田舎の電車
気まぐれ投稿します。
いつものように電車に乗っていた、なにも変哲のない銀色の電車、僕は大学に向かっていた。なにをするわけでもなく、こうする他ない。そんな早足の日々を過ごしていた。
家から大学までは2時間かかる。
京都の外れの田舎町から大阪の中心地に通うのだから、仕方ないことではある。
一年間浪人してようやく第二志望辺りに通ったっていうのに、なにが悪いわけでも無いけれども、そのうちに一日の四時間を浪費してまで学ぶ意味がわからなくなった。
四月の頭には胸を満たしていた高揚感や希望とやらは五月の末には季節と一緒に流れて行ってしまった様だ。
一年前はあれほど渇望していた憧れの生活も、手にしてしまえば途端に億劫になってしまう。そんな意味では大学生活という幻想に片想いしていたのかもしれない、なんてチープな思考に耽っているとアナウンスが聞こえてきて、目の前がクリアになる。
乗り換えの駅に着いたようだ。
あと20分で最寄り駅。まだ少しあるが、またつまらないことでも考えていれば直に着いているだろう。
かつては色々やってはみたものの、勉強なんて偉いこともしたくないし、第一此処で何かして帰った所で、寝て起きてしまえば、また此処に戻ってくるのだから、何をしても意味がないようにも思える。
田舎の人間なら都会に出たがるのが筋と言うものだろうが、僕はそうは思わない。
都会は苦手だ、空が狭くて、知らないうちに昼になって、気がついたら夜になる。そうやって時間の感覚が薄くなる、もはや季節なんてお洒落な服を着る理由に成り下がっている。そんな街に行きたがるなんて、平安時代の日本人の深い感受性は退化してしまったのかと悲しくなる。
そんなことを嘆いたって仕方ないけれども。
明日も朝八時に起きて電車に乗る。
乗らなくちゃいけない。そんな街にしか行く場所がないから。そうして平坦な時間は段々スピードを上げて、快速電車を追い越していった。
この前提出したレポートはやり直しになった。データが分かりにくいようで、帰ってからまたパソコンと親睦を深める事が決定した。
段々この一つ一つの数字の一桁一桁が僕を操ってるような気がしてきて、ロボットにでも成った気分だ。ただロボットにしては余りにも使えないだろうが。
そうして電車が止まって、乗り替えために降りる。
電車を待つうちに気分が沈んでゆく、生きた感覚もないこの時間が退屈で仕方がない。
線路の上のいつでも変化のない空気が好きになれなかった。
乗った電車も、やっぱりいつもと同じであった。いつ乗っても同じ速度で同じ空気の此処はなんともつまらない。
だから、それはただの気まぐれだったのだ。
ふと窓ガラスから外をみた、暗くなって見えるものがほとんどない景色。
本当につまらないものばかりだ、此処は。
溜め息に、窓ガラスが曇った。
曇りはすぐ晴れた。
そこには知らない誰が立っていて、彼は僕を見ていた。
僕を見ていながら、虚空を見つめた目。
そして目が合う。
瞬間、背筋を伝ってゆく寒いもの。
それはある種の閃きに近い直感。
此処に居続けるとこのまま直ぐ老いて死んでしまうような気がしてならない。
これは隣にあると知りながら見るのを避けてきた恐怖。
怖い、そして気づいた、この電車は電力何かでなく、我々の生を吸って走ってるのではないか。
逃げなければ。
最寄り駅まではまだ数駅及ばないが、電車が止まるや否や飛び出して、ホームに立ち尽くした。
その駅は無人駅で、今日のこの新月の夜には僕しかいなかった。
ぬるい風だけが吹いていた。
一つだけ置き去りにされたベンチに腰掛け、風を吸い込む。
それは泥と草の臭いがした。
それはどこか懐かしくて、苦いもの。
すると突然蛙の大合唱が始まった。
どうやら周りは田んぼの様だ。僕はそれを聴くことにした。
どれくらいそうしていただろうか、電車はもう何本か行ってしまった。
蛙は飽きることなくずっと鳴いている。
風は少し冷たくなった。
ふと気配がした、それは余りにも近くて、よく知っているものの気配。
振り返ると一匹の蛍がいた。
黄色と緑が混じりあった、暖かな光だった。
「そんなに時間が経ったのか」
呟いて間もなく、衝動的に駅から出た。
田んぼの端を、ぬかるみを踏みしめて進む。一歩踏みしめるごとに立ち上がる草と泥のむせ返るほどの薫り、足裏に伝わる柔らかな感触が堪らなく心地よかった。
どうやら蛍は田の向こうの川から来ていたようで、川に近づくにつれ舞い上がる光の粒が増えていく。
川辺に降り立った僕は空を見上げた。
一斉に明滅しながらゆっくり昇っていく蛍。
羽音一つせずに静かに飛びながら、命を今に浮かび上がらせる。
昇る蛍と降る蛍が入り交じって、それを水面が鮮やかに映した。
僕は知らないうちに成層圏から抜け出していた。
草の薫りと蛙の声に抱かれながら。
暖かい光が眼から身体の隅々まで行き渡って僕を蘇らせた。
狂おしい程の生の実感が全身を駆け抜ける。
僕は一度死んだ、そうしてやっと今生きているんだ。
「どうして生きることを忘れていたのだろう」
しばらくして、僕は駅に向かっていた、流石に数駅分を歩いて帰ったら何時になるか分からない。
駅に着いてもやはり誰もいなかった。
むしろこんな夜にこんな田舎から乗るのなんて光に集う羽虫くらいか。
そうして程無くして眩しい光が駅のホームを照らした。枕木を叩く音が大きくなる。
追い越した冷たくなった風が気持ちよかった。
乗り込んだ電車は、相も変わらず同じような空気だったが、気にはならなかった。
だって僕は生きているのだから。
生き続けるということが判ったから。
もう一度窓の外を眺めてみた、そこには僕がいた。
僕の背中から、蛍が飛び上がった。