第二十話 『一通のメール』
「ねぇ、カミっち」
「なんだよ」
「なんか暇だよー」
「それは仕方ないなー」
「すっごく暇だよ」
「なんで二回言った」
俺の部屋でゴロゴロと寝返りをうちながらそう呟くのは千秋の親友である灯里だ。ちなみに親友だけでなく若干の百合っ気もある。
まぁ、そんな暇だ暇だーと子供のように転がっている灯里の言葉だが、否定しようにも否定出来ない。
「この村に娯楽なんてないもんなぁ。テレビだって置いてある家は殆どないし、電波が圏外だからスマホゲームだって出来ないし」
この村に来て最初に感じたことは、暇をとにかく持て余す事だ。
前に住んでいた街では大学に進学してから流石に昔のようなゲームや漫画ばかりの生活ではなかったし、講義やバイトに追われる日々だったから、寧ろ退屈など感じる暇などなかったくらいだ。
だけど、この村に来てからは大学もないし、葵家の農業の手伝い以外は特にやることなどない。
「まぁ、確かにこの村にはあまり娯楽がないのも事実だけどね。事実なんだけどさ」
「なんだよ。勿体ぶらずに早く言えよ。そして地味に『事実』を二度も言うな。大事なことなのでってのはいらねぇから」
「いや、そんなつもりじゃなかったんだけど……。とにかく、アタシが言いたいのはこの村の事じゃなくて──」
一呼吸。
そして灯里は目を見開き、続きの言葉を紡いだ。
「──カミっちの部屋、何もないっ!!」
「おいまて、人の部屋で散々くつろいだ奴がよく言うなこの野郎」
「野郎じゃないもん乙女だもん!」
なんて奴だ。
『最近千秋に構ってもらえない』なんて泣き言を何故か俺にまとわりつきながら言ってた百合っ娘を不憫に思った俺が仕方なく誘ってやったというのに、なんて言い草なんだ。
「だって、都会の人の部屋って沢山の漫画やゲーム、そしてベッドの下には秘蔵のお宝が眠っているのが普通なんじゃ……」
「その偏見はいかんぜよ。男が皆、夢と希望をベッドの下に秘めているという訳ではないのだよ」
いや、マジで俺は持ってない。というか買いたくても買えなかった。
俺の部屋には幼馴染という名の暴君が君臨していたのだから。
佐堂から借りたそういうブツは全て俺の目の前で破り捨てられた。そして佐堂までシバキ倒されるまである。
「だってだよ! なにかあるでしょうよ普通は! それなのに昔からこの家にある家具以外は服かちょっとした小物しかないなんて……アタシのイメージを壊さないで欲しいよ!」
「お前の理不尽に晒される俺の気持ちになってくれよ」
まぁ、確かに俺の家……というより、葵家からの借家にはこれといって何もない。
元々あったタンスや棚といった家具以外には、ちょっとした本とかしかないし、後は俺が持ってきた服くらいだ。
でも、それは仕方のないことだろう。
俺は街を出る時、美春に会わない為に必要最低限の物だけ持って急いで街を出た。娯楽ものなんて当然あるわけがない。
それにこの家は俺一人が暮らすには広すぎる。なんとも殺風景な家になっているのだ。
「てか、この家に来てからまだ少ししか経ってないんだぞ。新しい物も揃えてないのにって押入れの中の俺の布団をまさぐるな。ねぇよ何もそこには!」
「実は何か隠し持っていたり……って、あれ? なにかあった?」
「っ!? それは……!」
灯里が手に持っている綺麗に包装された小さな箱。
思い出さないようにしていた。実際、忘れかけていたのだから。
でも、それだけは。それだけは誰にも触られたくない。
「返せよっ!」
「えっ?」
俺は引ったくる様に灯里の手から箱を奪った。あまりにも乱暴な手付きに灯里は酷く驚いた表情を見せる。
その表情に罪悪感を覚えたが、もう過ぎてしまった事だ。
俺はばつの悪い表情をしているであろう顔を背け、箱をポケットにねじ込んだ。
「……ふーん」
「な、なんだよ」
「ううん、ごめんね。アタシもデリカシー無かったと思うし……カミっちにも触れられたくない事くらいあるよね」
「…………」
本気で申し訳なさそうに苦笑する灯里に胸が痛んだ。
悪いのは……俺なのに。
「いや、俺の方こそ悪かった。ちょっとイラついたからって最低だよな」
「最低だねー」
「あれ!? 『そんなことないよ』ってフォローは無い感じですか!?」
灯里の不意の切り返しにさっきまでの気まずい空気が吹っ飛んでしまったことに、俺と灯里は二人して吹き出した。
なんだかんだで、佐堂と同じような灯里の気安い性格には助けられているんだなぁって思う。
「まぁ、それは置いておいて、本当に何か買った方がいいと思うよ。これじゃ私のくつろぎの空間にはなれないし」
「いや、お前に合わせるつもりないから……でも、確かにそろそろ何か買うべきかもなぁ。バイトで貯めた金も一応まだ残ってるし」
今まで畑仕事も寝泊まりも結構な確率で葵家の所で過ごしているから、あまりこの家を借りた意味はないかもしれない。
だが、やっぱりプライベート空間というものは必要なのだ。爺さんや、特に千秋ちゃんがいるところでは絶対に出来ない色々な事を。
……そう、色々な事をだ。
「まぁ、買いに行く所は車で数時間かかる町しかないからなぁ。適当にバスの時間を調べて行くか」
「なんで? 千秋の車を使えばいいじゃん」
「いや、俺免許持ってないし」
俺の移動手段はバスや電車といった公共交通機関しかない。
当然、この村に電車など通ってはいないけど。
「千秋に言えばきっと乗せていってくれるよ」
「いや、流石になぁ……」
千秋は優しい女の子だ。
俺が頼めば、きっと嫌な顔一つせずに車を出してくれるだろう。
だけど買い物一つで、しかも女の子を足に使うというのは男としても人間としても最低の行為だろ。
「私がいつも町に行きたい時は千秋に乗せてもらっているよ。勿論、千秋の運転で」
「お前最低だな!」
良かった。目の前に『あぁはなりたくない』代表である最低な人間がいた。
こいつを見た俺は、きっともう大丈夫だ。
「……なんか失礼な事思ってない?」
「気にするな。いつもの事だ」
「ひどっ!?」
大袈裟に目と口を大きく開く灯里。
灯里も黙っていれば可愛い顔してるのに、その行動が色々とダメにしてる気がする。
「お前と付き合う奴は可哀想だよ。残念過ぎて」
「大丈夫。千秋はアタシのこと大好きだから」
「百合っ娘の時点で残念だわ」
「アタシは両刀だから問題ない」
「なんでそのカミングアウトしたの? ねぇ?」
この村は見たところ若者は千秋や灯里以外、全くいないと言っていいだろう。まぁ、俺が知らないだけかもしれないが。
そんな環境の中で育った灯里は、すぐ側で美少女と言っても遜色ない千秋がいたのだから仕方ないのだろう。仕方ない……か?
「と、とにかく! 車を使うかどうかは千秋に聞いてからだろ。流石に俺らの中だけで決めるのは悪いだろ──」
「──いいですよ」
「……………………」
俺でもない。灯里でもない。
背後から聞こえる別の誰かの声。
視界に入る灯里の顔が驚愕に目を見開いて、俺たちは咄嗟に視線を合わせる。
──お前、俺達がここに居ること教えた?
──いや、言ってないけど……。
──だよなぁ。
目での会話を終え、頷き合う。
覚悟は決まった。
俺達はゆっくりと背後の人物に顔を向けようとして──
「──随分と熱く見つめ合っていましたよね」
『ひゃいっ!』
何故だろう。言葉にトゲがある気がする。
別に俺が誰と見つめ合ったとしても問題ないと思うけど……アレか。実はお前も百合気味な所があるのか……。
振り返ると仁王立ちしている千秋の姿。
隣で「ひっ」なんて酸素が漏れたような音がする。
何か悪い事をした気持ちになってくるが、それはどうでもいい。
俺はとにかく、先ずは最初にこれを言わないといけない。
大きく酸素を吸い込み、
「お前、不法侵入じゃねぇか!?」
インターホンの音なんて聞こえなかった。
というか鍵も閉めていたはずだ。
それなのにどうやって入った。
先ず部屋に入る時ノックくらいしろ。俺がちょっと破廉恥な姿で破廉恥な事してたらどうするつもりだ!
絶対に爺さんに殺されるっ!
「不法侵入と言われましても、元々ここは私の家ですしね。勿論鍵は合鍵を使わせて頂きましたよ?」
そう言ってポケットから取り出した鍵を見せつける千秋。
いや、確かに葵家から借りている家だけど、それとこれとは話は別じゃないでしょうか。
「そんなことより、町に行くとか言っていませんでした?」
「そんなことで済ませちゃうのかよ」
「そうだよー! そうだ、聞いてよ千秋。カミっちの部屋ってば本当に何も無いんだよ。男ならエロ本の一つや二つくらい隠し持っておけってば……」
「だからお前は何言ってんだ黙れバカ野郎お願いします」
千秋にそう話す灯里の後頭部に軽くチョップを入れる。
なんだろう……悪いことをしている訳じゃないのに心が痛い。
男ならエログッズの一つでも持っていろって事なのか……というかそれが漢だと言うのだろうか。もう何言ってるのか自分でも判らない。
「そ、そんなもの……カイくんは持っていません! カイくんは一般の男性とは違うんですよ! ねぇ、カイくん!」
灯里の言葉にそう否定の言葉を吐き捨てる千秋。
「…………はい、そうですね」
千秋のその俺を信じてくれている無垢な瞳が辛い。
俺って普通の男じゃないんだなぁ……俺だって、そういう本には興味あるのに……! 俺だって友達とそういう話とか好き勝手したかったのに……!
あれ、なんか視界が歪む。
「フォローしているつもりで相手にダメージを与えるなんて……千秋、親友ながらなんて恐ろしい」
「それに関してはお前に同意するよ……」
千秋に悪気がないのが逆にいけない。
まぁ、美春は罵倒した上、次の日には『神谷夏威は女好きの変態野郎』って噂を広ませるから、それと比べればまだマシだったが……。
「まったくもうっ。それで、カイくんが町に行きたいから私に車を運転してほしい。それで合ってますか?」
「いや、まぁ合ってるけど、千秋に運転してもらうのは悪いよ。別に今日じゃ無くてもいいんだし、それにちゃんと予定決めれば、バスの時間に合わせて一人でも行けるしさ」
今回町に行こうって思いついたのは、灯里が急に提案したからだ。
今から急いでって訳でもない。もっと事前に予定を組んでから行ったほうが、無駄なく店を回れるだろう。
それに、今から行くとなると、車での移動だけで戻ってくる時には夜になってしまってるだろうし。
「何言ってるのさカミっち! 思い立ったが吉日って言葉を知らないの!?」
「吉日でも何でも、人に迷惑をかけるくらいなら吉日なんてどうでもいいわ。というか、思い立ったのはお前だからね? お前の吉日なんてもっとどうでもいいよ!」
「酷い!?」
「…………随分と仲良いですね」
何故か寂しそうに呟いて下を向く千秋。
別にアレだぞ。灯里は取らないから。寧ろ押し付けたいくらいだから。
でも百合娘になるのは灯里だけで十分だぞ!
「あれ? もしかしてアタシとカミっちの仲を疑ってる? いやー恥ずかしいなぁ!」
灯里はわざとらしく後ろ髪に手を当てる。
どうせ思っていないくせに。いや、両刀って言ってたから、もしかしたら本当にそう思ってるのか?
……いや、ないな。
「灯里」
「ん? 何かなー?」
「黙らないと田んぼに植えますよ?」
「……………………」
無だった。完璧な無になった。
涙目で口に両手を当てている灯里と、ニコニコと満面の笑みを浮かべながら灯里を見つめる千秋。
人を田んぼに埋めるって言葉初めて聞いた。俺も一瞬寒気しちゃったよ……千秋には逆らわないでおこう。
「さて、うるさいのも黙りましたし、本題に入りますか」
「うるさいの……」
いいの? そんなこと言って。
灯里さん超涙目なんですけど?
「町に行くことは私としては全然大丈夫ですよ。調味料とかも少なくなってきましたし、この際買っておくのも悪くありません」
「気持ちは有難いけど、今からだと遅くないか? 帰る時には夜になっちゃうかもしれないし。それでもいいのか?」
正直言うと、千秋が一緒に来てくれるって言うのは嬉しかった。
千秋と一緒にいるのは楽しいし、心が休まる。故郷から逃げてきた以来の安心感と言ったようなものか。
でも、俺と一緒に居て千秋は楽しいんだろうか。
いや、デートじゃないからいいのか?
「夜になったらその時はその時ですよ。夕飯も何処かで食べて、その後に帰ればいいじゃないですか」
「……千秋が良いのなら、お言葉に甘えようかな。悪いけど、今日はよろしく頼むよ」
「……っ! はいっ!」
流石に悪いから、今日の夕飯は俺が何処かで奢ろう。たまには高いところで食ってもいいかもな。千秋にはいつもお世話になっているし。
「……ふへへー。カイくんとでぇと……デートーっ!」
「ん? なんか言ったか?」
「なんでもありませんよー」
なんかご機嫌に笑みを浮かべている千秋。聞き取りにくいが、鼻歌も歌っている様だ。
なんか子供みたいだ。そう一瞬思ってしまった。
「──ぷはぁっ! やったねカミっち、でかしたよ! さて、何買おうかなー。何しようかなー。楽しみで仕方が無いよー!」
「お前、急に元気になったな」
手を振り回し、喜びを大袈裟に表している灯里。
ごめん、千秋。前言撤回だ。
こいつこそが子供だ。というか幼児だ。
「あれ? どうかしたの灯里? なにか楽しそうだけれど」
「いやいや何言ってるの千秋ー。町に行くのが楽しみで楽しみでしょうがないのよー。いやぁ、何時ぶりだろうねー!」
「えっ?」
「……えっ?」
あれ、おかしい。
なんか千秋も『こいつ何言ってるの?』的な視線を向けてる。
良くわからんが、何か重大なすれ違いが起きているような……。
「えっと、千秋。どうかしたのか?」
「えっと、あのですね……軽トラックは二人乗りでして、私とカイくんの乗るスペースしか無くてですね……」
「……えっ?」
「荷台に乗せるって言うのも、道路交通法では違法でして……すみませんが、灯里には村に残ってもらうしか……」
「……えっ?」
……千秋の言葉を聞き、俺は背後へ振り返る。
そこには、笑顔のまま呆然と千秋の事を見つめる灯里の姿が──
「──えっ?」
◇ ◇ ◇
私は、後悔している。
どうしてあの日、喧嘩しちゃったのだろう。
どうして……誤解だって、信じてくれって言わなかったのだろう。
全て、何もかも遅い。でも、諦められない自分がいる。
アイツのご両親も知らないって言っていた。親しい友人達も知らないって言っていた。
アイツに会いたい。
私にはアイツがいないと駄目。仕事にも精が入らない。
あまりの憔悴っぷりに、マネージャーに暫くの休みを貰ったのはつい数日前の話だ。
元気を出して仕事に戻らないといけないのに、食事も喉を通らない。これじゃあ、回復なんて程遠い。
もう捜索届出そうか、そう思った時だった。
──携帯のバイブレーションが鳴り出す。
私は力なく携帯のメールの差出人の名を見た。
それはアイツのお母さんで、いずれはお義母さんになってもらう予定の人だった。
そして、私はそのメールの文面を見て、そして目を見開いた──
──あぁ、やっと逢える。
あのネックレスを忘れていた人、正直に言いなさい。
はい、私です。
まぁ、ここであのネックレスを出したということは、使うと言うことですよ!
それまで頑張って書いていきます……




