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正義の屑  作者: 道野芥
10/10

蛇足

   10


「せーちゃんは、初恋すらないの?」

「藪から棒に」

 青磁は酒に浮かんでいる無意味な葉っぱを指先で摘まみながら、眼前にいる不躾な先輩を見た。銀鼠とこうして酒を交わすのは二度目だ。最初のときは彼の態度に腹が立って不愉快極まりなかったが、今はそんなものだとわかっている分気楽ではある。とはいえ好いている相手でもないので気乗りはしていない。

 青磁の心中を知ってか知らずか、銀鼠はいつも通りニコニコと楽しそうだ。彼の性格の悪さを考えると、嫌がっているのをわかったうえでこの態度なのだろうとは思う。

「前はちゃんとできなかったから、恋バナしようよ。せーちゃんの」

 うきうきした様子の先輩を、青磁はしかめっ面で見返す。

「先輩って、女子みたいですね。私の恋愛話なんて興味ないでしょ」

「今はオフなんだから、一人称俺でいいよ。仕事の話のほうがつまんないじゃん。プライベートな話がいい」

 友達ではないのだから、仕事の話でいいのではないか。

 そんな反論を飲み込んで、渋々付き合うことにした。どうせ何を言ったところでこの人には敵わない。自分の話をするのは苦手だが、隠したいようなこともないので質問に答えておけばいい。

 青磁のプライベートなど、つまらないものだ。両親が死んだあの日まではどこにでもいる、普通の家庭だった。その頃は両親とも仲がよく、友達もそれなりにいた。銀鼠の言うなんとなくの恋愛ごっこもあったかもしれない。

 でも忘れた。

 そんな「普通」というものがどんなに幸せなことだったか。あれは夢だったと言われても納得してしまいそうなほど、もう曖昧な思い出だ。

 両親が殺されてからの青磁は、友情も恋愛もそっちのけだ。心の余裕がなかったというのもあるが、内向的なうえ人と仲良くしたいという欲がそもそも薄いのだ。話すようなことはない。

 適当に話した後、銀鼠の話を聞き出せばいいのだ。自分のことよりも彼のプライベートのほうがよっぽど気になる。

「……どうしようもなく好きだ、と思える相手に出会ったことはありません」

 笑われるのを覚悟で、正直に言った。嘘を吐く理由も、見栄を張る必要もない。何を言っても馬鹿にするときはするし、まともな反応をする場合もある。今回は予想が外れたようで、笑うことなく「ふーん」と頷いた。

「せーちゃんはあれだね。プライベートも真面目なんだね」

「そうですか?」

 不真面目か真面目かで分けるのなら真面目なほうだと自負をしているが、そんな言い方をされると誉め言葉ではなさそうだ。だからといって意図的にけなしてもいないのだろうけれど。銀鼠は良くも悪くも正直なだけだ。

「世の中の恋人や夫婦みんなが、お互い本当に大好きでくっついてるわけじゃないじゃん? そんな深く考えないで、なんとなく好きかもって思い込んでる人が多いと思うけどな」

 銀鼠の持論はとことん青磁とずれている。

「なんとなく好き、で長年一緒にいられるものですか?」

「嫌いじゃなければ案外」

「そんなこと言って、先輩だって恋人いないじゃないですか。説得力がありません」

「ふ、たしかに」

 銀鼠はおかしそうに笑う。

「じゃあ、せーちゃんの好みは? どんな子が好きなの?」

 聞いてどうするのだ。つっこみたくなるが、ただ単純に好奇心なのだろう。

「あまりこだわりはないです。自分と合う人なら」

「無難だなー」

 つまらないと言いたげに、唇を尖らせている先輩は、紹興酒を一気に呷った。そんな飲み方をする酒ではないが、アルコールに強い彼はけろりとしている。

「桜みたいな年上のお姉さんもよさそうだけど、清楚系が似合いそうだね。黒髪の、大人しい子」

「嫌いじゃないです」

「美人系じゃなくて、かわいい系がいいでしょ。背が低くて」

「いいですね」

「胸があるほうがいい?」

「そうですね」

 自分から聞いておいて、青磁が頷いたことに驚いたようだ。なんだかんだ、男同士で知れない仲でもないのだ。恥ずかしがることもない。

「あはは、男の子だねえ」

「先輩は違うんですか?」

「んー気にしたことないな。すごくざっくり言うと、肌が大事」

「肌」

「そう。胸が大きいとか、そういうのじゃなくて。触れていて気持ちいいのがいいね」

「なんだか生生しい」

 この人は、触れて傷つけることで快感を得るタイプだと思ったのだが、どうだろう。殺すことが楽しいとは言っていたし、実際暴れ回れるときはとても楽しそうだった。度の超えたサディストであることには間違いないのだろうが。

「まあそりゃあそれなりに経験してるしね」

「え」

「え?」

 声を上げる青磁に、銀鼠はきょとんとしている。

 青磁はアルコールを喉に流し込んでから、その勢いで口を開いた。

「先輩恋人がいたことあるんですか」

「ないよ」

「ええ?」

「恋人じゃないとセックスできないと思ってるんでしょ。真面目だなー」

「真面目? いいえ、先輩が屑なだけです」

「せーちゃんのその理論はかわいいけど、それだと風俗の存在価値がなくなるね」

「それはそれ、と言いますか……え、先輩つまり風俗に?」

 銀鼠はゆるい笑みを浮かべたまま首を振った。

「お金払ってまで女を抱きたいとは思わないかなぁ」

「ですよね。先輩が風俗とかイメージになさすぎて」

「昔ね、ちょっとそういう環境だったんだよ」

 色々と。

 本当に色々とつっこみたいところがあるのだが。

「……先輩は」

「ん?」

 銀鼠は言葉を続けない青磁に首を傾げて促した。

 目の前にいるこの男は、どんな道を歩んできたのだろう。どうすれば、こんな男になるのだろう。親に見放され、心身ともに壊されたのは知っている。そこを掘り返したくはなかった。お互いがつらくなるだけだ。

 青磁はどう切り込むか考えたのち、口を開いた。

「先輩は、警軍になる前何をしていたんですか?」

 ほんの一瞬。一秒にも満たないような間が、質問の失敗を感じさせた。表情は変わらず柔らかいものではあるが、彼の瞳がふるりと揺れた。

「急にすみません。話したくないなら」

「いや」

 銀鼠は青磁の謝罪を断った。

「いいけど。僕の話になっちゃうなと思っただけ。そこらへんは、話すと長くなりそうだから」

 腕組みをして、どう話始めようかと逡巡しているようだ。しばらく唸ってみたり刺身を無意味につついてみたりしていたが、やがて青磁に視線を合わせた。

「なんで警軍に入ることになったのか」

 たしかに、そこは気になる点だ。銀鼠の経歴は謎すぎる。なぜ警軍に属することができているのか。

「唯一、殺すのを躊躇う人間がいた」

「先輩が?」

「そう。基本的には誰でも殺せるけど、一人だけ、殺したくないと思えた人がいたんだ」

 そこで、銀鼠は改めて青磁の目を覗き込んだ。口元には変わらず微笑みを浮かべていて、深刻な話ではないと口外に言っているようだった。

「ちなみに、今ならせーちゃんがその枠かな。強いて言うなら」

「一言余計ですけど、不覚にも喜んでしまった自分が腹立たしいです」

 以前、好きだけど殺せる、と言われたことがある。誰か一人殺すなと言われれば青磁を選ぶということか。この人は本当に人間味がない。

「喜びのハードルが低いね」

「普段が酷いので」

「僕もせーちゃんがデレたら喜ぶよ」

「気持ち悪いこと言わなくていいですから。それで、その人がなんですか?」

 眉根を寄せて拒絶をしてから、先を促した。話が脱線するところだった。

「その人とはちょっとの間一緒に暮らしてたんだ。ほら、これ」

 銀鼠はそう言って、自らの目の下をのんびりとした動作で撫でた。

「この刺青を彫ったのが、その人。僕には今も到底理解ができない、本当にいい人だったよ。誰にでも優しくて、いつも笑ってて」

 懐かしむように微笑んだ。その柔らかい表情に、青磁はぐっと唇を噛んだ。いつも笑っているのは銀鼠も同じ。だけど違う。いつもは他人を見下しているのが滲む意地の悪い笑みなのに、今はとても。とても優しい。

「あぁ、懐かしいな。僕の初体験はその人だよ」

「は?」

 なんで今。

 こんな先輩でも昔を懐かしんで純粋な微笑みを浮かべられるのかと、ほんの少し感心していたところなのに。

「あの……昔話でしんみりする展開かと思ったんですけど」

「だって、その前までそっち方面の話だったから」

 屑に人間味を感じていた自分を恥じ、けたけたと笑う彼を睨んだ。酔っ払っているようにも見えないのに、よくもまあそんな下ネタを突然ぶっこめるものだ。いや、たしかに青磁も先ほどまで一緒になって話していたのだが。空気を読め。

 青磁は残っていた酒を飲み干し、空になったグラスをやや乱暴にテーブルへ置く。

「女性だったんですね。てっきり男性かと」

「男だよ」

「え」

「男だよ」

 銀鼠は同じ言葉を繰り返してから店員を呼び、新しい酒を二人分注文する。数分後、注文したものが届き、青磁は受け取った酒をすぐに飲んだ。半分ほど一気に飲んで、一息吐くまで二人とも無言だった。銀鼠は青磁の反応を面白がるように観察しているようだ。

「先輩は」

 喉の奥が熱い。アルコールが脳内を巡っているような感覚だ。

「先輩は、その、」

「ゲイなのかって?」

 口に出しにくいことをさっと言う銀鼠に、青磁はこくりと浅く頷いた。

「違うよ」

「でも」

 青磁が反論をする前に、銀鼠は右手を軽く上げて制止した。動揺している青磁と違い、彼は落ち着き払っている。

「そもそも、他人に興味がないでしょ。僕は」

 銀鼠に人間味がないのは、人を人として扱うことがないから。それに、欲が見えないから。人の三大欲求を彼にも備わっているのだろうか。こうして目の前で食べて飲んでいるのに、ただその動作を機械的に繰り返しているだけに見える。おいしいと感じているようにも、食べたいと思っているようにも見えない。眠っている想像もできない。もちろん、人間である限り不眠ということなどありえないのだが。

 それらと同じく、銀鼠に性欲があるとも思えない。

 青磁は素直に頷いた。

「そうですね。そうだと思います」

「男も女も、たいして重要じゃない」

「んん?」

 わからなくなった。

 けれど、胸の大きさを気にしたことがないとは、そういうことだったのだろうかとぼんやり思った。なるほど、男も女も関係ないな、肌は。

「えーと、まず。その人とはどうして、そういう関係に?」

「流れ」

「素直に応じたんですか」

「嫌がるとか、そういう感覚がなかったんだよ。拒否をしていいという選択肢が、その頃の僕にはなかった」

 たしかに銀鼠の生い立ちと淡泊さを考えれば自然かもしれない。

「……そんな判断もつかないような人に、その人は手を出したんですか」

 それははたしていい人と言えるのだろうか。

「あの人、そこらへんはガバガバだったから」

 銀鼠が笑って済ませていることを、青磁がとやかく言うことでもない。苦い顔をするだけに留めておく。

「まあ一緒にいたのなんて、ほんの少しだけだよ」

「そうなんですか?」

 首を傾げると、銀鼠は嫌な笑みを浮かべた。

「だって、僕は犯罪者だよ?」

 そんな平和な時間なんて、少しでもあったことが奇跡みたいなものだと笑う。

「警軍は僕の顔もわかっていたし、僕も彼の家にずっと引き籠っていたわけじゃない。そりゃあ見つかるさ」

「捕まるかもしれないと、思わなかったんですか?」

 警軍に捜されている身であることを把握していたのなら、外出が危険だとわかりきっていたはずだろう。保護をしてくれた人が信用できるかどうかという問題もないわけではないが。

「そんなこと、どうでもよかった」

 他人だけでなく自分の生死にも興味がなく、ないがしろにしている。今も昔もその価値観は変わっていない。

 こういうところが本当に不愉快だ。

「不思議だった。なぜ僕を保護したのか。僕を傷つけない人なんて、初めてだったから」

「今、その人は?」

「殺した」

「え」

 絶句する青磁に、銀鼠が苦笑して肩を竦めた。

「って言ったら、信じるでしょ」

「殺したんですか?」

「世間的にはそうなってると思うよ」

 まともに捜査資料を調べたことはないけれど、と銀鼠は言いながら箸を高そうな肉に突き刺した。握っている力が強いのか、箸が軋む音がする。

 表情は変わらないし自覚もないのかもしれないが、苛立ちを感じているようだ。

「本当は?」

 探るように銀鼠の目を覗き込んでみるが、やはり綺麗な瞳が見返してくるだけだ。義眼からは何の感情も読めない。

「原因は、僕だよ」


   ***


 錫は元気に歩き回れるようになると、昼間どこかへ出かけて行った。最初はそのまま帰ってこないかもしれないと不安になったが、彼は律儀に戻ってきた。少しは懐いてくれているのだろうか。

「おかえり。なんで今日もけがをしてるんだ」

 山鳩は口端に血を滲ませている錫を出迎え、困った奴だと苦笑する。出かけて帰ってくるたびに、どこかしらけがをしていた。

 何をしているのか。

 そう聞けばおそらく、この子は愚直に教えてくれる。けれど、悪気がない子の口から悪事を聞くことになる。悪事ではない可能性が、ないわけではない。それでも、はっきりと突き付けられるのが怖かった。

 人を殺したと言っている子を守っている自分が正しいとは思わない。警軍に通報をしなければいけない。匿っている自分も罪人になる。

 わかっている。

 わかっているけれど。

「こっちに来なさい。手当てをするから」

「これくらい大丈夫」

「いいから」

 錫はそれ以上山鳩に逆らうこともなく、素直にベッドへ腰かけた。何かを殴ったのだろうか、左手に紫色のあざができている。

「なんで?」

「え?」

 錫の手に視線を落としていたが、唐突に問われ頭をもたげた。錫は山鳩の顔をじいっと見ている。相変わらず綺麗な翡翠色の瞳だ。目の周りの傷が邪魔くさい。

「なんでって?」

 濡らしたタオルで口元を拭いながら聞き返すと、錫は痛みを堪える素振りも見せずそのまま口を開いた。

「山鳩が悲しい顔をしてる」

 驚いた。

 無感情で痛みにも鈍感な錫が、山鳩の表情の変化を言及するとは。

「悲しいよ」

 山鳩は頷いて、錫の左手もタオルで冷やしてやる。

「なんで?」

「錫がこうしてけがをすることが悲しいんだ」

「山鳩が痛いわけじゃないのに?」

「痛いんだよ」

 眉尻を下げつつも笑みを浮かべて、自分の胸へ手をあてがう。

「心がね、痛いんだ」

 わからないという顔をする錫の頭を優しく撫でてやり、内心でため息を吐いた。気持ちや感情の話は、いくら言葉で言ってもおそらくこの子には伝わらない。警戒心が強いから人の表情や動きを敏感なだけで、肝心な内情を把握できないのだ。それもそうだろう。自分にないものを理解するのは難しい。

「おまえは獣みたいなもんだな」

「けもの」

「そう。しかも、ものすごくかわいい」

 愛おしい。

 錫を拾ってほんの数週間。得体の知れない危険な子ではあるが、それと同時に無垢で純粋な彼をかわいいと思わずにはいられない。このままずっと一緒にいられたらいいとさえ思うが、そうはいかないということも薄々わかっていた。本当ならここに閉じ込めておきたい。しかしそうする権利など山鳩にはなかった。錫がしたいことをさせてやりたい。自由にさせてやりたかった。

「錫さ、目のところ刺青彫ろう。傷隠そうぜ」

「気にしない」

「まあこのままでも十分かわいいけどさ。僕にできることなんてそれくらいだし、錫が嫌でなければ」

「別に、嫌じゃない」

 嫌だとか良いだとか、そういった判断力が欠けているとわかっていて、意地悪な言い方をしてしまった。けれど、この子にある傷はなるべく隠してやりたかった。顔は特に人目に触れる。いや、ただのエゴだ。この子に自分の証を残したいだけ。何でもかんでも興味がないこの子に、忘れられたくなかった。

「僕って、独占欲強いんだな」

「なにそれ」

 錫は不思議そうに山鳩を見上げた。口端に貼られたテープを鬱陶しそうに引っ掻いている。けがをしてくる癖に、手当てや包帯なんかも邪魔そうにする。嫌ならけがをするようなことをしなければいいのに。

「錫のこと、好きだなーってこと」

 そう笑いかけてやれるのに、外で何をしているのかはどうしても聞くことができなかった。

 こうやって現実から目を逸らし、逃げる。こんな平和なんて、長く続かないことはわかっていたのに。


   *


 店のドアが荒々しく開けられ、山鳩は顔を上げた。

 ついにきたな。

 客も錫もいなくてよかった。

「どちらさまでしょう?」

 わかりきったことを尋ねた。彼らの軍服を見ればこの国に住んでいれば警軍だということは常識だ。黒い軍服に身を包んだ二人の男は不愛想に警軍の紋章を示した。

「無駄な質問はするな」

「それはすいません。それで、警軍さんがうちに何の用ですか?」

「ここにもう一人の男が出入りしているだろう」

 本当に無駄話をするつもりがないようだ。背の高い男が前置きもせず言う。

 いるかどうか、ではなく、いるだろうと断定じみた言い方をしてきた。誤魔化せるだろうか。

「? いませんけど」

 首を傾げて見せると、彼らは眉間のしわをますます深くした。どうやら山鳩の答えが不満らしい。

「少し、中を見させてもらおうか」

 返事をする前に入ろうとする二人を、山鳩は体で遮った。

「ここには僕しか住んでいないと言ってるんですよ、警軍殿。無駄なことはしないでいただけますか。大体、その男っていうのは誰のことです? 誰を探しているんですか? なんの説明もなしに、他人を家に上げるとでも?」

 面倒くさそうに顔をしかめているが、山鳩とて気分が悪い。間違ったことは言っていない。何も知らない人間なら当然抱く疑問のはずだ。なのになぜそんな高圧的に睨まれなければならないのだ。

 口数だけでなく時間も無駄にしたくないのだろう、背が低いほうの男が今度は口を開いた。

「レグホーンの事件を知っているだろう。その容疑者がまだ捕まっていないことも」

「あぁ、そうですね。え、その容疑者がうちにいると?」

 驚いて見せるが、二人は無表情で山鳩の様子を観察するように鋭い視線を向けるだけだった。

「どうしてそんなこと」

「――何か、隠していないか?」

「するような隠し事などありません」

「なら見られても構わないだろう」

「他人に自宅を勝手に荒らされてもあなたたちは平気なんですか。寛容ですね。私はなるべく遠慮したいんですけれど」

「抵抗する気か?」

「はは、抵抗。そんなことしていません。ただ、お願いしているだけで」

 山鳩は口元に浮かべていた笑みを消し、言葉を止めた。腹に何かを押し付けられて、それを目だけで見下ろす。一般庶民に銃口を向けるとは剣呑なことだ。

「あなたたちは、お願いじゃないんですね」

「命令だ」

 警軍ごときが偉そうに。いいご身分だな。

 厭味ったらしい悪態を吐きたいところだが、ここで言い争っても山鳩に勝ち目はない。口だけならまだしも、武力行使となると敵うわけもない。

「仕事場は触られたくない機器もありますし、雑菌を撒き散らしてほしくないので、さっさとお願いします」

 山鳩は浅く息を吐き、彼らを招き入れた。



「何かありました?」

 山鳩は、彼らのしかめ面を微笑みで返す。

「本当に二階の部屋と、この仕事場だけなのだな」

「隠し部屋なんかあればロマンですけど、残念ながらないですね」

 思っていた成果が得られなかった苛立ちを隠そうともしない男どもに舌打ちされるが、山鳩は笑みを崩さなかった。ふざけたことを言うなと目で言われているのも気付かないふりをする。

「もういいでしょう? これから仕事なので帰っていただけますか?」

 錫の痕跡など残しているはずもない。遅かれ早かれ、こうなるとわかっていたのだから対処しているに決まっている。

 けれど甘かった。

 錫にはどうしても制限をしたくなかったその甘さが、山鳩自身と錫の首を絞めた。

 こちらへ向かってくる男に、山鳩は一瞬だけ顔を歪めた。嫌なタイミングで帰ってきたな。しかしそれを悟られる前に営業用の笑顔を張り付ける。

「いらっしゃい」

 そう言ってみたものの、山鳩はだめだと悟った。

 やっぱり、嘘はいけないな。

 首を傾げる錫の腕を引き、耳元で「逃げろ」と言う。

 その直後、すぐ近くで発砲音がした。こんな近くで、生で聞いたのは初めてだと、頭の隅で思った。しかし、そんな呑気なことを考えられたのもほんの一瞬で、すぐさま腹に激痛が襲う。反射的に手で腹を押さえて、膝から崩れ落ちた。見下ろすと指の隙間から、手の平から赤い液体が溢れ出てきていた。

 痛い。熱い。苦しい。寒い。

 今まで経験したことのない痛みと混乱で、思考が滞る。

 どうして腹から血が出ている。

 そうだ。

 腹から血を流している山鳩を、錫はただ無表情で見下ろしていた。逃げろと言ったのに、彼は山鳩の傍から離れようとしなかった。

 痛みで揺らぐ視界の中、山鳩は必死で錫の足を叩いた。

「逃げろよ!」

 口からも血が出た。

 これはだめだ。

 人って案外あっさり死ぬんだな。

 いいんだ。それよりも。

「山鳩。わかったよ」

 錫は倒れている山鳩の脇にしゃがみ、いつもと変わらない淡々とした口調で話しかけてきた。

 その奥で警軍の一人が銃口を向けている。もう一人はどこかへ連絡しているようだ。

「悲しいって言ってた山鳩の気持ち。わかったよ」

 そうか、よかったな。

 もう、そんな一言すら言えなかった。

 錫がどんな顔でそう言ってくれたのかも、見えなかった。


   ***


 箸に刺さった肉をぼんやりと眺めながら語られる過去に、青磁は息を呑んだ。

「僕を庇って呆気なく死んだ彼を見て、そのときは自分がどんな感情なのか理解できてなかった。ただ、あの心のざわめきが山鳩の言っていた心配ということなのだろうと思った」

 そう語る銀鼠の目は冷ややかだった。

「そして、山鳩を攻撃した警軍どもは敵なんだと認識した」

 その場にいた警軍二人を殺し、応援に来た警軍も殺した。機械も人間も関係なかった。撃たれたけれど痛みは感じなかった。自分のものか他人のものかもわからない血で顔や体が濡れて、動きが鈍くなったころ。

「お偉いさんが直接来たんだ。これでもう僕も死ぬんだなと思った」

 高圧的な態度で銀鼠と対峙してきたのは、今現在警軍のトップに納まっている人間だ。当時はまだ将官のどこかだっただろうが、偉いことには変わりない。

 山鳩の傍に膝をついた銀鼠を見下ろしてきたが、どうやら危害を加えるつもりはないようだった。

「なぜ殺すのかって訊かれて。僕はわからないと答えた」

 その答えに対して「そうか」とだけ返事をして、続けてこう言った。

「それなら、理由をやる」

 当時の銀鼠には意味がわからなかったが、反抗する意思もなかった。自分がどうなろうとも、どうしたいかなども、何もなかった。

 その空っぽな中を埋めようとしていた山鳩は死んだ。

「使えるものは使うって人だからね。殺すより利用できそうだと思ったんだろう」

「先輩は、悔しくなかったんですか? その、山鳩さんは警軍に殺されたのに」

 青磁が問うと、銀鼠は考えるように唸った。自分の感情に鈍感な彼にはすぐに答えることができないのだろう。

「どうかな。死んだことはたしかに多少なりとも思うところはあったよ。だからこそあの場で警軍どもを殺したんだろうし。でも、その警軍の犬になったんだから、そうでもなかったんだと思う。薄情なもんだよ、僕なんて」

 知ってるだろうけど、と銀鼠は笑う。

「行くところもなかったし、断る理由もなかった。なんだかんだこうして働けるようになるくらいには調教できた警軍ってすごいと思うよ」

「それ、自分で言うんですか」

「あはは、こう考えると僕は警軍に助けられてるんだよ。ムカつくけどね」

 青磁は笑う銀鼠もまじまじと見るが、彼の表情に憂いもなく、いつもと変わらずあっさりしたものだった。怒りや悲しみを感じないのか、はたまた感じてはいるけれどそれに気付いていないのか。

「山鳩がつけてくれた錫って名前のままじゃなんとなく嫌だったから、銀鼠にしたんだ」

「響きがかわいすぎますよね、錫なんて」

「そう、似合わないよね」

 青磁の言葉に同調して苦い顔を作った。

「以前の先輩には似合ってたんだと思いますよ」

「それって、前の僕はかわいかったってことかな?」

「気持ち悪いですね」

「うん、気持ち悪い」

 顔の造形で言えば、もちろんかわいかったのだろうとは想像つくのだが、いかんせん青磁は今の銀鼠を知ってしまっている。いくら外見がかわいかろうが中身のクソさでそんなもの帳消しだ。

「そうじゃなくて、山鳩さんにとって先輩がかわいかったということでしょう。きっと、今の先輩を見たらがっかりしますよ」

「殺人犯を匿うくらいの人だよ? こんくらい笑って受け入れてくれるさ」

 おそらく、保護したときからただの子供だとは思っていなかっただろう。勘付いていてそれでもなお、銀鼠を大事にしていた。よほど慈愛に満ちた人なのか、はたまた狂っていたのか。故人の悪口を言っているようで後者は考えたくない。

「せーちゃんこそさ」

「はい?」

「悔しくない? 山鳩が僕を保護なんてしないでさっさと警軍に渡していれば、事件解決していたかもしれないのに」

「今更、たらればを言ったところで仕方ないでしょう……事件は解決しています。俺の中では。ずるいでしょ、他にもたくさん被害者がいて、その家族がいて。俺と同じように苦しい思いをしてあなたを探しているでしょうに」

 自分がよければそれでいい。そうは思っていない。真実を表沙汰にすることが正義だとわかってもいるが。

 山鳩もきっと、この葛藤を抱いていながら銀鼠を想っていたのだろう。違うのは、青磁にその銀鼠への愛は皆無だということ。情があるのは認めるが。

「世間に公表なんて、もうできるわけがないんだよ。警軍が自らの悪を晒すなんてありえない。僕を殺すか、黙っているかの二択だ。知ってしまったうえで殺さない選択をしたことに罪悪感を抱いているのなら、そんなもの捨てていいんだよ。せーちゃんは間違ってない。苦しいだろうけどね」

 他人事のような上っ面の慰めを吐き出した後、「あ」と声を上げる。もうとっくに氷が解けて薄まった酒を持ち上げて唇を尖らせた。

「結局こんな話じゃん。つまらないよ」

「山鳩さんに失礼ですよ」

 青磁としては、銀鼠にも大切に想うような人がいたと聞けて有意義だった。本人に言ったら「大切?」と首を傾げられるだろうが、自覚がないだけで少なからず情は抱いていたはずだ。でなければ先ほども言っていたが、山鳩を殺害した警軍に手を出そうとしない。

「でも嫌だな」

 青磁の呟きに、銀鼠が反応する。

「なにが?」

「先輩のそんな人間っぽいエピソード、聞いたらますます殺しにくい」

 一寸間を置いた後、銀鼠はぶふっと噴き出した。けらけら笑う。

「せーちゃん、僕が自分で死のうとしたら止めてくれそうだよね」

「当たり前でしょう。そんなつまらない死に方、俺が許しません」

「どんな惨い死に方をしたって、きっとせーちゃんは泣いてくれるんだろうね。ざまあみろって言いながらさ」

「自惚れんな」

 そう悪態を吐きながらも、おそらくそうなるだろう。彼の死に目に会うことができるかはわからないが、なるべく立ち会いたいものだ。そう思う程度には銀鼠のことが嫌いなのだが、喪失感も相応にありそうだ。

「僕のこと、やっぱり好きになってるでしょ」

「まさか」

 青磁は鼻を鳴らして即座に否定をした。

「先輩の境遇には同情してますよ。山鳩さんのことも含め、つらい経験ばかりだったのだなと」

 こう言われるのは不本意でしょうが、と言い加える。

「それでも、屑なのには変わりありませんから」

「うん、そうだね」

 銀鼠はなぜか満足そうに頷いた。

「でも、違う。同情もいらないよ」

 青磁の目を覗き込み、口角を上げた。意地の悪い顔をしている。

「せーちゃんが思っているよりも、僕は屑だよ」

 にっこりと笑っているのに、寒気のするような冷たさが滲んでいた。

「せーちゃんが僕を殺せないのはなぜだと思う?」

 銀鼠は頬杖をつきながら、唐突にそう質問した。結露で濡れたコースターを空いているほうの手で無意味に弄っている。回復力も高いようで、複雑骨折をしていた腕は予想外に早く完治していた。

「わざわざ僕の過去を話してさ、せーちゃんが躊躇うように仕向けたんだ。ただ殺人者ですって言うだけでよかったのに。せーちゃん優しいからね、僕の話をすれば同情すると思ったんだ。ずるいのはせーちゃんじゃない。僕だよ」

「なんだそんなこと」

 青磁はまっすぐ銀鼠を見返して一蹴する。彼は目を見開き、きょとんとしていた。

「関係ないですよ。先輩が同情を煽るような話をしていても、していなくても、あの場で殺しはしなかった。いえ、できなかったというのが正しいですね。先輩にはわからないでしょうが、人を殺すという重い行為を人はそう容易く犯せないんですよ。どれだけ激情に駆られていても、大抵の人は理性が働きます。人を傷つけるというのは、自分が傷つくのと同じくらい怖いものなんです」

 銀鼠は軽々しく人の命を扱う。自分の命すら簡単に放棄しようとするのだから、人を傷つけて怖いなどと言う青磁の言葉は理解できないだろう。痛みを恐怖としていない彼には難しいかもしれない。青磁もまともな共感を求めているわけではなかった。

「俺が先輩を殺せないのは人として当然のストッパーがあるからです」

「……それを上回るほど憎かったんじゃないの?」

「そう。憎いですよ。先輩が親を殺したのは事実なんでしょうし。それ以前に先輩のこと大嫌いですし」

「じゃあ」

「でも先輩は人間だから」

 銀鼠の言葉を遮って、青磁は彼に負けない冷めた目で言った。

「屑だろうが人としての感覚がなかろうが感情が狂っていようが、それでも、ドールみたいな機械じゃない。それになにより」

 血の通った人間だからこそ、こんなに嫌いなのだ。同じ人間のはずなのに、何もかもが軽々しい。

「なにより、殺せと宣うあなたを殺したら、あなたの思うつぼのような気がして腹が立ちました」

 これが一番の理由かもしれない。

 桜が以前言っていた。ただ殺すのではなく、苦しませたいと。あのときは同意できなかったが、今ならわかる。殺されたいと願う銀鼠を、素直に従って殺してあげることはしたくなかった。

「まあ、胸糞悪いしそれはもういいんです。よく笑うようになったのも、一人称が僕なのも、山鳩さんの影響でしょう? 人から影響を受けるようであるならまだ救いがあるだろうと、俺は思いますよ」

 何が言いたいのか自分でもわからなくなって、青磁はそう言って締めた。褒めたいわけでも同情したいわけでも、言い訳をしたいわけでもない。

「甘っちょろいな」

「どうとでも」

「僕を擁護しても誰も得をしないよ」

「擁護ではありません」

 青磁は首を振りながら、「あぁ」と気付いた。

 銀鼠を人にしたいのかもしれない。

 まともな感性を持った銀鼠を、殺してやりたい。人を殺して生き永らえていることに嘆き反省した彼を、嘲笑いながら殺したい。

 その結論に、青磁は自分で驚愕し身震いした。

「ま、せーちゃんがいずれ僕を殺してくれればいいよ」

「抵抗するんでしょ?」

「もちろん」

「できる気がしません」

「大丈夫、せーちゃん強いもの。僕なんてすぐ殺せるよ」

「すげー腹立つ」

 やはり、人はおかしく汚く、狂っている。


そういえば、夢で見たものを題材にしたのがこの話だなと思い出しました。

ほんの一瞬程度の夢の記憶をここまで広げられて楽しかったのと、本当に銀鼠が鬱陶しかったです。

まだまだ続きを書きたいところですが、ひとまずこのへんで。

ありがとうございました。

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