第二十九話 『恋敵』
お久しぶりです。
引退宣言したけど、さり気なく書きました。
1年以上ぶりなので、文章は何卒です……!
「──はぁ……はぁ……ッ」
感情のままに走って、走って、走り疲れて。
アイドル活動を休止していたせいか、私の身体は直ぐに悲鳴をあげ、気が付くと膝に手を乗せて歩みを止めていた。
「どうして……どうして──」
──どうして、こんな事になったんだろう。
現実から目を背けた果てに、そんな言葉が頭を過ぎる。
「……そんなの、判りきってるわよ」
自問自答。
そうだ。判っている。何が悪くて、誰が原因なのか。
それを理解出来ないほど、私はこの一ヶ月も無駄に過ごしていた訳じゃない。
「カイ……」
漏れるのは、愛しき幼馴染の名前。
幼い頃から嬉しい時は勿論のこと、悲しい時、辛い時でもいつも一緒に分かち合ってくれた。慰めてくれた。
先が見えない暗闇の中、一人で立ち上がれない私の手を引き、明るい世界に連れ出してくれた。
──でも、愛しき幼馴染は、もう隣にいない。
「……かいぃ」
雨に濡れ、冷えた身体を掻き抱く。
寒い。身体ではなく、まるで孤独感に打ちひしがれた心が凍り付いたかの様だ。
こんなにも自責の念に苛まれている中、情けなくも、カイが今すぐにでも私の手を握ってくれる妄想が浮かんでしまう。
手の温もりが、私の凍った心を溶かしてくれる。そんな事ばかりが頭を過ぎり、また自責と哀切の情が湧き上がるという繰り返し。
そんな私に、大粒の雨が容赦なく打ち続けられる。
「──ごめ……んなざぃ……」
呟かれる懺悔の声。
気が付くと視界が歪み、涙が瞳から溢れていた。
掌で涙を拭っても、後から涙が溢れて止まらない。止まって、くれない
そうなってしまうと、もう駄目だった。
「────ッ!」
声にならない叫び。
雨や涙でグショグショに歪んだ顔を隠すように掌で覆い、襲い掛かる激情に堪えきれず膝をついて崩れ落ちた。
カイに会って、『あの日』の事の謝罪をすればまた元に戻ると思っていた。
だけど、それは楽観的な感情に過ぎず、今のカイの隣には大切な人が居る。
そう想像した瞬間、カイを失う事や、またあの恐怖に一人で対峙しなければいけない事に、目の前が真っ暗になるのを感じた。
「……いや、もう……いっそこのまま──」
「──あのっ、美春さん……!」
迫り来る絶望に耐え切れず、摩耗しきった心が擦り切れる瞬間、聞き慣れない声が私の真上から降ってきた。
ゆるゆると顔を覆っていた両手を下ろし、振り向いて声の主の姿を視界に収めると、息が、止まった。
その声の主は最も記憶に新しく、そして絶望の象徴とも言える存在。
「あ、なたは……カイの……」
「は、はい。千秋、と言います」
黒髪のボブカットの少女──千秋、さんが、私を見下ろしていた。
見下ろす彼女と見上げる私。
皮肉にも、その構図は今の私と千秋さんの関係にそっくりだと思った。
「……なに、しにきたんですか?」
「えっ?」
戸惑いを含んだ彼女の声に、ふいに激情が湧いてくるのを感じる。
「何ですか……私を慰めに来たんですか。それとも、敗者の無様な姿でも拝みに来たんですか?」
「そ、そんな事は……。取り敢えず落ち着いてください……!」
悲嘆。羨望。憎悪。憤怒。
鬱屈とした感情が思考を塞ぎ、それがそのまま言葉として千秋さんにぶちまけられる。
「落ち着けって……無理に決まってるじゃない。どうしろって言うのよ……。好きな人を……カイを奪った張本人に対して、私にどうしろって言うのよッ!」
止めようにも、制御出来ない。
怯えたようにも見える千秋さんの瞳を無視し、立ち上がった勢いそのままに彼女の襟元を両手で掴む。
「ち、違いますっ! カイくんとはそういう関係じゃありません! それにカイくんは……」
「じゃあ、あのネックレスは何なの!? どうして貴女が持ってるのよ! 私は知ってる……覚えてる! アレはカイとの記念日に、カイがプレゼントしてくれるって……そう言ってくれたものよ!」
千秋さんが持ってるネックレスが目に入った瞬間に走った衝撃を、貴女に理解なんて出来ない。
理解して欲しいなんて、思わない。
私の思い出を、カイとの幸せな時を塗り潰される事は絶対に許さない。
「この、ネックレスは……」
「ふんっ、カイもカイよ……私の為に買ったプレゼントを他の女に渡すなんて……。カイの私に対する想いってそんなものだったのかしらね……! それなら、寧ろ私も別れて正か──っ!?」
乾いた音と共に、左頬に衝撃が走った。
ゆっくりと左頬に手を当ててようやく、鈍い痛みが神経をジクジクと刺激し始める。
その痛みの原因である少女の姿を改めて視界に収めると、千秋さんはさっきまでと打って変わり、怒気を瞳に宿していた。
「……何、して」
「──思ってもいない事を、カイくんの悪口を、他でもない貴女がっ! 貴女が言わないでくださいよッ!」
温厚そうな彼女が放つ刃が、私の胸に突き刺さる。
痛む頬。興奮して息の荒い千秋さんの右手は、少し赤くなっているように見えた。
「な、によ……」
否定していたって、判る。
彼女がカイの事が好きな事くらい、私には判っているのだ。
だからこそ、彼女のカイに対する想いに嘘偽りは無く、私に放ったその言葉が本心から言っている事くらい、理解出来る。
けれど、
「なによ……貴女が何を知っているのよ!」
「────っ!」
怒りのままに、千秋さんの左頬に平手打ちを浴びせる。
理解している。これは──八つ当たり。
「貴女に何が判るのよ! 何も知らないくせに……私とカイの事なんて貴方には関係ないじゃないの!?」
彼女は知らない。カイとの思い出を。
彼女は知らない。カイに対する想いを。
彼女は知らない。カイが居ないとダメな私を。
そして、
「……知りませんよ。貴女の事なんて……私は何も知らない! 貴女自身の事なんて何も判りませんし、知りたいと思ってもいません! けど……!」
あぁ、私も──
「──カイくんの貴女に対する想いは、知っています」
何も知らない。
私だって。
カイと千秋さんの事──何も知らないくせに。
◇ ◇ ◇
「カイくんは言っていました。貴女は努力家だって……誰にでも優しく接していたって……」
「────」
違う。
カイ……貴方は勘違いしてるわ。
私は何も好きで努力して、周りに優しくしてた訳じゃない。
貴方は覚えてないでしょうけど、小学校1年生の頃、体育の授業の逆上がり。
皆が何回かある授業で逆上がりが出来るようになっても、私は一向に出来なかった。
悔しくて、休み時間でも一人で逆上がりの練習をしている私に、貴方はこう言ったのよ。
──みはるちゃんってどりょくしてて、カッコイイよね! みはるちゃんは『どりょくか』だね!
何も考えずに発した言葉だということは判っていた。
それでも、嬉しかった。
それから練習にいつも付き合ってくれた貴方。
初めて出来た時、誰よりも喜んでくれた貴方。
どれだけ嬉しかったか、どれだけ貴方の存在が救いになったか、きっとカイは知らないだろう。
だから私は、変わった。
貴方が私を『努力家』だと言うなら、そうなろう。
貴方が私を『優しく』してくれたから、私もそうなろう。
貴方が憧れる私に。私が憧れる貴方に、そうなろう。
そうでもしないと、私はきっと、貴方の隣に立つ資格はない。
「あの人は、ずっと美春さん……貴女の事を想っていましたよ」
「────」
「カイくんは裏切られたって言ってました……でも、そう信じきれていない事くらい、カイくんの表情を見れば判ります。罪悪感と絶望感に囚われたあの人の顔は、見ていられませんでした」
裏切り。
それはそうだ。
私は、直ぐにアイツに弁解も行わなかった。きっと大丈夫だって、そう思っていた。
どれだけカイの事を傷付けたのか、私は全く理解していなかった。
たとえ、それが誤解であっても、言葉にしなきゃ判らない事はあるのに。
「でも、私はカイくんの事を知っていますから。あの人がそこまで惹かれた女性が、最低な人間なわけない」
「……いくらなんでも、私の事まで理解は出来ないわよ」
「いいえ。対面して、ハッキリと判りました」
私の言葉を力強く否定する千秋さん。
雨でボヤけた世界で、力強い瞳で私を見つめてくる。
どうしてだか、彼女の瞳に吸い寄せられるように、目を背けられない。
一呼吸。
千秋さんは儚げな笑みを浮かべて首を傾げ、
「だって、美春さん……泣いてるじゃないですか」
言われて、雨で濡れた手の甲で急いで拭い取る。
「これは……雨よ。それか、さっきまで少し泣いちゃったから──」
「違います。気付いていなかったでしょうけど、貴女はカイくんを否定しようとした瞬間、凄く悲しそうな表情で、一筋涙を流していました」
「そんな、わけ……」
おかしい。
雨の筈だ。それとも、濡れた手で拭ったせいか。
どうしてだろ。拭った後から後から、瞳からどんどん水が溢れてくる。
「──辛かったんですね」
「────」
「さっきも言いましたけど、私は美春さんの事をまったく知りません。でも、それくらい、私にも判ります」
「────」
「でも、もう大丈夫ですよ」
「────っ」
涙を堪えるのに必死な私の身体を、千秋さんが抱き留めてくれた。
自分で身体を抱き締めた時と違い、冷えた身体と心が驚く程暖かくなっていくのを感じる。
「……辛かった」
「はい」
「カイの事、嫌いと思った事ない。ずっと好きで、大好きで、愛してるわ……でも、今では怖い」
離れれば離れるほど、カイに対する想いが募っていく。
『あの日』、嫌われたと思う程、胸が張り裂けそうになる。
きっと、私はカイが居ないと生きていけなくなるのだろう。
「ずっと伝えたかった。ごめんって。愛してるって……! でも、今のカイには……私の言葉は届かなかった……それは私の自業自得だって事も判ってる」
「…………」
「私が居ない間に、カイには心の支えになる人が隣に居てくれたのね……」
千秋さんの胸を押して、彼女の腕の中から開放された。
改めて千秋さんを見る。
優しげな雰囲気の中に、芯のある力強い女性。まるで、私の憧れたカイみたいだった。
──私の、私の恋敵。
「ねぇ、千秋さん。貴女、カイの事好きでしよ?」
「──はい」
その言葉に、躊躇なんて一つも見せない。
彼女の心の奥底にはカイが居て、カイの奥底には千秋さんもいる。
「ふふっ……カイの隣には、私しか居なかった筈なのに……今では千秋さんがいる」
「────」
「おかしいわよね……そんな事になってるのに、どうしてかな。不思議と嫌な気持ちじゃないの」
勿論、会った時は恨んだ。
私がこの一ヶ月大変な目にあってた中、私の居場所を赤の他人に奪われているなんて。
でも、千秋さんの人となりに触れて、納得してる自分がいた。
「美春さん……私は……」
「──美春」
「えっ?」
私の言葉に、怪訝そうな表情を浮かべる千秋さん……いや、
「私は『千秋』って呼ぶわ。だから、貴女も美春って呼んで」
「えっと……」
「これから私のライバルになるんだから、遠慮しないで。言っておくけど、私は容赦しないわよ」
言葉もない千秋。唖然とした表情をした後、クスリと笑みを浮かべ、
「判りました。美春ちゃん」
「呼び捨てでいいのに」
「さ、流石にそこまではちょっと……いつか、いつかでお願いします!」
胸の前で両手を突き出し、左右に振り始める。
そんな様子がシュールで、少し笑ってしまう。
「な、なんですか!」
「別に何もないわ」
顔を赤くした千秋からの追求を誤魔化す。
少し睨んでいた千秋だったが、ふと気付いたようにポケットに手を入れる。
「そういえば、美春ちゃん……これ、誤解させちゃったみたいですけど」
「それは……」
千秋が差し出したのは、例のネックレス。
カイが選んでくれたネックレス。
正直、カイとお店で見つけた時よりも欲しいと思った。欲しいと、思ったけど、
「千秋が持っていて良いわ」
「えぇっ? いや、元々カイくんは美春さんに……」
「今の私には、受け取る資格はないわ」
これを受け取る瞬間が来るとしたら、それはカイとの誤解が解け、カイの心の最奥に私しか居ない時だ。
だから、今ではない。
少なくとも、目の前の恋敵を倒さないと、このネックレスを受け取る資格は得られない。
「いえ、私も受け取れませんよ……!」
「そう? なら、カイに渡して、私と千秋、本当に好きな人に渡してもらうようにしましょうか」
「わぁっ、良いですね!」
世の中、どう転ぶか判らない。
何も見えない暗闇の中を走り、ようやく見つけた光に突き放された後、まさか別の光が私を照らしてくれるなんて。
そしてまさか、その光である千秋とこうして笑い合えるなんて……。
「ねぇ、美春ちゃん」
「何かしら?」
「私、負けませんから」
「──えぇ、私もよ」
もう、手遅れかもしれない。
もう、カイの心に私は居ないのかもしれない。
でも、それでもいい。
心の中に居ないなら、また居ついてみせる。
誰かに心を奪われたのなら、奪い返す。
元々、恋愛っていうのはそういうものだ。
カイは、許してくれるだろうか。
カイは、私の事が嫌いになっただろうか。
そんな事、もう関係ない。
──カイ、私は貴方を愛してる。
最後に、一年以上待ってくださった読者の方々に感謝を。
──本当に有難う御座いました。




