挿章 ───月明かりと、ぎこちない告白
夜風がやわらかく吹いていた。便利屋事務所の屋上。街の灯りは遠くで瞬き、今日もどこかで誰かが怒鳴っているはずなのに、ここだけは不思議なくらい静かだった。
「……今日は平和ですね。」
アンジェリカが小さく笑う。
「依頼も爆発も怪物もないなんて。」
「………奇跡だな。」
オルランドは肩をすくめた。
「明日は隕石でも落ちるかもしれない。」
「縁起でもないことを言わないでくださいよ」
アンジェリカはむっと頬を膨らませる。その顔が可笑しくて、オルランドはふっと笑ってしまった。
「……なんですか。」
「いや───」
彼は視線を逸らす。
「そうやって怒る顔も、悪くないなって。」
一瞬、沈黙。そして、アンジェリカの顔がみるみる赤くなる。
「そ、そういうことを急に言わないでください!」
「本音だ。」
あまりに素直に返され、今度はアンジェリカが言葉を失う。月明かりの下で、二人はぎこちなく目を合わせる。しばらくして、アンジェリカがぽつりと言った。
「……あなたは、どうしてそんなに優しいのですか。」
「俺は優しくない。」
「優しいです。」
即答だった。
「あなたはいつも、困っている人の依頼を断れない。危ないとわかっていても、行ってしまう。」
「仕事だからな…」
「嘘です。」
アンジェリカはくすっと笑う。
「あなたは損をしてでも、助けたいだけです。」
オルランドは何も言えなくなる。自分では気づかない部分を、彼女はいつも見抜いてしまう。アンジェリカは少し俯き、そして───勇気を振り絞るように顔を上げた。
「私は、そんなあなたが好きです。」
今度は、はっきりと。風が止まったように感じた。
「強いからでも、便利だからでもありません。」
一歩、近づく。
「あなたが、あなたでいるからです。」
心臓がやけにうるさい。オルランドは、らしくなく動揺していた。
「……反則だろ。」
「何がですか?」
「そんな顔で言うな。」
アンジェリカは不思議そうに瞬きをする。
「どんな顔ですか?」
「……幸せそうな顔だ。」
その言葉に、アンジェリカは笑った。本当に、心から。
「だって、幸せですもの。」
その一言で、彼の防壁は崩れた。オルランドは、照れくさそうに頭をかいた。
「俺もだ」
短い言葉。でも、今までで一番まっすぐだった。
「俺も、お前が好きだ。」
アンジェリカの目が、ぱっと輝く。
「本当ですか?」
「嘘を言う理由がない。」
「少しは焦らしてください。」
「焦らすのは苦手だ。と言うよりする意味がない。」
「不器用ですね。」
「知ってる。」
二人は同時に笑ってしまった。自然に、手が触れる。アンジェリカはそっとその手を握る。温かい。
「これからも、隣にいてくれますか?」
「……当然だろ。」
今度は彼の方から、指を絡めた。
「お前が嫌だと言っても、離れない。」
「では、一生ですね。」
「一生だ。」
その言葉に、アンジェリカは嬉しそうに目を細める。
「約束です」
小指を差し出す。
「子供みたいだな。」
「いいではありませんか。」
オルランドは苦笑しながら、小指を絡めた。月が見守る中、二人は少しだけ寄り添う。特別な誓いも、壮大な未来もない。ただ───
隣にいることが、こんなにも嬉しい。その夜、世界は確かに優しかった。二人は、笑っていた。




