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第二十六話 『無慈悲な想い人』

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします



 ──夢を見ていた。夢だと理解した。


 隣に『最愛の恋人』が居て、幸せな時を謳歌している、そんな夢を。

 でも、気が付いた時には少女は居なくなり、視界が真っ暗に染まる。

 宙に浮かんでるような感覚がなくなり、自分が横になり柔らかな布の上に体重を預けていると理解した瞬間、俺は現実を思い出した。

 


 あまり思い出さないようにしようと思った。『彼女』を忘れた事はない。だが、幸せだった日々の事は考えないようにしていた。


 無理だった。


 何故思い出してしまったんだろう。

 鬱屈とした何かが、喉のそこまで込み上げてくる。

 このまま目を閉じて、再び夢の世界に訪れれば『彼女』に会えるのだろうか。

 まだこの右手に『彼女』の手の温もりが残っている気がする。

 消えないでくれと、行かないでくれと本気で思い、俺は再び夢の中へと──


「──泣いているんですか?」


 頭上から声が聞こえた。

 不意に、俺の右手を誰かに握られる感覚。

 『彼女』ではない誰かに、温もりを上書きされていく。でも、不思議と不快じゃない。


「……千秋」


 声の主であろう人物の名前を呟く。

 ゆっくりと目を開き、何故か歪んだ視界に見覚えのある少女の姿が見えた。


「あっ、ようやく起きましたね。大丈夫ですか。意識はハッキリとしてますか? まったく、灯里ったら私に神谷くんのお世話を任せて帰ってしまうなんて……わ、私としては嫌ではないですけど……」


「千秋」


「えっ、カイ、君……?」


 千秋が離そうとする手を逃がさないように強く握り直す。

 俺の突飛な行動に困惑の声を上げつつ、千秋は頬を軽く染めた。


「あった、かいな……」


 自分でも何故こんな事をしているのか判らない。

 離さないといけないと理解しているのに、あまりにも心地良いその温もりに、寒くなった心が包まれているように錯覚する。

 いや、実際に雪解けのように心が解かされていく。


「ちょ、カイ君っ! 止めてください。恥ずかしいですよ!」


 俺の握っていた力が緩んだ瞬間、千秋は俺の手を振りほどく。

 名残惜しいように宙で空気を掴む右手。虚無感が一瞬襲ったが、千秋の顔を見つめ、周囲を見渡してそこが自分の部屋だと理解すると、徐々に意識がハッキリとしてくる。


「あ、あれ? 俺って今さっき何を……」


「か、カイくんは急に何するんですかっ。私の手をぐにぐにって……ぐにぐにってぇぇ……!」


「あ、いやごめん! なんか意識が曖昧で。ちょっと寝惚けてたというか何というか」


「本当に寝惚けていたんですか!?」


 バタバタと腕を振りながら、早口で弁明する俺と赤面して顔を逸らしている千秋。

 あまり鮮明に覚えてはいないが、この手に残る温もりと感触が何よりの証拠だろう。


「それより千秋、どうしてここに?」


「……何も覚えていないんですか? 灯里がカ、神谷くんが転んで頭を打ったから介抱してくれって連れてきたんですよ」


 先程まで『カイくん』と言われていたのが名字に言い直されている事に胸がチクッと感じながら、俺は目を覚ます前に何があったのか思い出そうとする。


「灯里……あっ」


 思い出した。転んだなんてそんな訳ない。

 灯里にぶん殴られて俺は意識を失ったんだ。というか意識を失うくらいってどんだけ強い衝撃だったんだろう。


 自覚すると後頭部が痛みで疼いているのが判る。触ってみようと身体を起こし、疼く箇所を触ってみると何故か湿っている。

 俺が頭部を置いていた所を見ると、若干ぬるくなっている氷枕が置いてあった。きっと千秋が置いてくれていたのだろう。

 痛みもそこまで強くないし、ずっと冷やしてくれていたのかもしれない。


「身に覚えがあるんですか?」


「身に覚えがあると言えばありすぎるんだけど。そういえば灯里は?」


「神谷くんが目を覚ました時、自分が居たら厄介だから帰るって言ってました。厄介ってどういう事ですかね?」


「……今度アイツにあった時、『お礼』するから気にしないでくれ」


 たっぷり『お礼』してやろう。逃げ出した者に慈悲はない。


「それよりも神谷くん。どうして泣いてたんですか?」


「えっ?」


 千秋に言われ、咄嗟に自分の目元に指を当てる。

 冷たい感触。指を見ると、目元に当てた所が湿っていた。

 汗、という事はないだろう。となるとやはり涙以外の原因は見つからない。でも、どうしてなのだろうか。


「本当……だな」


「楽しい夢を見ていたのか、すごく嬉しそうな寝顔をしてたんですよ? でも、途中からどんどん悲しそうな表情になって、そして……」


「涙を流してた、と……ん? というか俺の寝顔ずっと見てたのか?」


「っ! た、たまたま神谷くんの方を見た時にそうだっただけですよ!? 本当ですから!」


「そ、そうか」


 まぁ、俺の寝顔なんぞ眺めていても意味は無いかと納得する。

 それよりも俺が涙を流していた理由。それは一つしかないだろう。


「ど、どうして笑ってるんですか?」


「え? いや……いい夢だったなぁってさ」


 本当にいい夢だった。

 かつての幻影を見て、どれだけ自分が幸福だったか、それを思い知らされた。

 そんな幸福な時間を夢の中で過ごし、それがもう現実では不可能だと理解すると、悲哀だの諦念だのが混じった感情が俺の胸を締め付ける。


 でも、だからこそ、


「今の俺がどうすればいいのか、俺が選ぶべき道が、はっきりと理解した気がする」


「────」


 千秋は俺の脈略のない言葉に首を傾げる。それは当然だろう。

 この夢を見て、俺が自分の立場を理解し、そして決意を固めただけなのだから。


「どういう夢だったのか凄い気になりますけど、納得しているなら深くは聞きません。何か軽いものなら作りますけど、何か食べますか?」


 そう言われて時計を見ると、昼の12時を既に過ぎていた。

 俺が気を失ってから二時間程と言ったところか。

 自分の腹の調子を確かめてみる。やはり眠っていたからか、あまり空腹は感じられない。


「いや、遠慮しておくよ。寝起きだし、あまり腹も減ってないんだ」


「そうですか。神谷くんが良いのでしたらそうしましょう」


「悪いな」


「いえいえ、私たちはその……『友達』、なんですから、気にしないでください」


 『友達』……確かにそれ以上でもそれ以下でもないだろう。

 俺はあの日、彼女の想いを拒んだ。彼女は俺に想いを受け取って貰えなかった。

 たとえ今の俺がどんなことを思っていたとしても、今の彼女には関係ないのだから。


「それじゃあ、そろそろ神谷くんも布団から出てください」


「あ、判った」


 氷枕を台所に持っていきながら、千秋は苦笑しながら告げる。

 ちょっと汗が服に滲んでる。一度着替えた方がいいかもしれない。


「まったく……神谷くん。布団は一度使ったらちゃんと折り畳んで押し入れに閉まってください。出しっぱなしなんて良くないですよ」


「えっ、あ、すまん……」


 都会にいた時も一人暮らしの時は特に何もしてなかった。ベッドだったということもあったし、面倒で洗濯や布団を干す時以外そのままだった事も少なくない。

 そのままの気分でいた事もあり、畳むということが頭から抜けていた。


「汗をかいてるでしょうし本当は干したいんですけど、朝と打って変わってちょっと曇ってきましたので明日にしましょう」


 そう言うと、千秋は慣れた手つきで敷き布団や掛け布団を綺麗に折り畳んでいく。

 俺がやるよと言う前にささっと折り畳み、少し罪悪感が湧いてくる。


「よし、これを押し入れに……って、何でしょうかこれ?」


 千秋の言葉に、俺は千秋が手にしているものに目を向ける。


 それは少し前に見た、綺麗に包装された小さな箱……って、


「何でしょう……贈り物用、ですかね」


「……まぁ、そうだな」


 千秋が俺に見せた箱。

 それはかつて、美春の為に買ったネックレスが入っているもの。

 先程までの夢で見ていた、あの思い出が込められた大切なネックレス。


「もしかしてこれって……神谷くんの彼女に渡すものだったんですか?」


「あぁ。結局渡せなかったんだけどな」


 千秋の持っている箱を手に取り、包装を外す。


「えっ、良いんですか?」


「どうせ要らないものだからな。いつまでもこれ持っているのはどうかと思うしな」


 包装が外れ、露わになった箱を開くと、さっきまで見覚えのある、ハート型のリングがついたネックレスが顔を覗かせた。


「……綺麗」


「高かったんだぜ、これ」


 ウットリと表情を綻ばせ、ネックレスを眺める千秋。

 それを手に取り、千秋の掌に載せてみる。


「えっ、どうして?」


「もっとよく見ていたそうだったから、好きに見てくれてもいいよ」


「────」


 困ったような、泣きそうな顔を一瞬浮かべたように見えたが、瞬きした後は特にそんな表情を浮かべていなかった。俺の気の所為なのかもしれない。


「神谷くんの……」


「ん?」


「神谷くんの好きだった人って、どういう人だったんですか?」


 俯き、千秋の顔が見えない。単に興味本位なのだろうか。表情が見えないから、どういう感情で言っているのか判らない。

 まぁ、取り敢えず、


「ガサツ、だったな」


「ガサツ……ですか?」


「あぁ。千秋みたいにお淑やかで、家事とか色々と出来るわけじゃない。五月蝿いし、暴力だって平気でする。何回アイツに泣かされたのか判らないくらいだ」


 学校でもアイドル活動でも、美春は自分に仮面をかけ、活発で性格の良い人物を演じきっていた。正直、彼女の本当の性格を知っている人は家族や俺を除くと10人も居ないだろう。

 そして家に帰れば、俺の部屋に転がり込んで二人で言い合いながらゲームをやったり漫画を読んだりと、そんな日々だった。


「でも、アイツは誰よりも努力家だった。誰よりも優しかった。アイツには悪い所以上に……良い所が沢山あったんだ」


 勉強も俺の家から退散した後、猛勉強をしていたのを知っている。毎朝俺の家に来る前にランニングをしているのを知っている。


 誰かが困っていたり、誰かが泣いていたら、美春が親身になって話を聞いていたのを知っている。そして一緒になって解決しようとしていたのを知っている。


 だからアイツは、アイドルになる前から誰からも好かれていた。

 猫を被っているからではなく、美春は根本的に善人なのだろう。姉御肌と言ってもいいかもしれない。


 そんな美春だからこそ、俺は惹かれたんだ。

 ずっと一緒に居たいと、そう思ったんだ。


「今更、そんなこと思っても仕方ないんだけどな……」


「────」


 だからこそ、美春が浮気した時は本当に信じられなかった。

 ずっと嘘だと信じ続けていた。いや、目を逸らし続けていたと言った方が正しいだろう。

 元々そんな魅力的な美春に、平々凡々だった俺では釣り合わなかったというだけ。

 今更かつての幻影にしがみついて何になるというのだ。


「……素敵な方だったんですね」


「あぁ、それは間違いない」


 俯きながら手に持つネックレスを弄ぶ千秋。

 何故だろう。灯里とこのネックレスの話をした時は誰にも触らせず、思い出をアルバムに仕舞うように大切に保管しようと思っていたのに、今は特に何も思わない。


 故郷を思うような、そんな穏やかな感情。

 千秋と美春を乗せ、揺れていた天秤が、次第に落ち着き始める。釣り合っているわけでなく、徐々に傾き始めるような錯覚をした。

 ……今しか、ない。


「……千秋、実は俺、お前に伝えたいことが──千秋?」


 灯里に勇気を貰い、かつての光景を夢見たことで決意した事を千秋に伝えようと思った。

 そして顔を上げた千秋の表情は、


「どうして、泣いているんだ……?」


 顔を真っ赤に染め、止めどなく流れる涙に俺は言葉を失った。

 なのに千秋は苦笑しているような微妙な笑みを浮かべていた。笑みを浮かべているというのに、涙を流している。

 先程とは逆。だが、千秋のソレは明らかにおかしい。


「えっ? 私……泣いてますか?」


 俺の言葉に、咄嗟に千秋は目元に手を当て、それが涙だと判ると手首で拭おうとする。

 だが、溢れ出る涙は拭っても拭っても新しい筋を生み出し、拭い切れなかった涙が千秋の頬を伝い、ポタポタと小さな音を立てて地面に落ちる。


「どうして……どう、して……!」


「千秋……」


「諦めようって……そう、思ったんです。でも、諦めきれなくて。カイ、くんの大切な人の話を聞けば踏ん切りがつくって……なの、に……!」


 千秋が泣いている理由が俺の言葉だと言うことを悟る。

 俺の浅はかな考えが、言葉が、彼女を深く傷付けた。


「聞かなかったら……よかっだっ! そんな徹底的に打ちのめされるのなら……希望も何もなく、ただ心だけを傷付けられるのなら、私はぁ……!」


 千秋の表情が歪む。慟哭が響く。

 両手で表情を隠し、流れる涙が肘を伝い、水滴を落とし続ける。


「千秋、俺は……そんなつもりじゃ」


「わがっで、いるんです……! でも、でも……ごめん、なざい……!」


「っ! 千秋っ!」


 伸ばそうとした手を振り払い、最後に消えてしまいそうな表情を俺に向けた瞬間、千秋は俺の家から飛び出してしまった。


「……千秋。クソっ!」


 千秋が泣いていた。他でもない俺のせいで。

 大切な人だ。この村に過ごす内に、その想いはどんどん大きくなった。

 そんな彼女を悲しませたまま、俺は何をしているというのだ。今、やらなきゃいけない事がある。



「──俺は、お前に伝えなきゃいけない事があるんだよ……!」



 千秋を追いかけるため、俺は家を飛び出し、全力で駆け出した。










「──着いたわ。この村に、いるの?」

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