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愛執の棺  作者: 羽村勝雄
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~第一話~ 恋の形

 

 ウェストミンスターの鐘が鳴る。昼休憩の訪れと共に賑わう教室。今日もまた、退屈な恋愛話を聞かされるのだと、諦念を孕んだ小さな溜息をひとつ。すると、すぐに予想が的中することを知らせるように、視界に見慣れた二人組が映る。日向陽梨と多智花由麻だ。

「ねぇねぇ、蔦香ちゃん聞いてよ。ゆまちんったら、また告白されたんだって。それなのに相手が誰なのか、訊いても教えてくれないの!」

「だって、噂になったりしたら、相手の方が可哀想でしょう? 貴女、口が軽そうですし」

 ぼそっと呟いた最後の一言が陽梨を怒らせたのだろう。私に話を聞いて欲しいと云ったはずの彼女は、私を置いてけぼりで会話を続けていく。それならいったい、何のために話し掛けたのだろう?

 呆れて、溜息がまたひとつ。それに気が付いたのか、慌ててこちらを向き、何か話を振ろうとする陽梨を見て、少しだけ笑みが溢れる。

「……そうだ。蔦香ちゃんは好きな人とかいないの?」

 その一言に思わず硬直してしまった。そして私は、一呼吸遅れて返答した。



「――好きな人なんてできたこともないわ」



 私には、誰かに対して恋愛感情というものを抱いた経験がない。それが自分に発現する感覚どころか、他人が想うそれがどんなものかすらも理解できない。だから、他人の物語性のない恋愛話を聞くのは、退屈で仕方がない。ほんの少しですら共感できないのだから――。




 放課後、私は急いで学校を後にし、アルバイト先であるファストフード店へと向かう。今日はひどく冷え込んでいて、とても働きに行きたいとは思えない。今すぐ炬燵に身を委ね、この肩に乗っている雪と共に溶けてしまいたい。だが、こんな季節でも高校生の私がアルバイトをしているのには勿論、それ相応の理由があるわけで、そう簡単に辞めるわけにはいかない。

 私はアルバイトと仕送りで得たお金を遣り繰りしながら、街から離れた場所にある、古く安価なアパートを借りて一人暮らしをしている。この暮らしを続けるためにも、炬燵と決別し、働き続けなければならないのだ。

 もっとも、家に帰ろうが決して不自由なく快適に過ごせるわけではない。エアコンは疎か、ファンヒーターすらないのだ。そんなものを常用できるほどの余裕はない。アパート自体も、このご時世でまだ汲み取り式便所であったり、シャワーがなかったり、何故か押入れの壁に痛々しいポエムが書かれているなど、不便な点はあれど、そう贅沢は言っていられない。便所と風呂場が付いていて、生活が成立しているだけ有り難いと考えるべきだろう。

 そんな生産性のない思考を巡らせていると、自然と、ある建物の前で立ち止まった。目的地に着いたのだ。やはり、何か考え事をしていると寒さも不思議と気にならなくなるものだ。明後日、またここまで足を運ぶ時には、どんな無駄な思考を巡らせて来ようかと思いながら、肩に付着した雪を払い、その建物に足を踏み入れた。




 いつも通りにアルバイトを終え、帰路に立つと、地面は白に染まり、空は黒に染まっていた。ここから家までは徒歩四十分ほどなのだが、今日は足場が悪いので一時間は覚悟するべきだろうか。そう思うと、一歩一歩が意味のないものに感じられて、気が遠くなる。


 そして、いつも通りの景色の中をいつも通り歩き続けていると、ひとつ、いつも通りとは形容できないものが視界に入る。陰暗な雰囲気が漂う公園の生垣の裏から男が現れたのだ。男は何者かの視線を感じているかのように、執拗に周りを見渡す。その男の不審な動きに思わず、歩む足を止めて身を隠していた。その後、男は見渡すのをやめると、こちらに背中を向け、平然と歩き出した。

 男が過ぎ去るのを確認すると、公園に立ち入った。恐怖よりも好奇心が勝ってしまったのだ。こんな街外れの何もない公園への用事なんて、普通は飼い犬の散歩くらいしかないはずだ。だが、男は何かを連れている様子はなかったし、ましてや雪が降り積もる冷えた夜に生垣の裏ですることなど、何があるだろう? おおよそ、子猫でも捨てにここを訪れた、といったところだろうか。


 念のため、警戒しながら生垣の裏を辿り、男が居た場所を目指すことにした。その場所へ近付くに連れて、身体が少しずつ竦んでいくのが解る。それでも好奇心に駆られ、私の身体は前へ前へと、ゆっくり引き寄せられてゆく。

 やがて、あの男が居た場所と思われる辺りに着くと、樹木の後ろに奇妙なものがあることに気が付いた。その刹那、私の身体は激しい悪寒を覚えた。それは、その奇妙なものの正体が何なのかを理解してしまったからだ。






 ああ、これは――――――人だ。






 あまりの恐怖心から思わず叫び声を上げそうになり、瞬時に口を塞ぐ。もしも、この予想が正しければ、私がここに居ることをあの男に察知されてはならない。

 身体は震え戦慄き、足が竦むも、何故か意思だけは前へ進もうとしていた。きっと、それが生きているか、人形である可能性を捨て切れない、現実逃避によるものに違いない。

 制御が困難になっている身体とは反して、意識は鮮明で、微妙な点に於いて、妙に冷静だった。その現実逃避が現実になることを、何かに縋るように祈りながら、樹木の後ろを覗き込んだ。




――――私はその光景に、再び激しく動揺した。それは、正体が人だったからでもなく、人形だったからでもなく、生きていたからでも死んでいたからでもない。

 ただただ、その少女が〝美しい〟と、そう感じたからにほかならなかった。

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