第十九話 『俺はお前を──許さない』
遅れました……はい、ごめんなさい。
活動報告に理由を書くので、良かったら見てください……弁明です!
「その後、電波の届く場所を探して呼んだ救急車が駆け付けた時にはもう遅かった。父は──お父さんは頭を強く打ち付けた事により、病院に辿り着く前に息を引き取った」
その長い長い独白を、千秋ちゃんはそう締めくくった。
力のない笑みを浮かべる。
ここは山の奥深くにある田舎だ。携帯という電波が必要になる類いのものは全て使えない。
その結果、救急車を呼ぶまでに時間がかかり、そしてこの村に来るまでの長い道のりで処置が間に合わなかった。
「お父さんは私の手紙に気付いて林の中を搜索しに行きました。先走って一人で……そうして夜で足場も悪いなか、足を滑らせて坂道を転がり落ち、木や岩に頭をぶつけたんです」
頭は人体にとってもっとも重要な部位だ。
脳は頭蓋骨に守られているとはいえ、頭皮を超えれば直ぐに頭蓋に到達し、衝撃を与えれば容易く脳へ影響を与えるだろう。
「……これで判りましたか? 私の過去を……罪を」
「……一応は、な」
自分の父親が死んだ。
その原因を作ったのは他ならぬ自分自身であり、幸せな家庭を自分で壊した。
それが、千秋ちゃんの『過去』。
「これが私の罪。これが私が選んだ道。これが私の償いなんです」
「自分が父親を死なせる原因を作ったからか? 間接的にだが、自分が父親を殺したって、そう思っているのか?」
「いいえ、私がお父さんを殺した。それは紛れもない事実です。間接的にとか、そんなことは関係ない」
──結果を見れば、明らかですから。
そう呟いた千秋ちゃんの瞳から、一筋涙が伝った。
これが千秋ちゃんの心に打ち込まれた楔。今なお千秋ちゃんを苦しめる元凶なのだ。
「でも、それは仕方なかったんじゃないか? 幼かったんだから、家出ってもんは誰にだってある。ただ、千秋ちゃんの場合は運が悪かっただけじゃ──」
「──それでも! お父さんは死んでしまった! もう居ないんですよ……っ!」
俺の言葉を遮るように、千秋ちゃんは悲痛の叫びを上げた。
涙で濡れた瞳を大きく見開きながら、彼女は俺のことを睨みつける。
「簡単な事じゃないんです……! そう簡単に割り切ることなんて出来ない。だって……神谷くんは知らないから……!」
「…………なにを?」
そう聞き返した俺に、千秋ちゃんは、
「……お父さんが亡くなった時、誰も私を責めなかった」
「────」
千秋ちゃんの涙腺が決壊する。
「お母さんはあの日から泣かない……愛してた人が亡くなっても、私たちに涙は見せないんです」
泣いて、
「お祖父ちゃんだって、自分の息子が亡くなったのに私を責めない。甲斐甲斐しく私たちの世話をしてくれました……!」
泣いて、
「百合だってっ! ……あの娘にはお父さんの記憶がない。これから作っていく筈の家族の未来を私が台無しにした……ッ!」
泣き叫んで、
「どうして……!? なんで誰も私を責めないの!? 私は皆を不幸にしたのに、皆の未来を台無しにしたのに! どうして私を責めてくれないの……!」
悲痛の叫びを千秋ちゃんは上げた。
悪いことをしたのなら、誰かに断罪してほしい。
きっとそうしないと、罪悪感に潰れかねないからだろう。
「もう間違えないって……あの日、百合の向ける無垢な笑顔で私は誓った……! それなのに、私はまた間違えた!」
今、百合ちゃんはここにはいない。
彼女は姿を消し、林へと向かっていった。
それは母の風邪を一刻も早く治してあげたいという思いやりの心だろう。
そしてそんな幼子が林の下へ足を向ける切っ掛けになった人は……千秋ちゃんの言葉。
「私の不用意な言葉が、行動が、また家族を、村の皆を不幸にする! 私はもう嫌なんです……誰かが悲しむのは、苦しむのは……! なのにまた、お父さんと同じように百合も林に……私は何も変わっていない……!」
変わろうとして、変わりたくて。
なのに空回りばかりして、結局また選択を間違えた。
そんな思いが、苦しみが千秋ちゃんの声から感じ取られた。
彼女が数年前から胸に秘めたものは、ドロドロとした鬱屈な思い。
そう簡単に解消できるわけがない。
だから、俺は。
「……千秋ちゃん」
俺は溢れ出る涙を指で擦っている千秋ちゃんに近づく。
接近した俺に気付いたのか、千秋ちゃんは俺の顔を縋るように見つめた。
俺はその瞳を見つめながら、右手を上に挙げ──
「──せいっ」
「痛っ!?」
──そのまま千秋ちゃんの頭に振り下ろした。
「な、なにするんですか!?」
「なにって、チョップだけど」
「それを聞いてるんじゃないんですよ!」
自分の過去を吐露していきなり叩かれたんだから、そりゃ幾ら温厚な千秋ちゃんでも怒るだろう。
でも、俺は確かに言ったはずだ。
「言ったろ? 俺は千秋ちゃんを頼まれたって。だから──」
──聞き分けのない子供を叱りに来たんだよ。
◇ ◇ ◇
「叱りに、来た?」
「あぁ、千秋ちゃんはただ構って貰いたいだけだろ? 誰かに心配されて、愛されているって実感が欲しいだけの駄々っ子だ」
「っ! 違いますっ! なんで私がそんな……!」
「そんな風に『私、辛いんです』みたいなアピールしていてよくそんな事が言えるな。自分の事を一度客観的に見てみなよ」
俺のその言葉に、千秋ちゃんは怒りで顔を真っ赤にする。
自分の今までの思いを、贖罪を、全てを否定されたことによる怒りだ。
「そんなわけないでしょっ!? 実際、私がお父さんを死なせちゃった! それを償うのは当然のことで……」
「当然なら、なんでそんな悲しそうな顔をするんだよ。平気そうな面を貼りつけろよ。それは全て千秋ちゃんの誰かに見てもらいたいポーズが原因だろ」
見てほしい。
慰めてほしい。
理解してほしい。
言葉で否定していても、心のどこかでそう思っている。
罪悪感に苛まれながら過ごした数年間で、彼女は心の奥底から誰かに助けてもらいたかったのだ。
「わ、私は……皆に心配かけないでおこうって……」
「それでこんな事になってるんだろ? 千秋ちゃんの考えは、皆には届いていない。俺はそれを村の皆から感じてる」
千秋ちゃんが無理していることを、皆が知っている。
爺さんや真白さん、灯里を筆頭とした皆が千秋ちゃんのことを心配している。
「……私はっ!」
「それに、千秋ちゃんは重く考えすぎているよ」
そうだ。
何もかも背負いすぎている。
「千秋ちゃんのお父さんが亡くなったことは残念だと思う。でも、それで千秋ちゃんが父親を殺したって事にはならないだろ? 家出なんて、嘘だって子供の頃は別におかしくなんかない。ただ、千秋ちゃんの場合は不運が重なっただけだ。それに──」
それに。
その言葉の続きを、これを言ってしまえば、きっと千秋ちゃんは怒るだろう。
俺は最低なことを今からするのだから。
でも構わない。
「──千秋ちゃんの父親が死んだのは、自分自身が悪いだろ」
「────っ!」
──俺は、嫌われ者としてでもいいから、千秋ちゃんの目を覚まさせる為に来たのだから。
「──私の話を聞いて! どうしてそんなことが言えるんですか!? お父さんが自分で勝手に死んだって、自業自得だってそう言うんですか!?」
「あぁ、そうだ」
「っ! あ、貴方は……っ!」
「父親が怪我をしたのは千秋ちゃんのせいか? 治療が間に合わなかったのも? 全部が全部千秋ちゃんの責任じゃねぇだろっ。何もかも自分で背負おうとするなよ。そんなお前の姿を見て、誰かが傷付いていることにそろそろ気付け!」
千秋ちゃんのことを大切に思っている人は大勢いる。
この村で、千秋ちゃんは愛されている。好かれている。
もう、この村の人の中では千秋ちゃんは家族みたいなものなのだ。
家族が無理をしている姿を見て、周りが悲しまないわけがない。
「じゃあ、どうすればいいんですか!? お母さんもお祖父ちゃんだって、あの日以来泣いてないんですよ!? 私たちに心配かけないように無理をして笑ってくれてるんです……! 百合だってお父さんが居ない状況で……だから私は皆に償わないといけなくて……!」
「──泣けるわけないだろうがッ!!」
俺の言葉に、千秋ちゃんの言葉が途切れる。
「子供が……一番辛いやつが無理してんのに、周りのやつが素直に嘆くことなんて出来るわけないだろ!?」
涙を堪えてる子供の隣で、自分が泣くわけにはいかない。
一番辛くて傷付いている人が弱音を我慢して堪えているというのに、周りが弱音を吐くわけにはいかない。
だって、その子が一番辛いんだから。苦しんでいるんだから。
千秋ちゃんの行為は、周りの人の悲しみを封じ込めているだけなのだ。
「わ、私……!」
「そんなつもりじゃ……なんて言うなよ。お前がそう思ってなくても、良かれと思ってやっていても、お前の行動で誰かが傷付いている事を自覚しろ!」
償うとか、謝罪だの贖罪なんてどうでもいい。
過去に生きていて何になるというのだ。
「もういいだろ……自分を許してやれよ! 何もかも吐き出して、弱音もぶちまけていいから、その後はしっかりと笑え! お前が笑わないと、周りの人達も笑えねぇ!」
立ち止まって下を向いているだけじゃ駄目だ。
先頭に立っている者が止まってちゃ、後ろの人達も前には進めない。
先ずは進め。進んで進んで、途中で寄り道してもいい。進んだ先が行き止まりでもいい。
その時は、皆で悩んで力を合わせればいいんだから。
「笑う……なんて、そんなこと、出来るわけないっ!」
「出来る出来ないかじゃねぇ! 笑うのは自然な事だろ! 千秋ちゃんが心の底から笑っている姿、俺は見たことがないんだよ!」
「私が笑うなんて、許されるわけない! お父さんの未来を、お父さんとこれから過ごしていくであろう人達の未来をも奪ってしまった私に、そんな資格なんてない!」
「それはお前も被害者だろうが! 父親との未来が閉ざされたのは千秋ちゃんも一緒だ! そんなお前も許されないわけがねぇだろ!」
思い違いをしている。
千秋ちゃんは加害者ではない。
彼女もれっきとした被害者だ。その彼女が、泣いてはいけない理由にはならないし、許されない理由にはならない。
立場は、同じだ。
「それに爺さんも真白さんも他の人達も千秋ちゃんを恨んでなんかいねぇ! 千秋ちゃんが自分で自分を許せないだけだ! もう何年も苦しんだんだ……そろそろ自分を許してやれよ!」
そう簡単な事ではないかもしれない。
俺はたまに美春と過ごした日々を思い出す。
別れることになったのは、俺が彼女を悲しませたという事が理由の一つだ。
そんな自分の事が今でも許せていないし、今でも引きずっている。
でも、立ち止まる事だけは許されない。俺はそれを知った。
「許す……?」
「そうだ! 許せよ自分を……葵千秋を! 今までの日々にピリオドをつけろ! でも……それでもお前が自分を許せないというのなら──」
俺は、
「──俺がお前を一生許さない! 代わってやるよなにもかも! 誰もがお前を許したとしても、俺はお前を許さない! だから、千秋……お前は自分を許してもいいんだ!」
俺の言葉に、千秋ちゃんはへたり込むように膝をついた。
「……誰も私の事を責めてはくれなかった。私に優しくしてくれた」
「それほど大切な存在だったんだよ。それは今回でよく判っただろ」
「本当は責めてもらいたかった。断罪してほしかった。周りの人が許してくれるから、優しくしてくれるから、私だけは自分を許すことが出来なかった」
「楽になりたかったよな。お前が悪いってそう言ってもらいたかったよな。じゃないと誰に贖罪すればいいか判らなくなる。だから無意味に自分を嫌った」
「私は……自分が許せない。あの日起こしてしまった事を。そう簡単に割り切れるものではないですから……ですけど」
縋るような、潤った瞳を俺に向ける。
「──許されても、いいんでしょうか」
「────」
「もう、耐えられない。私だって泣きたいんです。弱音を吐いて、あの日の事を後悔したい。皆で悲しんで、嘆いて、そして笑顔でこれからを話していきたい」
「────」
「──本当に、いいんでしょうか?」
答えは、決まっていた。
「言ったろ? 俺はお前を許さない。でも、千秋がこれからをどうしていくかは俺には関係ない。許していくかどうかは、自分で決めろ。それがお前の──これからだ」
千秋ちゃんは、今日何度目か判らない涙を零した。
◇ ◇ ◇
「立てるか?」
「……はい。もう大丈夫です」
しばらく経って泣き止んだ千秋ちゃんに手を差し伸ばし、腕を引っ張って起き上がらせる。
可愛らしい顔は、瞳が涙で腫れていたりしてグシャグシャだが、いつもよりもスッキリとした表情をしている気がする。
こっちの表情の方が……俺は好きだ。
「んじゃ、百合ちゃんを迎えに行きますか。時間も余りないのに時間を食っちまった」
「す、すみません……」
「いや、千秋ちゃんも気にすん「──千秋」な……ん?」
俺の言葉に被せるように、千秋ちゃんは自分の名を口にした。
「さっきは私の事を呼び捨てにしてました。なのにまた『ちゃん』付けですか?」
「いやぁ……あの時のは無意識に出たというかなんと言いますか……取りあえず意図的な事ではなくてですね?」
「お互い本音で語り合った事ですし、『千秋』って呼び捨てにしてください。私は『カイくん』って呼びますので」
少し頬を赤くした千秋ちゃんの姿。目が潤っているのも合わさって、どこか扇情的な雰囲気に俺も自然と頬が赤くなる。
「恥ずかしいって……なんで急に……」
「私の事を『一生』許さないですよね? 長い付き合いになりそうですし、この際もう少し距離を詰めた方がいいと思いまして」
「それは言葉の綾だからね!?」
まさか自分で自分の首を締めることになるとは……思い出しただけで死にたくなる。
「千秋ちゃん……あのさ」
「…………」
「いや、千秋ちゃん……?」
「…………」
「ち、千秋……」
「はい──カイくんっ!」
その時向けた笑顔は、出会って良かったと思えるほど可愛かった。
◇ ◇ ◇
自分が許せなかった。
許すつもりもなかった。
父の未来を奪ってしまった自分を。
家族から大切なものを壊してしまった自分自身を。
でも、その人は私の事を許さないと言ってくれた。
私のことを、私の代わりに許さないでくれると言ってくれた。
それがどれほど嬉しいことだったのか。
きっと貴方にも判らないでしょう。
私を闇の底から引っ張り出してくれた暖かい手の温もりを。
向けてくれた笑顔と優しい想いを。
私はこれからも忘れないでしょう。
感謝してもしきれません。
だから、許さないでいてくれる貴方に。
私は大切な想いと一緒にこの言葉を贈ります。
──私は貴方を一生信じています。
次話、エピローグで1章完結になります。
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