-3-
「はぁ~。皆勤賞が……」
一時間目を終えた休み時間、オレは机に突っ伏していた。
「飛鳥ちゃ~ん、まだ引きずってるのぉ~? いい加減、諦めなよぉ~」
「もとはと言えば、お前のせいだろうが……」
本来ならば眠人に顔面パンチをぶちかますところだが、そんな気力さえもない状態。
春の暖かさによる眠気には打ち勝てても、皆勤賞を逃してしまったという事実による虚脱感には打ち勝てなかった。
こんな状態では、アストラルシャドーに太刀打ちできないではないか。
頭ではわかっていても、気力は湧き上がってこない。
オレの耳に痛いほどキンキンとした高い声がぶつけられたのは、そんなときだった。
「な~にをそんなにだらけきっておりますの? 机によだれが垂れまくって汚いのではなくって?」
また来やがったか。
ある意味、敵と呼べる奴が。
もちろんそれは、アストラルシャドーではない。れっきとした人間だ。
机に突っ伏したままの状態は崩さず、首だけをぐるりんと逆方向に向ける。
そこには、制服のブレザーの上からでもはっきりとわかる膨らみをこれでもかと見せつけるように胸を張り、両手を腰に当ててふんぞり返りながらオレを見下ろす、ひとりの女子生徒の姿があった。
鳳凰院紅有さん。大金持ちのお嬢様らしい。
そんなお嬢様だったら、もっと気品ある私立のお嬢様学校なんかに行けばいいものだが。
田舎ではないものの、さほど発展もしていない住宅地に存在する、こんな地味な県立高校に来る必要なんて、全然ないはずだ。
……こんなふうに考えてしまうのは、自らの通う高校に対して失礼だろうか。
そうか。もしかしたら、学力の問題で仕方がなかった、という単純な理由なのかもしれない。
大金持ちのお嬢様なら、財力を使って裏口入学なんかすら簡単にできてしまいそうな気もするが。
不正はしたくないという気持ちでも働いたか……。いや、このお嬢様にそんな感情があるとは思えないな。
「ちょっと、飛鳥さん? なにやら不穏な思考を感じましてよ?」
「……あんたはテレパシーでも使えるのか?」
ジト目を向けてくる紅有さんに、オレは思ったままのツッコミを入れる。
「あんたではありませんわ! しっかりと名前でお呼びなさいな!」
「ああ、そうだったな。わかったよ、紅有さん」
こいつはこいつで、少々めんどくさい。
お嬢様としてのマナーだとかなんだとか言って、下の名前にさんづけで呼んでくるようになっている紅有さん。
こちらからも、下の名前にさんづけで呼ぶようにしないと、怒り狂い始めるのだ。
いやまぁ、それ以外にも、なんだかんだと理由をつけて、オレに対して事あるごとに怒り声をぶつけてくるのだが。
まったくもって、めんどくさい。
めんどくさいが、会話をするのに机に突っ伏したままというのでは、いくらなんでも相手に悪い……などとは微塵も思わなかったが、微妙に疲れる体勢であることは間違いない。
オレは気だるさを隠そうともせずに、ゆっくりを身を起こす。
「よっこらせ」
思わず声が出る。
もう歳だろうか。人生十五年というし。
……短すぎた。これでは今年中に死ぬことになってしまう。
「オッサンじゃないんですから……。だいたいですね、飛鳥さんは少々口が悪いですわ。態度もですけれど。もっと丁寧でおしとやかな言動を心がけなくてはいけませんわよ?」
「……オレはお嬢様じゃないから、いいんだよ」
「よくありませんわ! 鳳凰院家の娘であるこのわたくしと会話できるという、庶民には畏れ多い大役をお任せして差し上げているのですから、それなりの気品とマナーは持っていただかなくては!」
「いや、べつに紅有さんと喋りたいわけでもないし……」
「ふふっ、そんなに遠慮なさらなくてよろしいのですよ!」
「遠慮じゃねぇ……」
本当に心底めんどくさい奴だ。甲高い声でうるさい上に、人の話を聞かない。
大口を開けて叫ぶのがデフォルト仕様のため、とっても耳が痛くなる。
もっとも、大口を開けたときに見える八重歯がチャーミングだという評判もあったりするのだが。
オレ自身も、確かにそのとおりだとは思う。
そんなこと、本人には口が裂けても言わないが。絶対に調子に乗りまくるし。
「まぁ、めんどくささは、飛鳥ちゃんも大概だけどねぇ~……痛っ!」
余計なことを言いやがった眠人には脳天チョップ。
ツラの皮が分厚いため顔面パンチは効果が薄いと悟ったオレは、攻撃方法を変えてみた。
眠人の口から痛いという言葉を引き出すことができたのだから、成功と言っていいだろう。
どうでもいいが、声に出してはいなかったはずなのにオレの考えていることを完全に読んでいるようだった眠人には、ある種の恐怖感を覚えなくもない。
とはいえ、それもほんの少しだけだ。
幼馴染みのこいつのことなら、おおよそなんでもわかっている。適用にあしらうことなど、オレにとっては造作もない。
それにしても、紅有さんはどうしてオレなんかに固執するのだろうか。
入学初日に声をかけられてからのつき合いではあるが、どうも腑に落ちない。
最初はもっと丁寧な口調で話しかけられた記憶がある。今思えば、完全に猫をかぶっていた状態だと言えるが。
少々頬を赤らめながら控えめに話しかけてくる姿に、女であるオレでもぼーっと見惚れてしまうくらいだった。
だというのに、手のひらを返したかのようなこの現状。
話しかけてくること自体は変わりないのだが、オレを目の仇にするような発言が多い。
謎は深まるばかりだ。
ま、べつに構わないのだが。
アストラルシャドーとの戦いのせいで、いろいろと不名誉な噂が流れてしまっているオレに、わざわざ自分から話しかけてくる人など、眠人を除けば紅有さんくらいのものだ。
言い争いに発展することが多いといっても、声を張って話し合える相手がいるというのは幸せとさえ言えるのかもしれない。
「ちょっと、わたくしを無視するんじゃないですわ!」
とくに無視していたつもりはないのだが、紅有さんの怒りの矛先は当然ながらオレへと向けられていた。
常に注目されていないと気が済まない。お嬢様の気質というものだろうか。
「飛鳥さん。あなた、今朝もまた登校中に怪しげな舞いを踊っていたらしいじゃないですか」
どこから聞きつけたのか、今朝の出来事も紅有さんの知ることとなっていたようだ。
この高校に入学してまだ一ヶ月弱だというのに、すでに有名な朝の風物詩となっているのだから、それもとくに不思議ではないのだが。
ただこのお嬢様の場合、スパイでも放っていそうで怖い。
「わたくしの手配したスパイから聞きましたわよ!」
…………まぁ、なにも言うまい。
「さすがだねぇ~、コロネさんは~」
「お~っほっほっほ、そうでしょうそうでしょう! ……って、コロネさんって言うんじゃありませんわ! だいたい、さすがに冗談ですわよ!」
眠人の言葉に眉をつり上げて怒鳴り散らす紅有さんだったが、思いっきりスルーしそうになっていたことを考えると、徐々にその呼び名にも慣れてきているのだろう。
それもおそらくは、眠人の作戦だ。
そんな眠人の言葉どおり、紅有さんはまるでコロネのようだった。
当たり前だが、体型が、ではない。髪型が、だ。
いわゆる縦ロールというやつで、分量のある髪を左右に束ねてくるくると巻いた形状になっている。さすがはお嬢様と言うべきか。
とても重そうだし、邪魔なように思える上、セットするのにも時間がかかりそうだが。
そしてその縦ロールが、まさにコロネのような形――リボンでまとめている上側が細く、下側に行くに従って太くなるという形となっている。
この髪型が紅有さんのトレードマークとも言えるわけだから、オレとしては細かなツッコミはしないことにしているのだが。
眠人は突っ込まずにはいられない性格らしい。
「にゃふふっ、あまり怒ると、チョコクリームが漏れてきちゃうよぉ~?」
「チョ……チョコクリームなんて、入っておりませんわ!」
「え~? 残念だなぁ~。ボク、チョコクリーム、舐めたかったのにぃ~」
「み……眠人さんは、わたくしの髪の毛から漏れてきたチョコクリームを、舐めるとおっしゃいますの!? もちろん、そんなこと絶対にさせませんが! ですが、汚くありませんか!?」
「えぇ~? 汚くなんてないよ~? コロネさんのなら、ボク舐めたいよぉ~」
「ちょ……ちょっと、なにをおっしゃってますの!? そそそそ、それはちょっとセクハラっぽいですわよ!?」
「え~? どうしてぇ~?」
にこにこにこ。
花のような笑顔を咲かせながら、すっとぼける眠人。
だが、すべてわかった上であんな言い方をしたのは、疑いようもないだろう。
紅有さんはそういった話題にとことん弱いらしい。
ここまでの会話ですでに真っ赤になって完全に茹で上がった状態。今にもコロネ髪から温かいチョコクリームがどろりと飛び出してきそうだ。
面白がって見ていたオレも悪かったかもしれないが、怒りの矛先はまたしてもオレのほうへと向けられてしまう。
「あ……飛鳥さん! 幼馴染みの教育がなってませんわよっ!? もっとしっかりなさってくださいませ!」
などと捨て台詞を残して、紅有さんは自分の席へと戻っていった。
と同時に、授業開始のチャイムが鳴り響く。
ああ見えて、結構真面目なのだ、紅有さんは。
「……お前、紅有さんをからかって、楽しいか?」
「うん、楽しいよぉ~♪」
ぼそっと漏らした質問に、眠人は屈託のない笑顔を返してきた。
まぁ、そうだろうな。思ったとおりだ。
「ところで……眠人は席に戻らないのか? 先生が来たときに座っていないと、怒られると思うが」
「にゃふっ、ボクは飛鳥ちゃんの膝の上に座るから大丈夫だよぉ~♪」
「座らせるか!」
本当に膝の上に座ろうとしてきた眠人を、オレは思いっきり豪快に突き飛ばした。