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第一章 灰に満ちた街

 その街では、人の死に理由が残らない。事故として処理され、故障として片付けられ、記録の端に小さく沈む。誰も深く追わない。追えば、自分の番が来るからだ。だから人々は学んでいた。見ないことが、生き残る方法だと。


 さびれ、ほこりの舞い散るようになった通りの外れに、崩れかけた建物の一階を使った店がある。

[便利屋オルランド]

 木でできた看板は削れ、雨風により腐食し、半分以上が読めなくなっている。それでも依頼は絶えない。人々はこの店に、人には言えない事情を抱えてやってくる。ここには───表に出せない問題ばかりが集まる。


 便利屋オルランドの店内はとても静かで整っていた。磨かれた工具。ファイルに入れられ日程や種類ごとに分類された書類。多少の傷はあるが、汚れや埃のない床。そして机の上には、二つのカップ。片方だけが使われ、もう片方は長く触れられていない。理由は、誰も知らない。きっと、ここでは誰も長居をしようとしないため、お茶を飲みながら話すということを知らないのだろう。


 扉につけられた鈴が鳴った。入ってきた男は、扉を閉める前に周囲を確かめた。警戒心が強いのは、この世界で生きていくために必要だ。

「………依頼か?」

 店の中のソファに腰掛ける男、オルランドは入ってきた客に小声で質問する。

「そうだ。処分を頼む。」

 オルランド以外に誰にも聞こえないだろう、低い声。

「何を?」

「装置だ。噂の。」

 短い沈黙。オルランドはその装置について質問をしなかった。そもそも装置とは何か、なぜそれを破壊しなければならないのか、聞く価値はない。仕事にそんなことは不要だ。そして、この街で“装置”と言えば、たいていは一つしか意味しない。登録されていない技術。装置と濁してはいるが、大抵皆、それに込められた意味を知っている。

「種類は」

 男は少し迷い、それから言った。

「……感情を固定する機械だ。」

 空気がわずかに重くなる。違法。しかもタチが悪い。失敗しても成功しても、人間は笑ったまま動かなくなる。あるいは───泣き続ける。


「場所は」

「旧三区画の地下研究室。」

 やはりそこか、とオルランドは思った。旧区画には人の目が届きづらく、よって、隠れて何かするのには適切なのだ。最近、似たような依頼が増えている。禁じられている技術の後始末。まるでこの街の奥で、何かが膨れ上がっているように。


「中身は」

「……まだ残っている」

 装置だけではない、という意味。研究を行っていた中身───そう、研究員───が残っているという意味。オルランドは目を閉じ、ほんの一瞬だけ呼吸を止めた。また血に濡れなければいけないのか。それでも頷く。

「分かりました。」

 男は大金を置く。一ヶ月分の食費は賄えるだろう。帰りかかった男が背中を向け、立ち上がる。その男は扉を開け、去り際に言う。

「記録は残すな。」

 当然の条件。鈴が鳴り、静寂が戻る。


机の上の依頼書。

そこには最近増えた単語が並ぶ。

* 記憶分離

* 痛覚遮断

* 人格写し替え

* 感情固定

どれも、少し前までは噂だけだった技術。

今は───日常の裏側にある。


 夕方。街の色が濁る時間。いや、元々灰色な気もするが。

 再び鈴が鳴った。今度の足音は、この街のものではない。怯えではなく、慎重さ。崩れではなく、均衡。扉の前に立つ女性は、灰色の中でただ一人、形を失っていなかった。


 彼女はオルランドの店に入る。

「ここが、便利屋ですか。」

 確かめる声ではない。辿り着いた者の声。

「何でしょう。依頼なら受けますが。」

 女性は店内を見渡す。工具。書類。そして───二つのカップ。視線が、ほんの一瞬そこに止まる。片方だけ使われた痕跡がないのに、違和感を覚えたのだろうか。


「人を探しています」

 揺れない声。

「名前は」

「ルッジェーロ」

 メモを取っておく。

「じゃ、あなたの名前は」

「アンジェリカ」

 その響きだけが、この部屋に属していなかった。


「見つかる保証はありません」

 突き放す誠実さ。だがアンジェリカは即答する。

「構いません」

 そして続けた。

「……この街では、 多くの“実験”が行われていますね」

 初めて、空気が変わる。彼女は知らないはずだ。外から来た人間のはずだ。それでも───核心に触れている。


「なぜ、それを」

「探している人が、 そこに関わっているからです」

 静かな決意。守られる者ではない。向かってきた者の目。これは明らかに、さまざまな苦難を乗り越えてきた者の響き。


 沈黙のあと。

「……受けます」

 断る理由が、どこにもなかった。


 外で、金属が潰れる音と短い悲鳴。きっと通行人が追い剥ぎにでも襲われたのだろう。誰も気にしない。関わる理由もないし、自らの身も守れない者は命を身につけている価値がないからだ。だがアンジェリカは、その方向を一瞬だけ見る。恐れではない。覚悟に近い静けさ。


 オルランドは気づく。この人は、いずれこの街の中心に触れる。そして───無事では終わらない。根拠はない。だが確信だけがあった。今までこんな人は見たことがなかった。だからこそ、今まで見たことのない結末になると勘付いた。


「お茶を淹れましょうか」

 無意味な申し出。形式上である。今まで答えたものは居なかった。それでもアンジェリカは頷く。

「いただきます」

 当然のように。


 湯気が立つ。濁った世界の中で、そこだけが揺らぐ。カップは二つ。長く使われなかった方にも、迷いなく湯が注がれる。アンジェリカは静かに受け取り、小さく言った。

「温かいですね」


 その瞬間。男は少し微笑んだ。


 まだ誰も知らない。奇妙な技術に殺される未来も。剣が血に染まる未来も。優しい男が壊れる未来も。そして───何も変わらない結末も。


 それでも今は。

 灰の街の片隅で、二つのカップから細い湯気が昇っている。そのかすかな温もりだけが、確かに存在していた。

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