第三話
その屋敷は2階建で決して豪華な建物ではないのだが、白い壁と焦茶色の柱のコントラストが映える、しっかりとした造りの木造建築であった。
洞窟を抜けたすぐ横にその建物が建っていたこともあり、二人は洞窟内から屋敷の様子を窺うことにした。
そしてしばらくすると、庭にメイドらしき姿が現れた。どうやら庭の花壇に水をやりに来たようである。
「まじかいな……」
「…………」
そのメイドと思われる人は、遠目で見ても分かるほどの美貌を誇っていた。パッチリとした目。その上には、弓なりに整った眉毛。スッと通った鼻筋の下には、バランスの良い魅惑的な唇。そして、艶のある金髪は後頭部でまとめてられているため、そのせいで、各パーツが更に強調されており、結果、彼女をより美しく見せていた。正直、元の世界でもテレビでしか……いや、テレビでも見たことがないようなレベルであった。そして、なにより一つ一つの所作が美しかった。
そんな世が世なら国が傾きかねない美人を目撃したおっさん二人は、その容姿に当然のことながら絶句し目を奪われた。特に正義の絶句具合は酷く、目に至っては逆にハイライトが消えている有様であった。
しばらくの後、やっとのことで強奪された目の奪還に成功し、我に返る二人。
「あ、あれってやっぱりメイドさんなんかな?」
「にしては、ちょっとでたらめ過ぎる容姿やけど、服装からいっておそらくそうなんやろうな……」
二人がメイドではないかと判断した材料。それは元の世界で、いわゆるメイド服と呼ばれていた物を彼女が着ていたからであった。といっても、某電気街で流行っているような萌え萌えなメイド服ではなく、動きやすさと女性らしさを追及した結果、上品さも併せ持つことに成功した、機能美溢れる本格的なメイド服の方である。
「こっちの世界でもメイド服ってあるんやな……」
「どうする? 見た感じメイドっぽいし、話聞くだけなら、大丈夫ちゃう? なんせメイドっぽいんやし!」
「なんやねんそのメイドに対する絶対の信頼感は。そんなもんわからんやろ。とはいえ、ここでぐだぐだしてても埒あかんのは事実や。話してみて嫌な予感がしたら即逃走でええか。問題は日本語が通じるかどうかやけど……」
「テンプレ的には、その辺りはクリアーできてるはずやで!」
「ほんまかいな。お前のテンプレはいまいち信用でけへんねんなぁ……」
そんなことを言っていると、屋敷から執事っぽい人が更に現れ、メイドっぽい人と会話をしている。
こちらの年配の執事っぽい人は、白髪のぴっちり整えられたオールバックの髪型に、凛々しい眉毛、優しそうな眼と口、美しい立ち姿、それらが黒のタキシードと相まって、まさにダンディーを絵に描いたような容姿であった。
耳を澄ますと、そんな完璧超人達の会話が薄ら聞こえてくるのだが、どうやら日本語のようであった。それを聞いた二人は胸を撫で下ろし、またここが本当に異世界なんだということを改めて実感する。
「見た目おもいっきり外国人なんやけどなぁ……」
「それが異世界クオリティなんやで」
「そうみたいやな。ほな、もうちょい様子見して、向こうの会話が一段落したら声掛けるで」
「第一異世界人との初接触。なんかドキドキするな……カズもしかしてこれが恋いうものやろうか」
「そやな。そうやとええな」
「……ちょっとこっちきてからの扱い雑すぎひん?」
「これでもだいぶリアクションしとる方やと思うけど?」
二人はそんなどうでもいい会話を繰り広げていると、いつの間にか執事っぽい人が屋敷内に戻っていたようで、メイドっぽい人が一人庭に残る形となった。
二人は意を決してメイドっぽい人に近づき話かける。
「あのぅ……すんません」
「はい? あらこんなところに人が来るなんて珍しい。どうかされましたか?」
「実は俺ら……」
「メ、メイドさんでしょうか?!」
「え? え、ええ。確かに私この屋敷でメイドとして仕えさせていただいておりますが……」
「うっほ! やったー! 本物やあー! なっまメイド! ほっれ! なっまメイド! やっれ! なっまメイド!……」
横から急に割り込んできた正義の質問に、メイドはうろたえながらもなんとか答えることができたものの、次の回答を聞き興奮して披露した正義の、血沸き贅肉踊る即興の生メイド音頭には、さすがのメイドも顔がひきつっていた。
「ほんますんません。あれは一種の病気みたいなもんやさかい。今はほっといたってください。それよりも、俺ら森から洞窟通って、ここまできたもんなんやけど。ちょっと道に迷ってもうて……できれば最寄の町がどこにあるんか、教えてもらえへんかなぁ思てんねんけど……」
「え?! あの洞窟を通ってこられたのですか?!」
「そうやけど……なんかまずかったですか?」
メイドはその美しい碧眼を見開いて驚愕した後、二人の姿をじろじろと、まるで何かを見定めるかのような視線を走らせた。
和己はその様子に怪訝な表情をし、聞き返す。
「あ、いえ。決してそういうわけでは! むしろその逆でして……ああ、とうとうこの日がやってきましたのね……旅人様、申し訳ありませんが、ここで少々お待ちいただけますでしょうか?」
「ええ! 生メイド様の言うことなら喜んで!」
「(なんやなんや急にこのメイド興奮しだしたで……)」
メイドは急に天を仰ぎだしたが、それは落胆ではなく、むしろ喜びを噛みしめているようであった。
その後、居住まいを正し、二人に懇願するや否や、急いで屋敷の中へと入っていった。
そんなメイドのお願いに、正義はちゃんと内容を聞いていたのかどうかすら怪しい早さで快諾した。今ならおそらく連帯保証人にもホイホイサインをすることだろう。
「大変お待たせいたしました。私この屋敷の執事を承っております、テイルセントと申します」
しばらくすると、先ほど見かけた執事が再度現れ、おもむろに自己紹介を始めた。
「私共、あなたがたが来るのを、今か今かとお待ち申し上げておりました。詳しい話は後ほどさせていただきますので、ささ、どうぞ中へお入りください」
「ずっと待っててんて! やったなカズ! 善人どころか第一異世界人は俺らのファンやったで!」
「いやいやいや、こないに歓迎されとる意味がまず分からんし、どう考えても正直めっちゃ怪しいやろ!」
「でも生執事さんと生メイドさんやで!? 大丈夫やって!」
「だからさっきからなんやねんその安心と信頼の実績は。はぁ……まぁこの世界の情報が欲しいのは事実やし……聞くだけ聞いてみよか」
正義は執事の言葉を全身全霊で受け止め舞い上がる。それはもうフワッフワであった。デブなのに。
そんな正義とは対照的な和己は、警戒心マックスながらもこの世界の情報を教えてもらえるのならと、迷いながらも屋敷への招待を受け入れた。
「ささ、どうぞこちらへお座りください」
二人は高価そうな置物や陶器が飾られた、おそらく応接室なのであろう部屋に案内され、ソファーに座るよう促された。そしてテーブルを挟んだ向かい側のソファに執事が座り、メイドはその後ろに控える。
「メイドさんは座らんの?」
「ええ。私は大丈夫です」
「本来なら私もこうして座るような立場の人間ではございませんが、今回はお二方に説明するために、あえて座らせていただいております。申し訳ございません」
「いやいや、むしろ二人とも座ってもらったほうが、こっちとしても気使わんで済むんやけど」
「お気遣いありがとうございます」
和己の提案をメイドは柔らかな笑顔で辞退した。
そんなやりとりの後、まず執事が話を切り出す。
「では改めて自己紹介からさせていただきましょう。私この屋敷で執事として仕えているテイルセントと申します。そして、後ろに控えているのが……」
「同じくメイドとして仕えているリリーアフトと申します」
「小野寺和己いいます。隣のデブは香坂正義ですわ」
「香sっ……ってええ?!」
テイルセントの後に、視線で促され続けて自己紹介をするリリーアフト。
そして、自身の自己紹介の後に続こうとした正義の言葉を遮り、立て続けに併せて自己紹介をする和己。
「で、ずっと気になっててんけど、俺らを待ってたってどういう意味なん?」
「そうですね。まずはそこから説明させていただきましょう」
和己はこの世界の情報が欲しいのはやまやまではあったのだが、まずは先ほどから一番気になっていたことを質問する。
それに対し、テイルセントは真剣な表情で語りだした。
「再度確認させていただきたいのですが、お二方は確かにこの屋敷の近くにある洞窟から出てこられたのですよね?」
「ああ、そうやけど」
「実は我が主様の先祖にあたる人物に、あるご神託を授かった者がおりまして」
「ご神託?」
「ええ。そのご神託の内容なのですが『この地に住む者よ。あの洞窟よりいい歳したおっさん二人が出てきた際には、歓待せよ』といったものでした」
「……ええぇ」
あまりにもはっちゃけたご神託に呆然とする二人。
「いやいやいや、洞窟からおっさん二人が出てくるケースなんて、なんぼでもあるやろ。なんで俺ら二人やねん」
「いえ、決してそう頻発することではございません」
「なんでや?」
「実はあの洞窟の先にある森は、アブリアス樹海という名がついております。ですが、あまりその名前であの森を呼ぶ者はおりません。実はそれよりももっと有名な名前がございまして……別名、迷いの森とも死の森とも呼ばれている樹海なのでございます」
「まじでか……」
テイルセントから聞かされた森の実情に、背筋が寒くなる和己。
「あの森は運だけでは超えることができません。そして、それを知っているものは危険を冒してまであの森を通ろうとも思いません。結果、あの森を抜けてこられたのは、お二方が最初ということになるのです。きっと相応の実力をお持ちなのでございましょう」
「いや、それは……まぁ……」
和己は内心、舌打ちをしていた。まさか洞窟を抜けるだけで実力者認定されてしまうほど、難易度の高い森だとはさすがに想像していたなかった。なんせ完全に幸運によるものとはいえ、昨日異世界にきたおっさん二人が抜けることができた森である。和己がそう思ってしまうのも仕方のないことであった。
そして、相応の実力者であるとテイルセントと名乗る執事に認定されてしまったことに、すぐさま拒否しようとは思ったものの、それはそれでややこしい話になるかと結局、返答の言葉を濁した。この後、面倒事を頼まれる事態だけは避けたいと思いつつテイルセントの話の続きを聞く。
「私共はあのような森を超える実力は持ち合わせておりません。しかしながら、あの森に住む魔物達を寄せ付けない知恵はございました。洞窟を抜けてこられたお二方ならきっと、道中、目にしたかと思いますが、途中に香が焚かれていたと思います。あの香は、魔除けの香と呼ばれておりまして、毎朝、洞窟内で焚くことによって、森からの魔物の侵入を防いでいるのでございます」
「あの香にはそんな役目があったんか……」
和己はテイルセントの発言で得心が行った。いくら洞窟内とはいえ、森の中には変わりない。二人で交互に見張りをしていたのも、心底来てほしくはないと願ってはいたが、おそらく夜中に1匹や2匹の動物……いや、魔物と呼ばれているような凶暴な獣達との遭遇があるだろうと思い、備えてのことであった。しかし魔物との遭遇はなかった。あの時は生きるのに必死で、単なる幸運と切り捨てたが、実はそれ相応の理由があったのである。
結果論ではあるが、あの洞窟内に避難したのは正解であり、そのような洞窟に巡り合えたことは僥倖と言えた。
「というわけでございまして、ご神託通り、我が主共々あなた様方を歓迎いたします」
テイルセントはそう言うと、右手を左胸、左手を背中側の腰に添え深くお辞儀をした。おそらくこの世界での礼儀なのであろう。
「大体の話の流れは分かった。けど、肝心の主さんがおらへんけど、勝手にそんなこと決めてええんか?」
「我が主は現在体調を崩されておりまして……お二方のことはもちろん報告済みですので存じ上げております。この場にいられないことを悔やんでおりましたが、お二方にはどうぞよろしくお伝えしておいてくださいとのことでした」
「さよか。まぁそういうことなら、確かに安静にしとる方がええな。主さんには体に気ぃつけるよう言うといて」
「お気遣いありがとうございます」
テイルセントの話を聞いて、和己はいくつか別の疑問点は残るものの招待されたこと自体に対しては、一応の納得を得ていた。
「さて、話はこれくらいにしておきまして……まずは歓迎の印といたしまして、お二方のお食事などをご用意させていただきたいと思います。」
「食事……そういえば……」
和己はこの段階で、異世界にきてから何も口にしていないことに気付いた。言われれば確かにお腹も減っているし、喉も乾いているのだが我慢できないほどでもない。きっと昨日からの極限とも言える状態の中、食欲の優先順位が下がっていたせいであろうと自身にある違和感を無理矢理納得させる。
当然のことながら正義は、そんな違和感を覚えることはなかった。それよりも……
「……食事!? 食べます! 食べます! いただきます!」
「おいデブ! 今寝てたやろ?!」
「え?! ぜ、全然寝てへんよ! こんなところで寝るわけないやん! やだなーカズったらもうー!」
「……ならなんで洞窟にお香あったんか言えるか?」
「それはほら、あれやん……」
「おうなんや、言うてみぃ」
「い……」
「い?」
「い、一種の魔除けやな!」
「……ちっ!」
「セーフ!」
「あっ?」
「いやなんでもござんせん!」
ギリギリのところで冴えわたる正義。九死に一生を得た瞬間であった。
「と、とにかく食事やで! 食えるときに食わんと体もたんで!」
「……それはそうやな。ありがたくいただこう」
「どうぞ、お召し上がりください」
「こ、これを二人が?」
「ええ。と、言いましても殆どはリリーアフトによるものでございますが」
「す、すげぇ……」
肉料理、魚料理、スイーツと……二人の目の前に用意された、それはそれは豪華な料理の数々。
勿論二人ともこのような料理は元の世界でも食べたことがなかった。
「この辺は魚料理もあるんか?」
「ええ、近くの町に魚を卸しにくる業者がおりまして。新鮮な魚介類を購入することができるのでございます」
舌鼓を打ちながらの和己の質問に、メイド兼料理人のリリーアフトが答える。
「うめぇ! うめぇ! オラこったらうめぇもん食ったの初めてだぁ!」
正義は興奮のあまり出身地が若干北寄りに変わってしまっていた。
食事をとりながら久々の平和な時間が過ぎていった。
「それではお二方のお部屋にご案内いたします」
そういって、リリーアフトが二人の部屋に案内する。
そこは二対のベッドがある広い部屋であった。
ベッド自体も大きいのだが、それを感じさせないくらいに広い部屋。破ったり壊したりしたらおそらく一生ここでタダ働きをすることになるであろう高級品の数々に、二人は若干恐縮する。
「ごゆっくりお過ごしください。私、紅茶とお着替えの準備をしてまいりますので」
「え?そんなことまでしてくれるん?」
「ええ。ご神託通り歓待させていただきますね」
リリーアフトが満面の笑顔で答え、そして、部屋を出て行った。
二人は繊細な装飾が施された明らかに高そうな椅子に腰を掛けて話し合う。
「さて、これからどうするかやな」
「どうするって?」
「今はあの人らの言葉に甘えるとしても、いつまでもここにおるわけにもいかんやろ?」
「え? ……あっ! せ、せやな!」
「……ずっとおるつもりやったんか」
「そ、そんなこと思ってないで!」
「はぁ……とりあえず、なにより元の世界に帰る方法を見つけるんが最優先事項や。お前がどんだけこの世界を楽しみとうてもここだけは譲れんで?」
「わかっとるわ。俺ももう熊に襲われたないし……」
「とりあえず、一番近くにある町でも聞いて、そこで情報収集やな」
「ほほーい」
そんなことを二人で相談していると、リリーアフトがティーワゴンを押してやってきた。よく見ると、上下二段に物を置けるスペースがあり、上段が紅茶セット、下段には二人の着替えを乗せている。
「お着替えはベッドの上に置いておきますので、どうぞご利用ください」
「おおきに。ってか、ようこいつのサイズあったな」
「ええ。色々な方がこられますので、各種サイズはご用意しております」
「なるほど」
「すげーウニプロでも俺のサイズないのに!」
「ウニプロ……でございますか?」
「あ、いや、なんでもあらへん! こっちの話やから気にせんといて!」
「はぁ……」
リリーアフトはそう問いかけつつも、正義の発言に特に気にした様子もなく、着替えをベッドの上に置いた後、手際よく二人の紅茶を淹れ始めた。
「元の世界の話を、この世界の人間に向けてする奴がどこにおんねん! あ! ここにおったか! ウニプロもとうとう異世界進出やね!ってどあほ!」
「ごめんて! だって服のサイズがあるのがあまりにも嬉しかったもんやからつい!」
「だから普段から痩せろ言うてるやろ!」
「努力はしてるで!ただ結果がともなえへんだけなんやで!?」
「胸張って言うな! それを人は努力不足いうねん!」
リリーアフトには聞こえないような小声で叫びあうという、器用なやりとりをする二人。
「お二方は仲がよろしいのですね。とても羨ましいですわ」
リリーアフトは優しい笑顔で二人の様子を見守りながら、淹れた紅茶を差し出した。
もめていた二人であったが、リリーアフトのその眩しい笑顔と美しい所作に、一瞬見惚れ動きをとめる。そして、先ほど二人で相談していた件を思い出し、気を取り直して質問を投げかけた。
「そ、そういえば、俺らここらの地理に疎いんやけど、この屋敷から一番近い町って、どこになるんか教えてもらえへん?」
「ええと、そうですね。屋敷の前に見える街道を北に……馬車なら1~2時間、徒歩でしたら3~4時間歩きましたところに、シーボルという町がございますね。先ほどお出しいたしました料理に使われている素材は、殆どそちらで購入したものでございます」
「へーそうなんやー……ってこの紅茶うまっ! カズびっくりするほどこの紅茶うまいで!」
「あほなこと言うな。そんな俺らみたいなもんにでも分かるほどうまい紅茶なんて……ほんまや」
「喜んでいただけたようでなによりです」
「これもその町で?」
「ええそうなんですよ。正確な生産地を言うとシーボルからもう少し行った先の……」
思いの外、美味しい紅茶にしばらく二人は柄にもなく、リリーアフトと紅茶談義に花を咲かせてしまった。
その後、紅茶談義も一段落したタイミングでリリーアフトに着替えを促される。
最初は断ろうとした和己であったのだが、逆にこのままいる方が失礼かと考えを改め、着替えることにした。更にその着替えの中にはリリーアフトの気遣いにより靴も含まれており、素直に喜ぶ二人。特に正義は、やっと原始人を卒業できたと歓喜するのであった。
そして、着替えた後も、先ほどの紅茶談義がいいきっかけとなったのか、他にも様々な話に飛躍していく。どうにかリリーアフト自身の話を聞こうと正義が画策するが、ことごとくリリーアフトにかわされ撃沈するという無駄な時間もあるにはあったが、基本的には有意義で楽しい時間帯であった。
しばらく後、リリーアフトがふと思い出したかのように二人に質問する。
「そういえば、町のことをお聞きしておりましたが、そちらに向かうご予定でございましょうか?」
「そうやな、ここにずっとおるわけにもいかんし……マサそろそろお暇させてもらおうか?」
「え?!」
「えええ?! そうなん?!」
それを聞きリリーアフトは驚愕する。そして、リリーアフト以上に正義が驚愕する。
「いや、そらそうやろ。さっきも言うたけど俺らには目的がある。急がんとな。主に俺の店のために!」
「えーもう少しおろうやー。もっとリリーアフトさんと話g……」
「あ?!」
「ひぃ! カズが威圧してくるぅ! なんて恐ろしい子!」
リリーアフトは二人がそんなやりとりしている最中、うつむきながら何か考えており、しばらく後に口を開いた。
「……もうすぐ夕刻になってしまいます。今出発してもおそらく町に着く頃には夜になっていることでしょう。いくら街道が比較的安全とはいえ、お勧めいたしません。よければ今晩は泊っていただいて、明日の朝出発なされるのはどうでしょうか?」
確かにリリーアフトの言う通りで、外を見るとすでに夕暮れ間近となっていた。
少々話に花が咲きすぎたようである。
そのことに気付き、少し後悔しながらも和己はその提案を断ろうと切り出した。
「いやいや、さすがにそこまでは……」
「それに私共はすでにそのつもりで夕飯の準備も始めております。どうぞ、今夜だけでもお泊りになってくださいませ」
「ほら、ここまで言うてもらってるんやさかい。一晩くらいええやんか」
「お前はリリーアフトさんと長いことおりたいだけやろが!」
「……お会いした時に申し上げましたが、本当に私共はお二方をお待ち申し上げておりました。ご神託の達成は我がご主人様の悲願でもあります。そして、歓待すると申し上げた以上、誠に勝手ではございますが、こちらといたしましては一晩だけでも泊まっていただきたいのです。どうぞご再考のほどよろしくお願いいたします」
そう言うや否や、勢いよく深く頭を下げるリリーアフト。
「……そこまで言われて断るのも悪いか。じゃぁ今晩だけお邪魔させてもらうわ」
「あ、ありがとうございます!」
結局、リリーアフトの執念とも言える懇願に、和己が折れた形で承諾する結果となった。
その後、お昼頃に食べた料理よりも更に豪華な夕飯と、お風呂までをいただいた二人。
ちなみにお風呂は石造りであり、大人でも十人は余裕で入れるような風呂であった。さすがに外は危険なのか露天風呂はなかったが、石鹸やシャンプーやコンディショナーに類するようなものも存在しており、最近、若干頭皮が気になりはじめていた和己は、じっくり時間をかけてヘアケアーを行っていた。
正義は風呂をバタフライで泳ごうと勢いよく手を振りあげた際に、縁に手を強打し、風呂のそばで悶絶している。
とはいえ、二人にとってはまさに至福の時であった。
「っぷはあー! やっぱり風呂上がりの飲み物はうんまいなー! ……なんでこんなに飲み物冷たいんやろ?」
「それは、この家の地下室に井戸水を貯める場所がありまして、そこで常に飲み物を冷やしているからでございます」
リリーアフトが用意してくれた寝巻に着替えて、正義は上機嫌に飲み物を飲んでいる。
「それでは、私はこれで失礼いたします。ごゆっくりお休みくださいませ」
そう言うと、リリーアフトはお辞儀をして部屋を出て行った。
「いやーしかし、ほんまええ人らでよかったなー!」
「まぁそうなんやけど……いくらなんでもおかしいと思わんか?」
「ん? 全然!」
「お前に聞いた俺が悪かったな……」
和己は歓待を受けながらも、どうにも違和感をぬぐえないでいた。
「(いくらご神託とはいえ、素性が全く分からんおっさん二人に詳しい話も聞かんと、ここまで歓迎するもんやろか? 普通はせん。もしかして俺が思ってるよりも、この世界のご神託っちゅうやつの優先度は高い可能性もあるにはあるが……あと、ここまで広い屋敷やのに結局、執事とメイドを一人づつしか確認でけんかった。しかも、リリーアフトに至っては料理人まで兼任しとる。いくらなんでも、これは明らかに屋敷に対して働いてる人数が少なすぎや。それに、昼間は無理矢理自分を納得させたけど、いくら体調不良とはいえ、やっぱり一度も屋敷の主が顔出さんいうのも引っかかる。普通は主の部屋に案内したりせえへんやろか? あんなに主が会いたい言うてたのに会わせへんもんなんやろか?」
和己は思考の海にダイブしていると、能天気でポジティブな正義の声が聞こえてきた。
「リリーアフトさんてほんま綺麗で、それでいて気がきく人やんなあ。はっ! もしかして俺に?!」
「いや、どう考えても仕事やからやろ……自分の容姿ふまえた上で、ようそうな勘違いできるもんやな。……ははーん。さては惚れたな?」
「あ、あほ言え! 誰が誰に惚れた言うねん! そんなこと全然ないし! 平成のジゴロ正義と言われた男がそんな簡単に惚れるわけないし! そ、それにリリーアフトさんがデブ専いう可能性も微粒子レベルで存在するかもしれへんやろ!」
「……まぁほんまやったら別に好きにやってくれたらええんやけどな。ただ今回は個人的にはあんまりお勧めせんで?」
「なんでや?! さ、さてはまさかお前も!?」
「なんでやねん! ……いや単なる俺の思いすごしやったらええんやけどな」
そういって、和己は懐に忍ばせたフォークとナイフを握りしめた。
実は、夕食をいただいた際に、自衛用に無いよりはと、こっそり予備で置いてあったフォークとナイフを拝借したのである。
別に普段からそういった手癖が悪いわけでは決してない。
「ほんまに杞憂であることを願うばかりやで」
「へ、変なカズやな……」
「あ! あと言うとくで」
「な、なんやねん……」
「昭和にもジゴロ正義なんておらんからな」
ツッコみにまじめな和己なのであった。
そんな呑気な雰囲気をよそに、その夜、和己の嫌な予感は的中することになる。
和己は不意に気配を感じて目が覚める。そして、気配の原因を探ろうと視線を横に向けるとそこに見えたのは……
「おいおいおいおい……」
正義の首に手を掛けんとするリリーアフトの姿であった。