EX
柊明日香――彼女は天才すぎた。それゆえ孤独であった。ただし、それは妬みや僻みからでは無い。誰も彼女の行動に付いてこれなかったからである。
小学校の理科の授業では簡単な反応を確かめるはずの実験であるにも関わらず、なぜか先生も見たことがないような反応をさせ、周囲をドン引きさせてしまったり、中学校へ入学後、わずか一年で図書室にある全ての書籍を読破してしまい、その後、彼女が学校側に図書室の書籍数の膨大な増加を要望した嘆願書を提出し、そのあまりに非の打ちどころのない内容に、対応せざるをえなくなった学校側は予算の確保で揉めに揉め、最終的には教育委員会を巻き込んでの大騒動を引き起こしてしまったり、極めつけは高校で行われた写生大会で、明日香が描いた絵を見た者が次々といいしれぬ不安を抱き泣きじゃくり、中にはその不安に押しつぶされ、泡を吹いて倒れる者も現れる始末で、後に『阿鼻叫喚の写生大会』と恐れられる学校七不思議の一つを作りだしてしまったりと、とにかく、成長と共に彼女の周りには友達……どころか大人すら近付かなくなってしまったのであった。
そのことついて、当の本人は別段不満を感じておらず、むしろ好きなことが好きなだけできると前向きでさえあったため、結局、孤独な彼女の辞書に『マイペース』や『自由奔放』という文字は自然と太字で刻み込まれる一方で、『自重』や『常識』の文字を記してくれる者はついぞ現れることはなかった。
そんなこんなで大学生になった明日香は、ふと立ち寄った本屋にて目に入ったライトノベルを手にとり、その一種独特の世界観に没頭することになる。彼女が手にとったライトノベルはいわゆる『異世界系』のファンタジー小説で、様々な種類を買い漁った結果、ついに……
「私も異世界に行きたい!」
と、思うようになってしまった。
仮に一般人であれば、たとえそう思うことがあったとしても、そのあまりの現実味の無さを素直に直視し「何を馬鹿な」とすぐに諦めたところであろう。だが彼女は違った。なぜなら、彼女はこと学問と言われるものの知識は豊富であったが、「非常識が服を着て歩いている」「人類史上最も常識とかけ離れた人間」「四次元人間」と影で揶揄されるほど、いわゆる『常識的に考えて』という考え方自体が欠如していたのである。そんな彼女は、当然一切の疑問を抱くこともなく、早速その方法を模索するのであった。
彼女の決意から数年、主席で大学を卒業後、易々と大学院生となり、自身の行動も相まってさらに皆の周囲の注目を集める明日香であったが、本人はそんなことどこ吹く風とばかりに院の研究施設を大いに利用し、異世界へ行く方法の研究に没頭しているようであった。ただ、稀代の天才もさすがに異世界への扉はなかなか開けられずにいるようで、一向に光明を見出せ……
「あと……あと一歩なんだけどなぁ。何が足りないんだろう」
……失礼。それなりに成果があるようであった。
そして、ある日。数日振りに研究施設から自宅に帰ってきた明日香は、同じく数日振りの睡眠をとろうと自室に入ったのだが、若干集中力が散漫になっていたからか、かたわらに大量に積んであった書籍に足を引っ掛けてしまう。どさどさと雪崩のように崩れ落ち、小さな小山を造る書籍達。珍しく起こした自身の失態に面倒臭そうに片付けようとする明日香であったが……
「……え?」
書籍の小山の背表紙達が織り成す文字の羅列が目に入り、明日香は固まった。直後、全身にほとばしる衝撃。眠気などぶっ飛んだ明日香は机にあるまっさらなノートをひったくり、物凄い勢いで何かを書きなぐり始めた。そこにはこの世でおそらく明日香にしか理解できないであろう様々な方程式や論理が続々と登場し、それらが絡みあってダイナミックな物語を紡ぎだし、ノート終盤にてその者達が有終の美を飾る頃には……
「これで……異世界に行ける!」
一つの結論へと到達する明日香の姿があった。
そしてその夜、この退屈な世界に別れを告げ異世界へと旅立つ明日香であったが、そのあまりの急な失踪に『単なる自殺と片付けるには多すぎる違和感』『神隠しは実在した!』『稀代の天才を時代は拒絶したのか?!』と世間……といっても主にアングラな雑誌がメインに騒ぎ立てたものの、七十五日もせずに事態は終息することになる。
そうして、異世界へと渡った彼女は姓を捨て柊明日香から――アスカになった。
異世界に来てからも当然、アスカの快進撃は留まることを知らず、天才である、異世界には魔法や呪いなど元の世界では考えられない事象が存在する、異世界人特有の異常な能力の数々を身に付けていた、など様々な要因が合わさり、彼女は異世界でもその異彩を遺憾無く発揮し、孤立し、自重しなかった。
数年後――そこには、魔法や呪いを極めて退屈を持て余したアスカの姿があった。そんなアスカが何気無く目にした魔物図鑑は開けた窓から吹く風にあおられ……表紙がめくれその1ページ目をアスカに見せ付ける。そして……
「この子に会いたい!」
全ての元凶である要因が胎動した瞬間であった。
「ふむふむ、あの子は魔界とも地獄とも呼ばれているところに住んでいると。そこへの行き方は……ん~書いてないなぁ。やっぱり自分で見付けるしか無いか。よし! がんばるぞ!」
生きていく上では現状、何も問題が無いアスカであったが、目標ができた彼女は研究に没頭できる環境を得るために、自身の家と身の周りの世話をしてくれる者を集めることにした。
常識知らずだった彼女も、大人になり『世間体』という言葉を知り技術として、それを我が身のごとく自在に操った。余計に性質が悪くなったとも言える。
元々天才である彼女がそんなことをすればどうなるか。半年後、そこには大きな屋敷を建てるまでの財を成し、執事やメイド達を多数抱え、その者達からも尊敬される立派な人格者として屋敷の主を務めるアスカの姿があった。もちろん表向きは……である。
こうして、異世界でも研究に没頭できる環境を手に入れたアスカは誰に気付かれることもなく、異世界でも禁忌とされる研究に手を染めるのであった。
「えっと、これをこうして……あとはなんかここもこうしちゃおっかな~」
鼻歌交じりであーでもないこーでもないと楽しそうなアスカ。対照的に周りの雰囲気は阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
床には部屋一杯に広がる大きな魔法陣が展開中であり、怨念と思われる塊が呪いの言葉を発しながら、その中を出たり入ったりしている。部屋の壁伝いには人の魂を狩りとれるような形状の物をもった黒い影が走りまわり、天井からは血のような赤い雨が降り注ぐ。まさに地獄だと言われれば万人が信じるような光景であった。
「あとはここをこうして……こうすれば……できた!」
その渦中で嬉々としているアスカは、魔法陣の目的を達成させるための最後のキーを構築し、さらに顔を綻ばす。
「ふふふ……楽しみだなぁ……早くあの子に会ってみたいなぁ」
そして、魔法陣が完成すると先ほどまでの光景は途端に鳴りを潜め、魔法陣が漆黒の光を放ったかと思えばその中央からゆっくりと、禍々しい大きな門が出現するのであった。
「キタキタキター!」
こうして、アスカ単独魔界ツアーが幕を開けるのであった。
『コノヨデイチバンサイキョーン様! し、侵入者です!』
『どういうことだ!? そんなこと今までに……い、一体何者なんだ?!』
『そ、それが……どうやら人間のようで……』
『なん……だと……。か、数は!? 数は何人で攻めてきたんだ!?』
『それが……一人です』
『はぁ!?』
一方、侵入された魔界はたまったものではなかった。有史以来そんな者が現れたことはただの一度も無かったため、そのための警備などは当然整えておらず、アスカを対処するべく散発的に立ち向かっていく魔物はいるものの、魔法を極めたアスカにかなうはずもなく、すべて殲滅させられていた。
『サイキョーン様! 手に……手に負えません!』
『魔法も何も全て弾かれ、指一本触れることすらかないません!』
『い、一体あいつはなんなんだ!? 本当に人間なのか?!』
涙目で訴えるマホウスゴイーノとメッチャカタイーノ。まさかの事態にさすがに動揺を隠せないコノヨデイチバンサイキョーン。
『なんとしても追い返すのだ! 多少の……多少の犠牲は……やむをえまい』
『サイキョーン様! ですが!』
コノヨデイチバンサイキョーンの握る両の手からは血が滴り落ちていた。
『わしも辛いのだ……カタイーノとスゴイーノよ。分かってくれ……』
『分かりました……必ずや……必ずやあの者を元の世界へと返してみせましょうぞ!』
そうして、メッチャカタイーノとマホウスゴイーノの下、統率のとれた魔物達によって、さすがのアスカもてこずっているように見えたのであるが……
「ん~さすがに数が多いなぁ。そうだ! アレ使っちゃおう! ここなら大丈夫だよね! ……ペッチャペッチャノペッチャンコー!」
『あ、あれは、古代魔法!?』
『そんな馬鹿な! あれは我らしか使えないはずであるぞ!』
古代魔法を放ち、それも難なく対処するのであった。次々と断末魔を上げながら吸い込まれていく魔物達。その光景を呆然と見詰めることしかできない二人。そしてついに……
「あ、いたいた! サイキョーンちゃ~ん! 会いにきたよぉ!」
コノヨデイチバンサイキョーンとのご対面を果たすのであった。
『お、お知り合いですか?!』
『知らん! 人間に知り合いなどいてたまるものか! 貴様、何が目的だ!?』
「もちろんサイキョーンちゃんに会うことだよ?」
『そ、そんなつまらんことで……我が……我が軍を殲滅したというのか!?』
「だって邪魔するんだもん」
『き、貴様ぁあああ!』
「でも、見れたから帰るね! ホントはもう少しお話したかったんだけど……」
怒髪天を貫かんばかりの形相で声を荒げるコノヨデイチバンサイキョーンを見て、さすがのアスカも空気を読んで、日を改めることにするのであった。直後、アスカを囲む魔法陣。唖然とその姿を見詰めるコノヨデイチバンサイキョーン達。
「じゃぁね! またくるね!」
『貴様! こ、この恨みはらさでおくべきか! だが……貴様には手を出さん! 出そうとも思わん! しかし貴様が育った世界は貴様の死後、必ずや恐怖のどん底へと叩き落としてくれるわ! あの世でそれを見ながら自身の行為がどれほど愚かなことであったか、せいぜい後悔すればいいわ!』
「えぇ!?」
笑顔で別れを言うアスカに対し、コノヨデイチバンサイキョーンが復讐の宣言を終える同時に、魔法陣の光はアスカを包み込み、魔界からその姿を消すのであった。どうやら途中キャンセルはできなかったようである。
『カタイーノとスゴイーノよ! まずは再度の侵入を許さぬように直ちに防衛を固めるのだ!』
『『はっ!』』
こうして、二人の血のにじむような努力の結果、以降アスカの侵入を許すようなことはなかった。
「た、大変なことになっちゃった……」
そして、どうやっても侵入できないと知ったアスカは、自身が起こした事態の大きさにさすがに反省し、その収束を計ろうと動き出すのであった。
「場所は近くの森でいっか。異世界人ならまぁ大丈夫でしょ!」
表だって動くメンツを集めるべく、魔界から魔物が侵攻しだすタイミングで元の世界の人間をこちらに召喚するような魔法陣を組むアスカ。多少の罪悪感はあったものの、この世界の一大事だし、それに基本その人達が死なないように注意するしと、無茶苦茶な論理を無理矢理正当化することで自身を納得させる。
「あ、でも一応死んでも元の世界であまり影響が無さそうな、いい歳したおっさんにしとこうっと。あと、万が一死んじゃった時用に、もう一人呼んでおこっかな? うんそうしよう! それに必要なものは屋敷に一通り揃っているし、それを使えばたぶんその人達も大丈夫でしょ!」
こうして、将来の被害者が確定したところで、今度は自身の対処に移るのであった。
「テイルセント、屋敷のみんなを集めてください。大事な話があります」
「アスカ様、皆を集めました。一体何用でございましょうか?」
「実は、先日ご神託を授かりました。その内容とは……」
そして、テイルセントとリリーアフトと自分に呪いを掛け、自身の呪いは失敗したようにみせかけて……
「テイルセント、リリーアフト、本当にごめんなさい。あなた達にこんな苦労を掛けることになってしまって……」
「主様! そのようなこと今まで一度も考えたことはございません! 私は主様にお仕えできて、とても幸せでございました!」
「ご主人様、私も同様でございます! このご恩は一生忘れません!」
「ふふふ……私は主思いの執事とメイドを持って本当に幸せで……し……」
「アスカ様ぁ!」
「ご主人様ぁ!」
「(二人とも騙してごめんね!)」
死んだ振りを敢行するアスカであった。
そしてあれから数十年後、ここはシーボルから徒歩で3~4時間離れた小高い丘の上。
そこに一つの新しいお墓があった。どのくらい新しいのかというと、ほんの数時間前に建てられたばかりである。そんな建って間も無いお墓が早々に壊されようとしていた。埋葬されている本人によって。
「っぷっはぁ~! やっとでれたよー! ちょっと深く埋め過ぎなんじゃない?!」
そうぶつくさボヤきながらその女性は土の中から姿を現した。
その者は当然、この近くに建つ屋敷の前主――アスカであった。
「さてと。なんとか初っ端は……ちょっとだけ手違いはあったけど、結果、上手くいったんだから別にいいよね! そんなことより、これからちょっと気合い入れて頑張らないとね! なんてったってこの世界の危機なんだから!」
そう言って自分以外……つまり魔法抵抗力がそれほど高くない者達に同様の呪いを掛けた場合、あんな副作用があるとは思っていなかったアスカは、結果論から無理矢理自身を納得させ、過去よりも未来だと頭を素早く切り替える。
「よし! じゃぁ二人の後を追いますか!」
アスカはおもむろに魔法を唱えると、魔法陣から装備一式を取り出し、その中から黒いフードを被って和己達の後をこっそり追いかけるのであった。
「にしても、本当はもう少し早く来ると思ってたんだけどなぁ……途中、本当に死んじゃうかもって何回思ったことか! まぁ死なないんだけどね!」
誰に聞こえるでもない冗談を言いながら。
そうして、時に和己達にせっかくなんだから異世界を楽しんでもらおうと企て……
「なんでやねん!」
「スマイルか!? 俺のスマイルが悪かったんか?!」
時にピンチな和己達を助け……
「(まだよ! まだ大丈夫。まだ死なない。……今よ!)」
「よかった……間に合ったようね」
「(名前? ええと……アスカじゃさすがにまずいから……Asuka……Kausa……カーサでいっか!)」
「私の名前はカーサって言うの……」
時に助け舟をだし……
「久しぶり。元気してた?」
「あ、あんた、死んだはずじゃなかったのかい?! しかも全然年食ってないじゃないか!」
「あなたはずいぶん老けこんだわねぇ。顔だけだけど」
「ふん! こう見えてもまだまだ現役さね!」
「実は頼みたいことがあるんだけど……」
時に和己達を将来を心配し……
「ハロー森店長元気してた?」
「あなたその呼び方やめなさいってずっと言ってるでしょ! あなたのせいで森のエルフ達までそう呼ぶようになっちゃったのよ! こっちは凄い迷惑してるんだからね!」
「ごめんごめん。ついいつもの癖で……」
「ホントにもう! あなたも相変わらずね。ところで、あなた生きてたのねぇ? にしてはこの世界のどこにもあなたの生命力を感じなかったんだけどぉ」
「うん、ちょっと色々あってねー。それより、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど」
「あなたがお願いなんて珍しいわねぇ。どうしたのぉ?」
「鍛えてほしいおっさんが二人ほどいてね。このままだと死んじゃいそうだから。ある程度の自衛手段と実践経験を積ませてほしいの。もうすぐ、浜辺に私が召喚したイカに連れられて打ち上げられると思うから、その時はよろしくね!」
「あらあらぁ……誰かを鍛えるのなんて久しぶりねぇ。腕がなるわぁ」
「鍛える理由は適当に見繕ってね。ご神託とか言っておけばたぶん納得するから」
「あれもあなたの仕業だったのねぇ。そうね。そういうことにしておくわぁ」
そうして、ついに異世界を救うまでに至るのであった。多大な迷惑を和己達に掛けることによって。
そんな和己達から手痛いしっぺ返しを食らい、元の世界へと返した数時間後……
「そうよ! 考えたら確かに私が悪いけど、何もあそこまで言うことないじゃない! あの時は言われるがままに元の世界へ戻る魔法陣を作っちゃったけど、だんだん腹が立ってきた……見てなさい! そのうちぎゃふんと言わせてあげるんだからっ!」
とんだ逆恨みをするアスカの姿があった。
「カズ、なんかめっちゃ悪寒がするんやけど……」
「き、気のせいやろ……」
どうやら、和己達の災難はまだまだこれからのようである。




