第61話:閑話『重たい肩書きと、火薬の匂い』
【ニナの独白】
高機動車の助手席。
私の特等席だ。
不規則に揺れる車内で、
私はハンドルを握る
ブンペイの横顔を
盗み見ていた。
彼はまた一つ、
大きな荷物を背負った。
「マツシタ伯爵」。
その響きは、
まだ22歳の彼には
あまりに不釣り合いで、
そして重すぎる。
あの時。
ガンディアの領主館で、
彼が震える手で
書類にサインした瞬間を、
私は一生忘れないだろう。
「面倒くさい」
「仕方ない」
彼はそう言って、
いつものように飄々と
振る舞っていたけれど。
私は知っている。
彼がどれほど、
自由を愛しているか。
彼がどれほど、
権力やしがらみに
縛られることを嫌っているか。
それでも彼は、
サインをした。
自分の栄達のためじゃない。
私たちのためだ。
元奴隷で人外として蔑まれる
獣人の私やミケ、ゴロネ。
狂気を孕んだサンやシキ。
さらに、
貴族社会を追放されたアリス。
それに従うメイドに騎士。
私たちは、
この「まともな世界」では
許されない「異物」だ。
普通に生きていれば、
迫害され、搾取され、
野垂れ死ぬだけの存在。
そんな私たちを守るために、
彼は「体制側」という
泥を被ったのだ。
伯爵という肩書きがあれば、
誰も私たちに石を投げない。
誰も私たちを
「汚らわしい」と罵らない。
彼は自分の自由を切り売りして、
私たちの「尊厳」と「安全」を
買い取ってくれた。
……バカな人。
本当に、愛おしいバカな人。
ふと、彼が大きく欠伸をした。
目の下に、
うっすらと隈ができている。
昨夜も、
これからの旅のルートを考え
遅くまで地図を睨んでいたのを
私は知っている。
私はそっと、
ハンドルを握る彼の手の甲に触れた。
温かく、そして、少し硬い。
人を殺した手だ。
敵の首を刎ねた手だ。
多くの血を浴びてきた手だ。
でも私にとっては、
世界で一番優しくて、
何よりも頼もしい手。
この手が私たちを救い出し、
美味しいご飯を作り、
頭を撫でてくれた。
「……ん?
どうした、ニナ?」
彼が不思議そうにこちらを見る。
その黒い瞳には、一点の曇りもない。
彼は自分がしたことの重さを、
私たちには決して見せない。
「ううん。
ただ、思っただけよ。
……あなたが伯爵様なら、
私は伯爵夫人に見えるかしら?」
冗談めかして言うと、
彼は少し顔を赤らめて、
照れ隠しのように前を向き直した。
「……バーカ。
お前は俺の、
大事なパートナーだよ」
その一言で、
胸が締め付けられるほど
熱くなる。
心臓が早鐘を打つ。
パートナー。
その言葉の重みを、
私は誰よりも深く噛み締める。
もし彼が政治を知らないなら、
私が覚えよう。
彼が計算を嫌うなら、
私が全て管理しよう。
彼が誰かに頭を下げるなら、
その前に私が敵を全て排除しよう。
私はもう、
ただ守られるだけの
か弱い女じゃない。
彼がくれた武器がある。
彼が教えてくれた戦術がある。
もし、
この「マツシタ伯爵」という
ふざけた名前の家が、
世界を敵に回す日が来ても。
私は最後の最後まで、
この隣に座り続ける。
地獄の底まで付き合うわ。
「……愛してるわよ、ブンペイ」
エンジンの轟音に紛れて、
私は小さく呟いた。
誰にも聞こえない、
私だけの誓いの言葉。
西の空が赤い。
これから向かう温泉の国でも、
きっと騒動が待っている。
でも、怖くはない。
あなたの隣にいられるなら、
どんな血なまぐさい戦場だって、
私には最高の楽園なのだから。
◇
【サンの独白】
ん〜っ!
風が気持ちいい〜っ!
私は高機動車の後部座席で、
大きく伸びをした。
ここから見る景色は最高だ。
ビュンビュン流れる木々。
どこまでも続く青い空。
そして、
膝の上には大好きな相棒、
ミニミちゃん。
昨日の「お祭り」、
楽しかったなぁ……。
思い出すだけで、
お腹の奥がゾクゾクしちゃう。
新しいオモチャ、
ミートチョッパーくん。
あれはすごいよ。
本当にすごい魔法の箱だもん。
ハンドルを握って、
トリガーを押し込むでしょ?
そうするとね、
世界が震えるの。
ズババババババッ!!
って、
雷様が落ちてきたみたいな
おっきな音がして、
私の体もビリビリ痺れて。
目の前にいた
意地悪そうな兵隊さんたちが、
みーんな、
プシュッ!って弾けて
赤い霧になっちゃうの。
手品みたい。
お花畑みたい。
綺麗だったなぁ。
あんなにたくさんいたのに、
一瞬で挽肉になって、
誰もいなくなっちゃった。
私、知ってるよ。
ブンペイはね、
本当は喧嘩が嫌いなの。
ブンペイは優しいから、
誰かが傷つくのを見るのが
嫌いなんだ。
だから、
ブンペイをいじめる悪い奴らは、
私がぜーんぶ消してあげる。
消しゴムみたいに、
ゴシゴシって。
綺麗にお掃除してあげたら、
ブンペイはまた笑ってくれるもん。
「……あ、ここまだ汚れてる」
膝の上に置いた
ミニミちゃんの銃身に、
昨日の「お祭り」の残りが
こびりついていた。
赤黒くて、鉄の匂いがするシミ。
私はウェスを取り出して、
丁寧に、丁寧に拭き取る。
いい子いい子。
ミニミちゃんは可愛いね。
たくさん食べて、
たくさん歌ってくれたね。
オイルの匂いが好き。
火薬の焦げた匂いが好き。
血の匂いも、
嫌いじゃないよ。
だってそれは、
ブンペイを守った証拠だもん。
ブンペイは「伯爵様」になったらしい。
よく分からないけど、
偉い人になったのかな?
アリスちゃんとかは
難しそうな顔してたけど、
私には関係ないや。
私にとっては、
ブンペイはブンペイだもん。
美味しいご飯をくれて、
頭を撫でてくれて、
私に「居場所」をくれた人。
世界で一番大好きな人。
もし、
またブンペイをいじめる奴が来たら、
今度はもっと派手に
踊らせてあげよう。
手足がバラバラになって、
内臓が飛び散って、
地面にお絵描きするみたいに
真っ赤になるまで。
そうしたらブンペイは、
また私の頭を撫でてくれるかな。
「サンは強いな」って、
優しい声で言ってくれるかな。
想像しただけで、
口の中に甘い味が広がる。
涎が出そうになっちゃう。
「ねーえ、ブンペイ!
お腹空いたー!
今日のご飯なにー!?」
私は身を乗り出して、
運転席に向かって叫んだ。
ブンペイがバックミラー越しに
苦笑いをする。
あ、笑った。
ブンペイが笑った。
うん、今日も世界は平和だね。
私のミニミちゃんと、
ミートチョッパーくんがいる限り、
ブンペイの笑顔はずーっと守られるんだ。
あーあ。
早く次の悪い奴ら、
来ないかなぁ。
またブンペイのために、
お掃除したいなぁ。




