第五話
シーボルへと向かう二人の旅人が街道を歩いている。
この世界でごく一般的な布の服を着ており、その上から急所を守るように革の防具に身を包んでいる。肩からは鞄を掛け、腰には自衛用の剣。そこには、すっかりこの世界に馴染んだ正義と和己の姿があった。
このコーディネートはもちろん、テイルセントとリリーアフトによるものである。この世界の一般的な旅人の服装という注文に完璧に応えているあたり、はやり優秀な執事とメイドであった。
ただ一つ違うとすれば、煙を吐き出している腰に付けた道具の存在であろうか。この道具は魔除けの香を焚きながら移動できるよう、テイルセントが考案、作成した道具で、自らもシーボルへの買い出しの際に使用していたということもあり、魔物に対する安全面は保証済みと二人に説明していた。
人間である盗賊は大丈夫なのかと言う和己の質問には、テイルセント曰く「ここから南には大きい町がないため、この街道は人通りがほとんどございません。ですので、盗賊がこの付近に現れたという話は、少なくとも私がここで住んでいる間は耳にしたことがございません」とのこと。
そんな比較的安全な旅路であるということもあって、和己は屋敷を出発してからこちら、この世界に来てから度々覚えることがあった違和感の正体を突き止めるべく思案していた。そして出た結論は……
「(こっちにきてから心身共に強化されたってことなんやろな)」
であった。
和己がまず、森の中で感じた違和感。それは裸足でも特に違和感を覚えなかったことである。
違和感を覚えなかったことに違和感を覚えた。字面にすると変な感じではあるが、一般人が普通、森の中を裸足でうろつけば、いくら靴下を履いているとはいえ、普通は歩きづらいと感じるものであり、そして、30歳そこそこのおっさんは間違いなく一般人である。
それなのに、ほとんど違和感を感じることなく歩け、ましてや熊から全速力で逃げだせた。普段の正義であれば、靴がないことに全力で文句という大弾幕を垂らして抗議している場面であるというのに、それすらも全くなかったのがいい証拠である。
さらに、お腹の空き具合や喉の渇きも同様で、和己は現状を判断し我慢するという行動をとるが、デブの正義にとって飲食は命よりも重い。
さすがに屋敷でご馳走になったときは、正義が正義たるゆえんを遺憾なく発揮しているようであったが、それまでは気振りも見せていなかった。おそらく内臓系も強化されているのであろう。
そしてなにより、和己自身が身体強化の恩恵をひしひしと感じた出来事――触手執事戦である。
本来、あの速度で振り回されている触手と相対すれば、和己は反撃の機会もなく無残に切り刻まれていたことであろう。
それが、防戦一方ではあったものの、曲がりなりにも戦え、しかも勝つことまでできた。
さらに、映画ですらビビって竦んでしまいそうな容姿をもった化け物相手を、キモいの一言で片づけることができたのは、精神的な強化もあったのだろうと和己は推察していた。
極めつけは、戦闘後の傷の治りの早さである。そう結論付ける以外の選択肢はなかった。
「まぁ異世界特典がマサだけに付いとったわけちゃうってことか」
「ん? カズどしたん? そんな鳩が豆鉄砲食らった隣でリストラされて悩んでるサラリーマンみたいな顔して」
「いやそれ鳩関係ないやろ……別になんもあらへんよ。相変わらずデブやな、なんて思っとらんよ」
「お、俺のデリケートゾーン急に刺激してくんのやめてくれへん!?」
「ほな痩せろや」
「それとこれとは関係ないやろ!」
「いや思いっきり直系で繋がっとるわ。一親等や一親等」
「俺のことは馬鹿にしても、両親のことを馬鹿にするのは許さんぜよ!」
「馬鹿にされとうなかったら、働けや」
「キィイ! ああ言えばこう言う!」
「そんなことよりほれ、目的の町が見えてきたで」
和己はそう言って、次の目的地を指差した。
二人は無事シーボルへと到着するのであった。
シーボルの町はそれほど大きな規模ではなかった。
ただ、周りの大きい町同士を繋ぐ中継地点としての要所にはなっているようで、それゆえ食材の種類が豊富であるとは、リリーアフト談である。
だからなのであろう、衛兵が少ない割には大きな馬車がよく通るため、1台の馬車にそれほど時間も掛けられず、検問もさほど厳しくないようであった。大きな馬車でもその程度なのだから、旅人の二人に対しても、特に厳しく問いただすような場面は……
「なんだこの腹は! それでも旅人か!」
「初対面やんね!? 俺ら初対面のはずやんね?!」
……なく、無事、町の中に入ることができたのであった。
「さて、まずは宿の確保からやな」
「……そんなにデブはあかんのか……俺かって別に好きでこうなっとるわけちゃうのに……そこに食べ物があるのが悪いのに……」
「おい、わけ分からんこと言うとらんと、はよ探すで。あ、すんません。ちょっとお尋ねしたいことが……」
宿屋はすぐに見つかった。なぜならこの町には2件しか宿屋がないからである。
一方が高級宿ということもあり、二人は必然的にもう片方の宿屋に泊まることとなった。
一泊朝夕食付きで一人5000円、まぁ妥当なところであろう。
そう、5000円なのである。なんとこの異世界は円表記であった。そして当然のことながら、元の世界の1円は、こちらの世界でもほぼ1円の価値があり、二人は金銭感覚がマヒすることもなかった。
正義曰く「本当は違う単位なんかもしれんけど、異世界クオリティで俺らの認識が円表記になってるだけなんかもなぁ。まぁテンプレといえばテンプレやな」ということらしい。
正義の発言を証明するかのごとく、確かに貨幣単位は円ではあったものの、紙幣は存在せず、全て硬貨となっていた。さすがの異世界クオリティも物質的な認識変換まではできなかったようである。余談であるが、お金はある程度テイルセントから貰っているので、当面困ることはなかった。
「そもそもこの世界には、福沢諭吉も樋口一葉もおらんしな。そこはしゃーないか」
「でも、カズのそばには香坂正義がおるで!?」
「豆腐の角に眼球ぶつけてはよ死んだらええのに」
「生きる!」
部屋の中に入った二人は、今後のことを相談し始めた。
「で、とりあえず、俺らの第一目標は元の世界に戻ることや。にもかかわらず、現状手掛かりどころかそれらしい情報は一切ない。当たり前やな。俺ら屋敷しか知らんもんな。だからや。この町でその情報を集めようと思う。そこで登場するんはマサ、お前のテンプレや。なんかないんかい」
正義は和己に聞かれ、額に手を当てながら考える。
「そやなぁ。テンプレでいうと大体主人公は図書館とかにいくな。あるかどうか知らんけど。この世界の書物関係が貴重やいう線もあるし」
「まぁその辺は大丈夫やろう。宿屋に記帳したときも品質はそれほどでもなかったけど、普通に紙やったしな。他にはなんかないんかい」
正義は和己に聞かれ、二重あごに手を添えながら考える。
「あとは……情報いう話やったらやっぱり冒険者ギルドとか商業ギルドやろか? これもあるかどうか知らんけど。大体そういうところに、冒険者登録や商業登録してチート街道まっしぐらっていうのがテンプレやな」
「なるほど……ほな、一旦冒険者ギルドとかは置いといて、まず図書館的な建物がないかどうか探すで。で、あったら……何関係を調べたらええんや?」
正義は和己に聞かれ、三段腹を手で摘みながら考える。
「ん~……以前に勇者的な人がこの世界に来てるかどうか、からちゃう? で、その人らが最期どうなったか。もしこっちで一生終えてたら……」
「ああもうええもうええ。それ以上言うな。そしたらとりあえず、伝承関連からやな」
「あとはおとぎ話的なやつな。ああいうの意外とあなどれんで! ってテンプレでは言うてたで!」
「じゃぁまずは図書館で伝承、おとぎ話関連を調べる。で、その次は冒険者ギルドか商業ギルドやな。登録するかどうかはさておいて、あるかどうか確認して、あったら中の人間に情報聞くって感じやな」
和己の提案に正義は、脂肪を震わせながら勢いよく答える。
「情報と言えば酒場もあるな! ただこっちは酔っ払い相手になるからなぁ」
「まぁそこは後回しや。とりあえず図書館探すで! ……しかしあれやな」
「ん? なんやねん」
「マサお前、こっちきて初めて役立ったな」
「熊倒したん俺やで?!」
正義は必死に和己の誤解を解いた。
二人は早速、図書館を探し始めた。結論から言うと、すぐに見つかった。ただし利用するには1回1万円の費用がかかると聞きびっくりした二人であったが、よく聞くと退館時に特に問題がなければ、返却してもらえるとのこと。いわゆる保証金である。早速利用する二人。
「まずは伝承、おとぎ話関連や。正義任せた。俺はこの周辺の地理と魔物の情報を調べとく。これから先、絶対に必要になる情報やしな」
「あいよー」
それから二人は図書館に通い続けた。そして、通い続けたなりの情報を手に入れることができた。
まず、正義が調べていた伝承関連についてであるが、そういった伝承、おとぎ話は幸い存在した。が、どの物語の主人公も皆おそろしく強く、例えば、当時この世界を恐怖のどん底に突き落とし、魔王と恐れられていた暴君を倒したり、誰も討伐することのできなかった魔物を屠ったりと、一騎当千の活躍をしているようであった。そして、そういった者達は、ある日こつ然と姿を消すというのが伝承やおとぎ話の通例であった。
「なんやそれ。そしたらあれかい。元の世界に戻る条件って、この世界で活躍すること言うんかい」
「一応、そういう話になっとったな~」
「俺とお前で? 活躍? できると思う? いや、聞かんでも分かる無理やろ」
「そこはほら、俺の膝爆弾でパーン! とやな」
「というか、そもそも活躍ってなんやねん。俺も色々調べたけど、今この世界めっちゃ平和やで?」
「恐怖の大魔王とかおらんの? 世界の半分くれそうな奴」
「魔王どころか戦争すらないみたいやで。宿の店主や宿泊客にも何気なくこの世界の情勢とか聞いてみとるけど、そんな話、煙すらあらへん」
「まじでか……と、とりあえず、伝承関連は今んところこんな感じやったな」
「前途多難やな……まぁもう少し調べといて。次は俺やな……」
和己はまず地理について調べていた。
まず、この国はマキール王国という国であること。周辺諸国は北にダーン王国、西の海を越えた先にカートゥン公国という国があるのみであった。南は小さな村をいくつか越えた先に港町があるだけで国はなく。東に至っては、一面広大な森――アブリアス樹海が広がっており、国どころか村すらほとんど存在しないという。
これでは確かに、誰もあの森を抜けようと思わないのも納得である。
国内に関しては、現在位置のシーボル周辺にも、そこそこ大きな町や村が合わせて3つあり、シーボルから北にいくつかの町を越えた先に、王都マキールという首都のような場所があることが分かった。
「まぁ地理でいうとそんなところやな。ほいで、魔物に関する情報なんやが……正直あほらして覚える気にもならん」
「どういうことなん? 図鑑みたいなんはあったんやろ?」
「いや、確かにあるにはあったんやが……ああ、うん。としか言えん。とりあえず、これ見たら分かるわ」
と、言い和己は一冊の魔物図鑑を正義に見せた。
そこには魔物が確かに描かれているのであるが、知識として覚えるには膨大過ぎる種類の魔物が載っており、それらを全て覚えようとするのは、国語辞典を丸暗記する行為とさして変わりなかった。
しかし、それよりももっと根本的な問題がこの魔物図鑑にはあるようで……
「とりあえず今分かるんは、初日に襲われた熊の名前くらいやな」
「なんていう名前やったん?」
「……ケッコウツヨイクマー」
「……は?」
「だからケッコウツヨイクマーや! 嘘やと思うやろ? 俺も最初目ぇ疑ったわ! でも事実なんやからしゃーないやろ!」
見ると魔物図鑑には確かに「ケッコウツヨイクマー」と書かれており、描かれた魔物も確かにその姿であった。
「魔物の説明やけどな。結構強いって書いてあったわ。うん、子供にも分かりやすいほんまええ図鑑やな……ってあほかっ!」
自分のノリツッコミが終わったタイミングで、思わず魔物図鑑を地面に叩きつけようとするが、すんでのところで踏みとどまる。
「……ほぼ全てそんな感じやから。悪いけど覚える気にもならん」
「うっわぁ~確かにこれは酷いな……おそらくやけど異世界クオリティで日本語化された時に、変な感じに翻訳されてもうてんやろなぁ。お、カズこれ見てみ、これなんて凄いで。コノヨデイチバンサイキョーンやって」
「もうええ。これ以上見てたら、ほんまに我慢でけへん。悪いけどそれ元の場所になおしといて。もう表紙見るんも嫌や」
「しゃーないなぁ~今回だけやで?」
そして、魔物に関しては調べることを一切諦め、今後は伝承、おとぎ話関連の調査に専念することに決めた二人であった。
和己達は図書館に通いながらも、合間に時間を見て、この町の色々なところに赴いていた。
その中に冒険者ギルド……ではなかったが、この世界では狩人組合という、いわゆる魔物関係専門の仕事を斡旋している組織が存在することが分かり、そこにも顔を出していた。
現状手元に、当面困ることのない額のお金を持ってはいるものの、いつ元の世界に戻れるか分からない今、お金の稼ぎ方というのも学んでおく必要があると思ったからである。
この世界の基本的な稼ぎ方であるが、ほとんどの者は定職に就くようであった。鍛冶屋、道具屋、食堂など、主に店を構えて商売をしている人達がそれに当たる。腕に覚えのある者や武の才能がある者でも、無駄に命をひけらかすことはなく、やはり大半は町の衛兵や貴族お抱えの私兵などとして雇われる道、つまり定職を選択するのであった。
しかし、その中でも更に一部の一攫千金を狙う命知らず共が、狩人組合の門を叩くのだと受付の人は、二人に説明していた。元の世界で言えば、前者が会社員で、後者はフリーランスといった位置付けであろうか。
和己達には当然、この世界で会社員という選択肢は無いため、必然的に狩人となるのだが、受付の説明を聞いた段階で「どうすればお金を稼げるか?」よりも「いかにして消費を抑え、現状の元手を消費しきるまでに元の世界へ戻るのか?」という考えに瞬時にシフトしたのは言うまでもない。
ちなみに証明書代わりになるかと思い、狩人登録だけでもと考えた二人であるが、そもそもそういった制度すらなく、なぜと聞いてみれば「荒くれ者が多い狩人がそんな制度守るわけないじゃないですか。あの人達は好きに狩って、好きに儲けて、好きに死んでいくんです」との返事が返ってきた。ある意味格好いい生き方だと二人は感じる一方で、絶対に狩人にはなるまいと固く決意するのであった。
他にも知識チートを用いての商人という選択肢を正義が提案してきたが、商人をするには元手と時間、なにより情報が必要であり、一刻も早く元の世界に帰りたい和己達にとって、それは目的と手段が入れ替わってしまう行動以外の何者でもないため、その提案を和己は却下した。
他にも鍛冶屋、道具屋、食堂、酒場などなど、数々の店を見たり入ったりして相場の調査をしたり、食事に舌鼓を打ったり、酔っ払いに絡まれたりと、なかなかに多忙な生活の日々を送る二人であった。
そんな日々を送る中で、和己にはある一つの能力が備わっていることに気付く。それは……
「おいマサ。なんか変なことできるようになっててんけど……これなんやとおもう?」
そう言うと、和己は手元にあるジッポライターを瞬時に消したり、また出現させたりしている。その様子を目の当たりにした正義は目を見開き、見開いた分、額にシワを寄せながら和己に近寄り問い詰める。
「お、おい! それはまさか……ち、ちなみに消した状態で持ち運べたりするんか?!」
「まぁ別に消した状態で動くぐらい特に問題あらへんけど……それより何そんなに興奮して……って近い近いキモイっ! ちょ、ちょっと落ち着け! 一体これがなんや言うねん!」
「キ、キモッ!? ま、まぁええわ……それよりもや! これが落ち着いてなんておれるかい! カズ、それはな、テンプレとしては標準の、しかし、今の俺らにとっては垂涎のスキルなんやで!」
正義は鼻息をフーフー鳴らしながら興奮のあまり和己に近づきすぎ、拒否からの罵倒コンボの反撃を食らい、若干ショックを受けながらも自分を奮い立たせ説明を続けた。事の重大さが全く理解できていない相方に苛立ち半分、そして、スキルの発現に嬉しさ半分という感情を表現した正義の表情は一周回って真顔であった。それでもキモいと罵られる正義はさすがと言えよう。
「そのスキルはな!」
「そのスキルは?」
「テンプレチートスキルの一つ! その名もアイテムボックスや!」
「な、なんやってー」
「あ、あれ? そんな驚いてないやんか」
「いや、薄々そうやろなとは思てたから……」
「思てたとしてもそこは盛大なリアクションするところでしょうが!」
そう、和己はいつの間にかアイテムボックスを取得していたのであった。
正義は和己のあまりのリアクションの無さに憤慨しながらも、一旦気持ちをリセットし仕切り直す。
「ご、ごほん! と、とにかくや! カズこれは凄いで! チートへの第一歩かもしれへん!」
「どういうことや?」
「とにかく問題は容量や! 容量はどんなもんやねん! それ次第では商人チートも夢やないで!」
「えっとやな……ジッポと……」
「うんうん! ジッポと?!」
「……だけやな」
「……は?」
しかし、容量は極端に小さいようであった。
結局、アイテムボックスにはジッポがギリギリ入る容量しかなかったようであり、和己は仕方なく、そのままジッポをアイテムボックスに入れておくことにするのであった。
「おいマサ。これのどこがボックスやねん。小物入れにもならんわ」
「それでも使われへんよりはましでしょうが! なんでテンプレも知らんカズがそんなん使えんねん!」
「いやでもジッポサイズやで? 何の役に立つ言うねん」
「それはやな!」
「おうそれは?」
「あれや……ほれ……」
「おうだからどれや?」
「……マ、マジックとか?」
「この世界魔法はどうか知らんけど、不老不死の呪いはあるんやで?」
「ぐ、ぐぬぬ……」
「まぁ使い方はおいおい自分で考えるわ。しかし、ホンマいつの間に使えるようになったんやろ?」
「ん~テンプレ的に言えば、図書館で読んだ本の中に、そういうスキル本があったとか? になるんかなぁ……ま、まさかあの魔物図鑑が?!」
「それは絶対にない」
結局、どのタイミングで覚えられたのかは、謎のままであった。
シーボルへ到着してから丁度一週間が経過した。そして二人は……
「なんでやねん!」
「スマイルか!? 俺のスマイルが悪かったんか?!」
なぜか投獄されているのであった。