第二十四話 『灯里と再起』
今回は予想外な事に灯里が……。
3500文字の予定で書いてたら気が付けば5000文字とはビックリです。
「ハァ……」
晴れ渡る青空の下。陽気な日差しが、肌寒くなり冷えた身体を優しく暖めてくれる。
芝生に腰を下ろし、透き通った水が流れる川を眺めていると、ふと溜め息が漏れる。
「どうしたのカミっち? そんなリストラされた挙句、奥さんに浮気されて人生に絶望しちゃってるような溜め息零して」
「俺そんな崖っぷちの状態なのっ!?」
「自暴自棄。賭博。借金。ゲームオーバー」
「不吉な単語を並べるんじゃねぇよ! しかも時系列で!」
俺の隣で一緒に座ってた灯里が声を出して笑う。
両手でパチパチと鳴らして、女の子としては少しサバサバし過ぎじゃないか。
「まぁ、お前がそういう茶化す奴だって事は知ってるけどさ。……逆に少し助かる」
「なぁに? アタシに惚れたの? ごめんなさい、男の人はちょっと……」
「なんで俺告ってもないのに振られたんですかねぇ……」
嘆息し、川で遊んでる幼い子供達を眺めながら、手に持っていたきゅうりスティックを一齧りする。
これは川原に来る前に漬物が趣味のお婆さんから貰ったものだ。
小気味の良い音を立てて咀嚼すると、瑞々しく塩気のあるきゅうりの優しい甘味が口に広がる。
「ふぅ……アッサリしてて美味ぇ」
「笛口お婆ちゃんの漬物美味しいよねー。アタシも小腹が空いた時はよくたかりに行ってるよ」
「お前ホントに遠慮しねぇよな!?」
灯里にツッコミと共に頭部にチョップを打ち込む。
力は全く入れてないのだが、「いった〜い!」と大袈裟に灯里は叩かれた箇所を押さえ悶え始めた。
「うぅ……カミっちが暴力を振るった。カミっちなんて知らない。もうやだお家帰る」
「いや、帰るなよ。何の為にお前を呼び出したと思ってるんだ」
「……気持ちは嬉しいけれどごめんなさい」
「お前はどんだけ俺を振りたいんだよっ!」
駄目だ。灯里のペースに乗せられてる。
コホンっと一度咳をし、きゅうりが刺さっていた割り箸を弄んでる灯里に身体ごと向ける。
ここからが、本題だ。
「なぁ、単刀直入に聞くけどさ。千秋の様子って……どうだ?」
「ん? どうってどういうこと?」
「いや、だからその……お前の目から見て、千秋の様子は前と比べて変わってるかどうかって事……」
正直言いづらい。
千秋が居ないこの場で、千秋と最も親しい友人に聞くのはどうかとは思うが、もう方法なんて選んでいられない。
それほどまで、今の俺と千秋の関係はボロボロになっていた。
「変わってるも何も、千秋はいつも通りだよ。いつも通り優しく可愛くて、お嫁さんにしたい」
「お前が千秋にベタ惚れなのは知ってるから……そういうのじゃなくてさ」
「あぁ、でも」
一息、灯里は手で回していた割り箸を止める。
灯里も川に向けていた視線を俺に向け直し、
「──最近、カミっちの話は格段に減ったね」
「────」
あぁ、やっぱり。
灯里に聞くまでもなく、俺は判っていたんだ。
そう思いたくなくて、認めたくなくて、俺はそれを否定する言葉を期待した。
結局、それは俺の浅ましい願い。
「……そうか」
全身を脱力感が襲った。
身体が重く感じられ、自然と俯いてしまう。
判っていたとはいえ、こうも簡単に現実を突きつけられると立ち直る事なんて難しい。
やっぱり千秋は、俺のことなんてもう──
「まぁ、察しは付くけどね」
「えっ?」
声が漏れてしまった。思わず俯いていた顔を上げる。
「カミっち、千秋に告白されたでしょ?」
「なんでそれをっ……あぁ、千秋から聞いたのか」
親友である灯里に話すことくらい、別におかしくはないか。
俺も美春に告白して付き合った時は、一番親しかった佐堂に真っ先に教えている。
「いや、千秋はアタシに何にも話してないよ」
「えっ? じゃあ、どうして知ってるんだ?」
まさかそんな『アタシ、エスパーですから』的な回答は出ないとは思うが、何処でその事を知ったというのか。
あの晩の出来事を知ってるのは俺と千秋だけの筈だけど。
「本当の事を言うとね、告白したという事は単なる予想だったんだよ。だけど、アタシは千秋がカミっちに好意を寄せていることは知ってた」
「…………は?」
「というか、カミっちといる時の千秋の表情は『恋する乙女』って感じだし、千秋の話す内容って七割くらいカミっちの話だしね。察するなって言う方が無理があるよ」
その言葉を聞いた瞬間、胸に渦巻くのは相反する二つの感情だった。
一つは彼女にそこまで好かれていたのかという喜びの感情。
もう一つはそんな彼女を裏切ったという自分への怒りの感情だった。
「──あぁ」
俺はなんて自分勝手だ。
千秋を振っておいて、拒絶しておいて、その事にこんなにも後悔しているなんて。
理由が最低なだけに。罪悪感はアレから一週間経った今尚膨れ上がっていた。
しかも拒絶した後になって、自分の胸の中に『葵千秋』という少女が大きくなっているのを感じているのだから、つくづく救えない。
「そんな千秋がさ、あの日からカミっちの話題を出さなくなったって事は、もう二人の仲に何かがあったって思うのが普通じゃん? それも、あの様子から見るに最低な方向で」
「……お前、察し良すぎだろ」
「まぁね。千秋の事ならなんでも判ってますから」
灯里いつものように軽口を叩き笑うが、それは茶化す様なものではなく、優しげな微笑みだった。
千秋か、それとも俺か。思い遣りが感じられる。
「……どうして、千秋を拒んだの?」
「────」
「カミっちだって、千秋の事は嫌いじゃない筈だよ。正直千秋が他の人と付き合うなんて嫌な気持ちもあるけど、千秋が好きになったのなら、千秋を救ったカミっちなら我慢出来ると思ってたんだよ」
「おれ、は」
「……ねぇ、アタシの顔を見てよ」
言われて気付く。いつの間にか俺は灯里から目を逸らしていたようだ。
俺はまた逃げるのか。美春の時のように。
「……違うだろ」
「どうしたの?」
俺の急な呟きに、灯里は眉を顰める。
だが、そんな灯里の様子に気を配っていられない。
違うんだろ。また逃げるんじゃない。
間違えたから。傷付けたから。だから今度こそ、ちゃんとした選択肢を選ぶんだ。
俺の自分勝手な感情だとしても、もう俺は彼女を泣かせたくない。
それが例え、打算に塗れたものだとしても。
「実は、さ」
先ずは、最高の女友達であるコイツに、相談から始めよう──
◇ ◇ ◇
「──というわけなんだ」
「なるほどねー」
あの日の晩、あった事を包み隠さず話した。
話してて、自分でも何言ってるんだと思う。ふざけるなと。お前にそんな事言う資格など無いのだと、そう思える。
俺の言葉を聞いた灯里は、コクコクと軽く頷きながら、俺の話を噛み砕いている。
そして暫くして、
「カミっち」
灯里が急に立ち上がる。
立ち上がったことで、スカートの下から覗く日焼けして健康そうな脚が俺の目の前に現れ、思わず目を逸らした。
「な、なんだよ」
「歯、食いしばれ」
「…………へっ?」
背けていた顔を灯里の方に向けた瞬間、握り拳が目に入り、右頬に激痛が走る。
一瞬何か判らず、殴られたのだと気が付いた時には俺は芝生に倒れ伏していた。
右頬に手を当てると、疼くように熱を帯びた感覚。
「ふぅ……いててて!」
その声を聞き、我に返って殴った張本人の方を見る。
灯里は殴ったであろう右手にふぅふぅと息を吹きかけ、軽く右手を振って殴った際の痛みを紛らわせようとしていた。
「な、何するんだよ!」
「そりゃ、カミっちって最低じゃん。屑男じゃん。同情する価値ないじゃん」
「うっ……」
灯里は能面のような表情を浮かべ、冷たい眼差しで俺を見つめる。
その瞳がメラメラと怒りの炎で燃えているのを、灯里の目を見た瞬間理解した。そして納得もした。
今の俺は、そうされても仕方の無い事をしている事なんて。
「そりゃ、過去の素敵な彼女さんの事が忘れられないのはいいよ。千秋を振るのも別にいいよ。でも、理由が千秋の事も大事だけど元カノが……って、元カノで自分の意見を正当化してるだけじゃんか」
「……ごもっともです」
「しかも女の子にとって『過去の女より下です』って突きつけるなんて残酷な事するよねー。そこは普通に好きじゃないからって振ってあげなよ。正直に言い過ぎるのも困りものだよ」
つらつらと、俺に対する駄目出しの言葉が投げかけられる。
言われてみれば、こういう所が駄目だったなぁと改めて理解し、そして更に落ち込む。
俺、本当に千秋の事考えていなかったんだ。
「挙句になに? 今では元カノと千秋、どっちが大事なのか判らなくなった? はぁ……もう徹底的に思えるくらいの屑男じゃん」
「……自分でも、それは判ってるんだ。俺は自分勝手に千秋を振り回して、嫌われてもおかしくない。でも、嫌われたくない。また前みたいな関係に……いや、前以上の関係になりたいんだ」
俺の吐露に、灯里は口を噤み清聴する。
『あの日の夜』。
千秋は泣き疲れたのか、俺がシャワーから上がった時には目を腫らし小さな寝息を立てていた。
そして朝を迎え、目を覚ました彼女は昨夜の事を俺に謝り、そして言ったのだ。
──改めて宜しくね、『神谷くん』!
その言葉を聞いた瞬間、千秋へ昨日のことをどう話そうか考えていた思考は止まり、そして真っ白になった。
彼女は俺を吹っ切るために俺に対する態度を変えようとしたのか、それはよく判らない。
でも、確かに判っている事は、もう前のような関係に戻れないという事だった。
そして何より、あの晩の事は無かったかのように話題を振り、笑顔を向け、いつも通りの日常を過ごそうとする千秋の姿はあまりにも痛ましく、そして弱々しかった。
「今更、俺が何を言っても千秋を悲しませるだけかもしれない。怒らせるだけかもしれない」
でも、と一息。
「──俺は、もう後悔はしたくないから」
立ち上がり、そう呟いた俺を灯里は黙って見据える。
呆れられたのかもしれないけど、これ以上の俺の選択肢は無い。
千秋が許す許さないは兎も角、このまま何もしないのであれば、俺と千秋の間には大きな溝が……傷が残ったままになる。
俺の選択は最良ではないかもしれないけれど、きっと間違ってはいない筈だ。
「……あははっ!」
不意に、灯里が声を出して笑い出した。
その急な行動に俺も、灯里のグーパンチで絶句していた川原で遊ぶ少年達も灯里に注目する。
「どうしたんだよ」
「ははっ、いやぁ……ここまで馬鹿正直に自分の感情をぶちまけるのは、きっとカミっちくらいだよ」
「悪かったなぁ……」
俺に対する批判に、思わず口を尖らせる。
自分でやってて気持ち悪いと思い直し、直ぐに止めたが。
「ううん、カミっちらしくて良いと思うよ。結局何も変わってないようで、何かが変わってる。ちゃんとしっかりとした意思の下、決意を固めてるみたいだしね」
「……灯里」
「ほら。頑張ってこい、少年っ!」
「痛っ!」
大きく振りかぶり、灯里は勢いよく俺の背中をぶっ叩く。
背中に熱が宿る。熱い。熱い。だけど、何故だか不思議と、
「どう? 勇気、湧いた?」
「……あぁ、溢れんばかりにな」
正直、怖かった。
アレから普段通りに過ごそうとした少女は、名前呼びと態度がとてもよそよそしかった。
彼女に向き合いたくて、でも勇気が湧かなくて。
このまま、この現状を何一つ打破できないと思うと恐ろしくて堪らなかった。
でも、今は違う。
叱咤して貰った。言葉を貰った。勇気を貰った。
色んなものを俺はこいつから貰った。
「まったく……お前は本当に良い女だよなぁ」
「アタシに惚れても……ええんやで?」
「正直、元カノと千秋が居なかったら、間違いなくお前に惚れてるよ」
「…………ふぇ?」
俺の不意な一言にニヤニヤと生意気そうな笑みを浮かべていた灯里は、途端に顔を真っ赤にして唖然とする。
そんな表情も出来るんだと思ったのと、してやったりって言葉が頭に浮かんだ。
「あ、あの、カミっち……?」
「冗談に決まってるだろ。何だかんだで灯里に一杯食わせたのは初めてかもなぁ」
「──ぶん殴る」
そう笑っているとドスの効いた言葉が帰ってきて、灯里の方を見た瞬間、見覚えのある拳が見えた。
……あ、これデジャヴ。
怒声と痛みが俺に襲いかかり、意識はそこで途切れた。
きゅうりスティックはどうしても入れたかった!
伊勢神宮できゅうりスティック売ってて食べた時、超美味しかったから宣伝も兼ねて。
そして灯里……お主は知らない間にヒロインみたいになっておるのか……!