第65話:閑話『幸せな指輪と、愛する人との旅路』
アリスの独白】
「きゃっ! また跳ねた!」
高機動車の後部座席で、私は小さく声を上げてしまいました。
フィリアの運転はダイナミックで、まるで遊園地のアトラクションみたい。
砂埃もすごいし、エンジンの音でお話するのも大変。
お城にいた頃なら考えられないような環境だけど……。
ふふっ。不思議と、ちっとも嫌じゃないの。
むしろ、みんなの笑い声が近くて、とっても温かい気持ちになるわ。
私は窓の外に広がる荒野を眺めながら、自分の左手の薬指をそっと撫でました。
そこにはまだ指輪はないけれど、心の中には確かに輝くものがあります。
……「マツシタ伯爵夫人」。
先日の家族会議を思い出すと、今でも胸がいっぱいになってしまいます。
議題は『対外的な正妻を誰にするか』。
エマさんも、ニナさんも、レオナさんも、みんな当たり前のように私を推薦してくれたんです。
「アリスちゃんなら、安心して任せられる」
「貴族としての振る舞いも完璧だし、何よりブンペイとお似合いよ」
みんなが笑顔でそう言ってくれて……。
私は嬉しくて、少し泣いてしまいました。
だって、そうでしょ?
大好きなブンペイの、法的な「妻」として、みんなに認めてもらえたんですから。
こんなに幸せなことって、他にありません。
ブンペイとの出会いを思い出します。
あの日、私は全てを失っていました。
家を追われ、泥に塗れ、絶望の中で荒野を彷徨っていた私。
そんな私を見つけて、手を差し伸べてくれたのが彼でした。
彼は貴族でも騎士でもない。
ただの、お人好しで、ちょっと心配性で、でも誰よりも家族思いな人。
彼の背中は、どんな立派なドレスや宝石よりも、私を安心させてくれました。
彼がくれたのは、生きる場所だけじゃない。
「アリスは笑ってるほうが可愛いよ」って、私の凍った心を溶かしてくれた。
ドローンという翼をくれて、空を飛ぶ楽しさを教えてくれた。
そして今度は、「伯爵夫人」という名前までくれたんです。
この名前があれば、私はもう下を向いて歩く必要はありません。
隣国に住む叔父様――私の唯一の味方だった、あの優しい叔父様にも、堂々と手紙を書けます。
『お久しぶりです、叔父様。
私は今、世界一素敵な男性の妻として、幸せに暮らしています。
旦那様は少し不思議な方ですが、とても強くて、太陽みたいな人です。
いつか二人で、ご挨拶に伺いますね』
そう報告できる日が来るなんて。
叔父様はきっと、目を細めて「よかったね、アリス」って頭を撫でてくれるはずです。
私の選んだ人が、どれだけ素晴らしい人か、早く紹介したいな。
「……おいアリス、なんかニコニコしてないか?」
バックミラー越しに、ブンペイが不思議そうな顔をしています。
「うふふ。
だって、ブンペイと一緒にいられて嬉しいんだもん」
私が素直に言うと、彼は「えっ」と赤くなって、慌てて前を向いてしまいました。
……可愛い。
こういうシャイなところも、私の旦那様の素敵なところです。
本当は、領地に残って経営の指揮を執るべきか、少し迷いました。
それが「正妻」としての責任かなって。
でも、セバスとルーカスさんが「お嬢様は旦那様のそばにいてあげてください」って背中を押してくれたんです。
あの二人がいてくれれば、領地は安泰ですね。
だから私は、こうしてついてきました。
温泉も楽しみだけど、何より……ブンペイとの思い出をもっと作りたいから。
領地に残ったら、彼としばらく会えなくなってしまう。
「揺らぎ」で会えるとは言っても、やっぱり隣にいて、その体温を感じていたいんです。
エマさんやニナさんも素敵だけど、私が一番近くで、彼を支えてあげたい。
私は手元のタブレット端末を優しく操作し、上空のドローンからの映像を確認しました。
前方クリア。敵影なし。
西の国境までは、あと少し。
私の目は、彼を守るための空の目。
ブンペイが安心して眠れるように、危険なものは私が一番に見つけてあげる。
それが、私にできる精一杯の恩返しだから。
「ねえ、ブンペイ」
「ん? なんだ?」
「……大好きよ。
私をお嫁さんにしてくれて、ありがとう」
「ぶっ!?
い、いきなり何だよ! 照れるだろ!」
「うふふ、本当のことだもの」
真っ赤になって動揺する彼を見て、私は幸せな気持ちでいっぱいになりました。
さあ、待っててね、温泉!
ブンペイと一緒に温かいお湯に浸かって、背中を流してあげようかな。
マツシタ・アリス伯爵夫人。
この名前に恥じないように、これからもずっと、笑顔で彼を支えていきます。
私の旅は、まだ始まったばかりなんですから。




