第十六話 『自分勝手に。正直に』
家から飛び出して、俺は千秋ちゃんの行方を探した。
何処に行ったのか判らない状況。
探すのは困難だと思っていたが、あの千秋ちゃんの様子を村の人たちも目撃していたそうだ。
皆からの話を纏めると、千秋ちゃんは葵家の玄関から北の方向の林に向かったらしい。
「千秋ちゃんのやつ……百合ちゃんを探しに行ったのか……!」
千秋ちゃんなら有り得る。
家族想いでとても責任感のある少女だ。
それはこの村に来てよく判っている。
自分で蒔いた種だと思って、たった一人で探そうとしているのだろう。簡単に予想がついた。
「でも、違うだろう……!」
千秋ちゃんは何もかも背負い過ぎる。
普通の人なら落ち込んだり泣き叫んだりはするだろう。
でも、彼女が弱音を吐かずに全てをこなそうとしているのは事実だ。
それはその行動力も然り。
──はっきり言って、『異常』だ。
その原因がなんなのか、俺はまだ知らない。
村の人達は知っているみたいだったが、爺さんは『千秋ちゃん自身から聞け』と言っていた。
俺は彼女から直接聞かなければならない。
「ったく……俺の悩みだけ聞いて、自分だけ話さねぇなんて許さねぇからな」
鬱屈とした感情を押さえ込むように軽口を叩く。
俺とは比べ物にならないくらいの感情を抱えていそうだから、釣り合ってはいないのだけど。
でも、腹を割って話さなければ、何も始まらない。千秋ちゃんの為にもだ。
「──カミっち!」
酸素不足で足を止めていた俺の元に、背後から声がかかった。
俺をその奇抜な名前で呼ぶやつは一人しかいない。
誰だろうと大体予想をつけながら振り向く。
「……灯里」
「はぁ、はぁ……やぁ、カミっち。奇遇だね」
息を切らしながら笑顔を浮かべる灯里が俺に向けて手を挙げる。
「奇遇って、お前も目的は同じだろうに」
「そうだね。カミっちとデートするって目的だよね」
「お前の頭はハッピーセットか?」
アハハっと腹を抱えて笑った灯里だったが、直ぐに様子が豹変する。
感情を捨て去った表情で、彼女は俺を見据えた。
「──状況は知ってるよね」
「あぁ、失踪した百合ちゃんの搜索。そして──」
「──千秋を連れて帰る。あの馬鹿の頭を引っぱたいて、ちゃんと叱ってあげなきゃいけないのよ」
俺の言葉に被せるように、灯里はその言葉を口にした。
「おいおい、千秋ちゃんの親友様よ……暴力はいけないと思うぜ」
「親友だからこそ、私はあの娘の頭をぶっ叩いて反省させなきゃいけないの。それは勿論、百合もだけどね」
灯里は口角を上げて、黒い笑みを浮かべる。
「手加減してやれよ……」
俺は彼女たちの身を案ずる事しか出来ないようだ。
『でも……』と、灯里は呟き、
「でも、ここからはアタシでは無理よ。引っぱたいて悪い事したって自覚させるのがアタシの仕事だけど、千秋の目を覚まさせるのは、心の殻を破るのはかミっち……アンタだけだよ」
足を止め、彼女は俺の方だけをただ真っ直ぐ。
そう、真っ直ぐ見据える。
俺には理解が出来なかった。
「前も聞きたかった。なんで俺のことをそんなに買うんだ?」
千秋ちゃんの過去を知らない人間。
ただそれだけで、俺に千秋ちゃんを委ねる意味が判らなかった。
「……初めてなのよ」
「え?」
「千秋が初対面の人にあそこまで心を開くのは……。千秋は昔から知らない人間には誰とも話そうとはしないの。私だって一年近い年月をかけてやっと千秋が話してくれるようになったのに、貴方はたった数日でっ!」
そんな風には見えなかった。
あの千秋ちゃんが、そこまで心を閉ざしていた?
でも、なんで俺には……。
「だからアタシはカミっちを試した。この人はどんな人なんだろうって……そして、理解した」
「……なにを?」
「カミっちと千秋は──どこか似ているんだって」
灯里は溜め息を吐くように微笑んだ。
呆れたように、優しげに。
「なんにも……似てねぇだろ」
「いや、似てるよ。千秋もカミっちも大切な人を喪った過去があるから」
「大切な人って……俺は彼女と別れたってだけの……」
「でも、大切だったんでしょ? それこそ、自分の半身のような存在で。だから失った事が悲しくて、現実を直視したくなくてこの村にやってきた」
大切かどうか。
そんなの、答えは決まっている。
俺は美春が好きで。美春も俺が好きで。
幼い時からずっと一緒だった。
何をするのも一緒で。何をするのも楽しくて。
彼女がいないだけで俺は生きていけないと思った。
ずっと信じていた。
彼女が俺の手を握ってくれて。
その手を俺が強く握り締めて。
一緒に同じ道を歩くとずっと信じていた。
でも、それはもう叶わない。
道は違えてしまった。俺は一人でこの道を歩かないといけない。
今でも好きだ。忘れるなんて出来るわけがない。
「……大切、だった」
「そう。千秋も同じ。千秋も大切だった父親を亡くしてしまった」
俺は顔をバッと上げて灯里を見る。
薄々だけど、気が付いていた。
父親の話題の時、千秋ちゃんの反応で俺は千秋ちゃんとお父さんの間に何かあったのだろうと察した。
それもただの死別ではない、なにかが。
「改めて聞くわよ。今の千秋を救えるのは貴方しかいない。同じく何かを失い、千秋と真摯に向き合えるのは……。貴方は、ちゃんと千秋と向き合えるの?」
その問いかけは、灯里から俺の心の再確認をしているような気がした。
数日前。俺の心の迷い。
中途半端な覚悟で千秋ちゃんと接していた。
俺は美春との日々を頭に過ぎらせながら、彼女たちとの日々で埋め尽くそうとしていた。
俺は千秋ちゃんたちを、自分の嫌な記憶を塗りつぶす為に利用しようとしていた。
そんな俺が、本当に千秋ちゃんに向き合えるのか?
もう一度問いかけろと、何処かで『俺』が笑った。
なにも出来なかった。ただ、見ているだけで、遠ざかっていく『大切な人』の背中を眺めているだけだった。
俺はそれでいいのか? そしてその気持ちに、ずっと千秋ちゃんを囚われさせたままでいいというのか?
ただの偽善で。それとも恩義で。そんな自分勝手な心で俺はここに足を運んだのか?
「いや、違うな。俺は──」
今ならハッキリ言える。
気持ちは固まった。
俺は俺だ。俺の事は全部俺が決める。
「──俺は今の千秋ちゃんが嫌いだ。だから俺が千秋ちゃんの頭をぶん殴る。気に入らない。ただそれだけだよ」
自分勝手でいい。俺はただ、俺のやりたいようにやる。
それでどうなるかなんて、知ったこっちゃねぇ。
「……ふふっ、カミっちってホントにおかしな人だよね」
呆気に取られていた灯里が、小さく笑いを漏らす。
それはあの日、初めて会った時と同じく陽気な笑顔そのものだった。
「おかしくなんてねぇよ」
おかしいのは、寧ろお前を筆頭にしたこの村の人らだろ。
◇ ◇ ◇
「で、行くのは判ったけど、カミっちって林の中に入るための懐中電灯は用意してるの?」
「…………あっ」
言われて、思い出した。
衝動に任せて飛び出してきたから、そんなこともすっかり忘れていた。
なんてミスだと、俺は頭を抱えて自己嫌悪する。
「……仕方ないなぁ。ほら、カミっちパスっ!」
「ん? おおっ!?」
声につられて顔を上げると、灯里が手に持っていた懐中電灯を投げ渡してきた。
それに気付くのが遅れて反応出来なかったけど、なんとか懐中電灯を落とさずにキャッチすることが出来た。
「な、何するんだよ! 危ねぇだろ!」
「パスって言ったじゃない」
「言うのが遅いわ!」
本当にコイツといると疲れてくる。
今の状況。コイツこそ判ってねぇんじゃねぇか?
「で、なんで懐中電灯を?」
「この先、林の中へ続く一本の獣道があるの。千秋や百合、アタシがいつも散歩で通る道よ。百合は林に続く道はそこしか知らないから、多分そこにいると思う。勿論、それを追う千秋もね」
「そう、なのか?」
「えぇ。だから、そこをカミっちに行ってきてほしいの」
灯里はそう言った。
勿論、それで判りましたとは言えるわけもなく、
「いや、『カミっちに』って? お前は行かないのかよ?」
「行く気はないよ。本当に狭い道なの。夜に懐中電灯一つで複数人で行くのは危ない。足下とかにも二人を照らすことなんて出来ないだろうし、進むのが遅れてしまうよ」
『それに……』と、灯里は呟く。
「アタシがいると、あの娘も吐き出せないだろうから」
悲しげに呟いた灯里を見て、俺はなにも言えなかった。
「取りあえずアタシは村の人たちを呼んで戻ってくる。だからその間、千秋たちを──」
「──頼まれた。お前は前の稲作の時も俺に『頼んだ』って言った。その言葉で俺は十分だ」
「……口パクでそう言っただけなんだけどなぁ」
してやったりと、俺は灯里に笑みを浮かべた。
翻弄されまくっていた相手を言い負かしたと思うと、自然と心もスカッとしてくる。
「まぁ、千秋の事は頼んだけど、一つ言っておくよ」
「ん?」
俺は足を動かそうとした瞬間、灯里の言葉に足を止める。
灯里はとっても綺麗な笑顔で、そしてこう言った。
「──千秋は私のモノだから、カミっちには渡さないよ?」
「────」
どうやら、ソッチ系らしいです。
◇ ◇ ◇
走って走って走って。
終わらない暗闇の世界。出口の見えない袋小路。
私は間違えた。なにもかも間違えた。
何故、私は生きているのだろう。
人に害しか生み出さない私に、生きる価値なんてあるのだろうか。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
私にはやるべき事がある。やらなければいけないことがある。
自分が犯した罪は自分で償わなければいけないのだから。
お父さんの笑顔を思い出して。その度に罪の意識に囚われて。
そして私はまた罪を犯した。でも、今度は自分一人で解決してみせる。
もう村の人たちに迷惑はかけているだろう。でも、それでも。
私は最愛の妹を探さなければいけないのだから。
先程転けて捻った足の痛みを、歯を食いしばりながら我慢する。
また一歩一歩。でも、私の目の前は終わることのない『闇』。
それでも『闇』の中に足を踏み入れようとした瞬間、背後から『光』が私を照らした。
振り向いて、私は『光』の主の姿を確認する。
「──よう、千秋ちゃん。息災かい?」
まだ出会って間もない青年が、不敵な笑みを浮かべて立っていた。




