守るものと守られるもの
遅くなりました。
うん・・・友人の結婚式のために2日連休もらおうとすると人は倒れるらしい。
柔らかな腕と懐かしい香りからやっと顔を離せば、いつの間にか私のドレスは小さな手に握られていた。
くいと小さな手に引かれた腰元に視線を戻せば美しい藍の色が潤んでそして雫が落ちた。
弾ける雫が引き金となった。
「あね・・あねううええええええええ」
エントランスには耳をつんざく泣き声が響いた。
体というか鼓膜を打った衝撃に、あまりの事に慌てて腰をかがめれば私以上に泣きじゃっくっている弟が居た。
私の中では、約8ヵ月ぶりの再会になる弟は、記憶よりも少し大きくなっていてそれでもまだまだふっくらと丸い頬を真っ赤に染めてその藍色の瞳を涙に濡らしている。
もうすぐ10歳になる筈の弟は、容姿は父にそっくりだ。
母譲りなのは私と同じ藍色の瞳だけ。
だからこそ、あの人を思い起こさせる。
「フィー、どうして泣いてるの?」
まだ私の胸ぐらいしかない背。ふんわりと柔らかな髪は、灰褐色。
頬は、泣いているおかげで真っ赤だけど・・・鼻はすーと通っている。
この子がアカリ様と恋におちるというのは、可能性的にないのだが、父がそれなりに美丈夫であったと記憶しているし、このまま大きくなれば社交界をにぎわす一角になっているだろう。
ゲームの中で結構なイケメンに育っていたかわいい弟は、まだまだ子供でその柔らかな髪を撫でると私に抱きつく腕が強くなった。
少しだけ苦しいけど、それでもこの子の大きくなった姿を知れたことは前世の記憶に感謝した。
もしかしたら私はこの子の大きくなった姿を見る事はできないかもしれないから。
「・・・あね・・あねうえ。髪がー髪変ー」
国家機密で変えてもらった髪色を変と称する弟にどう答えたらいいものか。
「あぁ、これ?」
「どうしたんですか・・病気の・・・病気のせいですか」
確かに久しぶりに帰って来た姉が髪を染めてたら驚くだろう。
父は、あの奇病に罹った時何が原因かわからなかったがその灰褐色の髪の色を全体的に薄くしていたから、そのおかげで彼は勘違いをしているのだ。奇病にかかると髪が色を変えると。
そして多分だが、最初は私が姉かわからなかったのかもしれない、急に泣きながら母に抱きつく姉(仮)をみればどういうことかわからないはずだ。
ごしごしと自分の袖で顔を拭う弟に私は慌てて持っていたハンカチを渡した。
「いいえ・・病気のせいじゃないわ。それよりもよく顔をみせてフィー」
ゆっくりと顔を上げた弟は真っ赤な頬をより赤くした。乱暴な手つきでハンカチを使うのをとめて、そっと両目を押さえてやれば鼻を啜る。
大きくなったとそう思いながら、やはりよく似ていると思う。
隣国の宰相である叔父に。
母とは双子の兄妹でありながら、それでも持つ雰囲気が母とは違い力強い。
隣国のルーン家の血を色濃くその身に宿し、人心を掴むことに長けなによりもその慧眼で未来を見通すように計略を巡らし国を動かす人。
これからあの人と渡り合わないといけない。
だけど、切り札がない。
今持っている“手札”さえ私の持つものは、彼にはとてもじゃないが太刀打ちするものには成りえない。
だがこの札を私は、切り札に変える必要があった。そしてその手段なら既に実行に移していた。
たった一つの光明を私は守りきれるのだろうか。
その不安で押しつぶされそうになったけど、今はと意識を切り替える。
「大きくなったのね・・」
「はい。姉上がなかなか帰ってくれないから僕は、もう上等位の国歴まで学び終えたんです。それにもう算術も中等の最後までいってるし」
「あら、そうなの?」
「はいっ・・それに姉上が苦手だって言ってた馬ももう一人で乗れます。遠乗りにも行けるし、狩りはまだダメだけどでもすぐに出来るようになって」
「魔法学は?」
「ま・・まだです。魔法学は・・きらいです。」
「あら・・でも上等位まで国歴を学んでいたなんんてすごいわっ。フィー」
上等位というのは前世の記憶に例えるなら高等教育ぐらいのものになる。魔法学については人それぞれだからなんとも言い難いが一応隔世遺伝でお爺様の血を色濃く継いだこの子にとって魔法学は学ぶことが義務付けられたものだ。
ちなみに私は、お爺様の血は出なかったお陰で魔法学は知識としては入っている。
「久しぶりに帰ったのです。少し休みなさい」
そう言って私とそしてフィリップの髪を梳く母に私は頷いた。
だが、実際には私にはそんな時間は残されていないのだ。
「母様・・・いえ、バーミリオン夫人・・・お話が」
「ダメよ。今は、後でじっくりとお話をしましょう。」
母が毅然とそう告げる時、私もそしてもういない父でさえも逆らえないのだ。
“はい”とそう返すとフィリップが私の手を握った。
「あっ姉上。ぼくもっと姉上と話したい事がいっぱいなんだ。後教えて欲しい事もあるんだ」
今日は一緒に寝よう。
そう続けられた言葉。
父を病で亡くした後に彼は一人で眠れなくなってしまったのだ。母を伺えば母も痛ましそうに弟を見つめている。
「・・そうね」
本来なら10歳にもなって姉とベットを共にするというのはあまり良い事ではないとわかっている。
でもそれでもこの子を思えば、私はつい頷いてしまった。
普段王城に勤めている私は、なかなか領地に戻ることはない。私に代わり領地の管理を代行している母は、弟に構ってやれる時間も少ないのだ。
それに、私は明日にはこの家を出るつもりなのだ。
今夜ぐらいこの小さな命を感じて眠ってもいいのかもしれない。
「やった」
「もう、シルヴィはフィーには甘いのだから。そう言う所はあの人にそっくりね」
「父上ほどではありませんよ」
「いいえ。そっくりよ」
「そうかしら」
「そうよ・・無茶ばっかりで。でも優しいあなたが心配で心配で・・・とにかく、今日は、もうゆっくりしなさい」
「はい」
そう応えた後に私は久方振りに本当の意味で休めることになったのだ。
ーー
母の言葉に従ったおかげか、久方ぶりに帰った自身の生家に気が抜けてしまったらしい。
本当にそんな気なんてなくてもいつの間にか眠ってしまったのだ。
見覚えのあるベットの天蓋には小さな頃に書き込んだ星座がある。
日頃の不摂生が祟ったとしか言えない。
うん・・でも、だれでもいいから起こしてくれてもよかったのではないだろうか。
目が覚めれば真っ暗って。----それはないだろう。
「お嬢様・・・お目覚めですか?」
「め・・メアリー。今は何時なの?」
「そうですねー・・お嬢様がお眠りになってから約15時間ほど経ってますね」
「そう・・えっジュ・・15って嘘でしょう」
「残念ですが、真実ですよ。はい・・お目覚め用の紅茶ですよ。どうぞ」
「15って・・・出立は今夜だったのに」
「お嬢様が目を覚まさないと号泣されたフィリップさまを置いて、心配で真っ青になられながらも気丈に振る舞い医師を手配した奥様を置いてですか?」
「ごめんなさい・・・」
「よくお休みになられて下さりよかったです。医師からは、自然に目を覚ますま待つように言われてますので」
「ホーロン先生まで呼んだの?」
「はい。ホーロン様と父の診たてと寸分の違いがなかったのでそのまま寝かせておくことになりました」
「そうなの」
「紅茶が冷めちゃいます」
「あぁ、そうね・・・」
部屋を満たす香り高いそれを口にすれば自然に思考がやっと周りだす。
私はこの後に何が起きるのか知っている。
私の暗殺だ。
私が隣国に向かうための馬車が事故を装われて襲撃を受け殺される予定。
だけどズレが生じているこの世界で私はどこまでコレが真実に近い未来なのか判断できないでいる。
この記憶通りに進んでいれば、まだ予測できた相手ももうできない。
新たな物語がはじまっている今、手を打つ事もまた慎重にならずにはいられないのだ。
私の判断ミスでもしかしたら家族にまで害されるのではないだろうか。それとも伯爵位を奪われてしまうのかもしれない。
見えない未来。
見えてしまった未来。
どちらも同じ未来であることに変わりない。
なら守るべきものもまた変わらないのだ。
「さて・・・しっかりと休ませてもらったし・・始めるわよ。マリー」




