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中編


 最初に出会ったのは、四歳の時だ。


 ぎょろりとした黄色の大きな目に、黒く鋭い牙。真っ赤なお面を被って、山羊の毛皮を着た雪鬼は、大通りで母に抱っこされていたフレッカを散々に泣かした。

 いやあああ、ぎゃあああん、と盛大に泣き喚くフレッカを、彼はしつこく泣かし続け、母も苦笑しながらあやすだけで匿ってくれることなく、多大な恐怖を心に植え付けられた。

 

 そして翌年。五歳になったフレッカの前に、再び同じ面をつけた雪鬼が現れた。母の脚にしがみ付くフレッカに顔を近づけて、「悪い子はどこだ!」と脅してくる。

 もちろんフレッカは泣いた。泣いて逃げようとしたが、首根っこを掴まれて阻まれた。攫われると本気で思って、苦笑する母に必死になって助けを求めたものだ。


 さらに翌年。六歳のフレッカに、またもや同じ面の雪鬼がやってきて脅かしてきた。

 毎年のことながら慣れることはなく、むしろ植えつけられた恐怖が薄まらずに、フレッカはすっかり雪鬼が苦手になっていた。物陰に隠れていたが、「悪い子はここか!」と雪鬼に捕まり、引きずり出されて散々泣かされた。


 以来三年間、九歳までフレッカは同じ雪鬼に泣かされ続けた。そのせいで、雪鬼が架空のものだとわかっていながら、十六歳になった今でもフレッカは雪鬼を苦手としていた。


 そして、その雪鬼役をやっていたのが、マリだった。

 四歳のフレッカの泣き顔を気に入り、十二歳で初めて雪鬼役をやって以来、毎年泣かすのを楽しみにしていたのだという。

 しかも祭りのときだけじゃなく、日常でもマリはフレッカに構うようになった。


『だって泣き顔がすごく可愛いから』


 という彼の謎の言葉により、フレッカと同じ年の少年達は、フレッカを泣かそうと悪戯したり苛めたりした。

 そして少女達はといえば、マリや少年達から構われるフレッカを良く思わず、次第に仲間外れにされるようになった。

 人見知りで愛想が無いという性格も重なって、フレッカは同年代の少年少女達の中で孤立していき、外に遊びに行くことも少なくなった。

 年頃にもなれば、少年達も落ち着いてフレッカを苛めることはなくなった。しかしながら、村長の息子で顔も愛想も良いマリは女性達に大人気で、彼に構われているフレッカは彼女達の嫉妬の対象になった。母が亡くなってからはマリが顕著にフレッカに親しげにするものだから、余計に疎まれている。


 あまり話したことの無い、生地屋の娘から嫌味を言われるくらいに――






「――ッカ、フレッカ。聞いてるの?」


 突然の声に、織機の経糸たていとの間に通そうとしていたを取り落としてしまった。

 慌てて杼を拾うフレッカに、傍らで経糸の束を整理していた祖母が呆れた息を付く。


「どうしたの、さっきからぼんやりして。端が揃ってないわよ」

「あ…」

 

 慌てて手元を見やれば、織っている最中の織物の端が綺麗に揃っていない。目の詰まりもバラバラで、商品として卸せない出来だった。まだ最初の方なのが幸いだ。修正するために糸を戻して引っ張ったり緩めたりして揃えながら、目の詰まりを整えていく。

 そんなフレッカに、祖母は気遣わしげな視線を向けてくる。


「今日は全然集中できていないじゃないの。何かあった?」

「何でもないわ。ごめんなさい」


 謝ってから、フレッカは手元に集中した。

 何も言おうとしないフレッカに、祖母は小さく溜息を付いて窓の外を見やる。


「そういえば、今日は祭りの日ね」

「……」

「行かなくていいの?」

「……別に、興味ないもの」


 今日は朝から村が賑わっている。村中に飾りつけがされ、広場では屋台で食事が配られて楽団が音楽を奏でている。村の外れにあるこの家でも、時折風に乗って笑い声や音楽が届くくらいだ。

 夕刻も迫り、そろそろ主役である雪鬼が登場するという時刻が近づいているが、フレッカは織機の前から立つことはしなかった。


『絶対参加してよ。たぶんこれが、僕の最後の雪鬼になると思うし』

『約束だよ、フレッカ』


 五日前に言われたマリの台詞が頭を掠めるが、祭りに行く気にはなれなかった。

 約束だってマリが一方的に決めたもので、フレッカは一言も参加するとは言っていない。だから、別に約束を破ったことにはならないだろう。


 そもそも、約束を守る義理もないもの。

 祭り嫌いになったのだって、マリのせいなんだし。


 フレッカは自分に言い聞かせながら作業に戻ろうとしたが、祖母の声がそれを遮った。


「フレッカ。ホットワインが飲みたいわ」

「…わかった。今から作るわ」

「あら、駄目よ。酒屋のアボットさんの祭り特製のホットワインがいいわ。シナモンとクローブとオレンジの割合が絶妙なんだもの」

「え…でも…」

「お願い、買ってきてくれないかしら?」


 笑顔の祖母の頼みに、フレッカは断ることができずに渋々立ち上がった。




*****




 大通りの賑わいの中、フレッカは目立たぬように道の端を歩いた。

 それでも、あちらこちらで湯気の立つホットワインを持つ老夫婦や、屋台の串焼きを手にはしゃぐ子供達とぶつかりそうになる。通りはすっかり人で溢れかえっていた。

 人込みに紛れながら、フレッカは祖母に渡されたお金を手に、酒屋が出している屋台を目指す。


 早くホットワインを買って帰ろう。

 祭りの主役である雪鬼が出てくる前に。


 急ぐものの、人通りは多くて進みづらいうえ、酒屋の屋台の前にはホットワインを求めて長蛇の列ができていた。

 フレッカは忙しない気持ちで列の最後に並び、ショールを頭から被って俯いた。こうしていれば、自分だと気付かれることは無いだろう。

 マリにだって、他の誰にだって気付かれない。

 賑やかな祭の中で、ぽつりと、誰とも楽しく会話することなく一人でフレッカは佇む。楽しい祭りのはずなのに、ちっとも楽しくない。早く帰りたいと願っていれば、ごーん、と鐘の鳴る音が辺りに響いた。


 夕刻、五時。

 雪鬼が出てくる時間だ。


 わあっと歓声が巻き起こる。広場の奥の建物から、次々と異形の者達――雪鬼が飛び出してくるのが、遠目でかすかに見えた。

 カランコロン、カランゴロン、カラカラと賑やかに鳴るのは、雪鬼が腰に下げている金属製の鈴。刃を潰した大きな斧を肩に担ぎ、毛皮をたなびかせた雪鬼達は、広場に集まった人々の間を練り歩く。

 きゃああ、わああ、と子供達の悲鳴が聞こえてきて、フレッカは懐かしさを覚えた。


 自分もあんな風に泣いていたのだろう。

 親に縋って、身体中を使って、精一杯泣いていた。


 ――泣かなくなったのは、いつからだろう。


 ぼんやりと、フレッカは自分の足元を見つめる。


 だって、泣いたって、誰も助けてくれない。

 誰も縋らせてくれない。

 無条件に抱きしめてくれる温かい父と母の腕は、もうこの世には無いのだ。


 それがわかってから、フレッカは人前で泣かないようになった。

 苛められても、仲間外れにされても、フレッカは泣かなかった。

 頑なに心を閉ざし、表情を変えずに静かに日々を過ごすのが、いつの間にかフレッカの中で当たり前になっていた。

 誰にも頼ることなく。誰にも弱いところを見せることなく。

 これからも、ずっと――


 ぼんやりとするフレッカの周囲のざわめきが大きくなる。雪鬼の集団が近づいているようだ。

 被ったショールの下でフレッカがわずかに目線を上げた時だった。


 赤い面をつけた雪鬼が、こちらを見ているのに気づいた。


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