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第三十一話 『幼馴染』

お待たせしました。


 千秋との会話の後、老朽化でミシミシと音の鳴る廊下を歩きながら、俺は美春との日々を思い出していた。



 思えば、俺が美春を異性として本気で意識したのは中学のあの時からかもしれない。


『──おい、神谷。お前、いい加減辻本に付き纏うのを辞めろよ』


 中学校に入学したての頃、同じ小学校出身の友達はそこまでだったが、別の学校出身の男子たちからは俺と美春が一緒に居ることに酷いやっかみを受けていた。


 中学生ともなると、男子は思春期を迎えて異性が気になり始めた頃。

 しかも当時、美春は同級生の中でも頭一つ抜けた容姿をしており、丸みを帯びた女性的な肢体に変化し始めていた。

 そんな憧れの女子と終始一緒に居る俺に敵意が向くのは、ある意味当然の結果なのだろう。


『美春……少し、距離を置かないか』


『えっ、どうしたのよ急に?』


 中学校からの帰り道。

 同級生だけでなく二、三年生からの嫉妬を受け、陰口を叩かれている事に俺は正直参っていた。

 小学生から中学生になる。言わば大人に一歩近付いたという憧れのような感情は既に消え去り、いつ実力行使に相手が出るのか恐怖に怯えていた。


 そんな感情から、俺は遂に美春に弱音を吐露する。

 責任感の強い美春の事だから、責任を感じてしまうかもしれない。そう思っていたのにふと言葉が盛れる。

 案の定、追及してくる美春に俺は全てを話してしまった。


 悲哀に満ちた顔になるのか、それとも憤怒に満ちた表情になるのか。どちらにしろ美春に重荷を背負わせることになるだろう。

 色んな感情が入り交じり、弱々しく光る瞳が捉えた美春の表情は……『慈愛』だった。

 

『──カイ、アンタが何言われても気にしちゃダメよ。私にとってはとても大切な幼馴染なんだから』


 一言。

 当たり前のように、当たり前の事を口にした。

 震える俺を優しく抱き締めてくれたあの瞬間、美春は俺にとって『幼馴染』から、『好きな人』に変わったのだ──



「あの時から、随分と変わっちまったよな」


 俺も美春も。

 あの時はお互いが信頼し、素直に感情を吐き出していた。

 それが、今では大きくすれ違ってしまっている。

 あの頃に戻りたい。そう思う事はきっと当然の帰結。

 だからこそ、俺は──


「……ふぅ」


 洗面所と浴室に繋がる引き戸をゆっくりと開く。

 水の音。磨りガラスで出来た扉の向こうの浴室には、女性的な曲線を描いた肌色が見えた。

 シャワーを浴びているのだろう。ガラスの先に見える美春の腕と思われる箇所が、忙しなく動いているのが判る。


 バツの悪さに思わず目を逸らしつつ、声を掛けようとしたところで、


「──誰? 千秋なの?」


 浴室からくぐもった声が掛けられた。

 急な声に、出掛かった声の代わりに息が漏れる。


 深呼吸。

 耳鳴りのように聞こえる心臓の音を落ち着かせるように大きく息を吐いて、


「……俺だよ。美春」


「か、カイっ!? ちょっ、どうしてここに!?」


 ガタンッという何かが落ちる音。

 結構大きく音が響いた事を考えると、シャワーヘッドでも落としたのだろうか。

 そんな動揺を硝子越しに感じつつ、美春がシャワーの水を止めたのか、水の音が無くなった。


「いや、その、なんていうか。千秋に頼まれて着替えをだな……」


「ち、千秋のバカ……変な気を遣ったわね……」


 どうやら、美春と千秋は随分と距離を縮めたようだ。

 千秋の恨み事が吐き出されている事に驚く反面、少し羨ましい。

 思えば、再会してまともに会話するのは今が初めてかもしれない。


「……それで?」


「えっ?」


「着替えを渡しに来ただけなの?」


 その問いかけに、息が詰まる。

 覚悟していたつもりだった。言おうと決めた言葉が脳裏に浮かんでいる。

 それなのに、上手く声が出ない。


「俺、は」


「──私はあるわ」


 その言葉だけは、やけに明瞭な音として俺の耳に届いた。


「私、貴方に言いたい事があるの。ずっと、ずっと言いたい事が、伝えたい事が、ある……」


「……美春」


「今更って、思うかもしれない。虫のいい話だなって、そう感じるかもしれない。私だってそう思うわ……でも、それ、でも……」


 何を、言っているのだろうか。


 弱々しく響くその声音に、心がザワついた。

 その言葉を、美春から先に口に出された事に自責の念が膨らむ。

 どうしようもない自分の弱さに、何も変わっていない自分への恐怖と怒りに、俺は思わず歯軋りをしていた。


「……着替え、カゴに入れておくから」


「カイ……」


 千秋に渡された着替えを、洗濯機の横に置いてあるカゴに入れる。

 美春の小さな声が耳に届き、それをゆっくりと噛み砕く。

 振り返り、外に出ようと重い引き戸に手を掛けた所で、


「──風呂が終わったら、玄関まで来てくれ」


「えっ?」


「俺も、お前に話さなきゃいけない事がある……それはきっとお前にとって辛い事かもしれないし、嫌なことかもしれない」


 散々美春を泣かせて、苦しませて、また俺は美春を悲しませる。

 判っていた。俺達が和解する為には、そこは避けても通れない道だということも。

 あぁ、それでも、


「それでも、俺は……お前に伝えたい」


 伝えたい言葉が、感情があった。

 本当に昔とは違う。お互いがお互いに気を使い、感情を吐露する事が難しくなっている。


 アイドルの美春。平凡な俺。

 いつしか俺たちは、幼馴染や恋人から全然違う関係になっていた。


「……直ぐ行くから」


「馬鹿。ゆっくりで良いんだよ。つか、お前が長風呂だって事くらい知ってるし」


「ううん。行くわ……直ぐに、カイの所に行くから」


「……あぁ、待ってる」


 笑い混じりに弾んだその声音を最後に、俺は引き戸を開けて外に出た。




◇ ◇ ◇




「……お待たせ」


「……おう」


 美春を玄関で待つこと十分弱。

 風呂上がりの為か、頬が若干上気している美春が姿を表した。


 彼女のトレードマークとも言える栗色の髪はいつものサイドテールじゃなく、今回は後ろに束ねてポニーテールにしている。

 普段は見えない赤くなったうなじや、湿った髪がどこか艶やかな印象を与えて、正直言うと色っぽい。

 ……その反面、ピンクが中心の何故かハリネズミの図柄が散りばめられたパジャマにアンバランス差を感じてはいるのだが。


「……どこ見てんのよ」


「いえ、何処も見てないです……」


 ジト目で見てくる美春の視線に目を逸らす。

 女性は視線に敏感というのは、本当なのかもしれない。


「さて、行くか」


「……えぇ、そうね」


 玄関の傘立てに差してある傘を二本拝借し、その内の一本を美春に手渡す。

 美春が黙って傘を受け取ったのを確認し、俺達は玄関の引き戸を開く。


 外は大分雨が弱まってはいるが、まだまだ傘は必須だろう。

 勢いよく傘を開き、俺達は並んで歩き出す。


 目的地は決まっていない。

 只々、二人きりになりたかった。話をする為の落ち着く時間が欲しかった。


 お互いに肩を並べて無言で歩く。それから暫くし、恐らく十分もかかっていないだろうが、いつの間にか俺と美春が再会した田んぼ道まで足を運んでいた。

 

「────」


 美春の涙を思い出す。

 俺はここで、彼女に対して『信じてる』なんて答えを出すことが出来なかった。

 自分自身でさえ、彼女に対して俺がどう思っているのかが判らなかったから。

 考えてみれば、昔の事を思い出してみれば、その答えは簡単に出せたというのに。


「──おれ、さ」


「カイ?」


 ふと、声が漏れた。

 特に言おうと思っていた訳じゃない。

 ただ、頭に浮かんだ事が勝手に口から零れ落ちていた。


「俺……嫌だったんだ。美春がアイドルになった事。俺から遠くなっていく事が、どうしようもなく嫌だった」


 立ち止まり、美春の方へ振り向く。

 美春は目を見開き、それでも俺から視線を外さない。


「俺達はいつも一緒だった。ガキの頃は、何もしなくてもいつの間にか俺達は付き合って、結婚して、子供達に囲まれて……そして縁側で並んで茶でも啜りながら、俺達は一生を終えると思ってたよ」


「……何それ、漫画みたいな想像じゃない」


「ぅるせッ。俺みたいな平凡な男には、そんな感じのイメージしか湧かねぇんだよ」


 俺の言葉に吹き出しながら相槌を打つ美春。

 でも、そういう日々が来たら幸せだと思う。そんな情景を想像するだけで心が弾む。

 きっと、俺はそんな未来へのレールをただ歩くのだろうと、そう思っていた。


「でも、違ったんだ」


 そんなに現実は甘くはない。


「美春は、俺が思っている以上に輝いていた」


「────」


「幼稚園児の時は普通の女の子で。小学生の時はクラスの可愛い女の子。中学生の時は学年一の美少女。高校生の時は校内のマドンナ……」


 俺にとってはただの幼馴染だった。

 勿論、可愛いとは思っていたけど、年齢を重ねて行く内に彼女の容姿は突出していく。

 そんな魅力的になっていく幼馴染に、遠ざかっていく幼馴染に俺は焦燥を抱いていた。


「ずっと一緒だと思っていた。でも、それは俺の願望に過ぎなかった。だって、年齢を重ねれば重ねる程、俺とお前の天秤は傾いていくんだから」


 昔は釣り合っていたであろう天秤。

 今ではその均衡は崩れ、俺と美春の間には大きな差が生まれてしまった。


「だから俺は、まだ美春の気持ちが俺に近い内に、他の魅力的な異性が俺の居場所を奪い去っていく前に、美春に告白したんだ……」


「────」


 喉が震える。胸の奥底が張り裂けそうになる。

 俺を見つめるその瞳が赤くなっていく様に、目を逸らしそうになるのを必死に堪え、


「──多分あの時、俺は好意を本気で伝える為に告白したわけじゃなかったんだ」


 誰もが好きな人と一緒になりたいと願って想いを伝える。

 男性にとっても、女性にとっても、きっとその出来事は輝かしい記憶の筈で。

 それを俺は、邪な気持ちで汚してしまった。


「勿論、美春の事は大好きだった。一緒に居たいと思ったさ……だけど」


「────」


「俺はきっと、お前を誰かに奪われたくないっていう独占欲の方が強かったんだ」


 浅ましい考え。

 誰かに奪われるくらいなら、俺が先に彼女の心を奪ってやる。

 そんな薄汚く、姑息な手で欲しい人を手に入れようとした。

 特に美春に釣り合う為に努力をしようとした訳ではなく、只々美春の好意に付け込んでいたのだ。


「そして告白を了承して貰った時、俺は嬉しさよりも安心感の方が勝っていた……『あぁ、これで美春は俺とずっと一緒なんだ』って、どんだけ腐ってんだろうな俺の性根はッ」


 俺は純粋な好意で美春に告白していなかったのだろう。

 泣いて喜んでいた美春の姿に、俺は本当に寄り添えていなかったのだ。

 だから、今の俺と美春の関係がある。


「幸せだった。ずっと一緒に居るってそう思っていた……けど、お前は俺の想像のつかない所に行ってしまったんだ」


「それって……」


「あぁ、アイドルだよ」


 同じ学校であれば、俺の目の届く所に美春は一緒に居てくれた。

 逆に言えば、俺が目を逸らさなければ、彼女はずっと俺の『恋人』のままで居てくれる。

 なのに、


「美春がアイドルになって、人気が出始めて多忙になるにつれて、美春の居場所は俺の隣じゃなくなった。俺の知らない、美春には居場所が増えてしまった」


 不安に駆られた。自分の弱さに嫌気が差した。

 かといって、俺は何するでもなく、きっと美春は俺の所に戻ってきてくれるなんて都合のいい事ばかり考えていた。


「美春、俺が『あの日』、美春の言葉に対してどう思ったか判るか?」


「……判らないわ」


「──『あぁ、やっぱり』って、そう思ったんだよ」


 美春が俳優の安西信明の名前を出して、好意を滲み出すような発言をした時。

 やっぱり美春は魅力的な男の所に行ってしまうんだなって、そう思ったんだ。


「俺は所詮、大切な人の事を信じられなかった屑野郎だよ……。少しでも冷静になれば、少しでも信じていれば、美春の事を判ってやれたのに……」


「────」


「美春……ごめん。俺はこんな最低な事ばかり考えていて、本当は、お前の隣に立つ資格なんて最初から無かったんだよ……ッ!」


 鬱屈とした感情が止まること無く吐き捨てられる。

 なんて無様。なんて醜態。

 弱くて、そのくせヘドロに塗れたような人間性に、目頭が熱くなる。

 羞恥で張り裂けそうになった胸を掻き毟り、美春からの罵倒も断罪も何もかもを受け入れようとして──



「──それの何がいけないの?」



 他の誰でもない、美春が俺の罪を一蹴したのだった。




◇ ◇ ◇




「何が、いけないって……」


「恋って何? 愛って何? 恋人って何? それって純度百パーセントじゃないといけない事なの?」


 傘を持っていない右手を振り、鼻で笑う美春。

 嘲笑しているような態度だが、あながち間違いじゃないのだろう。


「いや、それは美春に対して不誠実だろ……当時の美春は、俺の好意に誠実に答えてくれたし」


「カイ、私が本当に、ただ純粋にカイの事を想っていたってそう思ってるの?」


「……違うのか?」


「違うわね」


 頬を細い指で掻き、斜め上の方向に視線を向ける。

 この動作……疾しいこと(・・・・・)がある時の美春の癖と気付き、


「私、アンタに好意を寄せていた女子に、アンタのある事無いこと吹き込んで好意を踏みにじりまくっていたわ」


「…………ハァッ!?」


 素で声が出る。

 美春の言葉が耳に入り、脳が理解するまで時間が掛かった。

 コイツはいったい何を言ってるんだろう。


「そりゃ、私だってカイの事が好きなんだもん……私が告白する勇気が出てないのに、ぽっと出の女子達にアンタを取られてたまるかって言うのよ」


「ちょっと待とう……えっ? 俺が中学になっても母親と風呂入りたがってるとか、家ではパンツ一丁とか噂経ってたのって、もしかして……」


「勿論、私ね」


「お前なぁっ!?」


 一時期女子達からの評価が地に落ちていた事があった。

 ある事ない事噂が広がっており、俺が否定しても信憑性が高いとかで誰も信じてくれなかったあの時。

 もしかしてって思いながら、心の中で否定していたが、やっぱり犯人はコイツだったのかよ。


「まぁ、そんな事はどうでもいいわね」


「いや、どうでも良くねぇけど……!」


「今更でしょ……私だって悪かったなぁって思っているんだから」


 申し訳なさそうな顔。

 確かに本気で罪悪感は感じているようで、彼女は軽く下唇を噛んでいた。


「要は、私にだって醜い所はあるのよ……カイを誰にも取られたくないって、そう思っているけど、告白する勇気が出なかった。その代わりに取った手段が、他のライバルを蹴落とすって手段だったの」


 でも、思えば美春は確かにこんな性格だった。

 普段は特にそこまで執着はしてないけど、本気で目的の為に美春が動く時は、どんな手段を用いてもやり遂げて見せる。

 そんな姿に、俺は憧れていた。


「ライバルを無くし、カイが私に気になるように色んな噂や話を吹き込んだ事だってある……それでも、私にはカイに告白する勇気が無かったの」


 美春も恐れていたんだ。

 俺が美春を誰かに取られる事を恐れていたように。

 美春は俺が告白を断り、只の幼馴染にすら戻れない関係になってしまう事を。

 俺達は、ずっと恐れていたんだ。


「そんな私に、カイは告白してくれた……例えそれが独占欲から来てても、それでもいい」


「────」


「だって、カイは確かに──私の事を好きで居てくれたんだから」


 スっと、美春の目尻から一筋の光が流れた。

 万感の思いで、胸に手を当て、そして熱を持った視線を向けてくる。


「私の方こそ駄目よね……カイの事を考えながらアイドルになって、カイに嫉妬して欲しいが為に別の男の存在を匂わせた……結局自分善がりな考え方で、私はカイを蔑ろにしてしまった」


 そんな事は無い、悪いのは俺の方だって言ってやりたい。

 ……いや、判っているんだ。

 誰が悪いのか、この現状を引き起こしたのは誰が原因なのか。


「……俺達は間違えたんだよな」


 俺が、美春が、お互いに歩み寄れば。

 恋人になれば、それでずっと一緒だなんて幻想を抱いたから。

 だから、俺達はすれ違ったんだ。


「遅かれ早かれ、いつかこんな日が来たんだろうな」


「えぇ……絶対にどちらかは限界に達して、きっと修復不可能な関係になってしまうんでしょうね……お互いに深い傷を残して」


 そう思えば、あの時ぶつかって、そして今こう話せてる事は不幸中の幸いだったのかもしれない。

 いや、不幸中の幸いだったのは……この村で『彼女』に出逢えた事なのかもしれない。


「ねぇ、カイ……」


「……なんだよ」


「千秋の事……好きなんでしょ?」


 静かに、その言葉が胸に届く。

 心が、痛い。

 何もかも、全て誤魔化したくなる。

 でも、それは逃げなんだって『彼女』が教えてくれたから。


「……好き、なんだと思う。今の俺にとって、千秋は俺の心を支えてくれたから」


「それって、私より……?」


「……ごめん」


 目を逸らしたくなる衝動を抑え、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめる。


 きっと俺は今でも美春の事が好きだ。

 でも、それ以上に千秋に心が惹かれてしまっている。

 落ち込んでいた時、優しく言葉を掛けてくれて、俺を包み込んでくれたのは──他でもない千秋なのだから。


「……そっか」


「────」


 無表情を保ちつつ、何かを堪えながら上を見上げる美春。

 そこまで鈍感では無い。大粒の涙が、瞳に溜まっている事に気付いていた。


「美春……」


「気に、しないで……っ。それより、他にも言いたい事が、あるんでしょっ?」


 あぁ、敵わないな。そう思った。

 胸の内に何か感情が膨らんでくる。

 その強烈な衝動を振り払うかのように、袖で思いっきり目元を擦りあげて、


「なぁ、美春──俺と別れてくれないか?」


「────」


「俺は……今の美春と一緒に居る事が出来ない……だって、俺が本気で好きだったのは──」


 ──『幼馴染』の美春なんだから。


 俺の言葉に、美春は思いっきり下唇を噛み締め、上げていた顔を真下に下げる。

 そのまま大きく溜息を吐き、指で目尻を擦る様な動作をして、


「そう、ね……私もそれが一番だと思うわ」


 美春は少し赤くなった瞳を閉じ、儚げに微笑んだ。


「────ッ」


 罵倒して欲しかった。

 そんなに優しく受け止められたら、俺まで泣けて来るじゃないかと。


「……カイっ!」


「み、はる……っ」


 ふいに、美春が傘を放り投げて俺の胸に飛び込んで来る。

 咄嗟だが、ぶつからないようき受け止めようと自分の傘を放り投げた所で気付いた。

 ──あぁ、雨が上がってる。


「ごめん……ごめんね……カイッ!」


「違う……俺の方こそ……」


「私のせいで、カイはずっと苦しんでいたのに、それに気付かないようにしてて……」


「……俺だって、美春の事をちゃんと判ってやれなかった」


 美春の事をちゃんと見てやれれば、ここまで拗れる事は無かったと言うのに。

 でも、謝っているばかりじゃ駄目なんだ。

 さっき、俺達は過去を、過ちを清算した……だったら次に出る言葉は一つしかない。



「──有難う。俺と一緒に居てくれて」


「──ッ。わたし、も……私も有難う、カイ……っ!」



 いつまで抱き締め合っていただろう。

 お互いに浮かんでいた涙が乾くまで、きっとそうしていたんだと思う。

 ふいに美春が身動ぎをし、


「──これで終了!」


 俺の胸に両腕を当て、美春は身体を離す。

 俺に背中を向けてグッと伸びをし、満足したのか改めてこちらに振り返った。


「これ以上は千秋に悪いから……平等に行かないとね」


「美春」


「でもね、カイ……別れたとしても、もう付き合えないって言うわけじゃないわよね?」


「……美春?」


 一瞬、思考が止まった。

 長年の付き合いだ。直ぐに彼女が言いたい事が頭に浮かんで来る。

 彼女は茶目っ気のある生意気な子猫のようは笑顔で、人差し指を俺に突き出し、


「覚悟しておきなさいよ……千秋に勝って、今度こそカイの心を独占してみせるわ!」


「…………ははっ」


 呆気に取られたが、何となく彼女らしいなと思った。

 誰よりも元気で光輝く太陽の様な存在。

 それこそが、俺が憧れた辻本美春なのだ。


「さて、帰るか。千秋が美味い飯を作って待ってる」


「そうね。私、千秋のご飯初めてだから楽しみだわっ!」


 横並びで、たわいの無い会話をしながら俺達は帰路に着く。

 その関係は、さっきまでの俺達の関係とはまた別物で、でも確かな絆が存在してた。




 ──さようなら……俺の『元恋人』。



 ──ただいま……俺の『幼馴染』。





いつも有難う御座います。

今日久々に書いて8000文字とは……一年ぶりなのにビックリです。

次はエピローグの予定です。次の夏休みに書けたら投稿しようかな……。

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