事情
「飛鳥!」
振り返ると、階段のところに龍二が立っていた。なぜか、嬉しそうに笑顔で手を振り、出迎えてくれている。どうして、そんなに嬉しそうなんだろうか…。さっきまで、校長室で謝らされ、苦手な数学は補習をされ、挙げ句の果てには、気になっている会長には叱られ——。本当に彼はすごいポジティブシンキングである。思わず、こちらまで釣られて笑ってしまう。手を振り返すぼく。
そして、再び、綾部さんのほうへ振り返る。彼女は下を向いていた。前髪に隠れて瞳が見れない。——さっきのは見間違いだったのだろうか…。
挨拶して帰ろうとしたその時。スッ、と綾部さんが歩き出す。しかし、横切るかと思いきや隣で一度止まった。
「もう…二度とかかわらないで」
そうして去って行く彼女。後ろで足音が聞こえる。
ぼくは背中を見ることも出来ない。なんて弱い男なんだろうか。
2人で帰るぼくたち。
学校からぼくの家までは、自転車でだいたい40分程である。家から北の方に行くと龍二の家があり、誠斗の家は東南東の方へ行くと着く。だいたい、自転車で15分ってところだ。
だいぶ長距離ではあるが、ぼくたちは途中まで話しながら歩いて帰る事にした。
「いやぁ…、さっきは出来立てホヤホヤの、カップルの邪魔しちゃって悪かったなぁ!」
何も知らずハハハ、と笑う龍二。押している古いママチャリからは変な音が鳴っている。
実は龍二の両親は離婚していて、母が出て行く際いらない、という事でこれをもらったらしい。今は少し怖いお父さんと、仲良く暮らしている。お兄さんの事なども詳しく聞きたいが、さすがにそういった話は踏みこめない。
しかし、本当に年季のはいったママだ。かなり錆びている。だが、今となってはこれが龍二の自転車——。
ぼくは気にせずほほ笑んだ。どのみち、タイミングも良かった。あのままだと、ぼく1人じゃあ身が持たないだろうし…。
そして、龍二がニタニタと笑いながら、身を乗り出す。のけ反るぼく。
「それで、なにか話せたのかよ?チェリー君?」
そう言うべきなのかどうか。とりあえず、目のこと以外さっきあったことすべてを話した。
すると、何故か龍二がふうん、といった。口をとがらせ顔をそむける。
「なんか…純愛って感じだよなぁ」
それは、また意味が違うだろうけれども…。
「あっ、でもこの場合は純愛じゃあなくて…純恋か?」
得意気な顔をする龍二。
そんな日本語は無い!勝手に作るな!
むっ、としていると龍二がいいじゃねぇか、と笑った。
「なんだよ…。からかわれて怒っているのか?」
違う!そこではない!辞書でも読め!
殴ろうとしたが、ヒラリとかわされてしまった。
ぼくが鈍いのもそうだけど、龍二は本当に、動体視力や運動神経がいい。以前に、何故部活をやっていないのかを聞いたら——。
「早くに帰って店の手伝いとかしなきゃいけないんだ」
とのこと。さすがパン屋の息子だけある。オヤジさん跡を継ぐのだろうか。だが、このご時世色々難しいからな。家計もギリギリらしい。昔からある古いパン屋さんだから仕方がない。
龍二の家は駅の近くの通りにあり、周りも老舗の店が多い。魚屋に八百屋、それから和菓子屋などもある。1歩路地に入ると、レトロな珈琲屋も!あそこの通りは"人情"で成り立っている。大人たちいわく、そこがまた良いらしい。ぼくにはわからないが。
誠斗の家の方は築何年という、古くからの家が多い。とくに、彼の家の造りは和風で格好良い!庭にも、池やししおどしなどがあり最高である。そこから少し行った先に、駅があるが小さい。そのかわり、近辺には古くからの飲み屋あり、チラホラ屋台もある。おそらく、そういったのが風情というものだろう。
2人して伸びた影を見つめていると、龍二がポツリとつぶやいた。
「オレ…麗華——夏目会長のこと…好きなんだよ」
めずらしく真っ直ぐな言い回しだ。まぁ、薄々気付いてはいたが、黙って耳を立てる事にした。
「いや、さ…。いつもあんなに真面目じゃん?だから、つい意地悪したくなるっていうか…。気をひきたくなるっていうかさ…」
女の扱いには慣れている龍二がめずらしい。翻弄されているなんて…。
歩く先を見つめている龍二。
「今までの女たちは、すぐに落とせたんだけどよ…」
今までって…たとえば蓮山さんも入っているのか?あとは、周りの女子か?
「オレが誘い文句言ってもとくに動じなくて…。何度チャレンジしてもダメなんだよ。それがくやしいっていうか…ムカつくっていうか、さ」
龍二が自転車のハンドルをギュッと握り締める。
前を見ると、分厚いメガネが印象の山田君と、身長が高くガタイの良いゴリ——女の子が並んで歩いていた。やけに楽しそうだ。手まで一緒に繋いでいる。たしか、あの女の子隣のクラスで見たことがあったな…。
龍二も、チビゴリカップルを見つめていた。
「こんなの…初めてなんだよ」
少し顔が赤い龍二。すると突然足を止め、顔を突き出してきた。
「こ、このことは…誠斗には黙っててくれよ?」
勢いに押され、首を縦にふる。互いに身を戻すと、そろって歩き出した。
「幼なじみだからさ、麗華とは…」
その目は、どこか悲しそうだった。
「誠斗って…やっぱり麗華のこと好きなのかなぁ?」
うーん、どうだろう。
誠斗は、あまり自分の心を見せないタイプ、もしくは隠すのが上手いタイプだから、理解するのがなかなか難しい。この間のこともあったけれども、一概にそうとも言いきれない。
誠斗の性格から考えると、誠斗は分けるところはしっかり分けそう。たとえば、この人は『女』として見て、この人は『先輩』で、この人『女友達』で——っていう感じで。
龍二に簡単に説明すると、笑いながら納得された。
「たしかに、ありそうだよなぁ…。誠斗の性格からして!」
1歩間違えれば冷たく思われがちだけど、まぁ、あの世話焼きな感じでプラスマイナス0だろう。
考えていると、突然龍二がそれにしてもさ、と言い出した。そして、コチラにズイ、と顔を向けてくる。
「飛鳥って…そのへんすげぇよな」
なんだよ?どの辺だよ?
思わず恥ずかしくて口をとがらせる。
「そういう…人を見ているところっていうの?なんていうんだ?そういうの?」
「観察力のことか?」
それぐらいだったら、べつに誠斗も持っていそうだけど…。むしろ、もっとすごいのはそれを上回る『洞察力』っていうものだ。持っている人もいるらしいからなぁ。世の中は本当に恐ろしいよ。
龍二が、それそれ、と指を立てて喜ぶ。
「そういうのって、さ…やっぱり小説読んでいると身につくのか?」
目を輝かせコチラを見てくる。それは知らないが…どうだろう。たぶん、人にたいしての好奇心かなんかが、関係してくるんじゃあないか?どれくらい、人を見ているかどうか…みたいな。興味がなければ人を見る際、"人は人"、"自分は自分"みたいに区切ってしまうんじゃあないかな。あ、いや…誠斗は別だとしてだ。
唸って考え込んでいると、ふと龍二に肩を叩かれた。
「そういうの大事にしたほうがいいぜ。みんな、かならず取り柄っていうのはあるからな!」
いや、べつに自分自信に関しては悩んではいないけれども…。まぁ、でも——。
「ありがとう」
小さくつぶやく。しかし、聞こえなかったのか、龍二が腕時計を見て叫んだ。
「やっべぇ!もうこんな時間だ!早く行かねぇとオヤジに怒られる!」
あぁ、お店の手伝いか。
龍二のオヤジさんには何度か合ったことがある。髪はパンチパーマ。格好が魚屋みたいに白いねじりハチマキと、エプロンを腰に着けている。それにしてもあれは何ミリのロッドなんだろうか…。目の上にはなにかの傷痕などもあったりして、なんだか危ないにおいがする!でも、性格はすごく優しい。本当に暖かい人である。そして、いつも行った帰りに残ったパンを持たせてくれる。
誠斗のオヤジさんは、なにをやっている人なんだろうか。1度家に上がった時に見たことはあるが、座敷に座っているだけで、ものすごい迫力があった。見た目は誠斗そっくり。メガネをかけているところなんかも!話たことはないから性格はわからないけれども…(その時、あまりの怖さにあいさつ程度しか出来なかった)。たまに、誠斗が怖い時なんかは、雰囲気がオヤジさんそっくりな気がする。
龍二に名前を呼ばれハッとする。
「じゃあ…オレは先に帰るぜ!」
ぼくは、小さくうなずいた。こぎ出し、少し進んでからふり向き、手をふる龍二。ぼくもふり返す。背中を見守りながらひと息ついた途端、龍二が自転車を止め、コチラに満面の笑みでふり返った。
「きちんと…家に帰れよ!」
ぼくは苦笑いしながらうなずいた。そして、先に行く龍二。きっと、彼はいろんなものを見てきたんだろうなぁ…。
表に出している笑顔の数だけ、裏には涙の数が多いんだろう…。
うん、ぼくも帰ろう。
途中、遠回りをして家に着いた。
玄関を開けると、母が高いヒールのくつを一生懸命履いている。
ぼくを見ると、ニッコリとほほ笑んだ。
「おかえり。夕飯は冷蔵庫の中にあるから。温めて食べてね」
ぼくは静かにうなずいた。
履き終わり立ち上がる母。そして、ぼくをギュッと抱きしめる。長い髪がぼくの鼻をくすぐる。
染めたことがないのに、自然な発色で茶色味がすこし入っている母の髪。ぼくは、小学生の時この長くて柔らかい髪が、大好きだったのを覚えている。なので、よく周りのお母さん達には、抱っこ癖が抜けなくて困っている、と悩み話をしてたみたい。でも、今さらそんな理由でせがんでいたなんて言えない!
「いつもゴメンね…。今夜も遅くなるから」
今日はいつもとは違う香水のようだ。新作だろうか。
ぼくはそれ以上考えることを止めた。
母が身体から離れる。そして、玄関の戸を開けて出て行った。
「いってらっしゃい」
ぼくは乱暴にくつを脱ぎ捨てる。リビングに向かい、テーブルにカバンを置いた。そして、冷蔵庫を開ける。そこには、惣菜と押し寿司が入っていた。どちらも、近くのスーパーで買ったやつのようだ。
母の手料理の記憶があまりない。でも、好きな料理は覚えている。手作りのハンバーグだ。おそらく、地元のスーパーの安い肉を使っているだろう。野菜だって、半額のものを買っていると思う。少し焦げた味のするデミグラスソースだって——。それでも、あの時美味しく感じたんだ。そして、ご飯を何杯食べたか覚えられないくらい、おかわりをした記憶がある。あぁ、最後に食べたのはいつだったかなぁ…。
目的のウーロン茶を取り出しラッパ飲みをする。そして、飲み終わりペットボトルを冷蔵庫に戻した。——あぁ、何も食べたくはない。食欲が沸かない。
ぼくはカバンを持ち直し2階へ向かった。2階にはぼくの部屋と父と母の寝室がある。しかし、今はぼくだけしかいないので、2階全体が暗い。
廊下の一番奥の、自分の部屋に入りカギをかける。大きくため息を吐いた。カバンを机の上に置き、ベッドにダイブする。
今日の出来事が走馬灯のように流れ出す。——あぁ、綾部さんと少し話せた!本当に嬉しい!教室とはちがって、近くだとすごく可愛い!あぁ、早く明日にならないだろうか!早く会いたい!綾部さんと付き合ったらどんなに幸せか…。いろんな場所へデートに行って、帰り道公園で日が暮れるまで話したり…あ、あと学校の横の川辺で夕日を見るのも悪くないな!アソコは、夕方になると高校生のカップルがこぞって夕日を見に行く。いわば、ぼくからしたら憧れの中の憧れである!
ぼくはベッドから下り、カバンの中からスマートフォンと、読みかけの文庫本を取り出した。そういえば、彼女は持っているのだろうか。連絡先が知りたい。いや、でもたしか龍二のスマートフォンであのLINEグループを見たとき、綾部さんは入っていなかった。もしかして…持っていないのか?いやいや!そんなまさか!今の世の中、スマートフォンを持っていない人がいるのだろうか?あ、それか…もしかしてガラケー派か?
スマートフォンを持ちながら、またベッドにダイブする。
今日、あの子が見ていた花は…なんて名前なんだろうか。花は詳しくない。図書館で調べるか?いや、明日学校へ行って、1度誠斗あたりにきいた方が良いだろう。アイツは、頭がいいからな。まぁ、"百聞は一見にしかず"、なんて言うがこれくらいは良いだろう。
スマホで『黄色い花 名前』なんて検索かけてもたくさん出てくる。これだから、こういう機械というものは嫌なんだよ!
スマホを枕元に置き、文庫本を持ったその時——。1階から、ガチャリと玄関の戸が空いた音がした。
「ただいま」
部屋の掛け時計を見る。18時半——。
父は隣町の公務員をしていて、いつも車でそこまで通っている。なので、終わりはだいたいいつも定時。たまに飲んで帰ってくる時もあるが!
そして、母のことに関しては察しが良いのか薄々は気付いているみたいだ。
下から声がする。
「お母さんはどうしたー?」
行くのが面倒臭くて、言いに行くのも面倒臭い。
ぼくは、布団の中にくるまり小さくつぶやいた。
「知らない」
そう、今ごろは知らない男と会って楽しんでいるんだろう。
あぁ、この家はなんて"色の無い世界"に包まれているんだ——。
——5時半。気がついたら眠っていた。準備するにはしては少し早いけれど…。とりあえず、シャワーを浴びてくるか。
ぼくは、ベッドから起き上がりアクビをした。そして、シワが寄ったブレザーをハンガーにかける。ズボンも脱ぎ同じくハンガーにかける。収納箱からは、弛んでいる無地のトランクスを引っ張り出した。
部屋を出て1階に向かう。しかし、リビングの前で足を止めた。——少し腹が空いたな。何か…食べるもの無いだろうか。
テーブルの上にトランクスを置き、冷蔵庫を開ける。惣菜はなく、何故か押し寿司は残っていた。ナマモノだからやめたほうがいいだろう。
冷蔵庫を閉め、戸棚を開ける。すると、5つ入った手のひらサイズの、カスタードクリームパンが見つかった。丁度いい。これにしよう。
戸棚から取り出し、袋を乱暴に開け、1つ口の中に放りこむ。残りのクリームパンが入った袋をテーブルに置き、代わりにまたトランクスを持った。洗面所に向かう。胃はだいぶ小さくなってしまった。体重はいくつだろうか。
トランクスを脱衣カゴの中に置き、洗濯機のそばにある棚から体重計を取り出した。床に置くと自動的に電源がつく。そっと乗ってみる。体重は——。
「ご、52…キロ…」
思わず、つぶやいてしまった。あわててワイシャツをたくし上げる。肋骨が気持ち悪いくらいに浮き出ている。体重計から下り、ワイシャツとTシャツを床に勢いよく脱ぎ捨てた。洗面台の鏡をみて見る。そこには、見事なまでにやつれている自分の姿が写っていた。気持ち悪い…。
ふと、脳裏に昨日の放課後のことがよぎる。——あの切ない綾部さんの表情。
自然と目尻が熱くなる。
こんな身体で、ぼくは彼女を守れるのだろうか——。
部屋の掛け時計を見る。——6時半。もうそろそろ、部屋を出るか…。
家は遅くて、7時ちょっと過ぎに出れば学校には間に合う。けれど、なるべく家に居たくはない。だから、7時前にはいつも家を出ていた。朝ごはんは、コンビニで買って食べている。
1階に下りると父がリビングにいた。ソファーに座り、新聞を読んでいる。テーブルには、自分で挽いたであろうホットコーヒーが置いてある。まもなく仕事に行くのだろう。母はまだ寝ているようだ。父はぼくに気が付きと、新聞をたたみ始めた。
「おはよう」
「おはよ…」
ぶっきらぼうに返す。
「コーヒー…飲んでいくか?」
首を横に振る。いらない。もう、学校に行く。
ふと、先ほどのクリームパンを思い出した。戸棚に向かう。開けると3個残っているクリームパンがあった。ついでに持っていくか…。
すると、それを見た父がブラックコーヒー飲みながら、ため息をこぼした。
「そんなものばかり食べていたら…大きくならないぞ」
そんなことはいまさらだ。どのみち、朝食らしいものなんて無い…。
クリームパンの袋を持つ。足早にリビングを出た。そして、玄関に向かうと、昨日母が履いて行ったヒールが散乱していた。どうやら、酔って帰ってきたらしい。
ぼくはいつの間にか整頓されている、自分のくつを履いた。同時に母のくつをそっと揃える。くつを見ていると、ふとあの金髪の蓮山さんが脳裏によぎる。
女は何故あんなにも化粧をしたがるのか。何故、キレイでいたいと思うのか。何故、可愛く思われたいのか。とても、理解出来ない——。
ぼくは、何も言わず外へ出た。車庫の端に止めてある自転車のカゴに、カバンを投げ入れる。そして、停めているセダン車に注意しながら、引っ張り出した。
でも、内面が良ければ、外見にも反映されるはず。心が汚れていれば、外見も汚くなる。
自転車に跨り、ぼくはペダルをこぎだしす。走りながら、1つクリームパンを頬張った。
しかし、もし大雑把な性格であれば、化粧だって雑になる。「まぁ、こんなものでいいだろう」、「これくらいならばわからないだろう」などと。こだわる人であれば、化粧品のメーカーからこだわり、化粧の仕方も勉強し、誰かに教わったりもする。だから、いくら人が外ズラをよくしようとしても、結局中身から外側へと反映される。無意味に等しい。頑張ろうとする気持ちはわかるけれども…。わかる人はわかるだろう。
家の近くのコンビニに到着する。自転車を停め、自動ドアをくぐる。ついでに昼飯も見るか…。
菓子パンコーナーに向かう。昨日から、カスタードクリームパンばかり食べているから、さすがにさけたい。大好物ではあるんだけれども、さすがに飽きる。
よく見ると陳列している中に、ピーナッツクリームパンが置いてあった。そうだ、味を変えよう。今日のお昼はピーナッツクリームパンでいこう。手を伸ばしかけたその時——。
「こ、これはっ!」
思わず声を出してしまった。
なんと、その隣に新商品で『職人が作ったカスタードクリームパン』というものが出ているではないか!しかも、期間限定である。値段もなかなか良い。これは…クリームパン好きとしては是非とも食べたい!よし、今日のお昼はこれも食べてみよう!あぁっと、朝ごはんは——家のカスタードクリームパンだけでいいか。
2つとも持つと、次は飲料コーナーに向かう。飲み物は決まっている。紛う方なく牛乳だ。一番小さいサイズを2パック持ち、全て両腕で抱える。そして、レジに向かった。
並んでいると、同じ制服の男の子が息を切らしコンビニに入ってきた。ぼくより身長が高く、そして黒縁メガネが印象的な——誠斗だ。しかし、なんだか様子がおかしい。学校も誠斗の家から、コッチの方を通って向かうと遠回りのはずだ。
誠斗は、店内をキョロキョロし誰かをさがし始める。そして、レジで並んでいるぼくを見つけると、すごい剣幕でコチラに向かってきた。おずおずと、挨拶をしようとしたその時、勢いよく両肩を掴まれた。誠斗のカバンが床に落ちる。他のお客さんも、何事かと言わんばかりにコチラを見てきた。
「蓮山が意識不明らしい」
突然の衝撃的な一言。急な発言に頭がついていけない。
「え?」
思わず目を見開いた。誠斗の顔を穴が空くほど見つめる。
「一緒に廃駅に行った男、2人は行方不明…。蓮山は、その廃駅で倒れていたところを発見されたらしい!」
肩を掴んでいる手が震えている。誠斗の目は赤く充血していた。
ぼくの腕から新商品のクリームパンがこぼれ落ちる。レジからは、催促の声がするが、ぼくの耳には届かなかった。
「誰から聞いたんだ?」
コンビニを出てから、ずっと無言で歩いているぼくたち。自転車がカラカラと悲しく鳴る。せっかく買ったクリームパンも食べたいとは思わない。
しかし、さすがにそろそろどうにかしないと、と思いぼくから口を開いた。
焦燥している誠斗がポツリポツリ、とつぶやく。
「さっき…麗華からだ。いつも通り、一緒に学校行こうとしたんだけど…今回の事で、学校に呼ばれて、急いで行ったよ」
そうか…。だから、誠斗も今日は朝が早いのか。やっぱり、生徒会長は忙しいんだな。
誠斗がボンヤリと遠くを見つめる。
「最近の蓮山からは悪いウワサしか入ってこないんだ…。薬やイジメとか…」
薬って…薬物か!同じ歳だよな?高校3年…だよな?
誠斗の目はまるでどこを見ているのかわからない。
「販売に関与していたらしい」
ゴクリ、とつばを飲む。いったいどんな手口を使ったんだよ…。
「噂じゃあ一般の男をホテルに連れ込んで、寝る前に薬を飲ませたりとか…。事実かどうかは知らないけれどな」
誠斗の目が死んだ魚のような目をしている。
薬物は、依存性があるっていうからな…。タバコに含まれる、ニコチンなどとは、違う種類の依存性なんだろうか。しかも、そのタイミングで飲まされると、男も滋養強壮剤かなんかだと思い込み飲む可能性が高くなる。
すると、ふと誠斗が乾いた笑いをした。
「あの綾部さんって子…蓮山にイジメられていたそうだ」
「え?」
思わず足が止まる。誠斗は、なぜか少し妬ましそうにコチラを見ていた。
「覚え…ないか?」
頭をフル回転させる。出てきた記憶は、図書室での出来事だった。だけど、これだけでは判断が難しい…。とりあえず、図書室で消えた事以外は話した。
「そうか…」
なにやら、考え込む誠斗。だが、今の状態で思考は動くのだろうか?まともな判断も覚束無いんじゃあないか?
隣で心配をしていると、誠斗が視線を上げる。
「もしかしたら…綾部さんって子も何か問題があるのかもしれないな」
思わず、耳を疑った。そして、目を見張る。
「蓮山だって…なんだかんだ言ってひたむきなところがあるし…。龍二に一途だから化粧もあんな——」
ぼくは、勢いよく自転車に跨った。そして、振り向きもせずこぎ出す。今日の誠斗はなんだかおかしい。
なぜか、また目尻が熱くなってきた。
以前の誠斗は、あんな事をいうやつじゃあなかった。龍二と同様に正義感があって、常に弱い人間の味方だった。仮に、本当に苛められていたとしたらだけど、前の誠斗だったら綾部さんの味方になるはず。でも、あれほど衰弱して悲しんでいるのを見るともしかしたら誠斗は——。
途中で、こぐのをやめ自転車を下りる。——がむしゃらだった。かなりこいだ。しかし、体力がないせいか、スピードを上げてこぐだけで、すぐに息が切れてしまう。手を見ると、何故か少し震えていた。
周りを見ると、住宅地にいる事に気が付く。ここは、いつもの登下校の道から少し離れたところにある。ここからだと川が近い。例の廃駅の後ろにある山から、ずっと伸びている川だ。学校の横を通っている。
とりあえず、意味もなく川辺に向かった。夕方はカップルが多いが、朝はただのジョギングする人や、高齢者の散歩コースなどとなっている。
ぼくは道路に自転車を停め、川辺の原っぱに座った。暖かい陽射しにつられ、思わず寝転ぶ。
なんだか、どっと疲れた。このまま、学校サボってしまいたい…。そして、ここでのんびりと小説を読みたい。
梅雨の生温い風が黒い前髪をなびいていく。ふと、顔を横に向けると枯れかかっているタンポポがあった。そういえば、綾部さんが見ていた花の名前は何ていうのだろう…。昨夜からずっと気になっている。
悩んでいると、お腹が豪快に鳴った。そうだ、朝ごはん…まだ全部食べていないんだった。立ち上がり自転車のかごの中にある、カバンのチャックを開ける。目の前に現れるスマートフォン。癖のようにホームボタンを押し、待ち受け画面をみると表示される時間は——。
「わ!もう7時40分?!」
まさか、あのコンビニ付近からこんなに時間がかかるとは!本当に猪突猛進に走って来ちゃったんだなぁ…。とりあえず、今はダッシュで学校へ行くしかない。
クリームパンを口に頬張る。ちなみに、このまま走って学校に向かい、女の子とぶつかるような、王道少女漫画のシュチエーションはまず無いのでご安心を!現実は、家から学校まで距離があり、自転車でゼェゼェ言いながら走るという!
クリームパンを押し込むと、1つ深呼吸をし、ペダルを踏み込む。
学校の校庭が見えてきたころには、55分だった。まずい!あぁ…遅刻なんてしたことないんだけどなぁ。
舗装されていない校庭の横道を、勢いよく通り、校門前の道に出る。車道に注意し、走っていると、校門の前に人だかりが出来ているのに気付く。思わず数10メートル手前で、急ブレーキをかけてしまった。門の前にはたくさんの報道記者がいて、担任のいそ先生と生徒会役員の夏目会長がその人たちの侵入を止めていた。渋々、ゆっくりと自転車を押しながら群衆に近づく。
「そろそろでしょうか?綾部雪さんという方は?!」
1人の中年の男性記者が叫ぶ。彼女の名前を聞き思わず、足が止まる。細い腕で必死に止めるいそ先生。
「あー、もしかしたら…今日は休むかも知れませんねー」
「担任なのにそんなことも知らないんですか?!」
別の若い女性記者が、半分怒鳴りながら尋ねる。すると先生が目つきを凛々しくし、突然マイクを持っている女性記者の手を両手で包み込んだ。
「お美しいレディ…。力になれなくて申し訳ない」
こりゃあ、どっかの誰かに似ているな…。女性記者も少し引いているのにも関わらず、先生はさらに前のめりになる。
「しかし!ご安心を!今すぐご用意できる私の連絡先という、大切な…大切な情ほ——」
呆れながら見つめていたその時——なんと突然女性記者のマイクが、目の前で真っ二つになったではないか!女性記者が悲鳴をあげ、思わずマイクから手を放す。いそ先生も驚き、彼女の手を離す。マイクの頭の部分と、持ち手の部分が地面へと転がる。周りがどよめき、その壊れたマイクをカメラマンが映そうとする。——と思いきや、次は後方にいたカメラマンの大きなカメラが、ガシャリと音を立ててバラバラになった!そして、近くにいた音響さんのマイクも壊れ、同時に他の記者たちの持っている機材も、次々と同じように壊れていく。
何が起こったのかわからず、若い記者は尻もちをついたり怯えたりしている。ベテランの記者たちは、すぐさまスマホを取り出し、どこか電話を掛けはじめていた。夏目先輩は、破片が飛ばないよう顔を覆っていた。腕を下ろし、冷静に辺りを見渡している。さすが、生徒会長である。
ぼくは思わず息をのんだ。今、いったい目の前で何が起きたんだろうか…。とても、理解出来ない。摩訶不思議な現象か?
記者たちが騒いでいたかと思いきや、突然静まり返る。記者たちが、どこかを一点に見つめている。その視線の先にいたのは、白に近い灰色のフードを頭からかぶり、黒縁メガネをかけている——綾部さんだった!見た瞬間、思わず背中にゾクリ、悪寒が走る。綾部さんは何故か息を切らし、うつむき立っている。表情は、前髪とフードに隠れよく見えないが…。
彼女は、リュックサックの持ち手を握りしめ、下唇を噛んだ。突然門に向かって走り出す。そして、記者たちが呆然と立ち尽くす中、彼女は校内へと入っていった。——まさか、今のは彼女の仕業か?もしかして…超能力者か何かなのか?
ぼくも思わず記者たち同様に、彼女を見つめ立ち止まっていた。壊れた機材が気になり、自転車を押しながら横目で眺めていく。
転がっているマイクを見ると、まるで"何かで切られたように"真っ二つになっていた。他の機材も、何かで切られたようなあともあったが、内側から崩れたような物もチラホラあった。
門をくぐり、校内に入ったその時。突然、後ろから誰かに肩を掴まれた。
「おい…遅刻だぞ?」
振り返ると、メガネを上げながら、満面の笑みを浮かべている夏目会長。
「はい…」
どうやら、誠斗の幼なじみというのは本当のようだ。
夏目会長の気迫に、妙にグッタリしながら教室の戸をあける。
すると突然、女子の怒鳴り声が聞こえてきた。
「綾部ぇ!ふざけるなよ!」
「昨夜、アナタがなにかしたんじゃないの!」
名前を聞きあわてて顔を上げると、綾部さんの席の周りに2、3人の女子が囲っていた。あの女子たちは…よく蓮山さんと一緒につるんでいた子たちだ!綾部さんは椅子に座り、堪えているかのようにうつむいている。
ほかの生徒たちは息を飲んで見守ったり、止めに入るべきかどうか戸惑っていいる。ここは…龍二の出番か!席の方をみると、ちょうど見かねて立ち上がるところだった。
ぼくも、向かおうと1歩踏み出したその時——。突然、勢いよく1人の男子が前に出てきた。その高身長の男子は群がっている女子を乱暴に片手で突き飛ばした。飛ばされた1人の女子は、床に倒れこむ。一緒にいた女子があわててその子に駆けよる。そして、高身長の男は綾部さんの胸ぐらを掴み、無理矢理立ち上がらせた。
「おい、昨日…廃駅にいたのかよ?」
「「誠斗!」」
同時にぼくと龍二が叫ぶ。龍二が急いで誠斗に駆けより、ぼくも近くまでよる。
気にせず誠斗は、下を向いている綾部さんを問いつめる。
「知っているんだったら…言えよ!昨日…アイツの身になにが——」
「おい、誠斗!よせ!」
龍二が、誠斗と綾部さんを引きはがす。しかし、誠斗は龍二を退かし、なおも胸ぐらをつかむ。
「どうせ……どうせ怖くて見ていただけだろ!助けられずに!」
「おい…いい加減にしろよ!」
誠斗の右ほほに、龍二の拳が勢いよくヒットする。同時に、女子たちから悲鳴が上がる。飛ばされる誠斗。ぶつかった、ほかの生徒の机や椅子が被害となった。
飛んだメガネをかけ直し、起き上がろうとしたその時。龍二が近よりそれを許さないかのように、胸ぐらを掴んだ。
「誠斗!なに人のせいにしてるんだよ!男だったらな …男だったら責める相手が違うだろうが!」
目を剥く誠斗。龍二がそっと手を離す。その瞬間、誠斗は言葉の意味を理解したのか、大きくため息をついた。そして、小さくふくみ笑いをする。
「あいかわらず言い方が気障ったいんだよ、龍二は…」
「おっ!少しはブラピに近づいたか?」
ニヤリ、と笑う龍二。机に手をつき、立ち上がりながら誠斗が鼻で笑う。
「顔が違い過ぎるだろ」
「オレの方がイケメン過ぎるか」
おめでたい頭だな、おい!周りのファンなどからは怒られそうだ。
内心ツッコミつつ、ほくそ笑む。いつもの誠斗に戻ったようだ。周りの生徒たちも一安心している。その時、綾部さんの事を思い出す。あわてて席に顔を向けると、そこには誰もいなかった。——もしかしたら、居心地の悪さにどこか行ったのかもしれない。1人になりたいんだろうな…。
誠斗と龍二は早くも打ち解けていた。あぁ、なんていうか…龍二って本当にすごいな。ぼくなんて、さっき誠斗から逃げ出したのにさ…。
ふと、昨日の誠斗の言葉を思い出す。そうか、あの時の言葉はこういう意味だったのかもしれない。誠斗、安心しろ。ぼくからしたら2人が——。
「遠いよ」
ボヤいた言葉は誰の耳にも届かないだろう。
この時、紫のライトが静かに点灯した。