青磁に、銀鼠はにっこりと微笑む。予想通りの反応にご満悦のようだ。
「警軍にいるんだ、もう一人。そいつに確認したら、やったって」
高麗と警軍に一人ずつか。技術的にはまだ浸透しきれていないのだろう。
「そこまでするなんて」
ますますカナリヤのストーカーが異常者に思えてしまう。
「殺されることを想定していたんだ、あいつは」
無意味に指を擦る銀鼠の俯いた横顔を見る。彼はこちらを見もせずに続けた。
「僕に、じゃなくてね。おそらく、あの女に殺されたかったんだろ。欲張りだよね、殺されたくて殺したいなんて」
結果的に殺されることが叶わなくなったけれど。
自分が死んだらドールへ生まれ変われるように準備していて、今回銀鼠と接触してしまったことでそれが現実になった。いや、銀鼠に殺されずとも遅かれ早かれ、彼は死ぬことができたのだろうか。
「彼女は愛する人を殺すなんてこと、しないと思います」
「いいや」
青磁の言葉を、銀鼠は間髪入れずに否定した。
「カナリヤはあの男を愛してなんかいない」
「え? たしかにあの男はストーカーだったんでしょうけど。でも彼女、殺されたことを恨んで銀鼠先輩を……ストーカーであっても愛していたのでは?」
「そうじゃない。あいつはね、自分が大好きなんだよ」
銀鼠は事も無げに言った。
「ああいう人種はとにかく構ってちゃんなんだよ。無意味に自殺をするふりをしたり、世話になった警軍を呼び出したり。彼女がなんでも言うことを聞く奴隷を愛用していたのはその欲を満たすため。そしてその奴隷を使っていたことで整備士の男と知り合うことになった。ほら、これで晴れてストーカーという自分のことを構ってくれる最高のお相手を見つけたわけだ。そりゃあ機械と人間を比べれば、人間から好かれたほうがいいだろう。そのくせ、ストーカーに何かを返すこともしない。与えられるばかりの愛に溺れていたのさ。自分の拠り所を殺されたら恨むだろうよ。自分を保つ道具がなくなるんだから」
彼女は彼女の欲望のためにドールを傍へ置いていた。だからこそ男はそのドールを利用した。自分がそのドールになろうとした。
実際に起こった出来事をなぞるのなら、たしかにそうなのだろうとは理解ができる。しかし現実離れしすぎていてどうにも頭がついていかない。そうなってしまう思考を持っているなど、尋常ではない。
「それならなおさら、彼女は男を殺したりなんかしないのでは?」
「ふふ」
何がおかしい。
「殺すのも殺されるのも案外簡単なもんさ。男は女を殺そうとする。そうしたら女は自己防衛で相手をどうにかしようとする」
彼はそう言いながら、両手を上げて首を絞めるような動作をした。
「なんというか……よくわかりません」
青磁は眉根を寄せて首を振る。理解の範疇を超えている。犯罪者の思考とはこういうものなのだろうか。
「人の気持ちなんて他人に理解できなくて当たり前でしょ。考えるだけ無駄だよ。僕はなんとなくわかるけどね」
銀鼠はそこでようやく青磁を見た。青磁の感情を探るような目に、寸の間口を噤む。何を感じ取ろうとしているのかはわからないが、青磁は正直に頷いた。
「そうでしょうね、先輩も異常だから」
「うん、ふふ」
含むように笑う。何かを言いたいのに、抑えているような。
なぜだかそう感じて、今度は青磁が覗き込むように彼の目を見てみるが、他人の真意など目だけでわかるはずもない。おそらく、言われたところで異常者である彼のことなど理解できないだろうけれど。
「……そういえば、なんて言ったんですか? 彼女に」
「別にたいしたこと言ってないけど、聞きたい?」
銀鼠は青磁の耳に口を寄せる。わざわざそこまで再現しなくていいのに、拒否をする前に言葉が耳に入る。
ぞくりと寒気がした。
「そんなことより」
銀鼠はぱっと顔を離し、声色を変えた。
「話したいのは、こんなことじゃないでしょ」
心を見透かすような笑みに、青磁は視線を逸らす。
「……それは俺の問題なので」
「あの男に、もう一度会う?」
「はい」
「どうやって?」
「どう……しましょう」
青磁はため息を吐いて、正直に白旗を上げた。牽制してみたところで、青磁一人ではあのドールの居所がわからない。だからといって、銀鼠が把握しているとも思えないが。
「先輩はあのとき、なんだか苛立っているような感じがしました。どうしてですか?」
「どうしてだと思う?」
質問に質問で返す面倒なことをする銀鼠に、青磁は浅くため息を吐いた。
「レグホーンのことは先輩にとっては興味もないでしょうし、面倒くさくなったのかと思いました。未解決事件は警軍の恥ではありますが、それも先輩にとってはどうでもいいことでしょう?」
銀鼠は、自分のペースを乱されることを嫌う。ニコニコして人より優位に立っていたいタイプだ。それをあの男が乱した。興味のないもの、あるものがはっきりしている銀鼠にとって、あの男は不必要だと判断されたのだろうというのが、青磁のなんとなくの答えだ。
「なんだか、動かされたみたいでムカついた」
「?」
「出来すぎてると思ったんだ」
銀鼠は青磁なりの答えを否定も肯定もせず、そう切り出した。
「何がですか?」
「たまたまあの男がレグホーンで働いてて、たまたま当時のことを思い出して、たまたまその情報を求めているせーちゃんの前に現れた。一つくらいの偶然なら別に何とも思わないけど、重なりすぎじゃない? 都合がよすぎる。まるでレグホーン事件をせーちゃんに解決させようとしているみたいだ」
「……言われてみればそうかもしれませんけど、でもだとしたら誰かが仕組んだと?」
「カナリヤと男の関係性、男の経歴も把握していて、せーちゃんのことを知ったのはせーちゃんが警軍に入ってからだ。そして、僕みたいに無責任で適当ではない人間」
「そんな人、いますか? 大体、その人がこうなるように仕向けたとして、なんのメリットが?」
「せーちゃんが言ったじゃない。未解決事件は警軍の恥。できることなら解決させたいでしょ、正義の警軍さんは」
彼は明確な正解を言わず「というのが表向きの答えかな」と、この話を締めた。なんとなく警軍に属している誰かということだけがわかった。
「とにかく、またあのドールから接触があるかもしれない。待ってみるか。たぶん今は忙しいだろうよ」
嫌な言い方をする。その言葉の意味は深く考えないようにした。
***
カナリヤと男がどうなったかなど情報は警軍にも入ってこなかったのに、銀鼠はあっさり後日談を青磁へ伝えた。
「死んだらしい」
聞いた瞬間、銀鼠が彼女へ囁いた言葉を思い出した。
次はあんたが死ぬ番だね。
「ま、僕も人づてに聞いただけだけどね」
と前置きをしてから話し出した内容は、そうとは思えないほど生々しかった。
カナリヤは男に殺された。自殺を止めようともしなかった男は、彼女を綺麗な形のまま心臓を一突きしたそうだ。胸の赤い傷さえもそれはそれは美しいものだと満足げににやついて、とても大事にしているのだ。だから死体は永久に見つからない。カナリヤを可愛がって甘やかしていたはずの親にはそんな真相が伝えられぬまま、ただの行方不明だということになっている。カナリヤと男の歪んだ愛を正直に報告したところで、傷口に塩を塗り込む行為であると判断したのだろう。
「僕としてはあの女がお人形になったことより、上司にバレたことが大事件だよ。カナリヤの親をごまかすのも大変だったみたいだけどさ、八つ当たりみたいに怒らなくたっていいじゃんね」
他人のために痛める心がないのだろう、先輩がそう言って眉間にしわを寄せた。
青磁は彼への嫌悪感を改めて抱きながら、震える声を漏らす。
「あのとき、彼女を保護していれば」
「保護、ね」
銀鼠は息を吐き出すように呟いた。馬鹿にするような顔を青磁へ向ける。
「そんなことしたら標的はせーちゃんになるけれど、それでもよかった?」
「標的?」
「誰でもいいんだよ。自分をどろどろに甘やかしてくれる人なら誰でもね。忙しい親のささやかな愛が見えないほど、人からの愛情が枯渇していた。そうやって他人に依存して生きる人間には、生半可に優しくしちゃいけないよ」
「……だからって。先輩は殺されるだろうってわかってたんでしょう?」
「わかってたよ。だから何?」
こういう話をするとき、銀鼠は恐ろしく冷たい目をする。口元は笑っているのに。
銀鼠にとって人の死ほど興味がないものはないのだろう。
「彼女が今、幸せじゃないと思う?」
「そんなの」
「今」
青磁の言葉を遮った。
「今、あの女は甘やかされている。あんなに求めていた愛情を、たっぷり注がれている。たとえ歪だろうが愛は愛だ。彼女は不幸せだと言える? たとえばあの女を保護して男から離して生かして、それではたして幸せだと言えるか? 不幸せでも生きろと? 依存し合っているのなら、そんなもの間違いだと目を覚まさせるべきだと? そのあとの責任も取らないくせに、言うだけなら簡単だよね」
銀鼠は淡々と言った。目に嫌な光を帯びている。彼がこうなると、いくら反論しようが関係ない。自分が正しいのだと信じているのだ。
青磁はどう返答しようかと考えあぐね、
「それでも、生かすべきだと彼女のご両親なら思うでしょうね」
責任転嫁のようなことをしてしまって、少し罪悪感を抱く。けれど、今の銀鼠に応えられるのはこの程度の意味を成さない言葉だけだ。何を言おうが彼に揺さ振りをかけることはできない。
「幸せか不幸せか、そんな漠然としたものを口にするなんて暇な人間みたいですね」
なんというか、彼の口から吐き出されるとどうにも滑稽だ。そういう概念自体持ち合わせているようには思えない。
「歪んだやつなんて生きづらいもんだよ。死ねばいいんだ」
「なんてこと言うんですか」
「せーちゃんだって、ご両親を殺した犯人とか僕とかが死んだらきっと、心のどこかで喜ぶと思うよ」
またこの人は。
デリケートな部分に土足で踏み込んでくる。
「仮に俺が喜ぶとしても、理不尽な死を正当化するわけにはいきません」
「綺麗事だ」
「そうですよ。それの何が悪い」
青磁は頭の隅で、桜に対して「綺麗事だ」と自分自身で言ったことを思い出しながら銀鼠を睨んだ。
そうだ。綺麗事の何が悪いのだ。たしかにそれだけでは済まないことだってある。綺麗なことばかりではない。そんなことはわかっている。だからその言葉を、桜に向かって言った。わかっている。自分が矛盾しているのは。けれど。
無理やり反論の思考を止め、舌打ちをした。
現に青磁は過去の事件に縛られていて、犯人を殺そうと思っている。逮捕などと生ぬるいことをしたいわけではない。
この気持ちがなくならない限り、彼の言葉を強く否定することができない。
嫌になる。彼の言うことは間違っているのに正しい。
なんでこんな人が先輩なのだろう。へらへら笑って、興味がないと言って助けられる命も平気で放り投げる。こんな人が警軍にいること自体がおかしい。戦闘においてはこの上なく適任なのだろうけれど、秩序を正す警軍にはこの上なく不適任だ。
「おこりんぼ」
「あんたのせいだ」
青磁が悪態を吐いたところで、屑な先輩は笑うだけだ。
***
銀鼠の言っていた通り、仕事は喧嘩の仲裁のようなものがほとんどだった。もちろん、喧嘩などと生易しいものではなく殺し合いだったり、凶器を持ったイカれた犯罪者に突っ込むなど、こちらにも危険が及ぶものだ。先輩曰く、「僕は本当に捨てたい捨て駒だから」だそうだ。警軍は使えるから使っているだけで、問題児であることには違いないのだろう。しかしなぜ銀鼠は大人しく従っているのか。警軍は始末しないのか。
「警軍の考えなんて知らないけど。僕は結構この仕事好きだからね」
「合法的に殺人を犯せるからですか」
「そう。殺してもいい犯罪者がいるなんて最高だよね」
「あくまで捕まえるのが仕事ですよ。殺していいわけではない」
「そりゃそうだ」
銀鼠はくすくす笑った。
こう言うが、彼はやたらめったら殺しはしない。暴力には暴力で黙らせているが、息の根まで止めることは稀だった。彼の腕なら確実に始末できるだろうに、それをしないのは仕事だというストッパーがかかっているのだろうか。
自由奔放の屑だと思っているのは事実であり否定できないが、何も考えていないわけでもないらしい。
そして警軍もまた、「捨てたい捨て駒」であろうと最低限の休暇は取らせるあたりむやみやたらに始末しようとはしていない。こうしてけがを配慮して仕事を与えないのだから。
「せーちゃん」
この呼び方にも、いつの間にか慣れてしまった。呼ばれて俯けていた顔を上げる。少し前を歩いていたはずの銀鼠がいない。青磁は足を止めて振り返ると、彼も立ち止まっていた。
「どうしました?」
「せーちゃんはさ、ご両親を殺した犯人を捜してるんだよね?」
彼は無礼な言動ばかりのくせに、律儀に「ご両親」と言う。へらっとさせただらしなくゆるい表情をこちらに向けていた。
「はい」
と答えたものの、何かをしているわけでもない。銀鼠の下に配属されてからは仕事や銀鼠という屑に慣れるだけで精一杯だった。どうせ警軍の資料庫にはたいした情報がないので、次の一手はどうすべきかと悩んでいたところだ。今更聞き込みをしたところで、事件を覚えていない人すらいそうだ。
唯一の手がかりであるカナリヤのドール。あの男から情報を聞き出せたらと思ってはいるのだが、消息不明となっていて会う手段がない。接触があるかもしれないという不確かな可能性を待つしかない。
「ドールだったら、って考えたことない?」
「犯人がですか?」
「そう。ドールの何かしらの不具合による暴走。そう考えると、犯人が特定できない謎もしっくりくるんじゃない?」
「その仮説はたしかにあるにはありますね」
しかし当時の高麗一族が、それを完全に否定している。そんな不具合が起こるほど低能な造りをしていないと表明した。例外は、唯一のレッドだと。検死の結果も、カナリヤのドールとなったあの男も、人の手によって殺害されたものだと断言した。。
「そうでなくても、たとえば人間でも、もうすでに死んでるかもしれない。そうだとしたら、どうする?」
「どうするとは?」
「だって、犯人に対して怒りがあるんでしょ?」
「つまりドールであった場合や犯人がこの世にいない場合、その怒りをどう処理するか、と」
死んでいたらどうしようもない。それに機械を憎んでも仕方がない。けれど機械であろうと存在していたら。
おそらく、壊す。すでに今壊れていようと粉々に。
心の中で答えて、それは口に出さず違うことを言う。
「そんな質問、先輩らしくないですね」
首を傾げると、彼は目を見開いた。そしてなぜか嬉しそうに笑う。
「僕のこと、わかってくれてるんだね」
「……言い方が気持ち悪い」
「えー」
「そのときはそのときです。私はあくまで事実が知りたいのであって、復讐がメインではありませんから」
本当のことに少し嘘を混ぜる。
「ふーん」
自分から聞いておいて、なんとも興味なさげな返事である。しかしそんなことで苛立っていては銀鼠の相手は務まらない。
「今仕事なくて暇だし、行ってみる?」
「は? どこにですか?」
「現場」
レグホーン病院は、街から外れた雑木林の奥にある。道が舗装されているところまでは車で行き、舗装はされているものの雑草だらけになっているところからは徒歩だ。
ギブスをしているくせに運転すると言う銀鼠を無理やり助手席に乗せ、青磁がハンドルを握る。ドール付きの車か自動運転が蔓延る中、彼は古びた車に乗りたがる。エンジンをかけると気怠そうな音を上げながら車体が揺れた。
「シートベルト、してください」
「はいはい」
「というか、ついてこなくてもいいんですけど」
「言い出しっぺは僕なのに?」
「用事があるのは私ですし」
「いいじゃん、一人より二人のほうが楽しいよ」
「その意見はわからなくもないです。行く場所と、相手が違えば楽しめそうですよ」
「ひどーい」
銀鼠は楽しそうに笑った。青磁としてもそこまで拒否をする理由もないので、大人しく車を発進させた。
「場所わかるの?」
「方向は。なんとなく」
「行ったことあるの?」
どきりとした。
そんなこと気付かれるわけもないのに、青磁は反射的に目だけ横へ向けた。一瞬だけ視界に入った銀鼠は開けた窓から外を眺めている。
「ないです」
「そうなんだ。じゃあ道教えるね、なんとなく」
他意はなかったのだろう。彼はそれ以上の追及をせず、違う話題を振る。
「せーちゃんは、桜のことが好きなの?」
「は」
急に何を言い出すのだ。
「なんで急に桜さん」
「いや、せーちゃん僕以外だと桜くらいしか仲良くないなって」
「失礼な。先輩と仲良しなんかじゃないです」
「えー否定するのそこなの?」
銀鼠の言うほど、桜と関わっているわけではない。たしかに警軍本部で会うと気さくに話しかけてはくれるが、その程度だ。プライベート的な踏み込んだ話をしたのは、情報保管室で会ったときくらいだった。
「その、あ、憧れはありますけど。いわゆる恋愛というものでは決して」
こういう手の話は苦手だ。青磁は動揺しながらも正直に答えた。好きになるには彼女のことを知らなすぎる。青磁は一目惚れなどしない質だ。
「そう。ならいいんだ」
「なんですか? もしかして」
「え? あはは、ううん。好きだけど、僕もそういう感情ではないなぁ」
なんとなく、予想していた反応と違って一寸口をぽかりと開けた。
「先輩って他人に興味ないじゃないですか。好きも嫌いもないかと思いました」
「桜はやめておいたほうがいいよ」
彼は青磁の言葉を肯定も否定もせず、ただそう言った。そういえば。
「前にも言ってましたね。どうしてですか?」
桜に気があるというわけではなく、単純に疑問だった。やはり、彼がそういう警告をするのがなんだからしくない。自分でもその自覚があるのか、銀鼠も眉根を寄せて首を傾げている。
「僕と似たようなもんなんだよ、あれは」
「そんな馬鹿な」
何も似ているところなどない。どう考えてもない。
「もちろんベクトルは違うけど。彼女は外面がいいからよく男どもは騙されるんだ」
「性格が悪いってことですか?」
本人のいないところで、しかも悪口のような話をするのはなんとなく気が引けた。しかしどうにも釈然としないことを言う銀鼠に怪訝な反応を示す。
「たとえばさ」
銀鼠は窓から入る風に目を細め、揺れる前髪を邪魔臭そうにかき上げた。普段は隠れている額が露わになって新鮮だ。左のこめかみに古傷が見える。銀鼠でも残るような傷を負うことがあったのかと、話とは関係ないことを思った。
「もう一人いるって話、したじゃない?」
「なにがですか?」
「高麗の一人と、警軍の一人。記憶と意思をおもちゃに移植できる技術者」
銀鼠はドールをおもちゃと評した。以前は「奴隷」だとも言っていた。特別嫌悪しているわけでもないだろうが、あまり快く思っていないのだろうか。もしくはドールであろうが人間であろうが、他者を馬鹿にする態度が染みついているだけなのかもしれない。
「その一人なんだよ」
「……なにがですか」
「桜が」
「は」
開いた口が塞がらないとは、こういうことを言うのだろう。
「恐ろしく頭がいい。そこらの男が扱いきれる女じゃないよ。秘密が多すぎる」
「秘密」
「興味があるなら、今度聞いてみるといいよ」
「無理です」
いらない情報をくれたものだ。ただの綺麗なお姉さんだと思っていたほうが幸せだったかもしれない。彼女を見る目が変わってしまいそうだ。
しかし銀鼠の言うことが本当ならば、つまりあの狂った男をドールにした技術者が桜ということになる。
「では彼女はなぜ、あの男の移植を引き受けたんでしょうか?」
見慣れた場所から、見知らぬ風景になってきた。目的地である大きな病院は、小さな町の奥にある。経営していたときはもっと活気づいていたのだろうか。いつの間にか車通りも減ってきた。
「先輩、事件が仕組まれていたと以前言いましたよね。その仕組んだ人とは、つまり桜さんなんですか?」
あの男をドールにした技術者が警軍に属しているのなら、それが桜なのだとしたら。
「私を知っていて、あの男から仕事から依頼され、かつ先輩のような無責任でない人間。桜さんはおそらく、あの男が過去レグホーンで働いていたことを知って私との接点を作ったのでは?」
「未解決事件の手がかりを、せーちゃんに託した」
銀鼠は静かに言った。
「僕は専門外だからよくわからないけど、ドールに記憶を移植するなんて芸当ができるのなら、その記憶を盗み見することもできそうだよね」
「では、男が忘れていたというレグホーンの手がかりを思い出したことすら、桜さんが意図的に?」
「さあ? 桜が何をどこまで知っていてどこまで出来るのか僕にもわからないよ。でも少なくとも、桜もまだレグホーン事件の犯人をわかっていない」
「言い切れるんですか?」
「桜が持っていても事件の当事者でないからどうにも扱えないような情報なんだろう。犯人がわかっていたら、せーちゃんに伝えるなり何かしらの行動は起こすはず」
「ちょっと待ってください。でも、桜さんは直接的にあの男を私に引き合わせたわけではないですよ。そう、ええと、カナリヤさんからの手紙で」
訳がわからなくなってきた。もしも桜が仕組んだとして、ではそれはどこからだ。手紙を受け取ったとき。あの男が銀鼠に殺されたとき。カナリヤと銀鼠に初めて会ったとき。
銀鼠は考えるように口を噤んでいた。彼が長考とはこれもまた珍しい。
信号が赤になりゆっくりとブレーキを踏んだ。風にそよいでいた銀鼠の前髪が車のスピードに合わせて落ち着いていく。自分の目にかかった毛先をじっと見つめている。
「……別に」
口を開いたのは信号が変わった瞬間だった。
「桜は敵じゃない。せーちゃんを悪い方向には導かないよ。まあどうせ、自分で進展させるよりせーちゃんに事件を解決させたいと思ってるんだろう。回りくどいけどね」
青磁は桜に「犯人を殺したい」と漏らしたことがある。警軍として逮捕してしまったら青磁の手で殺すことはできない。だから青磁に託そうとした。自己満足でしかないが、そう考えるだけで桜への不信感が薄れる。
隣で緩やかに笑う息が聞こえる。
「彼女自身は秘密主義で、事の第三者でいたがる。僕とはそこが似てるが、決定的に違うところだってある。人の情報に貪欲なこと。そして」
「善人か、そうでないか」
「ピンポーン。でも、せーちゃんが思ってるような完全な善人じゃない。あいつは強かだよ」
「にわかには信じられません」
「せーちゃんはピュアだもんね」
ややこしい話はこれで終わりだと言うように、銀鼠は声色を明るくして笑った。
「桜のファンクラブもあるんだよ」
「マジですか」
「好きなら入れば?」
「……遠慮しておきます」
これ以上彼女のことを考えるのも憶測ばかりになってしまうので、今度は青磁が銀鼠に問いかけることにした。気分転換に、ライトな話題を探す。やや悩んでから、多少気になっていたことを聞いてみる。
「話を変えますが。先輩は女性を好きになったことはあるんですか? 恋愛的な意味で」
「ないね」
「恋人がいたこともないんですか?」
「むしろそういうの、想像できる?」
聞き返されて、即座に首を横に振った。銀鼠と女性が仲睦まじく笑いあう光景など、そんな平和そうなものフィクションでもありえない。ありえるとしたら、それはお互い腹の底にどす黒い何かが衝突しあっているはずだ。あぁ、なんだか銀鼠と桜が思い浮かんでしまった。
青磁が顔をしかめているのを見て、銀鼠はけたけたと笑う。
「前に、友達もいないって話したじゃない。それ以上の存在なんて無理でしょ」
「顔はいいのに」
つい吐き出してしまった誉め言葉に、青磁はため息を吐いた。似たようなことを、以前は言うのを踏みとどまった気がする。不覚だ。
「そう?」
銀鼠は心底意外そうな顔をした。
「自分の顔になんて興味ないからな」
「外見だけで言えばとてもモテると思います。よく笑うし、女性から見れば魅力的ですよ、きっと」
青磁はやけくそ気味に言った。彼を褒めることがとても気持ちの悪いことに感じた。しかし、見目が整っているのは悔しいが事実ではあった。
「顔がいくら良くったって、中身がこんなんじゃね」
銀鼠は自分でそう言いのけて笑う。彼は青磁がどんなに失礼なことを言っても絶対に怒らなかった。よく言えば寛容で、そこを考えれば性格が悪いとも言い切れない。それなのになぜこんなにも屑だと断言できてしまうのだろう。
「だって屑だもの」
「よく言われる。あ、ねえ」
「なんですか?」
「さっきの道、右だったんじゃない?」
「……わかってたなら早めにお願いします」
「ごめんね、屑だもの」
笑いながら謝るところが腹立たしい。