日常
空が青い。平和な日常。
開いた窓からは湿気った生温い風が入ってきて、ぼくの短髪をなびく。——このまま、午後の授業が無くなればいいのに・・・。
肘をつきボンヤリと、窓の外を眺める。すると少し離れた席から、騒々しい声が聞こえてきた。
「——それで、どこが格好良いかって、ドイツ軍に捕まる手前のシーンで、TH6のバイクに乗って、柵をスタントマン無しで飛び越えるあのシーンが最高なんだよ」
振り向くと、女の子を両手に興奮した状態で話をしている諏訪部龍二がいた。あの金髪は、もはや先生達もあきれているレベル。ネックレスもし、ピアスもあけていて——ザ・問題児って感じだな。
だが、それよりもあんな興味のない映画の話を聞ける女達はもっとすごい!ぼくなんて、まったく知らないし、映画なんて観たいとも思わない!まぁ、ルックスが良いからあんなに女子達が寄ってくるんだけど・・・。
一番後ろの席で鼻を鳴らしていると、目が合ってしまった。途端に目を輝かせる龍二。
「おい、飛鳥!マックイーンは知っているよな?」
知りません!それは誰ですか!
首を、音が鳴るほど振ると、少し悲しそうな顔をし不貞腐れてしまった。また映画の話に戻そうとしたその時。
「もうすぐで授業が始まるぞ、不良」
黒縁メガネを上げながら龍二の肩をつかむ——利根川誠斗。
「おい、ダニエル・・・まだ子猫ちゃん達がオレの話を聞きたいって言っているぞ」
この二人は、周りから相容れないイメージがあるが、実は中学校からずっと一緒。以前は、お互いいがみ合っていたんだけど、高校に入ってぼくと会ってから変わった。今では大の仲良し。
たしか——あれは、ぼくが高校1年の時。
放課後、体育倉庫の裏で女の子達からイジメにあっていて。罵声を浴びせられたり、髪を引っ張られたりと。身体も小さいから少し怖くて抵抗も出来ず——。昔からあまりしゃべらなかったというのもあった。
3対1でイジメられていたそんな時に、2人がそろって登場した。
「おい、そこで何してんだ」
「ねぇ、キミたち・・・もっとオレと楽しい事しねぇ?」
そうしてぼくは助けられた。
あれ以来なんだかんだで、二人は腐れ縁みたいなもので引っ付いている。たまに口喧嘩しているけど!
龍二が付けた意味不明なあだ名に、ため息をつく誠斗。
「だから誰なんだよ、それは・・・」
「はぁ?いつも言っているだろ!『オーシャンズ11』の主人公!ジョージ・クルーニー!」
山田君の机の上に座っていた龍二。そこから降りてさっそく抗議をする。それを見ていた山田君が、無言で分厚いメガネを上げる。あのメガネの向こうで、キラリと光るものがあった気がした。
「龍二は必要最低限、二進数の計算方法でも理解しておいた方がいいんじゃあないか」
ため息混じりぼやく誠斗。
おっと、いつもの口喧嘩が始まりそうだ。
龍二の周りにいた女の子達も、少し距離を置き始めている。ええい!二人は太宰を一度でもいいから読め!
机の上にあった文庫本を、バックにしまっていると、授業が始まる鐘が鳴った。同時に国語担当の先生が入ってくる。
「4限目の授業始めるぞー。ほら、利根川と諏訪部も席に着けー」
あいかわらず、のほほんとした先生だ。50歳過ぎのベテラン教師。この田舎の学校だからおそらく似合うのだろう。
龍二は腑に落ちないのか、ブツブツ言いながらぼくの隣の席に戻ってきた。誠斗も自分の席である、前の方に戻る。
先生にバレないよう、あくびを教科書で隠す。眠い。同時にお腹も空いてきた。読んでいた本の続きが気になるけれど・・・。
口元を教科書で隠しながら、チラッと視線を向ける。同じ後ろの列にいる1人の女の子。白に近い灰色のパーカーで、常に頭を隠している——綾部雪さん。フードからは、胸まである綺麗な黒い髪が伸びていた。寡黙でお淑やかで、黒縁メガネがまた知的な感じで——。
ボンヤリ見つめていると、横から龍二に肘で小突かれた。
「オレの女に何か用かな、チェリー君?」
いつあの子がお前の女になったんだよ!舌打ちをしていると、突然龍二が教室の中央を顎で示した。
納得のいかないまま視線を向ける。なにやら女子達が、コソコソと話をしているみたいだ。いつも通りの光景だと思うが、それがどうかしたのか?
龍二に視線を戻すと、得意気に自分のスマートフォンを見せてきた。どうやらLINEのグループトークが、盛り上がっているみたいだ(龍二は女子に誘われて、このグループトークに入ったらしい)。眉間にしわが寄る。モテる自慢か?怪訝な視線を向けたら、小声で注意された。
「違う、内容だ。内容に注目しろ」
合点がいかないまま、龍二の手からスマホ
を取る。グループトークのメンバーは、綾部さん以外のクラスの女子達が入っているみたいだ。おおよそ、10人ちょっと。
その中で比較的多く発言をしている子がいた。——蓮山のぞみ。このクラスの女子を統率している、リーダー的存在の子だ。髪も金色でピアスもあけており、男のうわさも絶えず多くあり——。そして、ぼくをイジメていたリーダーでもある。
どうやら、その蓮山さんが何やら話を持ってきたみたいだ。グループトークでその話が盛り上がっている。話題は——。
「幽霊列車?!」
ぼくは思わず大きな声を上げてしまった。
「いやぁ!さっきのは最高だったよ!」
目の前に座っている龍二が、大声で笑う。
屋上は天井がないから響く事はない。ただ、青い青い空が広がっているだけ。
ぼくはふん、と鼻を鳴らし牛乳を一気に飲み干した。誠斗はホットドッグを食べながら、隣で微笑んでいる。
「確かに驚いたな」
2人して言わなくてもいいだろう!
ムッとし、500mlの牛乳パックを握りつぶす。背中を向けると、龍二が肩に腕を回してきた。
「鬱陶しい」
焼きそばパンにかじり付き呟く。すると龍二がヒュウ、と口笛を吹き茶化した。
「おぉ、コワイ、コワイ!小型犬はよく鳴くなぁ」
気にしていることを!
実は高校3年生だというのに、身長が160cm程しかなくて悩んでいる。龍二は173cm前後。一番大きい誠斗は龍二の3、4cm上くらいだ。
ぼくはいわゆる、小柄な体型というやつ。龍二は、そんなに見た目はガッチリとした体型ではないけど、Yシャツの下の腹筋はしっかりと割れている。得意分野も体育で、成績はいつも"5"だ。
誠斗はほどよく引き締まっており、無駄な肉がない。顔立ちも悪くないので、実は裏でモテていたりする。どことなく、インテリ系を匂わしている。
そして、龍二の腕を振り払おうとしたら、片手を掴まれ、焼きそばパンをひとくち食べられてしまった!ぼくのパンが・・・。
「オレがあげたやつだからいいだろう?」
肩から離れ、フェンスの縁に戻る龍二。イライラしながら、ぼくも2人に向き変えた。
龍二の家は、実は古くからあるパン屋さんでたまにこうやって頂いたりする。もちろん、誠斗が食べているホットドッグもそうだ。
家は学校から遠く、いつも登校が大変そう。自転車でだいたい、1時間かからないくらいの場所である。
龍二が自分の指を舐める。
「それより飛鳥…。もう少し、しっかりとしたものを食ったほうがいいんじゃあないか?そんなヒョロっこいものばかり食ってないでさ」
誠斗がジロリ、とぼくの手元を見る。
「それと…クリームパンだけか?」
コクリ、と頷くと誠斗がため息を吐いた。そして、手作りのおにぎりを差し出す。
「ただでさえ、身体が小さいんだ。きちんとしたもの食べないと大きくならないぞ?」
お前は母親か!ってか、食べきれないんだが…。
誠斗は長男で家に小学生の妹がいる。確か、10歳じゃあなかったかな。なので、面倒見が良くしっかりしている。少しとっつきにくい——というか、人によっては気難しいと言う人もいるが優しくて良いやつだ。
龍二がエッヘン、と胸を張らせる。
「オレなんて、コロッケパン5個も平らげたぜ!」
誠斗がメガネを上げながら龍二をキッと睨む。
「龍二は、栄養バランスというものを考えたほうがいい。肉や油の多いものばかり摂取して…たまには野菜も食べろ」
そう言うとおかずだけが入っている弁当箱から、箸でポテ
トサラダをつまむ。そして、食わせようとするが拒絶する龍二。
「それ…ニンジン入っているじゃねぇかよ!」
「カロチンは身体に良いぞ」
ずいっ、と誠斗が箸を突き出す。同時に身体を反らす龍二。
「た、玉ねぎも入っているよ!それ生だろ!」
「血液がサラサラになるぞ」
さらに身を乗り出す誠斗。反射的によけて後退する龍二。
「キュ、キュウリも入っているよ!」
「水分が沢山含まれているぞ」
ポテトサラダが龍二の頬につきそうだ。壁が龍二の邪魔をする。迫る誠斗とポテトサラダ。
「じゃ、じゃがいも…嫌い!」
「メインがまさかの最後」
誠斗は右手で龍二の顎を掴み、口をこじ開ける。
そのすきに、ぼくはそっと誠斗の弁当のそばにおにぎりを置いた。さて、そろそろ教室に戻るか。両手を合わせ御愁し——ご馳走様でした。
立ち上がりその場を後にした。後ろから龍二の悲鳴が聞こえてきたのは言うまでもない。
そう、これがぼくたちの普通の日常。平和な日常。
この時、真っ赤なライトが静かに点灯した。