第54話:泥に咲く、三ヶ月の「執念」
ガンディアの陽光は相変わらず
容赦なく照りつけるが、
屋敷の裏庭に流れる空気は、
三ヶ月前とは
明らかに変わっていた。
かつて死んだ魚のような目で
焚き火を囲んでいた十人の子供たち。
今、彼らの手にあるのは、
施しのおにぎりではなく
使い込まれた石盤と、
計算に悩むためのチョークだ。
「……間違えた。もう一回にゃ」
ミケが厳しく声を飛ばす。
彼女は、自分がブンペイに教わった
「偵察のイロハ」を、街の歩き方として
子供たちに叩き込んでいた。
敵に見つからない歩き方は、
客を不快にさせない「配慮」に。
情報の聞き込みは、
客の「ニーズ」を掴む技術に。
ミケなりに、ブンペイの
役に立とうとする必死な教育だった。
◇
一方で、シキとフィリアの
「座学」はさらに苛烈を極めた。
「カイ。三割引の端数が、
一分経っても出てこないわよ」
シキが冷たく言い放つ。
最年長の少年、カイは
額に汗を浮かべ、必死に石盤を叩く。
「……ま、待ってくれ。
ええと、原価がこれだから、
利益を残すには……」
「計算が遅い商人は
客の時間を奪う『泥棒』と同じ。
もう一度、最初からやり直し」
フィリアの容赦ない言葉。
だが、子供たちは誰一人として
投げ出そうとはしなかった。
自分たちが今、「文字」と「数字」を
手に入れなければ、ゴミ溜めで死ぬだけ。
その恐怖が、彼らを突き動かしていた。
◇
俺はと言えば、
彼らの胃袋を支えながら、
キッチンの隅で試作に明け暮れていた。
この世界の食材で、
いかに「秘伝」の味を作るか。
拾ってきた昆布を、どの程度干して、
どのくらいの時間煮出すのが一番か。
醤油がないなら、現地の魚醤を
果実酒で割ってみたらどうだ?
俺のヘタレな手料理が、
いつしか「マツシタ塾」の
唯一の報酬であり、憧れになっていった。
「いいか、お前たち。
このスープは『海の宝物』だ。
中身が何かは、墓まで持っていけ。
客が金を払うのは、
料理の『正体』に対してじゃない。
食べた時に感じる、
その『驚き』に対してなんだ」
泥まみれになりながら、
磯で一緒にタコを追い、
昆布の砂を洗い流した日々。
三ヶ月が過ぎる頃には、
子供たちの手のひらは
豆だらけになり、その瞳には、
確かな「知性」と「プライド」が
宿り始めていた。
◇
そして迎えた、
屋台デビューの当日。
港の片隅、
ボブ爺の作業台を改造した不格好な店。
カイとミーナは、
震える手で暖簾を掲げた。
「……いらっしゃい!!
海の宝物のスープで作った、
特製の磯焼きだよ!!」
その声は、三ヶ月前の
弱々しい叫びじゃない。
腹の底から響く、
誇り高き「商人」の声だった。
最初は遠巻きに見ていた船乗りたちが
吸い寄せられるように集まってくる。
漂う、圧倒的な出汁の香り。
この街の誰も知らない、
本能が求める「旨味」という衝撃。
「おい、ガキ。……いや、店主。
これ、三つ包んでくれ」
初めて受け取った数枚の銅貨。
カイは、お釣りを一瞬で計算し、
完璧な所作で手渡した。
その姿を影から見ていたシキが、
「……合格ね」
と、誰にも聞こえない声で呟いた。
◇
だが、成功の影には
必ず「嫉妬」がつきまとう。
「おいおい。いい稼ぎじゃないか」
現れたのは、
この界隈を仕切る小悪党。
だが、ミーナはもう怯えなかった。
彼女はギルドの許可証を毅然と突きつけ
背後にいる「マツシタ」の名を、
武器ではなく盾として使いこなした。
「……マツシタ、だと?
あの三億三千万の……」
男たちが退散していくのを、
俺はテラスから双眼鏡で見守っていた。
俺が助けに行かなくても、
あの子たちはもう、
自分の足で立っている。
夕暮れの港で、
完売を告げる歓声が上がった。
三ヶ月。
それは、ただの時間が
「希望」に変わるのに
必要な長さだったんだ。




