第6話:7時
村から離れ店に戻り、気づいたら朝だった。
正確に言うなら、時計が七時を指した、その瞬間だ。
目が覚めた、というより、意識の底に沈んでいた何かが、静かに浮かび上がってきた感じだ。
眠気が引いて、頭が冴える。
体が少しずつ輪郭を取り戻していく。
「あー……」
昨日のことを思い出した。
獣人の村の広場の外れ。
柵で囲われた小屋。
薄暗い中に、押し込められている人間。
鎖の音、鼻につく汗と獣の匂い。
視線が、刺さった。
奴隷がいた。
そうだ、俺は奴隷を見た。
……はず、なんだよな。
頭の中で、起きた事実だけを並べ直してみる。
順番に、淡々と、映像を巻き戻すみたいに。
でも、そこに「気持ち」が乗らない。
嫌悪はない、怒りもない。
胸の奥がざわつく感じもない。
正直、怖いくらいに、何も感じない。
「……おかしくね?」
ベッドに腰掛けたまま、自分の両手を見る。
指は震えていない。
呼吸も乱れていない。
心拍も、いつも通りだ。
昨日帰ってきた俺は、確かに気持ち悪いと思ったはずなんだ。
正義感とか倫理とか、そんな立派なことじゃない。
ただ単純に、「嫌なもんを見たな」って感覚。
あれは、間違いなく、あった。
今は「そう感じた記憶」になってる。
感情が、綺麗に均されてる。
まるで、感情の山にローラーをかけみたいだ。
「……揺らぎ、か」
立ち上がって、境界が見える位置まで歩く。
薄いオレンジ色の、世界の境目。
ここを越えるだけで、空気の湿気も匂いも変わる、あの線。
揺らぎに触れた瞬間、体の奥が軽くなる。
怪我が治る時と、まったく同じ感覚だ。
俺は、ここを「落ち着ける場所」くらいにしか思ってなかった。
精神が安定してる。
異世界でも平気。
冷静でいられる。
全部、チートだと思ってた。
でも、違うな。
「……ここにいる時だけ、か」
揺らぎの中だけ。
この領域にいる間だけ、俺は“正常”に戻されてる。
健康体。
怪我は治る。
病気も消える。
なら、精神だって同じでおかしくない。
外で揺れた分は、戻った瞬間に、あるいは毎朝七時に、「健康な状態」へ修復される。
精神も揺らぎに入ったらすぐに修復される。
…と思っていた。
昨日奴隷を見た時、俺は嫌悪を感じてた。
不快だった、気持ち悪かった。
胸の奥が、少しだけ重くなってた。
でも抑えた、冷静だ、チートだと。
ガルドの情報を取る、それが目標だから他に関わるなと、自分に言い聞かせていた。
多少の罪悪感あったのに。
それは、ここに戻った時も消えず確かにあったのだ。
そして今。
七時を越えた今。
俺はそれを、ただの出来事として整理している。
「ああ、昨日、奴隷いたな」
それだけ。
理解した瞬間、背中に電流が走った。
これ、上手く使えば便利すぎだろ。
感情が重くなったら、揺らぎに戻ればいい。
泣きたい夜も、朝七時を越えりゃリセット。
怒りも、悲しみも、嫌悪も、全部「不健康」って理由で消える。
朝7時以降の感情は持てる。
だから、7時に揺らぎに入らず外にいれば更新かからないから、感情は持続できるってことだ。
俺は、感情に起伏もないロボットではなかったのだ。
今は、とにかくそれを喜ぼう。
7時に気を付けたらホラー映画やゲームも楽しめるな。
バイオ〇ザードを徹夜でプレイして、盛り上がった時に朝7時に感情がスンッてなったら悲しいもんな(笑)
「……チートかよ」
何度目かのセリフを口に出して、少し笑えてくる。
ただ、確認厨としては、これは確認したいなあ。
今日から三日は大岩村には行かない。
離れた所の本隊から、売り物調達してくると言ってある。
丁度よかった。
感情がどうなるのか確認しないことには、怖くて行けない。
見る気にもなれず、放置していた携帯の中の家族の写真をみて、家族を思い出してみる。
最初は家族の写真を見ても、大して感情は動かなかった。
しかし段々と感情の「温度」が上がってくるのがわかった。
そうか、俺はこんなに家族が好きだったんだなあ。
感情の温度は湯を沸かすようにゆっくりと上がるようだ。
だから気が付かなかった。
朝起きても、温度は上げてないので特に家族の事思い出さない。
だから、ずっと精神安定で感情の波が無いと思ってた。
……ほんと、誰かこの揺らぎの攻略本をくれよと思った。
今日できる事を色々と試してみた。
感情の温度はその感情を刺激すると比例して上がるのか?
そして一つの感情の温度上がると他の感情はどうなのか?
まず、自分の家族への感情取り戻した後にホラー映画見た。
怖くなかった、ゾンビゲームもだ。
家族に対する感情と恐怖心は別々に温度設定されてるようだ。
試しに指の間をナイフで突くゲームをしたが恐怖は無い。
そこで、100%泣ける某戦争アニメ見たが、「あのオバサン言ってることも一理ある」「石なめても美味しくないよね」位の感想だった。
だが、女の子と、お兄ちゃんも死ぬラストシーンだけ五回くらい見たころから、「セ〇コッオオオオッ」て泣いた。
再度映画のグロシーン見る。
一度二度、フーン、五度目にオオッ、十回目は気持ち悪かった。
指の間をナイフで突くゲームをした、イヤ怖いわ!
うん、良い結果だな。
これなら、家族の感情持ったまま、十回程度恐怖感じなければ、客観的に冷静に戦える、こりゃ強いよ。
泣ける映画とホラーで感情動く回数違ったのは、泣ける映画は俺が家族思い出した感情に引っ張られて少ないのかなあ。
俺は、家族の事思い出すと悲しくなるので、怖くなるまでゲームを進めていった。
さすがにゾンビに何回も襲われてたら怖くなってきたわ。
時計を見る、朝六時五十六分。
徹夜で進めたゲームはまさにクライマックスだ。
七時にこの興奮消えたら怒りそうだ。
そう、こういう感情をいま持ててるのが嬉しいのだ。
七時。
さっきまでの興奮が薄れて、高揚感が遠のく。
消える、ってより、薄まる感じだ。
水にインクを落として混ぜたみたいに。
残りかすみたいな感情が、最後の一滴まで消えた。
目の前には、一晩かけて進めてきたゲームがあるが、
「ああ、プレイしていてクリア寸前だった」
そんな感情しかない。
昨日家族を懐かしんだことも、知ってはいるがそれだけ。
俺は、嘆く事もなく、今日は何を実験すべきか考えている。
感情の種類は?
感情温度を上げるには?
今日実験したら、その感情温度持ったまま明日の7時は揺らぎの外にでて、感情が残っているか実験だなと。
実験して得た仮定は
「喜び・怒り・悲しみ・恐怖・嫌悪・驚きの六つではないか」
「感情温度を上げるのはその感情を刺激する」
「感情を持ったまま七時に揺らぎ外にいれば感情は持ち越せる」
感情持ったまま次の日に行けるのは大きいよ。
こうなると、基本のルーティンは七時前には揺らぎの外に出て、感情を引き継ぐこと、だな。
さて、今日は大岩村に行こうかな
この間はかなり品が足りなかったから待ってるだろう。
今日はガルドの賄賂や汚職についての情報が欲しい。
何のコネもなく、こんな怪しい人間が通れる気がしないわ。
今日は感情を平坦にして行こう。
あの村には色々感情が揺らぎそうなものが大過ぎだ。
今回は、一度行ってるので揺らぎから出る。
リュックを置いて地面を転がり汚していく。
前回気が付いたのだが、「ブンペイはキレイ過ぎる」らしい。
前回、獣人の女に、持ってきたオーガニックで無香料の石鹸の匂いと、ブンペイのボディソープの匂いが違うと言われたのだ。
わざと三日も風呂我慢したが、今日村に来るにあたって、感情を均すために七時超えたら、体も歯も綺麗になってるんだよね。
…まさかここで「クリーン」を身につけるとは。
まあ毎日風呂入ってたら気が付かないわなあ。
さて、村が近い。
俺は心の中で行商人の仮面をかぶる。
目を閉じて、あの小屋を思い出す。
子供を抱いて離さなかった女。
睨んでたわけじゃない。
助けを求めてもいない。
あの視線が、喉の奥に引っかかる。
軽く胸が締め付けられる。
腹の底が冷える気がする。
嫌な感覚が、ちゃんと湧いてきた。
俺は、その感覚を逃がさないように、わざと深呼吸した。
忘れたくない。
今は、ちゃんと感じておきたい。
唇を舐めて、もう一度だけ思い出す。
……思い出せる。
映像はある、でも、心が動かない。
さっきまで確かにあったはずの「嫌」までだ。
これ以上感情を動かすには、新たに「嫌」を積み上げなければならない。
正直ちょっと怖い。
だが、積み上げだろうが感情持てるならやるかな。
泣きたい時は七時前、怒りたい時も七時前。
忘れたいなら、七時を越えろ。
……便利で、まあまあ気持ち悪い。
何か言わなきゃいけない気がしたが、その「何か」は、やっぱり分からなかった。




