第十二話
それは、二人が浜辺で気が付く数日前のこと。
「ハンヌ今までお世話になったな。おおきに」
「うんまい飯たくさん食わせてくれてありがとー!」
「いいえ。私こそ本当にありがとうございました」
その日和己達は、マキール王国領の北部にある港町タークンに向けて出発するところであった。サンバルの港ではハンヌと数名の魚人騎士達が見送りに来てくれており、双方別れの言葉を送りあう。
「またこちらにも来て下さいね! その時も盛大に歓迎させていただきますので!」
ハンヌの喜色満面の笑みに釣られて、二人の表情も自然と笑顔になる。
「まぁ考えとくわ。そん時はよろしくな」
「う、うんまいもん……また食べさせてなー!」
おそらくそんな日が来ることはないと確信している和己ではあったが、そこは大人の対応で言葉を濁す。正義は泣きそうなるのを必死でこらえ、それをごまかすように声を張り上げた。
和己達のそんな様子に色々察するところがあったハンヌではあったが、和己達が乗り込んだ船の姿が見えなくなるまでその笑顔を崩すことはなく……
「お二人のこれからの旅に幸多きことを……」
と、呟きながら目を閉じ、胸元のペンダントを湿った両手で握り締め、和己達の無事を祈るのであった。
数日間の航海は海がしけることもなく順調そのものであった。ではなぜ二人が浜辺に打ち上げられたのかというと……
「あ、あれは、イカデカイーンだ!」
「なんでこんなところに!」
「もっと北の海に生息する魔物じゃなかったのか!」
船の前方にその行く手を阻むかのごとく体長十数mはあろうかという巨大なイカが立ち塞がり……
「な、なんかこのイカ俺らを集中的に狙ってへんか?!」
「ちょ、やめろ! そ、そんなところを! ら、らめぇー!」
「デブのおっさんがあえぐな! 気持ち悪い! ってうぉおお!」
抵抗むなしく巨大イカに捕獲され……
ざざーん……ざざーん……
「なんで俺らの旅路はこうも順調に行かへんのやろな……」
「ここはどこ?! 私は……香坂正義です!」
気が付くとそこは誰もいない浜辺であったとさ。残念ながらハンヌの祈りが天に届くことはなかったようである。
砂浜に呆然と立ち尽くす和己。
「無人島やないことを願うばかりなんやけど……」
横を見渡せば砂、砂、砂。目の前の少し行った先には木、木、木。そして、ぱっと見ても分かるほど、そこに人の手が入った痕跡は無く、和己は自身が置かれた状況に辟易しながらも微粒子レベルで存在するわずかな可能性を願いながら独りごちるのであった。
「ってはよ起きんかい!」
「あうっ!」
隣で某格闘ゲームの背景の仏像のように未だ寝そべっている……というより、既にくつろぎ始めているトドを軽く蹴飛ばしながら、まずは持ち物の確認をする和己。
幸い荷物を全て入れてあった鞄は肩から掛けたままであり、中身を確認すると海水に濡れてはいるものの出航時と変わらない量のそれが入っており安堵する和己。一方、正義の手元に鞄は無く、漂流時に紛失したのかと一瞬焦る和己であったが、浜辺を見渡すとそう遠くないところにそれらしい荷物が打ち上げられており中身もほぼ無事なようであった。
「若干食いもんが減っとるみたいやけど、まぁ問題無いな」
「そ、そうかー食糧が減ってたかー! いやーまさか食糧が減ってたとは思わんかったわー!」
「……お前食ったんか?」
「く、食ってないですよ? 俺に食わせたら大したもんですよ?」
「おい、ちゃんと目見て言うてみぃ」
「嫌や! 誰がおっさんとなんて見詰めあうかー!」
「あ、こら! 待たんかい!」
正義は今までくつろいでいたのが嘘のように素早く立ち上がると、砂浜を駆け出した。すかさず追いかける和己。はたから見るとおっさん二人が浜辺で燥いでいるようにしか見えないのだが、幸い和己達以外には誰もいないため、それを指摘されることはなかった。その後、正義は航海中に我慢できず、食糧をいくらかつまんでいたことを和己に白状させられ、懇々(こんこん)と説教されるのであった。
「俺は……俺はなんてダメな人間なんや……」
「そんなことないんやで。これから真人間になる努力をすればええんや。人生に遅すぎるってことはないんやで」
「カ、カズゥ~! 俺、頑張って真人間になるよ!」
「やっと分かってくれたか。元の世界に戻ったらちゃんと働くんやで」
「だが断る!」
「死ね! やっぱりここで飢え死ね!」
「俺は食う! そして生きる! 皆が食えなかった分まで食うたるんや!」
「それはお前が食うからそうなっとるんやろがい!」
和己は飴と鞭を巧みに使い分けた話術を用い、正義を更生させることを試みたのが、残念ながらその目論見は失敗に終わったようである。その後、しばらく生死の押し問答は続いたが、やがて両者疲れたのか、はたまた現実逃避を止めたのか、まじめに今後のことを考え始めるようになるのであった。
「とりあえず、まずは食糧と飲み水の確保からやな」
「それなら荷物にも入ってるんちゃうん?」
「いつここから出れるかも分からんのやから、あればあった方がええに決まっとるやろ。ちゅーわけで動くで」
「あいよー!」
二人は浜辺から目の前の森に入っていくのであった。
そして、さまようこと数時間。二人は様々なものを発見することになる。
上を見れば多種多様な果物が生っており、そして下を見れば季節感など関係無いぜとばかりに意気揚々と野菜達がそこかしこから生えてきている。さらにその周辺にはそれらを食べる動物達が群れ単位で集まり、その様はさながらちょっとしたテーマパークのようであった。
「なんやここは……」
「う、うまいぞぉおおおお!」
「あ、お前何勝手に食っとんねん!」
横を見れば自身の腹に宿る食欲という名の魔王に支配された正義が、手近に生っていた果物をもぎとり口に運び、どっかでルネッサンスや情熱を探し求めている人達のように叫んでしまっていた。
毒が入っているかもしれないという万が一の事態を想定して食べていなかった和己は焦り、急いで正義を止めようとするのであるが、一度食べだした正義は急に止まらないため結局全てを食べきってしまう。
「楽園や……俺はついにこの世の楽園を見付けたんや!」
「お前なぁ……まぁ毒見役には適任か」
歓喜に打ち震える正義と、さらっと黒いことを呟く和己。そして……
「私の森は気に入ってくれたかしら?」
「うおっ!?」
「はい! それはもう! って誰?!」
そんな和己達に声を掛ける者が突如二人の前に現れるのであった。
「あなた達が来るのを待っていたわぁ。ここじゃあれだからとりあえず、私の家に行きましょうかぁ。事情はそこで説明するわねぇ」
「いや、それよりも……」
「お、おぉお! ……おっ!?」
警戒心マックスな和己達に近所の幼馴染のお姉さんかというくらい気軽に話しかける謎の女性。あまりの気軽さに思わず呆然としてツッコむことを忘れてしまう和己と、なぜか若干前かがみになる正義。
その理由は彼女の容姿にある。まず、目の前の女性は以前会ったリリーアフトに匹敵するほどの美人であった。緑色に輝く髪に、どこか神秘的な印象さえ受ける緑色の瞳。すっと通った鼻筋に、全てを許容するかのような優しい笑みを見せる口元。そして、頭の上にはウサギを彷彿とさせるような長い耳。人間とは若干異なる容姿ではあるものの、絶世の美女と言ってもなんら差し障りの無い女性であった。
そんな圧倒的な顔面偏差値を誇る女性が急に現れれば、心を奪われるのも仕方が無いと言える。ただし彼女の問題はそこではなかった。彼女は……
「とりあえず、何か着てもらえんやろか……このままやと隣のやつが一歩も動けん」
「ば、ばかやろう! そんな中学生じゃあるまいし! そんなことな、なななるわけけけ……」
「じゃぁ歩けるんか?」
「……」
「あらあら、おっさんのくせに意外と若いのねぇ」
「やめて! そんな優しい目で俺を見ないで!」
ほぼ全裸であった。正確に言えば見えてはダメな部分だけを葉っぱで隠しているといった、もはや服とは言えないような服装であった。一般男性がそんな姿を見ればほぼ間違いなく前かがみになること請け合いで、和己も一見平静を装っているが、必死に自身のふとももをつねってそれに耐えているのはここだけの秘密である。
「仕方無いわねぇ……っと、これでいいかしら?」
彼女が指をパチンと鳴らすと、周囲の木々から彼女目掛けて葉っぱが集まっていき、あっと言う間に緑色のドレスを身にまとう。その光景に驚愕しながらも胸を撫で下ろし、そっとふとももから指を離す和己。
ちなみに正義は煩悩を打ち払うべく、必死に九九を数えており、言わずと知れた魔の七段で絶賛苦戦中であったため、周りの様子に気を配る余裕はまるで無いようであった。
「ああ、助かったわ。それよりも、一応聞くけど俺らを待ってたってなんやねん」
「そうねぇ、あなた達に分かりやすいように言うと……ご神託?」
女性は和己達が今まで散々苦労させられてきたその元凶をさらっと言ってのけた。
「やっぱりか……薄々そんな気はしとったわ」
「あら、勘が鋭いのねぇ」
「それ以外で俺らを待つ理由なんてそうそうあらへんやろ……で、今回はなんて授かったんや?」
「察しがいい子は話が早くて助かるわぁ。私は『30歳そこそこのいい歳したおっさん二人が浜辺に打ち上げられる。その者を招き歓待せよ』って授かっちゃったのよねぇ」
やれやれといった彼女のその仕草に、和己は嫌々ならもしかしたら今回の歓待、断れるのではとわずかな希望を見出し、その元凶を絶つべく言葉を探す。
「さよか。……ちなみにその歓待、できれば断りたいんやけど」
「断ってもいいけど、どっちにしろこの島を出るには私の力無しじゃ不可能よ? 周辺は潮の流れが早いせいで船も滅多なことでは通らないし。素直に歓待されることをお勧めするわぁ。それに……」
「それに?」
「色々協力できることがあると思うわよ」
そう言って彼女は和己にウインクしながら衝撃の言葉を口にするのであった。
「異世界人さん」
「さてまずは自己紹介からね。私の名前はエコナっていうわ。まぁでも……世間ではフォレストマスターって呼ばれることの方が多いかしら?」
「俺は小野寺和己や」
「俺は香坂正義です! ちなみに独身です!」
「そこまで別に言わなくてもいいわよぉ。それに雰囲気で大体分かるし」
「へぶしっ!」
和己達は現在エコナが住んでいる家に招かれ、テーブルを挟んで向かい合わせに座っていた。本来、ご神託関係にはあまり関与したくない二人であったが、この世界に来て初めて、和己達を異世界人と認識する人物に出会ったとなっては話が別である。現状、『この世界である程度活躍すること』しか元の世界に帰る情報が無い二人。そして、それすらも前回のサンバルにて、ほぼ国を救ったに等しい行為をしているにも関わらず、何の兆候も見られないところから怪しい情報になりつつあった。そんな二人にはまさに格好の人物であったと言えよう。
「それで異世界人がどうしてこんな世界にわざわざ来たのかしら?」
さっきまでの雰囲気とは打って変わって、途端に警戒色をあらわにするエコナ。あまりの急な変貌に慌てる和己。
「ちょ、ちょい待ち! そんな警戒せんでもええ! 俺らも好きでこの世界に来たんやないんよ!」
「あらそうなの? それは一体どういうこと?」
今までの経緯をエコナに説明する和己。正義は何やらうんうんうなりながら考え事をしているようであった。
「ふ~ん、なるほどねぇ。で、あなた達は、どうにかして元の世界に戻りたくて世界中を旅してるってわけね……どうやら嘘は言っていないようね」
「まぁ好きで世界中行っとるわけやないんやけどな……ってかなんで俺らが異世界から来た人間やって分かったんや?」
和己は素朴な疑問を口にした。その疑問に対し、エコナはしばらく考えた後、先ほどの剣呑な雰囲気はどこへやらといった柔らかい口調で答える。
「ん~私も直接あなた達を見るまでは分からなかったんだけど、やっぱりそういう人達って体から発する波長が違うのよねぇ……前に見た人も確かそんな感じだったし」
「会ったことあるんか?!」
「まぁこう見えて割りと長く生きてるからねぇ。そりゃ~一人や二人会ったことぐらいあるわよぉ」
「じゃぁ帰る方法も?!」
和己は思わず身を乗り出してしまう。
「残念だけど、さすがの私もあなた達の言う元の世界へ帰る方法に関しては分からないわぁ。だってあの人達、急にいなくなっちゃうんだものぉ」
「そうなんか……」
落胆し再び椅子に腰掛ける和己。
「ただし……最近どうもきな臭いのよね」
「どういうことや?」
「あなた達がこの世界に落とされた時にいた国……マキール王国のことなんだけど、その王都の近くで物凄い勢いで魔物の数が増えていってるみたいなのよねぇ。おそらく、まともにやり合えばマキール王国なんか軽く滅んじゃうくらいの戦力の魔物がね。もちろんこんな現象、私は今まで見たことも聞いたことも無いわぁ」
「なんやそれ……」
エコナから聞かされる事態に思わず唖然とする和己。
「それで、魔物が増えだした時期なんだけど、丁度あなた達がここに落ちた時期と重なるのよねぇ。もしかしたら、それをなんとかすれば、元の世界に戻れるかもしれないわよぉ?」
「そうなんか……でも、俺ら言うほど強ないで? カートゥン公国の時も実質、不意打ちで勝ったようなもんやし。さすがに過大評価やわ」
「まぁ強さに関してはそうみたいねぇ。それじゃ~私から一つ提案があるんだけどぉ。幸いマキール王国付近の魔物はまだ動く様子もなさそうだし、少しここで私の暇つぶし……ごほん、修行して強くなってみない?」
「おい」
「冗談よ。冗談。それに修行すれば、今より強くなるのは確実よ? いざって時に実力が足りなくて元の世界に戻れませんでした~なんてなったら、嫌でしょ?」
「そらそうやけど……」
「それに、それを歓待ということにすれば、私もご神託を達成できちゃうから一石二鳥なのよねぇ」
耳をピコピコ揺らしながら茶目っ気たっぷりにほほ笑むエコナ。
「そっちが本音かい!」
「まぁいいじゃない。それにどっちにしてもマキール王国には行こうと思ってるんでしょ?」
「……そやな。今のところそこにしか手掛かりなさそうやし」
「なら、少なくともここで修行すれば、自衛できる程度にはあなた達を鍛えてあげられるわよぉ。……幸い素材は悪くなさそうだし」
エコナは和己達を値踏みするように凝視しながら、そう言った。
「そうや!」
「急になんやねん!?」
「フォレストマスターって和訳したら何やろなぁって考えててんけど、森店長一番しっくりくるか……な……」
「あなた次それを言ったら命は無いものと思いなさい」
「ひゃ、ひゃい……」
正義が頭をひねりながら思いついたどうでもよさそうな言葉に、エコナは射殺さんばかりの勢いで睨みつけ重低音を響かせた声で宣告する。そのあまりの鬼気迫る様子に、思わず股間に込み上げた熱い血潮が満潮を迎え吹き出そうになる正義であったが、なんとかすんでのところで股間の防波堤を決壊させるようなことにはならなかった。
「それじゃぁ早速始めましょっかぁ」
「お、おう……」
「ひゃ、ひゃい!」
こうして和己達の修行の日々が始まったのであった。そしてその内容であるが……
「ほ、ほんまにこんなんで強うなるんか?!」
「ひぃいい!」
「いい歳したおっさんがこんなことで弱音吐かないの! ほら次いくわよぉ!」
「うぉおお!」
「ひぃいいいい!」
30歳そこそこのいい歳したおっさん二人には少々荷が重い修行のようであった。