第67話:湯けむりの朝、残された熱
チュン、チュン……。
窓の外から聞こえる小鳥の声で目が覚めた。
腕時計を見る。午前七時五分。
「……あー、過ぎたか」
毎朝七時の強制リセット。
『揺らぎ』の中にいれば、賢者タイムみたいにスッキリするはずの時間が過ぎていた。
今の俺は旅館の布団の中。つまり、リセット回避成功ってわけだ。
おかげで、昨日の記憶が鮮明に残ってる。
縁側でアリスが泣いてた顔とか、露天風呂でミケがしがみついてきた感触とか。
……思い出すだけで、顔が熱い。
フィリアと開発した『精神選別』なんて大層なもん使うまでもなく、この「気恥ずかしさ」とか「愛おしさ」みたいなのは、やっぱ消したくなかったんだよな。
ふと、両腕が痺れてることに気づく。
「……んぅ……」
「……にゃ……」
右にアリス、左にミケ。
俺を抱き枕にして爆睡中だ。
アリスの指にはサファイア。ミケの指には純金。
朝日にキラキラ光ってるそれを見て、改めて現実を突きつけられる。
「……マジかよ」
結婚、しちまったよ。二人と。
日本にいた頃は彼女いない歴=年齢だった俺が、いきなり二人の嫁持ち。
いや、ニナやフィリアたちも含めたら……。
「……重いな」
物理的に腕が痺れてるのもあるけど、責任ってやつがズシリと来る。
俺、こいつらの人生背負っちゃったんだなあ。
やれるのか、俺?
まあ、やるしかないんだけどさ。
逃げる気もないし。
……正直、ちょっとニヤけそうになるくらいには幸せだし。
俺はバレないように、そっと二人の頭を撫でた。
「……ん……あれ? 朝?」
アリスがパチクリと目を開けた。
俺と目が合う。3秒フリーズ。
そして一瞬でゆでダコみたいに真っ赤になって、布団を頭まで被った。
「あ、あわわ……!
お、お、おはようございます……!
わ、私、すごい顔で寝て……!」
「おはよ。顔は見えなかったけど、ヨダレ垂れてたぞ」
「うそっ!? いやぁぁぁ!!」
布団の中でジタバタしてる。可愛いなこいつ。
その横で、ミケが大あくびして起き上がった。
「ふわぁ……よく寝たにゃ」
「……ん? ブンペイ、いい匂いするにゃ」
ミケは寝起きざまに、犬みたいに……いや猫か、俺の首筋をスンスン嗅いでくる。
「昨日の匂いだにゃ」
「アタシの匂いも、ついてるにゃ」
ミケはニシシと笑って、自分の左手をかざした。
金の指輪を見て、満足そうに喉を鳴らす。
「……へへっ」
「アタシ、捨てられなかったにゃ」
「ブンペイの『一番』じゃないけど、ちゃんと『特別』だにゃ」
「バーカ。一番とか二番とか、順位付けなんてするかよ」
「お前は大事なパートナーだっつの」
俺が言うと、ミケは「にゃっ!」と嬉しそうに鳴いて、俺の頬をザリッとした舌で舐めた。痛いって。
……平和だ。
昨日はあんなにドタバタして、泣いたり叫んだりしたのに。
こんな普通っぽい朝が来るなんてな。
コンコン。
控えめなノックの音。
「オーナー、奥様方」
「朝食の準備が整いましたよ」
エマの声だ。
「奥様方」って響きに、布団の中のアリスがビクンッ!と跳ねたのが分かった。
まだ慣れないよな、そりゃ。俺もだし。
「……へいへい、今行きますよ」
「腹減ったな。飯食いに行こうぜ」
俺たちは着替えを済ませ、広間へと向かった。
◇
広間には、すでに全員が揃っていた。
目の前には豪勢な旅館の朝食。
温泉卵、焼き魚、湯豆腐、そしてツヤツヤの白米。
ボブ爺の店のレトルトも美味いけど、やっぱこの手作り感には勝てないよな。
「おはようございます、オーナー」
ニナが、いつもの優しい笑顔で迎えてくれた。
彼女の視線が、チラッとアリスとミケの左手にいく。
そして、ふわりと微笑んだ。
「……おめでとうございます」
「昨夜は、随分と賑やかでしたね」
「ぶふっ!」
アリスが茶を吹き出しそうになる。
「うっ……き、聞こえてたんですか……?」
「私の耳を甘く見ないでください」
シキが味噌汁を啜りながら、真顔で追い打ちをかける。
「心拍数の上昇、体温の変化……」
「筒抜けですよ」
「い、言わないでぇぇ!!」
アリスが顔を覆って机に突っ伏す。
食卓がドッと沸いた。
「ひゃっはー!
アリスちゃんもミケちゃんも、ついに大人の階段っすね!」
サンが魚を骨ごとバリバリ食いながら冷やかす。
「……ふあぁ。
朝風呂入ったら眠くなった……」
「今日の予定は……?」
ゴロネは座布団の上で丸くなって、すでに半分夢の中だ。自由だなあ。
「今日は、温泉街の散策だ」
「この『ヴォルカニア』は、温泉の熱を利用した魔導具とか、珍しい鉱石が有名らしいし」
俺が言うと、フィリアが眼鏡をキラリと光らせた。
「地熱エネルギーの変換効率……」
「興味深いな。私の研究に役立つ素材があるかもしれん」
「ブンペイ、経費で落ちるよな?」
「限度はあるからな? 爆発物は買うなよ?」
「私は、ここの武器屋が見たいです」
「火山の国ならではの、特殊な鍛造技術があるとか」
レオナも目を輝かせている。
「よし、じゃあ午前中は自由行動!」
「夕飯までには戻ってくること」
「トラブルは……まあ、ほどほどにな」
「「「はーい!」」」
◇
朝食後。
俺たちは色とりどりの浴衣に着替え、湯気立ち上る温泉街へと繰り出した。
石畳の坂道。
あちこちからシューシューと白い蒸気が噴き出している。
硫黄の匂いと、甘い温泉まんじゅうの香り。
「ブンペイ様! あれ見てください!」
「温泉で卵を茹でてますわ!」
アリスが俺の腕にギュッと抱きつきながら、はしゃいでいる。
その薬指の指輪が、道行く人の目を引く。
……ちょっと気恥ずかしいけど、まあ新婚旅行みたいなもんだし、いいか。
「……ふん、卵なんてどうでもいいにゃ」
「あっちの屋台、肉まんがあるにゃ!」
ミケは反対側の腕を確保し、尻尾をブンブン振っている。
右にアリス、左にミケ。
背後にはニナとエマ。
少し離れて、目を皿のようにして店を物色するフィリアたち。
平和だ。
こんなのんびりした時間、いつぶりだろ。
俺はこの穏やかな時間を、心の底から楽しんでいた。
――だが。
俺は気づいていなかった。
この賑やかな温泉街の、湯けむりの向こう側。
路地裏の影から、粘着質な視線が、俺たち……いや、アリスの指輪をじっと見つめていることに。
「……見つけたぞ」
「あの指輪……」
「間違いない、ウィレム家の家宝だ」
男は、古びたローブのフードを目深に被り直し、懐から一枚の手配書を取り出した。
そこには、『死亡確認済み』と記されたはずの、アリスの似顔絵が描かれていた。
「死んだはずの令嬢が生きていた」
「……これは、高く売れるぞ」
男の口元が、三日月形に歪む。
平和な温泉国にも、やっぱりトラブルの種は潜んでいたらしい。
俺たちの「バカンス」は、そう簡単には終わらせてもらえそうになかった。




