第二十二話 『告白』
以前割烹でも報告しましたが、総合評価1万Pt突破しました!
いつもありがとうございます!
普段ホテルなんて使わない俺にとって、このホテルが高いのか安いのか判らない。
取り敢えず『八千円』という金額を払い、フロントの人から部屋の鍵を貰って素早く廊下を歩く。
半信半疑ではあったが、部屋を選ぶにあたって『それらしき』部屋の画像を見たおかげで、ここがそういうホテルだという確信を得た。
それに気付いたのか、千秋は顔を真っ赤にして、ずっと無言のままだ。
無言のまま、俺の背後にくっつき、俺の服の袖をちょこんと摘んでいる。
──気まずい。
年頃の女の子と一緒にこういうホテルに入った経験がないし、少なからず好意を寄せている相手と一緒って言うのも、色々と駄目だ。
俺だって健全な学生だ。
まだ二十歳越えたくらいで充分若者の部類に入るだろう。
そんな男がこんな所に来て、そういう事を想像しないわけがない。
「……心頭滅却心頭滅却──」
そうだ。俺はここに泊まりにきただけなんだ。
別に邪な気持ちなど何一つ持っていない。ただ、雨風を凌ぐために一夜をここで過ごすだけだ。
そう、恋人でもない女の子と一夜を共に……やっぱり無理があるな、うん。
「あ、足下に気を付けろよ、千秋」
「…………」
返事は帰ってこなかったが、頭をコクコクっと軽く振っていたし、それが返答だと思っておこう。
廊下を歩くとコツコツと足音が響き、その度に心臓が跳ね上がる。
こんな場所、女の子と一緒に来るのは初めてなのだから仕方ないだろう。
美春で女の子には慣れているとはいえ、『こういう事』には慣れていないのだから。
そうこうしている内に、ルームキーに刻まれた番号と同じ番号の部屋の前に辿り着いた。
「えっと、ここで合ってるよな?」
一応千秋に問いかけてみるが、彼女はちょっと潤んだ瞳を俺に向けて直ぐに顔を伏せてしまった。
今の千秋に話しかけるのは止めておいた方がいいかもしれない。多分千秋もこういう事になるとは思ってもなくて、恥ずかしいのだろう。
まぁ、俺も恥ずかしくなってきたんだけど。
「お、開いた」
鍵を差し込むと、ガチャリという音が廊下に響き渡った。
ドアノブを引くと薄暗く明かりが灯った室内が見える。
「千秋、入るぞ」
「あ、はい……」
「…………えっと、どうした?」
一声かけた瞬間、千秋が判りやすく狼狽し出した。
ただ、いつもみたいな小動物のような可愛さではない。どこか怯えた子供のようだった。
「い、いえ! 何でもありませんから気にしないでください!」
「いや、流石にそれは」
「いいんですっ! いいから入りますよ!!」
「あ、おい……!」
俺の言葉を無視し、先陣を切って室内に入る千秋。
先程までの様子が嘘のようだ。
まぁ、ずっと無言でいられるより、こんな感じの千秋の方がまだマシではあるんだが。
「おお、すげぇ」
手に持っていた今日買った荷物を置き、室内を見渡す。
小さな二人用のソファ、その目の前にあるガラス製の美しい机と、大きな液晶テレビ。
そして何より目立つのは、薄暗い部屋の中心にランプで照らされる大きなダブルベッドが。
「やべぇ……めっちゃ帰りてぇ……」
駄目だ。なんだこれ。なんだこの場違い感。
ここに入る前に心は落ち着かせたつもりだったけど、目の前の光景を見てしまうと、否が応にも『そういう考え』が浮かんでしまう。
顔が赤くなっているのを感じつつ、落ち着かせるように一息吐いた。
「取り敢えずこのベッドでどう寝るかだな……ってあれ? 千秋、どこ行った?」
俺がベッドの扱いに関して考えている間に、気がつくと千秋の姿が見えなくなっていた。
周りを見渡すと、入口の近くにある部屋に光が漏れているのが見える。
……ということはもしかして、
「か、カイくん! 凄いですよ……このお風呂、とっても綺麗で光ってます!」
「順応早くないですかね!?」
光が漏れていた部屋から、千秋がひょっこりと顔を出した。
さっきまで落ち着きがなかった千秋は何処へ行ったとほんの少し呆れてしまう。
ただ、まだ顔が赤いしいつもよりもテンションが違うから空元気なのかもしれないけど。
「いや、ですけど一日中買い物で歩き回ったんですから、お風呂くらいは入りたいです」
「確かに俺も入りたいっちゃ入りたいけど……」
日本人足るもの、やはり一日の締めはお風呂で心も身体も癒したい気持ちはある。
それに千秋も言っていた『風呂が光る』と言うのにも興味がそそられる。
そんなファンタジックな風呂とか、気になるじゃないか。
「では、決まりですね。申し訳ないですけど、私からお風呂入ってもいいですか?」
「別に一番風呂に拘っていないからいいよ。レディーファーストってやつだ。まぁ、それなら……寝床についてはその後に決めようか」
「はいっ! では、先に入らせていただきますね!」
千秋は最後に笑顔を見せて、風呂場であろう部屋に顔を引っ込める。
俺は手を挙げてそれを見送った後、小さく一息吐いた。
「千秋も女の子だよなぁ、やっぱり」
女性は皆が皆、風呂が大好きだというのは一般常識だろう。
日本が誇る未来からロボットがやってくるあの国民的アニメのヒロインが大の風呂好きだというのが、その認識を強くさせているのかもしれないが。
そういえばそのアニメ、主人公がヒロインの入浴を覗いてしまうシーンが多々あったな。
……おっといけない。一瞬千秋の入浴シーンが頭を過ぎって、
「──カイくん」
「ひゃいっ!?」
邪な事を考えている瞬間に声をかけられ、驚きのあまり自分でも何を言っているのか判らない声が出た。
心臓が爆音を鳴らしている。
危うく口から心臓が飛び出るかと思ったぞマジで。
「……どうしてそんなに動揺しているんですか」
「いえっ! 何でもありませんっ!」
先程までの笑顔から一変。
顔だけ覗かせた千秋がジト目で俺を見つめている。
さっきまで考えていた事を見透かされているような気がして、気が気でない。
「……覗かないでくださいね?」
「────」
なんか、見透かされているみたいです。
女性のカンは鋭いとはよく聞くけど、ここまで来るとエスパーじゃないですか?
今まで変な事考えたりしてごめんねっ。
「の、覗かないに決まってるだろ! 俺は巷じゃ紳士って言われていたくらいなんだから……!」
「…………覗かないで、くださいね?」
何故か一瞬残念そうな表情を浮かべたように見えたが、多分俺の気のせいだろう。
二回も念押しするって事は、余程俺は信用されていないのだろう。少し悲しい。
「神に誓うから……絶対に覗かないからっ! だから安心して千秋は風呂を楽しんでくれ!」
出来るだけ笑顔を浮かべながら、サムズアップして千秋に訴えかける。
本当に覗かない。それは自信ある。
だってそんな勇気は俺にはないから。言ってて悲しくなるけど。
「そう、ですか……。それでは、すみませんけど、お先に失礼しますね」
「おうっ! ごゆっくりどうぞ!」
千秋は若干不機嫌そうな表情を浮かべ、俺に軽く頭を下げた。
何か、俺の返答に気に入らないところがあったのだろうか。よく判らない。
「……カイくんの──」
千秋が顔を引っ込める時、呟いた言葉を、俺は聞き取ることが出来なかった。
◇ ◇ ◇
「とは言ったものの……落ち着くわけないよなぁ」
防音なのかそうでないのかは判らないが、耳を澄ませば、シャワーの音が聞こえてくる。
そしてそのシャワーを使っているのは──千秋。
「何考えてんだ俺は……」
一瞬頭に過ぎった事を振り払うように大きく頭を振り、俺は目元を掌で覆った。
罪悪感で、俺の心は黒く黒く染められていく。
まだ俺の心は美春の事を引きずっているというのに、別の女の子に邪な感情を抱いてしまっている。
魅力的な異性に惹かれるっていうのは、恋人が居ても居なくても変わらないと思うが、そんな事を考えている自分が気に食わない。
「いい加減、吹っ切ればいいのになぁ」
人生の大半を一緒に過ごしてきた大切な人。
幼馴染であり、家族であり、恋人でもあった。
それを忘れられる事は、今の俺には出来ない。
「てか、千秋も千秋だよ……最初の緊張感は何処に行ったんだ……」
千秋も恥ずかしがっているというか、動揺していると思っていたが、案外そうでもないみたいだ。
自分だけが緊張していて馬鹿みたいに感じる。
「まぁ、それはそれでいいんだけど」
俺は大きく伸びをして、大の字の形でダブルベッドに仰向けに寝転がる。
ふかふかで柔らかなベッドの感触に驚きつつ、疲れがベッドの中に沈んでいくような錯覚を覚えた。
「このままで……いいんだよな」
千秋に惹かれている自分がいる事は、何よりも俺が知っている。
でも、これ以上踏み込もうとは思わない。思ってはいけない。
美春がまだ心の中に居るというのに、千秋に手を伸ばすのは、美春にも千秋にも不誠実だ。
こんな俺でも、せめてそのくらいの境界線くらいは守らないといけない。
それが、俺自身がまだ美春の事を一番に思っているという逃げに過ぎないのだけれど。
「でも、本当に色々あったなぁ……」
意識がベッドに染み込むような感覚に襲われながら、俺は『あの日』からの事を思い出す。
慣れない畑仕事や、情報機器が全く使えない不便な生活。
騒がしい爺さんや灯里。可愛い百合ちゃんや優しい真白さん……そして千秋。
そんな優しい村の人達と過ごす温かい日々に、俺の心は癒されていた。
それと同時に移り変わる、俺の気持ちも──
「──カイくん。お風呂上がりましたよ」
「……っと。いつの間にか結構経ってたんだな……。じゃあ、次は俺も入らせてもらうわ」
声をかけられ、遠くなりかけていた意識が戻ってくる。
いつの間にかうたた寝をしてしまっていたようだ。
俺は閉じていた瞳をゆっくりと開き、身体を起こして千秋の方に顔を向け──
バスタオルのみに身を包む、千秋の姿が目に入る。
「って、ちょっと待てぇぇぇぇぇぇっ!?」
あまりにも衝撃の光景に咄嗟に両手で目を覆った。
一気に眠気が覚めた。顔が熱い。混乱で思考が埋め尽くされる。
しっかりと目を瞑っているというのに、瞼の裏に浮かぶのは、バスタオルが張り付いて身体の線がくっきりと浮かんでる千秋の姿で……。
「と、とにかく服を着ろっ! お前も女の子なんだから、好きでもない男にそんなあられもない姿を見せるんじゃねぇよ!」
怒鳴り声を上げ、千秋に背を向けるように身体を反転させる。
動揺で心臓の音が酷い。恐らく今の俺の顔は真っ赤に染まっているだろう。
早くこの居た堪れない雰囲気を壊して欲しくて、千秋が着替えの為に去っていく足音を待っていると、
「──ねぇ、カイくん」
不意に、柔らかな重みが背に加わった。
若干湿った温もり。柔らかな感触と、花のようなフローラルな香りが鼻をくすぐる。
一瞬思考が停止するが、後ろの重みの正体に気付くと共に、後ろから俺の首に腕が回される。
「ちょっ、千秋さんっ!? 待って、柔らかな感触が背中にあるんだけど……この感触は色々とアレなんですけど!?」
「…………す」
「────」
耳元で小さな声で囁かれた言葉。
微かに聞き取れた言葉の意味を噛み砕き、理解し、そして信じられない気持ちになった。
あれだけ五月蝿いくらいに鳴り響いていた心臓の音が、段々落ち着いていくのを感じる。
「あっ、えっと……」
咥内が酷く乾いている。上手く言葉を発せない。
少量しかない唾液を無理やり飲み込んで、咥内に少し水分が戻る。
「え、と……今、なんて言ったんだ……?」
そして俺は先程聞こえた言葉が間違いじゃない事を確かめるように、千秋にもう一度聞き直した。
「か、カイくん。私は、好きな人でもない人に……こんな事、しないんですよ……?」
気が付くと首に回された腕が緩んでいて、俺は自由になった首を回して千秋の表情を覗く。
千秋は目を潤ませ、微かに唇を震わせて不安そうな表情を浮かばせていた。
震える唇が小さく開閉を繰り返している。
どうやら、上手く言葉を紡げないようだ。
そしてそんな中、桃色に染まり上気した頬と涙を浮かばせながらも決意に満ちた瞳が、酷く印象的で、
「わたしは……! カイくんの事が……っ」
そして、彼女の唇がゆっくりと動き出し──
「──あなたが、好きです……っ!」