エピローグ 『月が綺麗ですね』
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いや、本当に……!
「さて……このままだとマズイな」
千秋ちゃ……千秋との一件を終え、真の目的の為にそろそろ行動しないといけない。
百合ちゃんの捜索。
この獣道の先に百合ちゃんがいるという予想は、千秋も考えていたようでかなり可能性が高い。
千秋が言うにはこの先には大きな池があり、この時期にはホタルが飛び回っていてとても幻想的な光景が広がっている穴場スポットのようだ。
かといって、そこは幼い子供一人が居ていい場所ではない。
もし足を滑らせて池に……なんて考えてしまう。
結局、急がないといけないのは変わりない。
「時間を食っちまった! ……千秋、先に進むぞ!」
「わ、判りまし──ッ!?」
「ど、どうした?」
走り出そうとした俺に着いてこよう立ち上がった瞬間、千秋の顔が苦痛で歪んだ。
咄嗟に自分の右足首を押さえる千秋の姿に、俺は何が起こっているのか悟った。
「ちょっと足を見せてみろ」
「だ、大丈夫ですから」
「いいから! 見せろって!」
俺の上げた怒声に声が詰まる千秋。
その一瞬の硬直を見逃さず、すかさず千秋の押さえた手を払いのけて足の様子を見る。
「……腫れてる。これは捻ったのか」
「百合の捜索中の時に転んで……ですけど、大丈夫ですよ! 歩く分なら問題ないでっていったぁ!」
「ほら、痛がってるじゃないか。どこか大丈夫なんだよ」
「そ、それはカイくんが強く押したから……」
俺が患部を強く押したことに、千秋は恨めがましい視線を俺に向ける。
それに関しては悪いとは思うけど、嘘をついて無理しようとしていた千秋への罰だ。
「……ハァ、取り敢えず応急処置だ。手頃な布とかはないから、ベルトで勘弁してくれよ」
「か、カイくん!? こんなところでベルトを取って……な、ななな何をするつもりなんですか!? ま、まだ私たちには早いですよ結婚するまでダメですよっ!」
「ちっげーよ!? 変な想像するな! このベルトで千秋の足首を固定するだけだよ!」
そんな俺の言葉にキョトンっとした表情を向けた後、顔を真っ赤に染めた。
そりゃ、年頃の女の子がそんな想像をしていた事を他人、しかも異性に対して伝えてしまったら耐えきれない程の羞恥だろう。
……事実、俺も気まずくて何も言えないし。
そんな気持ちを押し込み、金具を外したベルトを千秋の足首に巻き付けて固定する。
不器用ながら上手く出来た方だと思う。取り敢えずはこれで大丈夫だろう。
……あとは、
「……ありがとうございます。もう大丈夫ですので、急いで百合のところへ……」
「馬鹿。まだ無理に決まってるだろ。……だから、乗れよ」
「…………へ?」
俺の言葉に、下に向けていた顔を上げ、俺の姿を見て間の抜けた声を上げた。
背中を向けるようにしゃがみこんでいる、そんな俺を見て。
「えっと……どうかしたんですか?」
「……おんぶだよ。これ見て察してください」
「い、いや……それは流石に悪いですし、私だってもう歩けますよ……」
「こんな足場の悪い道を怪我人が歩けるか! それに、背負って走った方が速い。いいから乗ってくれ」
恥ずかしかったのだろうけど、説得力のある俺の言葉に特に反論せず、千秋は無言で俺の背中に身体を預けた。
女性特有の身体の柔らかさと甘酸っぱい香りに頭が一瞬クラクラしたが、元カノの影響でなんとか自制を保つことが出来た。
「と、取り敢えず行くからな。しっかり捕まっていろよ」
一息、千秋を背負ったまま立ち上がり、その彼女の軽さに驚きつつも、俺は先を見据えて歩き出した。
「…………重い、ですか?」
「んにゃ、全然。軽すぎて羽が生えてるみたいだよ」
「クスッ、流石にそこまで行くと冗談だって判りますよ」
「不安な時は笑う。そうやって立ち向かっていこうや。明日を見据えてさ」
千秋はその言葉への返事の変わりに、自分の顔を俺の背中にピッタリとくっつけた。
何故だろうか。背中が……熱い。
「…………きです」
◇ ◇ ◇
捜索を始めて十数分。
一本道の獣道を抜け、辿りついたそこは月夜に照らされた池。
その池の前に眠る百合ちゃんの姿が──
「──百合!」
俺の背中から無理やり降りた千秋が百合ちゃんの元へ駆け寄る。
土で汚れた百合ちゃんの頬。服はそこらじゅう汚れている。
そんな百合ちゃんが、ゆっくりと目を見開いて、
「……ぁ、おねぇちゃんだ……おはよ」
「おはよう、じゃないわよ……! 百合……心配させてっ!」
「おかあさんのおクスリ、わかんなくて……まわりもくらくなってきて……ねむっちゃった……ごめんなさい」
「いいのよ……いいの……! お母さんのお薬はもうちゃんとあるから……百合、お疲れ様っ」
「よかった……」
ボロボロと滂沱の涙を流す千秋の様子に不思議そうな表情をしながらも、千秋の言葉に安心したようにまた眠りに入る百合ちゃん。
こんな長い道のりを子供の足で走るのは、どれだけ辛いことだろう。
それは大人になった俺達では想像出来ない事だ。
「…………良かったな」
「はいっ……! 本当に、本当に……良かったっ」
ギュッと百合ちゃんの身体を抱きしめている千秋の髪を擦り、落ち着かせる。
もう終わった。この長い長い一日が。
だから、
「帰ろう──みんなで」
◇ ◇ ◇
まぁ、そんなカッコイイ事を言ったわけだが、歩けない千秋と眠っている百合ちゃんを抱えて歩くのは、部活も何もやっていない俺には限界があった。
息も絶え絶えのまま、なんとか家の前に辿りついた。
「だ、大丈夫ですか?」
「ぜぇっ、ぜぇっ、だ、大丈夫っ! まだ俺は戦える」
「誰と戦ってるのか判りませんが、そんなジョークを言えるくらいは大丈夫みたいですね」
サムズアップを千秋に向けつつ、俺はなんとか息を整える。
千秋は玄関前で、戸を開けようと腕を伸ばしては引くを繰り返していた。
きっと葛藤があるのだろう。
迷惑をかけてしまった申し訳なさと、受け入れてもらえるかの不安な思い。
父親の時の悪夢を再来させてしまった自分の罪に、また恐怖が千秋を襲っている。
だから、
「いつまでそうやっているんだ?」
「カイ、くん……?」
「簡単なことだろ? ここはお前の家だ。お前を温かく迎えてくれる『家族』がいる家だ。今更、何を怖がることがあるんだ」
過去と決別して、また未来を歩きたい。
家族全員で歩き出したい。
そう決めたのなら、今ここから、最初の一歩を踏み出さないといけないのだ。
「…………そう、ですよね。すみません、ちゃんと決心したつもりでいたのに、覚悟していたつもりでしたのに」
「口ではなんとも言えるからな。まぁ、そこは仕方ないよ。だから、今ここに俺がいる」
「カイくん……」
「お前が一歩を踏み出せない勇気の変わりに、俺が背中を押してやる」
ポンッと、千秋の背中を叩く。
「ほら、行ってこい。お前の『家族』が待ってるぞ」
「…………はいっ!」
深く息を吐いたあと、千秋は恐る恐る戸を開く。
ゆっくりとゆっくりと……そして──
「──こっのっ! 馬鹿千秋がぁぁぁぁぁ!!」
「いったい!?」
開けた途端、千秋の頭にチョップをぶちかました爺さんが迎え入れてくれた。
…………いやいやいや!
「ちょっと待て待て待て! お前、そこは『千秋、百合! おかえり!』ってところじゃねぇのか!」
「やかましい! 子供を叱るのが家族の役割じゃ! 貴様のような部外者がやるもんじゃないわ!」
「えぇ……」
千秋を任せたって言われたから、普通に千秋を叱ったんだけど、それに関しては言わない方がいいんだろうか。
「ふんっ! で、千秋、なにかワシらに言う事はないか?」
「…………ご、ごめんな、さい」
「そうか……このっ!」
爺さんは千秋にもう一度近付きながら腕を動かした。
その動作に、また叩かれると思ったのだろう。咄嗟に千秋は目を瞑った。
だが、それはまったくの思い違いで、
「…………えっ?」
「こんの馬鹿千秋……百合……心配かけよって……!」
爺さんは、千秋の腕の中で眠っている百合ちゃんごと強く、強く抱き締めた。
予想外の行動に千秋は呆然とするが、徐々に実感が湧いてきてその瞳から涙が一筋流れた。
「ごめん、なさい……! ごめんなさい……!」
「いいんじゃ……もう、大丈夫なんじゃ……」
「心配かけてごめんなさい……! 勝手なことしてごめんなさい……!」
「ワシらにとっては千秋はまだ子供じゃ……子供が家族に迷惑かけるのは当然のことなんじゃよ……」
「お父さんを……皆の未来をっ、奪ってしまった……! ごめ、んなさい……!」
「誰も千秋が悪いとは思っておらんわ……! ワシらの大切な大切な……千秋じゃ……!」
そんなやり取りをしている千秋と爺さん。
すると、家の奥から寝間着姿の真白さんが現れて──
「──おかえりなさい」
「──……ただいまっ!」
◇ ◇ ◇
「…………ふぅ」
軒下で夜空に光る月を眺めながら、俺はお茶を啜っていた。
今日の出来事は、とても濃密で長い時間だった。
一歩間違えていたら、多くの人が不幸になっていたかもしれない事件。
百合ちゃんは無事で、千秋も過去と決別して、前を向くことが出来た。
事件といえばそれまでだが、中身は全てがマイナスとは言えない。
「全てが悪いとは言い難い……よな」
あの日、美春と決別したあの時、俺は全て俺が悪い。美春が俺を捨てたことも当然の事だと思っていた。
でも、
「目に見えるものが全てじゃないよな……あの日、本当に浮気ってだけなんだろうかなぁ」
もっと話して、伝え合って、そうすれば、何かが変わったのだろうか。
いや、もう遅い。
自分で壊した。
自分で手放した。
自分が……何もかも終わらせたんだ。
「今更なにも……何もならねぇ……じゃ、駄目なんだよな」
千秋は前を向いた。俺が無理やり前を向かせたんだ。
その俺が、俺自身が過去と向き合わなくてどうするんだ。
でも、いったいどうやって……?
ふと、月を見上げる。
都会では気にしなかったその夜空の星や月。改めて見ると、とても美しい光景だ。幻想的だ。まるで異世界だ。
「…………月が、綺麗だな」
「──ふぇっ!?」
「んっ?」
背後から、お盆を持った千秋が顔を赤くしながら硬直していた。
身体はピクリとも動いていないのに、目だけはグルグルと挙動不審になっている。器用なものだ。
「どうかしたのか?」
「えっ? いや、だって……つ、つつ月が綺麗って……!」
「月? あぁ、俺が住んでいた所じゃ月なんて滅多に見ないからな。綺麗だなーって感慨に浸っていたんだよ」
「…………ですよねー」
その俺の言葉に能面のような無表情になった千秋。
あまりに不気味なため、俺は話を変えることにした。
「えっと、それでどうかしたのか? そのお盆、なんだよ」
「……あっ、これは夜食ですよ。帰ってきて何も食べていませんよね?」
と言い、俺にお盆の上の物を見せる。
お盆の上には小ぶりなおにぎりが四つ載っていた。
「そういえば、昼から何も食べてないな……」
現金なもので、さっきまでなんの反応も見せなかった俺の胃袋は、おにぎりを見た途端、悲鳴を上げる。
空腹には勝てない。口内に唾液が溜まり出し、俺は喉を大きく鳴らした。
「お隣、失礼しますね」
「あ、おう」
俺のすぐ隣に千秋は腰を下ろす。……かなり近い。
髪が少し湿っている。
風呂から上がってまだそんなに時間は立っていないのだろう。
仄かに千秋からいつも香るシャンプーの香りがした。
「はい、どうぞ」
「お、サンキュー」
渡されたおにぎりを齧る。
……うん、美味い。塩加減が絶妙で、中の昆布の佃煮が舌をダイレクトに刺激してくる。
俺は口いっぱいに放りこんだおにぎりを、千秋が新しく入れてくれたお茶で喉に流し込んだ。
「……んくっ、んぐ、ぷはぁ……うめぇ! 空腹だったってこともあるけど、このおにぎりめちゃくちゃ美味いな!」
「それは、良かったですっ!」
俺がおにぎりを褒めた途端、千秋は表情を綻ばせた。
…………もしかして、
「これ、千秋が作ったのか?」
「はい! お風呂上がりにちょうどお母さんが作っていたので、私もお手伝いにと……」
「そうか……いや、マジでうめぇよ。……ありがとな、千秋」
誇張なしで本当に美味い。
こんなに美味いおにぎりは初めて食べたと思うくらいだ。
「お礼を言うのは……私の方ですよ」
「ん? どういうことだよ?」
千秋は小さく微笑む。
「私は、ずっと心に鍵をかけていました。誰も入ってこれないようにって……誰も私の扉を開ける事は出来ません。そして、それは私も……」
「────」
「でも、それをカイくんが鍵を壊して、扉を開けてくれた。私の心と向き合ってくれた。だから、今、私はここにいます」
「そんな大袈裟な……」
「大袈裟なんてありません!」
そんな俺の言葉を、千秋は大きな声で否定する。
「千秋……?」
「すみません……ですが、大袈裟なんてことはないんです。判ってもらえなくてもいい……でも、判ってもらいたいこともあるんです」
潤ませた瞳を、俺に向けて、
「──貴方は私の大切な人だって事を」
息を呑んだ。
そんな誠実な想いを、瞳を向けられて、心が動かされないわけがない。
卑怯だ。
俺の心の中の美春を、霞ませる程の光を向けるなんて。
俺の心に、入り込むなんて──
「『前を向こう』。その通りですよ、カイくん」
その言葉が、悩んでいた俺の心の靄を吹き飛ばした。
「そう、だよな……」
「えぇ、そうです」
「……こちらこそ、ありがとな」
「……どういたしましてですよ、カイくん」
前を向くのは、次は俺の番だ。
もう、手遅れかもしれない。
もう、戻らないかもしれない。
それでも、俺は前を向かないといけない。
俺は、千秋をチラリと見る。
何故だろう。千秋を見ていると胸から湧き上がるものがある。胸が締め付けられるような感覚がある。
顔が、熱い。
俺は誤魔化すように、月を眺め直した。
「……月が、綺麗だよな」
「……私、もう死んでもいいです」
「え゛っ!?」
これで1章、終わりです。
長い時間かかりましたが、お付き合い感謝いたします!
次は2章ですが、やっと! 美春が登場する予定なので、期待せずに待っていただけるとありがたいです!
さて、更新が遅れた理由ですが、活動報告に書いておりますので、文句はそこで……あの、豆腐メンタルなのでそこでお願いします。
あと、元読み専の私がオススメする現代恋愛作品も紹介しておりますので、良かったらどうぞ、読んでみてください。
では、次の更新で……!




