第二話
「い、痛い痛い痛い痛い!」
正義は膝の状態を認識した途端、両膝の損傷を実感し痛みを訴えた。
「ちょ! 待て! 痛いのは分かるけどまずは落ち着け!」
そう言って損傷具合を確認すべく和己は正義のジーパンに手をかける。
「え? 何怖い! 俺そんな趣味の奴とひとつ屋根の下で一緒にゲームしてたん!? やめて俺はノンケなのん!」
「ちょっと黙れ! 怪我の具合確認するんやからしゃーないやろ! なんやったらこのままほっといてどっか行ってもええんやぞ!」
「ごめんて! さすがにそれは困るのん!」
和己もいつもならツッコむところなのだが、状況が状況なだけにイライラを隠しもせず、いつものボケを一喝する。しかし、イライラしながらも現状を冷静に判断しようと努めていた。
「(おかしい。痛がっとるとはいえマサに冗談を言う余裕があるとは思えん出血量や。おそらく相当の損傷のはず。でも当のマサ本人はそれを目視する前までは痛がる様子すらなかった……あかん考えても分からん。どっちにしろまずは怪我の確認からや)」
改めてジーパンを下ろし正義の両膝の状態を確認する。
「……なんやこれ」
「どうしたん? 俺は怖くて見られへんけど、状態は正直に言うてくれ! どうなってる? ボロボロ? ズタズタ? もう歩かれへん? ……ちょっと重いと思うけど、どうにかおぶっていってくれると嬉しいな……」
絶句する和己を見て正義はそんなに酷い状態なのかと不安を募らせる。そして『このままでは本気で置いていかれっぞ!』という生存本能の熱い叫び声を真摯に受け止め、極力下手にでてみた。
「あらへん」
「……え?」
「傷跡がそもそもあらへん」
「ま、まっさかー? まさかこのタイミングでカズがそんな冗談言うとは思わんかったわ。酷い傷のせいで雰囲気悪なるから、場を和まそうっていう気持ちは大変ありがたいで? せやけど、今さらそんなこと言わんでも……え? マジで?」
「ああホンマにあらへん。なんやこれ……」
「「……」」
沈黙が場を包み込む。
「マサお前、ちょっと立ってみい」
「いや無理やろ! この血の量やで?」
「せやけど現に傷があらへんのやから立てるかもしれへんやろ! ええからはよ!」
「お、おう……ちょっと肩貸して。さすがに一人で立つのは怖いわ」
和己から告げられたいきなりの無茶な注文に、隙あらば冗談を言うという行動がDNAに刻み込まれている正義もさすがにうろたえ、一旦は普通にその注文を拒否してしまう。しかし先ほど同様『逆にここで立てないとマジヤバいっすよ!』という生存本能の必死な訴えを即採用し、立ち上がる決意をするという敏腕社長っぷりを発揮した。無職なのに。
正義は和己の肩を借りてゆっくりと立ち上がる。そして、そっと肩から手を離した。
「立ってる……俺、立ってるよ! やった俺とうとう一人で立てたよカズ!」
正義はどっかのアルプスにいそうな少女が言いそうなセリフを吐きながら、同時にその喜びを軽いジャンプで表現した。そして……
パーン!!
「あう!!」
再び両膝から血を撒き散らして地面にうずくまるのであった。
「はぁ……あかんわけわからん。けど、目の前で起こったことを信じへんわけにもいかんよなぁ」
和己はうずくまる正義を見下ろしながら溜息をついた。
正義の両膝は乾いた音を鳴らして爆発し、損傷箇所からは大量の血が噴出する。しかしながら、噴出直後からみるみる回復し始め、あっという間に傷口は塞がってしまった。そして、今回正義はジーパンを脱いだ状態であっため、和己はリアルタイムで爆発から回復までの様子を目撃してしまう。ちなみに噴出した血はそのまま地面を抉り血溜まりとなっており、その横には30歳そこそこのデブのおっさんがパン一で横たわっていた。
「まさかとは思うけど、さっきの熊もこれで? ……んなあほな」
「きっとこれが異世界クオリティなんやで。現実を直視せなあかんでカズ」
和己は自分が言った言葉を一旦拒否してみるものの、先ほど聞いた音は確かに正義が熊に襲われている時に聞いた音と同一のものであった。そしてこの威力。肯定せざるを得なかった。
とはいえ、いまいち現実味がなく、その場で呆然と立ち尽くしているところを、仰向けの状態で見上げながら、満面の笑顔でサムズアップしてくる正義。
「言うとることは分からんでもないけど、お前から言われるとなんでこんなイラっとするんやろう」
「とりあえずテンプレ的に言うと、これはスキルの一種と考えてええやろな。名前なんにしよっかなぁ? 膝から繰り出す必殺技と言えばやっぱりシャイニングウィ……」
「ただの膝爆弾やないか。元の世界で膝に爆弾抱えてたのが、こっちにきて文字通り現実のもんになってもうたんやな。ってあほか! しょーもなさすぎるやろそのスキル!」
「で、でもそのスキルのお陰で熊退治できたんやから、一応このスキルをくれた神様? 的な人物? には感謝はせんとあかんわな」
「そらまぁそうやけど……あかん全然納得でけへん」
和己はそう呟くと額を手で抑え、天を仰いた。
「よし! とりあえず、気持ち切り替えていこう。なんにせよ、この分やともうすぐ日が暮れる。早いとこ、この森を出るか、もしくは安全に夜をやりすごせる場所を見つけんと。さっきみたいな化けもんをこれからも……しかも、どっから襲ってくるかもわからん夜中になってまで相手せなあかん事態だけは避けんと」
「んなこと言うてるけど、実際どっち進んだらええかどうかもわからんで? 当たり前やけど携帯も圏外やし……」
「そらそうやろ。異世界に基地局なんてあるわけないがな……って待て! マサお前携帯持っとるんか!」
携帯電話を取り出し電波の確認をするという、元の世界では極自然だった正義の行動に、和己はスルーしかけるものの思い留まり聞き返す。
「え? カズは持ってないん? 俺ん家で携帯鳴ってたやん。もしかしてあれカズのと違って両親や兄妹の携帯黙ってもってきてたん? その歳になってまで自分の携帯ないとか引くわー」
「んなわけないやろ! お前の家のテーブルに置きっぱなしやったから今は持ってないいうだけや!」
和己はこんな状況でも冗談を言える正義の精神構造に、一周回って感心しながらも「(昔からこいつはこういう奴やったな)」と諦めて、それ以上はツッコまないことにした。
「……しかしこんなことになるんやったらポケットにでも入れて持っとくんやったわ。まぁ今更やな。今持っとるんは……ジッポだけか。まぁないよりはましやな。それより携帯持ってるんやったらまず電源切れ! バッテリーが勿体ないわ!」
「お、おう……」
和己の勢いに正義は若干引きながらも携帯の電源を切る。
「さぁ夜までもう時間あらへん。移動するで。なんや? はよ立ってジーパン履かんかい」
「いや、また爆発するかもと思うと……」
「さっきは年甲斐もなくジャンプして膝に負担かけたから爆発したんやろ。ゆっくりならたぶん大丈夫なはずや。別にパン一のままここで人生終えたいっていうなら無理強いはせんけどな」
「立つ! 立ちます! 立てば! 立つとき! 立たせろ! ……嘘です立つの手伝ってください!」
ひとしきり言いたかったことを言って満足した正義は、その勢いのまま和己を見たが無表情のままどこかに行こうとしていたので、魂のありったけを込めて呼びとめた。
その叫びが和己の魂を振るわせることは決してなかったのだが、言葉自体はなんとか届いたようで、和己は溜息をつきつつ振り返り、先ほど同様肩を貸し正義を立たせた。
「な、大丈夫やったやろ? あ、くれぐれもジャンプだけはすんなよ?」
「そやな……そうするわ。あ、あと歩くときもゆっくりな! じゃないとまた……意外とカズが思てるより爆発したら痛いんやで?」
「両膝爆発して痛いで済んでること自体異常なことなんやけどな……まぁええ。はよいくで!」
「ちょ! 早いて! もっとゆっくり! すろーりーなうぉーきんぐでお願いします!」
こうしてなんだかんだと言いながら和己とルー正義は森の中を歩きだすのであった。
しばらく二人が歩いていると大きな木の下に洞窟らしきものを見つけた。
日は既に沈みかかっているようで、周囲はかなり暗くなってきていた。
「ここなら雨風は入ってけえへんし、今晩くらいなら凌げるかもしれへんな。ほんまは森の外まで出たかったけどしゃーない。中見て安全そうやったら今晩はここで野宿やな」
「安全そう? あ、そうかさっきの熊…」
「そういうこっちゃ。気抜くなよ?」
ゴクリと生唾を飲む正義。下手をすると同じような熊、またはそれに類する凶暴な動物に遭遇する可能性があるのだ。そう思うだけで体温が2~3℃下がったのかと錯覚するくらいに背筋が寒くなる。
先ほどは偶然たまたま膝爆弾が直撃したから良かったようなものの、次回も同様にうまくいくとは限らない。そして正義自身うまくいかせることができる自信など皆無であった。
「(何もいませんように。いませんように。いませんように。いませんように……)」
「あ?」
「ぎゃー! ごめんなさい! 助けてください! もうしません! 嘘つきません! 親孝行します! 働きます! 体重サバ読みません!」
「……その体型でサバ読んでたんやな。そっちの方がびっくりやわ。」
「だってだって! デブにはデブなりのプライドというのがあってやな!」
正義にとって体重は思いの外デリケートな問題であったのか、結構な熱量で和己の言動に反発する。
「あと絶対働く気ないくせに嘘つくなや」
「お、俺はやるときはやるよ!? おかんにだって、あんたはやればできる子や言うて育てられてきたしな! あと言うとくけど、この世界ではお前もニートなんやからな!」
「あーもう分かった分かった。とりあえず、ちょっと黙れ。声響くねん。何か来たらどないすんねん」
「ふー……ふー……」
「はい、どーどーどー。そんなことよりほれ、まだ表の浅い部分だけやけど、どうやら今んところ安全そうやで。とはいえ、まだ穴は奥に続いてるみたいやから100%とは言われへんけど。まぁこの森の中におる限り100%なんて元から無いようなもんやし、雨風凌げるだけまだましや思て、今晩は覚悟決めてここで休ませてもらお」
洞窟の中には更に横穴があり、ちょっとした小部屋のようになっていた。そこに二人は身を潜め一晩過ごすことにしたのだった。
「なんとか一晩は越えることはできたか……」
「ほとんど休めてないけどな!」
翌日、とりあえず何事もなく朝を迎えることができた二人。とはいえ、交互に仮眠を取りながらの状態であったため、疲れはほとんど抜けていない。
「なんか変な匂いせえへんか?」
「え? 俺意外と清潔感には自信あんねんけど」
「そうちゃうわ。なんかこう、お香みたいな匂いや」
「ん?……そう言われれば確かに。なんやろこれ? こんな匂いさせるとか、やけに意識高い洞窟なんやな。……負けてられへん」
和己に言われて、鼻をひくひくさせ周囲の匂いを嗅ぎながら、なぜか無機物に対抗心を燃やす正義。その姿に和己は変態のソレを垣間見たのだが、いつものことなのでその行為を注意することはなかった。
そして、確かに薄らとではあるが、洞窟の奥から白檀のような不思議な香りがしている。
「……行ってみるか?」
「え? 嫌に決まってるやん。奥やで何がおるかわかりませんやん!」
正義の言う通り洞窟の奥は真っ暗であり、普通であればとても行けそうには思えなかった。
「……明かりはある。携帯電話のライトを使う」
「昨日バッテリー勿体ない言うてたとこやのに?」
「今は使う時やと判断した。理由はこのお香の匂いや。奥から匂いがしてくるってことは、風の通りがあるってことや。もしかしたらこの洞穴から別の出口に繋がってる可能性もあるかもしれん。それに一晩この洞窟で無事に過ごせたいう実績を俺は買う。少なくとも、この洞窟は森よりは安全なはずや」
「カズがそこまで言うならそれに従うけど……何かあっても置いてくのは無しやで!」
そう言って二人は携帯のライトを頼りに慎重に洞窟の奥へと歩を進める。
しばらく歩いていると、先ほどまでは薄らとしかしなかった匂いが、だんだん濃いものへと変わってくるのが分かった。そして……
「これが匂いの発生源っぽいな」
「ほんまにお香やってんなあ」
地面に小さい陶器製であろう壺が置かれており、その中に敷き詰められた灰の上にお香っぽいものが置かれ燃やされ煙を上げていた。
「これがあるってことは……俺ら以外の人がおるってことやな」
「おお!第一異世界人発見!?」
「そう言うことになるな……善人ならええけど」
「怖いこと言うなや。凶悪なんは動物だけでええって……」
二人は更に先に進むと出口らしき明かりが見えてきた。
「おお、カズの言う通りほんまに出口あったな! さすがカズやで! カズの賢さは五大陸に響き渡るわ!」
「また懐かしいネタを……まぁええ。とりあえず、注意しながら外へ出るで」
「ほほーい!」
と、テンションが急に高くなった正義に辟易しながらも二人は慎重に外に出た。
そこは幸い森ではなかった。洞窟を出た先は平地であり、近くには整備された街道も見える。やっと人の手が入った痕跡を見た和己も内心テンションが上がった。そしてなにより……
「これやっぱり家やんな?」
「家っていうより屋敷やな。この中にさっきのお香を焚いた人もいるんやろか?とにかくちょっと様子見やな」
大きな屋敷が二人を迎えるのであった。




