時間がありません。
自身の髪が藍色に変わった。髪も瞳も同じ色である事に少しだけ懐かしさを覚えたのは前の記憶のおかげだとろう。黒髪に黒い瞳を持っていた頃。
もうだんだんとおぼろげになって来ている記憶は、私の中では特別なモノになってきている。
そうこの世界の情報を少しでも思い出せないか、そればかり考えていた。
シルヴィア自身の領地は王都より馬車で4日程だ。バーミリオン領に近づきだんだんと海の香りがそこかしこから感じられるようになって、揺れる馬車にマリーと一緒にいる。
久しぶりに帰るそこにはシルヴィアの大切な人達がいる。そう私の大切な大事なたからもの。
「お嬢様、もうすぐリーベルアですよ」
「そうね」
リーベルアは、バーミリオン領の中で最も大きな港街であり、バーミリオン領の中心に存在する街だ。
外交に一目を置かれる当家は、この国の要と言っても過言じゃない。
たくさんの人間とたくさんのモノがここを起点に国中を周るおかげで公道はは良く整備されているしなによりも活気がある港街だ。
ここが私の大事な人たちがいる場所。私がシルヴィアになったあの日からどれほどの時間が経っただろうか。
「そう・・・母様は、お元気かしら?」
「はい、お嬢様は覚えていらっしゃらないかもしれませんが、お倒れになられた時に一度王都までいらしてたんですよ。嘆き悲しむ奥様は、それはもう今にも倒れそうでした。泣きながらもあなたの手を握る姿は言葉にできない程です。・・・私もそして侍女長も共に涙を流した程でしたよ。」
「そう、なの」
「やはり覚えていらっしゃらないですよね。お嬢様は瀕死の重体で、なのにあの最低王子のおかげで治療師には治療をお願いできませんでしたから私もお嬢様の回復をどれだけ旦那様にお祈りしたか。あんなのもうごめんですからねっ」
「そうだったの?」
「はい。あの時にはもうたとえお嬢様に嫌われてもいい、恨まれてもいいからこの無念をはらしてやりたいと、あのくそ王子とアカリ様を殺してやろうかと何度も考え実行しようと」
「実行しなくてよかったわ」
確かに霞む記憶の中に美し顔の母を見たような。
シルヴィアが似ているのだが、なんというか、シルヴィアをより儚く華奢にしたような感じの母である彼女は、隣国宰相の双子の妹君だったりする。
あの頃は、熱と痛みでいつ死ぬかという状況で、しかも脳も未だかつてない情報量というかもう一人の人生を受け入れるのに必死だった。
シルヴィアという新な生を受け入れたおかげで私のなかに新たな知識と価値観が生まれたことは、良い事だったのかそうでないのかな判断しづらい所だ。
そう言えばいち辺境伯である父がどうやって母と恋におちたのかは知らない。貴族社会では天変地異的な確率で軌跡を起こして母と父は結ばれたとそう聞いているし、なによりも父はバーミリオンである故に出来たと豪語していたから、何をどうしたかは聞いてない。
それでもこの国でも有数の大きな輸出港であり輸入港である伯爵領は、たくさんの人と物が行きかっていて、活気に満ちていた筈だった。
「もうそろそろ領内に・・・って」
そう・・とても活気に満ちているはずのそこには、いつもなら入領に2時間はかかる長い列がある筈が、目の前にあるのは、数名の行商人たちの列だけであった。
一流の商人というのはとにかくとんでもない性質を持っている。
そう言っていたのは父だった。
元は商人だった母の生家であるルーン家の成立ちを知るなら最も早いからと父に行商見習いに出されたのは、私が6歳の事だ。
なかなか非常識な父のそんな破天荒さもさることながら、私もまたその非常識さが大好きだった。
父と仲の良い商人たちと一緒に私はたくさんの世界を知った。
そしてなによりその情報収集力の高さ、其処から考えられる人々の需要物資の予測をどう活かして商いを成功させるのか、交渉術というのはなにをどう行い会話の中で自身の知りたい事を相手から引き出す方法、そして最終的に自分の欲しい結果を相手に呑ませる術を手に入れる事が出来たのは私にとってはとても幸福な事だった。
此処はたくさんの物流と共にたくさんの情報も集まる場所であった。
商人というのは、とても賢い人間だ。
彼等はもう気づいているのだ。この国が傾き・・いやもう滅亡の危機にまで陥っている事に。
このままじゃいけない。時間はもうあまり残されてはいないのだから。
ーーーー
屋敷の外観は、貴族らしい家。
その立派過ぎる家の中が異常であることを知るのはそこに働くものとその主人と家族だけ。
マリーと共に帰ることができた。
そう帰るという言葉が一番自分のなかでしっくりくる感覚だったことに安堵したのは誰にも言えない秘密だ。
思い出せる家族の記憶。
“お帰りなさいませ”そう最初に言ってくれたのは、やっぱりマリーで“ただいま戻りました”とそう返せば父が幼い頃からこの家に仕えてくれている家令の爺が私に礼をしてくれた。
白銀の髪は美しく整えられ黒衣のバトラー服は見事なまでに皺も汚れもない。
「ただいま。セバス」
「おかえりなさいませ、お嬢様。ご無事の御帰り心よりお喜び申し上げます。マリー、お前も伝令はもう少し早く送りなさいといつも言っているだろう。」
「はーい。父上」
「マリー、今は仕事中だ。私の事は」
「はい、セバス様」
しょうがないという風にため息を吐きながらもそれでも所作美しく、彼はもう一度礼をくれた。
「どうぞ。ルーシェ様が首を長くしてお待ちしておりましたよ。そしてフィリップ様も」
セバスチャンが家の扉を開ければ、数名の侍女たちが私に礼を尽くしそしてどこか異国風に調えられたその家の調度を久方振りに目にした。
午後の淡い光を背に受けて、エントランスの中央に、かつてら深層の令嬢だった母が藍色の瞳を涙で濡らしながら立っていた。
「母上ぇ」
なぜかわからない。それでもその姿をみた瞬間私は、女伯爵でもなくラピスでもなく、只の子どもに戻っていた。
「あらあらあら」
ほんわりと微笑んだその人が細い腕を広げてくれる。
一歩一歩歩く速さがだんだんと速くなりたった数メートルを走って飛び込む。
そして柔らかな腕に包まれた時にはもう私は、小さなシルヴィになっていた。
「おかえりなさい。私の天使」
「は、い」
いつも止めて欲しいという恥ずかしい呼び方も今はもうどうでもいい。
もう2度帰れないかもしれなかったその腕に私は、戻れたのだ。
「ただ ・・・ただ今戻り・・ました」
「そうね、やっとね」
「はい。母うえ」
やわらかく温かい腕、懐かしい百合の香り。
母だ。
「どうか、泣かないで。私のかわいい子」
「ご・・めんなさい」
「何が?」
「ごめん・・ごめんなさい。私・・わたし」
「大丈夫。大丈夫よ、シルヴィ。あなたが何をしに帰ったか母は分かってます。」
あなたが決めたなら私は、貴方の味方よ。
そう言って細い腕で精一杯抱きしめてくれる母は、やはりルーン侯爵の血縁だったのだ、と自覚するのはそれから4日後のことだった。
 




