自滅する恋
以前参加していた、題詠マラソンという短歌の企画で拝見した短歌からインスピレーションを受けて書いたものです。
その短歌は最後に載せます。
男運がない、それは自覚がある。
今まで付き合ってきた男たちは、例外なく本当にろくでもなかった。
だからといって、これはないだろう。
「あのね、ゆきのお母さんになって!」
なんで。なんで、小学生に結婚相手のあっせんを受けなければならないのか。
がっくりしそうな体に鞭を打って、必死に笑顔を作って屈みこむ。
「友紀ちゃん、先生はね。お母さんにはなれないのよ……だって、他に恋人がいるんだもの」
最近の小学生は進んでいるから、これでわかるだろう。
そう思い、「それじゃぁバイバイ」と手を振ろうとしたとき、またしても爆弾は投下された。
「それじゃぁ、その人と別れて! 先生がいいの!!」
……何というか、子供は無邪気で自由だというけれど。これは最早、傍若無人ということにしてしまっていいだろう。
しかし、不思議と怒りは感じなかった。
子供のすることだから、ということではない。本当に彼女は真摯に頼んでいると感じたせいだ。
小学校3年生が一生懸命背伸びをして、親戚でもない大人にお願い事をするというのは、少し冒険めいている。
このくらいの年になれば、そのお願い事は「していいこと」なのかどうかの判断はつくはずだから。
その判断が特に甘い子供には見えない以上、彼女は本気で私に頼んでいるということになる。
「友紀ちゃん……何で先生を選んだのか、まず、聞いていい?」
少しだけ彼女の必死さに興味をひかれて、私は聞いていた。
友紀ちゃんの話は突拍子もないものではなかった。
単純にお迎えに来た彼女の父親が、私を見て「かわいいなぁ」と言った。それだけのようだった。
たかが「かわいいなぁ」の一言のせいで、彼だってまさか娘が先にプロポーズしているとは思いもしないだろう。
とにかく「相手がいるの、ごめんなさい」で切り抜けた(つもりである)
ここまでの話を、友人と酒の席で話してみた。
友人――香夏子という酒豪だ――は、ケラケラと朗らかに笑いつつ、コップを傾けながら内緒話のように私に顔を近づけた。
「受けちゃえばよかったのに」
やっぱり。
「そういうわけにはいかないよ。だって生徒の親だよ? 倫理的に問題でしょうが」
「まぁ、そうだろうけど。でも、そこそこの生活してるって証拠じゃない? あんたの勤め先に娘を通わせられてる時点でさ」
「うん……そう、だと思う」
「奥さんは死んだか別れたか、そこまではわからないとしても。結婚するのに問題のある状況じゃない。しかも、娘が受け入れている! さらに言えば、相手も好意のかけら
らしきものは持っている」
「そこまでは言いすぎだと思うけど」
「いやいや、きっかけなんて些細なものだよ。『あ、可愛い』って思われた時点で、第1関門突破してるじゃん」
「そーかなー」
「そうだって。本当にもったいないね。いくら生徒に直接『ありがとう、お父さんの連絡先を教えて?』なんて言えないとしてもさ。それなりにアプローチかければいいのに
」
「もうしばらく男はいい。懲りた、飽きた、もう十分!」
「まぁ……だろうね。ありゃぁひどかったもんねー」
「付きまとわれないだけましだと思うことにした。望みが低かろうがなんだろうが気にしない。ストーカーに化けないだけまし!」
「ハイハイ、わかりましたよ。しばらく合コンは誘わなくっていいのね?」
「うん。マジでしばらく勘弁」
ちょうどいい具合に、チューハイとビールで頭が煮えてから店を出た。
飲み足りないわけじゃないけど、一人の部屋に帰るのはちょっとアレだ。
「カラオケでもいこっかー」そう間延びした声を上げつつ、並んで歩いていた。
それにしても金曜日の町は混んでいる。
明日が休みだという解放感からか、サラリーマンだの学生だのがざわざわと滞留している。
ふと、人ごみの向こうに小さな影を見つけた。
子供の姿に見えて、思わず足が止まる。
保護者とご飯ならいても構わないのだろうが、問題はその影の背中に背負われた赤いランドセルだった。
「うっわ、子供いるよ。ランドセルの」
「……目ざといねぇ、職業柄やっぱり気になる?」
「そりゃね。お受験近くなれば、このくらいの時間まで塾で勉強って珍しくないけど。その子たちでもランドセルは持ってこないなぁ」
「そうなの?」
「だよ。いったん家に帰って置いてくるパターンがほとんど。そうじゃない子は、親が迎えに来るわ……だって夜道にランドセルって犯罪に巻き込まれそうじゃない」
「言えてる。……んー、どうする? チラホラ見えるけど、親御さんいるのかねェ」
「あ」
人ごみの中から、すらりとした男の人が少女の手をとった。
背広を着てネクタイをしているのがここからでもわかる。……クールビズの世の中にしては、結構珍しいかもしれない。
しかしそれ以上に、その姿に覚えがあった。
「香夏子ぉ。気付かなかったことにしよ。あれって、さっきの話にでた保護者だよ」
「なんてこと! 面白そうじゃん。ご挨拶に!!」
「黙れ酔っぱらい、ほら、カラオケ行くんでしょ」
「あぁん。無邪気な子供の落とす爆弾ってすっごい興味あるのにぃ」
「いーくーよ!」
「はぁーい」
私以上に杯を重ねた彼女の二の腕を持って引っ張る。
すらりとした背は、私よりも頭一つ分以上大きい。私が160cmくらいだから、香夏子は170cmは超えているんじゃないだろうか。
そして何の冗談か、彼女は正面から見ても男性か女性か区別がつきにくい。
煙草をくわえた姿は、程よく筋肉がつきジャケット姿も相まって、男に勘違いされるだろう。
――つまり、何が言いたいのかというと。友紀ちゃんがこちらに気づいていて、香夏子を私の彼氏だと勘違いした。ということだ――
翌日は私は休みだったので知らなかったが。
友紀ちゃんは塾に来るなり私を探し回り、休みだと聞くと家の住所まで聞いてきたそうだ。
そして「何でそんなこと」と言われ、彼女は正直にこう答えた。
「先生に聞きたいことがあるの、早くしないとだめなの! 先生じゃなきゃだめなの!!」
……その答えは塾長の心を鷲掴みにし、しごくあっさりと私の住所は友紀ちゃんに吐き出された。
個人情報保護法は職員には適用されないのだろうか。
そんなわけで。
それなりに綺麗な我が「コーポ松原」の「佐々木」としか書かれていない表札のついたドアの前に、女の子がいたわけである。
隣近所に子供がいないわけではないが、それなりに暑いこの時間帯に出歩くのは元気な男の子と相場が決まっている。
それが何か敵を見るような眼で真剣にドアを睨んでいる姿を見て、正直帰る気力が失せたのも事実だった。
しかし、たまの休みに買い込んできた冷凍食品の行方もあるからしょうがなく(あくまでもしょうがなくだ!)、自分の部屋の前に進んで彼女に声をかけたわけである。
「……友紀ちゃん。どうしたの?」
「先生こんにちは、しつもんがあって来ました」
「………とりあえず、上がって? 散らかってるけど」
彼女には散らかっていると言ったが、そこまで散らかしている自覚はない。
せいぜいベッドが乱れ、日頃読んでいる雑誌が床の上にあるくらいだ。
私の感覚からすると、これは散らかっているうちには入らない。
さて、上げたはいいものの。生憎と子供が好みそうなジュースの類はうちにはない。
あって精々、チューハイを作るときようの無糖の炭酸だけだ。
かといって牛乳を出すというわけにもいくまい。
仕方なく冷蔵庫の中に転がっていたスポーツ飲料をコップに移し、彼女に出すことにした。
「ごめんねー、先生ジュースって飲まないから。こんなものしかないけど」
「どうぞおかまいなく」
そう言って友紀ちゃんはペコリと頭を下げる。
きちんとした言葉遣いといい、足をそろえてバタバタさせることなくじっとしている点といい、彼女はしつけをきっちりされているんだろう。
「えっと……それで、質問ってなに? 算数かな?」
「ちがうの。あのね、このあいだね。先生、おとこの人みたいな人と手をつないでいたでしょう?」
「あー、うん。まぁ」
間違ってはない。「男の人みたいな人」とは、明確に男を指す表現ではないから。
言葉が不自由というよりも、とても繊細な表現に感じる。
「あの人って、おんなの人じゃないですか?」
「うーん。友紀ちゃんはそう思うの?」
ドキッとしなかったわけではないが、うかつに頷くのもまずい気がしてあいまいに誤魔化した。
「えっとね。だって、あの人……なんっていうのか、おんなの人の立ち方をしてたから」
「……」
「せは高かったけど、友紀のママもパパと同じくらいせが高かったの。だから、おんなの人だったらいいなって思ったの」
「そっかぁ……そうだよ、あの人は女の人だよ。先生のね、大親友なんだ」
「先生は本当におつきあいしてる人がいるの?」
「いるよー。みんなには内緒ね」
「でもね、友紀のパパ。本当はママがいなくなってからさびしそうなの。友紀じゃ、パパと大人のお話できないから……」
「うーん。でもね、それはパパが考える問題じゃないかな? 友紀ちゃんは今は一生懸命、お勉強をするほうがいいと思うよ? そのほうがパパもきっと安心すると思う」
「それでも! ときどきおばあちゃんがしょうかいする人は、嫌なの……」
ぽろりと、彼女の瞳から小さく涙がこぼれた。
しゃくりあげることはないものの、うつむいたままぽろぽろと涙をこぼしている。
この位の歳の子が、静かに泣く姿は心臓に悪かった。
「……おばあちゃんかお父さんに『嫌』って言ってみた?」
「言えなかったの……」
「そう……」
想像はつく。
一度しか彼女の祖母にはあったことがないが、どちらかと言えば押しの強い人だった。
あの押しの強さで「素敵な人だったでしょう?」とでも言われれば、彼女の年齢からして「嫌」とは言いにくいだろう。
「だけどね。パパは何となくわかってくれたみたいで、今まで全部「オコトワリ」してるの」
「そっか……」
「それでね。『友紀が好きな人じゃないとサイコンしないよ』って言ってくれたの」
「……友紀ちゃんが好きな人って」
「うん。わたしね、先生が大好きだから! パパと先生だったらネンレイテキにもぴったりだと思うの! だから、先生」
そう言って彼女は。
私を歳に似つかわぬほど、まっすぐ見つめた。
「先生。私の『お母さん』になってください――」
これは困った。
あの後、とりあえず今日は帰ってほしいとだけ告げ、近くのバス停まで彼女を送って行った。
パスに乗って30分ほどの場所にあるらしい彼女の家には、今日は誰もいないそうだ。
彼女には多分だが――やはり、母親は必要だろう。
だからと言って、自分から立候補するなんて出来やしないし。するつもりもない。
まっすぐな彼女の視線は強かった。
気をつけないと、他の職員がいる前で言い出しかねない。
「……困ったね、オトコなんてしばらくいらないって思ってたんだけど」
エアコンを利かせた部屋にひっくり返り、買ってきたばかりのチューハイを飲みつつ私は一人ごちた。
まいったな―――興味が湧いてきちゃった。
こうやって私は自滅していくのか。
自分からハマっていくのか。
コトン。音を立てて空の缶を置く。
「断れなくなっちゃいそうだな」
これは恋愛なのか、そうじゃないのか。
自滅するのか、しないのか。
進んだ先は行き止まり。そんな気がするレンアイ。
はじめてみてもいいかもしれない。
006:サイン(生田亜々子)
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