第64話:閑話『メイドの秘め事と、折れない剣』
【エマの独白】
ガタゴトと揺れる高機動車(HMV)の車内。
舞い上がる砂埃と、ディーゼルエンジンの低い唸り声。
お世辞にも、優雅なお茶会にふさわしい場所とは言えません。
ですが、私はプロのメイドです。
どんな環境であれ、主人に最高の一杯を提供するのが私の務め。
私は揺れに合わせて膝を柔らかく使い、ビクトリアン調のロングスカートの裾を巧みに捌きながら、銀のポットを傾けました。
琥珀色の液体が、一滴も零れることなくカップに注がれます。
「はい、旦那様。アッサムのセカンドフラッシュでございます」
「お、サンキュ。……相変わらずエマの淹れる茶は美味いなぁ」
運転席のブンペイ様が、バックミラー越しに微笑んでくださいました。
その何気ない笑顔に、私の胸の奥がポッと温かくなります。
……ああ、本当に。
人生とは分からないものです。
正直に申し上げますと、私はもう諦めておりました。
「結婚」という二文字を。
適齢期を過ぎ、周囲の友人たちが次々と家庭に入っていく中、私はただひたすらに仕事に打ち込んでまいりました。
「私には奉仕の道がお似合いよ」なんて強がりを言いながら、夜な夜な枕を濡らした日もありました。行き遅れ、売れ残り……そんな心ない陰口に、耳を塞いだことも。
それが、どうでしょう。
今の私は「マツシタ伯爵」のパートナーの一人。
世間的に見れば「側室」という立場ですが、そんなことは些末な問題です。
愛する旦那様がいて、賑やかな家族がいて、毎日が刺激に満ちている。
先日、家族会議がありました。
議題は『マツシタ伯爵家の序列について』。
ブンペイ様が貴族位を賜った以上、対外的な「正妻」を決めねばなりません。
結果は、満場一致でアリス様でした。
元貴族令嬢としての教養、社交界での立ち居振る舞い。彼女以外に適任はいません。
アリス様は「えぇー、私が矢面に立つのぉ? 面倒くさいなぁ」と文句を言っていましたが、その顔が少し誇らしげだったのを、私は見逃しませんでしたよ。
そして私やレオナ様、ニナ様たちは「側室」として、旦那様を支えることになりました。
ふふっ。
「伯爵夫人」。
甘美な響きです。
あの田舎娘だった私が、まさか貴族様の奥様(の一人)になれるなんて。
故郷の両親に手紙を書いたら、きっと腰を抜かすでしょうね。
「……エマ、なんかニヤニヤしてないか?」
おっと、いけません。
旦那様に怪訝な顔をされてしまいました。
「いいえ、滅相もございません。
ただ、これからの旅路が楽しみで」
私は澄ました顔で、紅茶の香りを楽しむふりをしました。
はい、楽しみなのです。
この波瀾万丈な旅が。
普通の結婚生活では絶対に味わえない、スリルと冒険の日々。
弾丸が飛び交い、魔物が襲いかかり、それを旦那様とみんなで蹴散らしていく快感。
もう、退屈な日常には戻れません。
私はスカートのポケットに忍ばせた、護身用のナイフにそっと触れました。
私の愛、私の奉仕、そして私の全ては旦那様のために。
この命尽きるまで、完璧なメイドとして、そして貞淑な妻としてお仕えいたしますわ。
……ふふっ、これだから「玉の輿」はやめられませんね。
◇
【レオナの独白】
私は高機動車の荷台の隅で、愛剣の手入れをしていた。
刃毀れはない。歪みもない。
刀身は鏡のように磨き上げられ、私の顔を映している。
……その顔は、以前の私とは少し違って見えた。
かつて私は、騎士としての誇りを胸に生きていた。
正々堂々と戦い、名誉ある死を恐れない。それが剣の道だと信じていた。
だが、ブンペイと出会い、その常識は粉々に砕け散った。
『揺らぎ』による超回復。
通称、ゾンビアタック。
最初は恐怖だった。
肉を斬らせ、骨を断たせる。その激痛と死の恐怖。
だが、次の瞬間には「揺らぎ」の中に引きずり込まれ、無傷の状態で戦場に戻される。
痛みは一瞬。
死はキャンセルされる。
残るのは、敵の驚愕と、圧倒的な勝利だけ。
昨日の戦いで、私は帝国の将軍に斬られた。
肩から胸へ、致命傷を受けた。
普通なら、そこで私の人生は終わっていたはずだ。
けれど、私は笑っていた。
斬られた瞬間、「ああ、これで相手の隙ができた」と思ったのだ。
自分の体が肉塊になることへの恐怖よりも、敵を討ち取る手順の方を優先した。
……私は、壊れてしまったのだろうか?
剣士としての矜持。命のやり取りへの畏怖。
そういった人間らしい感覚が、摩耗して消えていく気がする。
痛みさえも、ブンペイとの「繋がり」を確認する儀式のように感じてしまう。
彼が私を治すたび、私の命は彼の一部になる。
斬られるたびに、私は彼に依存していく。
「レオナ、無茶すんなよ」
ブンペイはそう言って、心配そうに私の頭を撫でてくれる。
その掌の温かさが、今の私には何よりの救いだ。
アリスが「正妻」になったことには、異論はない。
彼女には知恵があり、家を守る力がある。
私は剣だ。
鞘に収まるよりも、戦場で振るわれることを望む。
「側室」という立場も、私には心地いい。
背負うものが多すぎず、ただ純粋に、彼のために剣を振るえるからだ。
私は剣を鞘に納めた。
カチリ、という澄んだ音が車内に響く。
私の体は、何度でも蘇る。
ならば、この命を使い潰すまで。
ブンペイを害する敵がいるなら、私は何度でも死地へ飛び込もう。
腕が飛ぼうが、首が落ちようが、彼がいる限り私は止まらない。
それが、マツシタ家の剣士としての、私の新しい誇りなのだから。
「……ブンペイ」
運転席の背中を見つめる。
その背中を守れるなら、私は修羅にでも悪鬼にでもなろう。
不思議と、心は晴れやかだった。
迷いなど、斬り捨てて久しい。
今の私は、ただ一振りの、折れることのない幸福な剣だ。




