第12話:街道と、ただの人間たち
朝は六時半。
目が覚めると、天井が見える。
揺らぎの中の天井は、今日も変わらない。
染みも影もなくて、無機質な天井だ。
なのに不思議と落ち着く。
ここは安全で、地球を感じられる場所だから。
七時は外で迎えた。
今日は引き継ぐと決めていたし。
昨日のことは、ちゃんと残っている。
五人の顔も、名前を呼んだ時の反応も、
胸の奥に引っかかる、あの感じも。
「……うん、まあまあ」
誰に言うでもなく、そう思った。
自分の確認をする。
感情が暴れている感じはないな。
でも、何も感じていない訳でもない。
今は、それで十分だ。
出発前に、五人に声をかける。
俺は、今日は外に出ること。
夜には戻るということ。
食料は棚、火は使っていい。
言うことはそれだけにした。
細かい指示はしない、好きにしてもらう。
今は「考えさせる」より、
「慣れさせる」段階だ。
皆、ちゃんと聞いて、ちゃんと頷いた。
昨日より、反応が早い気がするな。
それを見て、少しだけ肩の力が抜ける。
「…少しは進んでるのかな」
ガルドのそばで、電動MTBを出す。
これならバギーより音は小さい。
静かな場所なら、風の音に紛れる。
双眼鏡で見通せる場所では走る。
見通せない場所や、人が見えたら降りる。
この世界で目立つと、
だいたい面倒の種になるからなあ。
走りながら、それはもう、
何度も街道の先は確認したよ。
街道沿いの景色は、
思ってたよりも、ずっと穏やかだった。
川はゆったりと流れ、畑がある。
畑に沿って柵があり、人が黙々と働いている。
誰も俺をジロジロ見てこない。
見たとしても、すぐ視線を戻す。
今まで大岩村やガルドで感じた、
獲物だと見る、粘っこい視線じゃない。
警戒でも、好奇心でもない。
ただの「通りすがり」。
……ああ、これはあれだ。
日本やアメリカにいた時に、
知らない町を、歩いている時に似てる。
自分が風景の一部になる感じ。
主役でも、異物でもないただの風景。
それが、妙に心地いいな。
少し進むと、遠くに隊商が見えてきた。
荷車が二台と、護衛らしき男が二人だ。
俺はMTBを収納して、道の端に寄る。
こういう時は、歩きが無難だ。
「おはよう」
考える前に挨拶がでた。
「おう、おはよう」
「兄ちゃん、早いな」
返ってくる声は、普通だ。
距離感も、もちろん普通。
この瞬間に初めて、
自分が少し緊張していたことに気づく。
「ああ、そうだよな」
この世界にも、
ちゃんと“普通の人間”はいるんだ。
当たり前のことなのに、
確認できただけで、気が楽になったな。
隊商の男が聞いてきた。
「どこまで行くんだ?」
「フロウムの方か?」
「そうです。ちょっと行商に」
「ちょっと、いいもの入ったんで」
「なら気をつけろよ」
「最近、この辺は物騒だ」
「盗賊?」
「そうだ、盗賊だ」
即答だった。
俺は苦笑する。
「ついてないですね」
「忠告、ありがとうございます」
「ところで、何売りに行くんだい?」
「良かったら見せてくれ」
隊商の男は、商人の顔で聞いてきた。
俺を食い物にしようってんじゃなく、
きちんと商談したいって顔だ。
「異国からの針と刃物と糸ですよ」
俺は鑑定を駆使して商談する。
この世界の相場より、結構安く売った。
フロウムでの入場税や諸々考えたら、
お金必要だったからね。
それに、結局この世界で初めて、
まともに商談出来て嬉しかったから。
地球産の品質を考えたら、
良い取引なんじゃないかな?
隊商の男は喜んで、ハグしてきた。
男のハグなんて、暑苦しくて臭い。
でも、この世界にきて、
初めて人が「温かい」と思った。
隊商は進んでいく。
俺はしばらく、その背中を見送った。
胸の奥に残っていたざらつきが、
少しだけ薄くなった。
消えたわけじゃないんだ。
ただ、その上に別の感覚が重なった。
川沿いで休憩する。
水は冷たくて、澄んでいた。
手を浸すと、頭が少し冴える。
流れは穏やかだ。
パンとチーズを齧る。
味は、正直言って普通だ。
でも、ちゃんと美味いな。
「……景色補正だな」
独り言が出る、誰も聞いていない。
風が吹いて、草が揺れる、鳥の声がする。
何も起きないな。
それが、今はありがたい。
午後も進んでいく。
壊れた荷車を直している男を見かけた。
一瞬だけ迷ったけど、声はかけない。
冷たいってわけじゃない。
でも、今は色んな距離を測るのが先だ。
関わりすぎると、判断を誤ることもある。
自分がヒーローじゃないことは知っている。
だから、線は引こう。
夕方、揺らぎに戻る時間だ。
揺らぎに入る前に、もう一度街道を見る。
人が歩いている。
話している。
荷を運んでいる。
特別なことはなにもない。
特に感動もしない。
ただ、
「ああ、人がいるな」
それだけだ。
でも、その「それだけ」が、
とてもいい、とても安心する。
揺らぎから戻る。
事務所の空気に五人の気配。
ミケが、ちらっとこちらを見る。
目が合って、すぐ逸らされる。
それだけで、口元が少し緩む。
「……分かりやすいな、俺」
自覚はある。
今日は何も処理していない。
誰も殺していない、怒鳴ってもいない。
ただ、世界を見ただけ。
それで、ちゃんと心が動いた。
「悪くない一日だな」
ソファに座って、息を吐く。
フロウムは、まだ先で、
盗賊も、そのうち来る。
でも今日は、ここまで。
何も起きない日が、
ちゃんと積み重なっていく。
それでいいよな。




