確かに私の婚約者は妹のような女の子を私よりも優先しています《《が》》
ええそうですね。私の婚約者は、彼にとって妹のような女の子をとても大切にしております。
子どもの頃から同じ家で暮らしともに育ってきた、家族同然の妹のような大切な存在ですから。
彼女が体調を崩せば、彼女が彼恋しさにないていれば、特に何はなくとも日常の全て、彼女が彼にとっての最優先でございます。私は二の次で、私と彼の、つまりは婚約者同士の交流も、彼女の都合によって変更になる事が多々あります。
彼女はもう何年も生きられないだろうとお医者様に言われているそうなので、それも仕方のない事かと。
私も、悔いの無いよう今は彼女を大切にしてあげて欲しいと伝えております。
彼と彼女は血縁関係にあるか? いいえ。まさか。
彼女の年は? 私と同じ一五歳と聞いています。
彼女の容姿? 瞳が綺麗でとても愛らしい子ですね。あの目で見つめられると、なんでもしてやりたくなると彼も言っておりました。
彼女と彼の関係に嫉妬しないのかって? はい、そして、いいえでしょうか。私もできる事ならば、彼女と仲良くなりたいと思っておりますので。
彼女に対して嫉妬は一切しておりませんが、彼女にあれほどまでに愛されている彼に対する少しの嫉妬は、否定できません。羨ましい、と素直に思います。
なぜって? 当り前じゃないですか。
だって、彼女は、ブランシュ嬢は……。
子爵の一人娘である私には、婚約者がいる。
将来的に女子爵となる私の婿となり支えてくれる予定の、優秀で穏やかな、ステキな婚約者が。
彼は家督を継ぐ予定はない三男とはいえ歴とした伯爵令息であり、容姿も高位貴族らしく洗練された印象の、私にはもったいない程の人だ。
現在私は一五歳、彼は一九歳。ちょうど一〇年前に家同士が決めた所から始まった関係から考えれば、いたって普通の、将来的には気にもならなくなる程度の年齢差。
でも現在少女である身の私としてはその差が、自分の幼さが彼の落ち着きが、ひどくもどかしい。
だから私は、彼と会う時には精一杯背伸びをしている。服装を、化粧を、言葉を、振る舞いを……、悩みに悩んで選びに選んで、考えて整えて迷って戻してやっぱり選んで最後はえいやと勢いで決めて、自分にできる精一杯の私で、彼に会う。
ステキな彼に、少しでもつりあいたいから。
愛しい彼に、少しでも魅力的だと思ってほしいから。
そう、私は彼を愛している。
家同士が決めた結婚だ。義務から始まった交流だ。
それでも、私は彼を愛してしまった。
いつだって穏やかに微笑んで私のつたない話を聴き続けてくれてきた彼を、年上の見目麗しい婚約者に舞い上がって時に変な言動をしてしまった私を優しく受け止め見守ってくれてきた彼を。気づけば、愛してしまっていたのだ。深く深く。我ながら、ちょっと気持ち悪いかもなというくらい熱烈に。
そんな愛しい彼との婚約者同士の交流は、ここ数回、順調とは言えない状態になっている。
『すまない、ブランシュが体調を崩してしまって』
『医者に来てもらったのだが、ブランシュの体調が戻らなくて』
だから、予定を変更して欲しいという連絡が幾度かあった。
その埋め合わせのはずだった今日の街歩き。
私への詫びの品、彼女へのお土産、あれこれと店をのぞいてもどれもこれだという物を見つけられないでいたうちに休憩で入ったカフェに、その知らせは来た。
ようやく一月ぶりに会えた彼は笑顔の中にぬぐい切れない憂いを帯びていて、ああ、彼女の体調はまだ万全ではないとわかってしまっていたから。
『今日は穏やかに寝ていたはずだったのだけど、ブランシュが僕の不在に気づいてないているのだそうだ』
彼の言葉を聞いた私はすぐに、『今すぐにブランシュ嬢の所に帰ってさしあげて』と伝えて、彼がすまなそうに詫びて去っていき、そしてその直後に今更届いた、二人分の注文。それを見た瞬間、私は困ってしまった。
紅茶は、まあ良い。液体だからそう重くはない。
張り切って頼んでしまった二人分のケーキが、事前情報からは思いもよらなかった程の大ボリュームだったのである。さすがに、二個は美味しくはいただけなさそうなくらい。
さて、私の侍女か彼が置いて行ってくれた護衛かどちらに……。
「な、なんっ、なんなのよあの男ぉ!?」
どちらにケーキの処分を頼もうか、と考えたところに、私の左前方の席から甲高い叫び声が飛んできた。
バッとそちらを見れば、お忍びなのかシンプルなワンピースに身を包みながらも高貴さが隠しきれていない、豪奢な黄金の巻き髪と燃えるように真っ赤な釣り目のご令嬢が立ち上がっていらっしゃる。……ご令嬢かしら? 下手したら姫君かもしれないと思うくらいに、彼女の周囲の人々の層が厚いかつ上等すぎる。
ソファ席にいらっしゃるのはもしかすると姫君かもしれないお方お一人だが、その周囲に上等な装備に身を包み隙なく立っていらっしゃる方がひのふの……、あ。集団の中に一人、親戚づきあいの結果顔を知っている、近衛騎士に選ばれたと自慢されていたあの人がいる。
という事は。やはり……!
「あー! 良いの、良いのよ! 今日はわたくし、なんでもない人なの! 知らなくて良いのわからなくて良いの、変な事を言わないで頂戴ね。今日はわたくし、何者でもない人なのだから!」
数秒ぶしつけに見つめてしまった私が血の気が引きつつも速やかに頭を下げようとしたところに、焦ったような姫君の声が降ってきた。
そろりと視線だけを上げ、ようとしたら。
「それよりあなた、何なのさっきまでココに座っていた男は! アレ、あなたの婚約者なのよね!? 一か月ぶりに会うみたいな話じゃなかった!? なのに、他の女が泣いてるからって帰ったわよね!?」
姫君は思ったよりも近くに、具体的には彼が座っていた私の対面の席にまで歩みを進め、怒りをあらわにしていた。
こんな時にどう振舞えば良いのかなんてわからない私は、そろりと立ち上がり、おどおどと頷く。
「え、あ、ええ、そうでございますね……」
「あーあー、敬語とかもやめて頂戴。わたくしは名乗ってはいないのだから。座って頂戴。挨拶とか礼とか敬意とかいらないのよ、今日は。そういうのにうんざりしてわたくしはここに来たのだから」
「は、はあ……。で、でしたらでん……、お嬢様も、どうぞおかけください。あなた様にご用意した席ではなく流用の形で申し訳ありませんが……。あとその、敬語に関しては私は誰にでもこうでございますしこれが楽ですので、ご容赦いただければと……」
心底うんざりとした表情で手を振った姫君=殿下と呼ぶべきお方に、けれどそういう扱いを望んではいらっしゃらないお方に、私はなんとかそう告げた。
最初からそのつもりだったのか、あっさりと、けれど隠しきれない品に満ちた所作で私の対面に腰かけた殿下(とは呼びかけてはいけないお方)は、パッとその瞳を輝かせる。
「あらそう? 悪いわね。わ、おいしそー。あの男、振る舞いはどうかと思うけどケーキ選びのセンスは良いのね。この店にこんなに華やかなメニューがあるとは知らなかったわ」
「ああ、その、こちらは事前予約がいるケーキらしいです。彼が手配してくれていたようで。その、お嫌でなければ召し上がってください。今来たばかりですし、手は付けておりませんから……、あ、でも」
「ふふ、毒見なんていらないわよ。今日この店から出された物は全て問題の無いようにしてあるし。わたくしは慣らしてあるから、どうせそこらのは効かないもの。ありがたくいただくわ!」
嬉し気にフォークを握った殿下(とは以下略)は、何のためらいもなくケーキを切り崩し始めた。
しずしずと今度はこちらの席に展開し始めた周囲の層から何の声も上がらないので、殿下()のおっしゃる通りたぶん平気なのだろう。
……よく考えたら来たばかりとはいえ彼が残していった物を殿下にだなんて無礼かと思ったけれど、層の皆様からはむしろ私に申し訳なさそうな視線ばかりが飛んできている。殿下に対する非難めいた視線もあるので、殿下が奪い取ったとお感じなのかも。
いえいえ。持て余していたボリュームたっぷりスペシャルケーキなので、何の問題もないです。はい。
「んー、おいしい! わたくしも次はこれを予約しましょう、気に入ったわ! あなたも、わたくしに遠慮なんかせず食べなさいよ飲みなさいよ。そんで聞かせなさいよ。さっきの男、なんなの? 婚約者であるあなたに対して、失礼過ぎない?」
「え? あ、ありがとう存じます……。いえ、一切の問題はございません。というのもですね、ブランシュ嬢というのは、彼にとっては妹のような……」
「妹のようなぁ!? うわ腹立つ! ような、であって妹ではないのでしょう!? 百歩譲って血縁者……従妹だったりするわけ!?」
「いえ、まさか! といいますのものブラン」
「じゃあすんごいちっちゃい子とか? 赤ちゃんならまあ多少は仕方ないわねぇ。それにしたって親でもない男がそこまで面倒見なきゃいけない理由はわかんないけど。その女っていくつなのよ?」
「年は一五、ですがその……!」
「同世代じゃないの! というかわたくしと同じ年よ! 一五にもなって他に婚約者のいる男の姿が見れなくて泣くって何!? きっもちわるぅ!」
「いえあの違うのです。泣くと言いますか鳴」
「違わないでしょ! 妹のような、さっきまでの話を聞くに一緒の屋敷に住んでる、瞳の綺麗な、可愛くて可愛くて仕方がない、かけがえのない大切な女の子? が、なに病弱とかそんな感じで?」
「あ、はい。ブランシュ嬢は今体調を崩しておりまして、持病もあるのでもう何年も生きられないだろうとお医者様も……」
「そりゃ可哀そうだけど、だからって婚約者より優先するのはさすがにどうかと思うわよ、正直。家と家との契約でしょうよ婚約なんて。厳守すべきでしょ。その上、さっき見た感じあなたたちって政略一本じゃなくて普通に恋人同士みたいな空気だったし。浮気じゃないのサイテーよ! わたくしこういうの大嫌いなのよね。その女の病弱ってのも本当かしら。ちょっと、調べてちょうだい。お父様に言って……」
「いえ! あの!! ブランシュ嬢は犬なんです!! 彼が子どもの時からいっしょに育ってきた大切な愛犬で!! だから、全部全然全く問題ないんです!!」
殿下のお言葉を遮るなんて。とか。
訊かれた事には答えねば。とか。
殿下のお言葉が立て板に水の勢い過ぎてタイミングがつかめず。とか。
そんな思いから真実を伝えるのが遅くなってしまったが、そんな事を言っている場合じゃなくなったので、私は不敬を承知で叫んだ。
殿下が周囲の層にお声をかけ始めてしまったので、いい加減に止めねばと心を奮い立たせ、力いっぱい、叫んだ。
そうなのだ。殿下がお聞きになった部分だけを抜き出してみれば、なるほど私の婚約者の振る舞いは眉をしかめるような物であるのだけれども。
そもそも前提として、ブランシュ嬢は犬なので。家族同然の大切な愛犬なので。
かつ犬の一五歳というのは、まだまだ元気と信じたいけれど、若々しくはつらつで健康に何の心配もないようなそれではないので。
なのでまぁ、仕方ないのである。私だって犬に対して嫉妬などしない。
「……犬。ああ、そう。それじゃあまあ、仕方ないわね」
「ええ、はい。仕方ないのです。体調を崩してから心細くなったのか、ブランシュ嬢は最近は彼の姿が見えないと、ぴすぴすきゅうきゅうと鳴きながら彼を探して屋敷中をさ迷ってしまうそうでして」
「んんんそれはかわいそうね……! 体力が落ちている時にそんなのは、心配でもあるし」
「そうなのです。わかっていただけてなによりでございます」
「いえその、むしろごめんなさいね。嫌だわわたくしったら、すっかり勘違いしてしまって」
しゅん、とトーンダウンした殿下はフォークを置いてこちらに頭を下げようとなさった。
私はぶんぶんと首を振ってから、逆にこちらから頭を下げる。
「いえいえそんなそんな。説明不足を詫びなければならないのは、こちらでございます。それに、私の事を心配し、憤ってくださったという事でございましょう。むしろ感謝申し上げます」
「……じゃあ、まあ、お互い様って事で? もう良いって事にしましょうか」
殿下の軽い口調に、私はそろりと姿勢を戻した。
ふ、っと視線が合い、なんとなく気まずい笑みを互いに浮かべる。
「……ちなみにですね、実は彼は私の家に婿入りの予定なのですが、ブランシュ嬢はいっしょに連れてくるとも決まっていたりするんですよ」
「あははははっ! それ、ブランシュちゃんが人間だったら大問題ねぇ! さっきまでのままそれを聞いてたら、わたくし大激怒してたわよ! 入婿の分際で愛人を屋敷に連れ込む気なわけぇ!? って!」
冗談めかして打ち明ければ、殿下は大いに笑ってくださった。
私も肩の力を抜いて笑い、返す。
「愛人ではなくて愛犬ですので。もちろん大歓迎にございます。庭から段差のない部屋を用意してあって、今から彼と彼女の来るその日を待ち望んでおります」
「んふふ、そうよねぇ。愛犬だものねぇ。その部屋を、ブランシュちゃんが使えるように私も祈っておくわ。まずは今日、今の回復を……」
そこまでおっしゃってくれたところで、殿下は、ぽん、と軽く手を打ち鳴らした。
「そうね、これは謝罪とかじゃなくて、このスペシャルケーキを譲ってもらったお礼として、わたくしが国一番の医者を手配してあげるわ。ブランシュちゃんが元気で長生きできるように」
「え、いえそんな……。……恐縮すべきところではございますが、彼にとって大切なあの子は、私にとっても大事な存在。ご厚意に縋らせていただきたくございます」
「うんうん、いーわよぉ。うちって上は男ばっかだからお父様ってば唯一の娘で末っ子のわたくしには甘々だし。わたくしのお友達のためにってお願いすれば全力よ全力。あの人の全力なんだから間違いないわよ」
わたくしの、お友達。
今日は何者でもないお方らしいが、殿下のお父君、国王陛下にお伝えしていただけるという事は、王女殿下としてお動きになるその際に、『お友達』、と?
あまりの光栄に震える私に、ニヤリと笑って、どこかふてぶてしく胸を張り、殿下は言う。
「なに? わたくしはあなたの事が気に入ったのよ。お友達になってくれるでしょう? というかね、わたくしわがままなの。あなたはわたくしのお友達よ、はい決定。同じ席について、恋の話なんかして、同じ種類のケーキを楽しんだんだから、客観的に言ってもお友達で間違いないでしょう?」
「そ、そうおっしゃっていただけるならば、嬉しいです! ぜひ!」
私の返答に、殿下はふふん、と満足そうに微笑んだ。
と、一拍の後にいきなり真剣な表情に変わって、口を開く。
「ところで、このケーキってすっごく美味しいけど、このボリュームに対して紅茶がこれじゃ足りなくない? 追加を用意させてもかまわない?」
「ありがとうございます。そうしてください。それ、私も思ってました。ちょっとおっきいですよね、これ……」
じっ……と二人で机上の互いのケーキに視線をやって、私も深刻なトーンでそう返した。
そこから顔を上げれば、まったく同じタイミングでこちらを見た殿下と、ぱちりと視線が合う。
なんだかおかしくって笑いがこみあげるタイミングまでが綺麗に揃って、身分の差を考えれば恐ろしくなるようなこの方は、確かにお友達という関係なのかもしれないと思えた。




